4話。依頼②
そこはある国の王都から馬で二日ほどの距離にあるどこにでもあるような宿場町。その町の片隅に有る寂れた廃教会だった。
その教会の礼拝堂のような場所の中心部において、全身に呪詛を受けたような男が息も絶え絶えになりながらも、熱心にナニカに祈りを捧げていた。
いや、熱心と言う言葉では軽い。その男の顔を見れば、誰であっても彼の顔には死相が浮かんでいるのがわかるだろうし、その顔を見ればその祈りはもはや怨念の域に達していると言うこともまた明白である。
だがナイアの使徒を呼ぶには、ナイアに願いを届けるには、これだけの妄執では足りない。本来なら彼の願いは他の怨嗟の声に埋もれ、ナイアには届かず、その恨みの念はアストレアへと力を注ぐだけのモノになっていただろう。
そう言う意味では、彼は運が良かったと言える。
「(お!不審者だよっ!キャッチしなきゃ!)」
「(誰が不審者だ。もう少しこう、ないのか?)」
あまりにも安っぽい言われ方をした男に若干の哀れみを感じないでも無いが、ナイアにとって今の彼は店の外で商品棚を見ているようなモノだ。店に入ってきたら商品の案内をするが、今のままでは客として見ることは出来ないのだろう。
だからこそ俺に煽れと言うことなのだろうが……正直他人の恨み言を聞くのは疲れるので、その辺は自動で済ませて欲しいと思っている。
だがまぁ勇者殺しは自分にも利益があることなので、仕事の一環として考えれば我慢できなくも無いのだが。そんな感じで気持ちに折り合いをつけた彼は、今も熱心に祈り続ける男に声をかけることにした。
「熱心に祈ってますね」
「……アンタ。誰だ?」
俺の声に対して硬い口調で答える男。
このご時世、いきなり現れて声をかけてきた人間に警戒するのは当然の話なのだが、この男は通常よりもさらにその警戒心が強いようだ。とは言えその声には多少の期待が込められているようにも見える。
まぁ勇者が絡んだ場合、大半の人間は体制側に追われているか、もしくはゴミのように扱われるかなので、彼は追われている方なのだろうと当たりを付ける。
さらにこの目に宿る微かな期待は、この廃教会のことを知っているからだろう。この教会に入れると言うことは神か勇者に一定以上の恨みを持ち、邪神に対する強い願いを持つ者だけなのだから。
「私はここの管理人の一人ですよ」
「管理人?使徒様じゃねぇのか?」
訝しげに俺を見る男。まぁ気持ちはわからんではないが、この辺の細かい説明を部外者にするつもりはない。
「本来なら貴方のような方の祈りに口を挟むような真似はしないのですけどね」
自称管理人は男の質問を無視して話を始める。質問を無視された男は余裕が無いのも有って彼に怒りを向けそうになるが、続く言葉で動きを止められてしまう。
「今の貴方は想いが軽いのです。それでは神に祈りは届かないでしょう」
「なっ?!」
血走った目、痩せこけた頬。薄汚れた服。妄執に妄執を兼ねたような雰囲気。一目見てそれらを感じさせる男が一心不乱に祈っているのを見て「その祈りは軽い」と述べる人間など普通は居ない。
そんなことを言われてしまった彼は怒りが沸点を通り過ぎ、一瞬頭の中が真っ白になる。呆然自失して言葉を失った男に構わず自称管理人は言葉を続けた。
「良いですか?貴方は勇者が憎いのでしょう、殺したいのでしょう。しかしそれ以外にもたくさんの想いを抱えているように見受けられます。ですがナイアットにとって重要なのは勇者を殺したいと願う純粋な憎悪。他の感情は不純物でしかありません」
「……」
「(なにそれ!それじゃあ私が邪神みたいじゃん!)」
「(邪神だろーが)」
「(そうだけどさー!そーなんですけどー!)」
ナイアと言う神は現在世界宗教と言っても過言ではないアストレア教徒から見たら間違いなく邪神であり、教会でも正式に邪神認定されているのだから、彼女は正真正銘の邪神と言っても良い存在だ。
それに本人(本神)も邪神だろうがなんだろうが一向に構わんッ!と言う覚悟を持っていたはずだったが、さすがに自分の使徒から邪神呼ばわりされるのは嫌だったようで、グチグチと文句を垂れてくる。
しかし今の問題はそこではない。
「……妻の安全や子の安全を願う事がダメだって言うのか?」
「駄目なのでは有りません。ただ不純なのです」
「じゃあ……じゃあどうしろってんだよ!」
己の祈りを「軽い」と、その上「不純だ」と言い切られた男は一瞬激昂しかけるが、自分の中に有るモノが純粋では無いと指摘されてしまい、自身の思いが『純粋な憎悪では無い』と言う言葉に反論することができなかった。
自分では最後に頼ろうとした神にも声が届かない。正面からそのことを伝えられた男は頭を抱え涙を流しながら叫び声を上げた。
……実のところ、彼の祈りはこうして神に届いてはいる。故に勇者に対する殺意だけではなく、単純にナイアに救いを求める声でもその声は届くと言うことなので、自称管理人が言うには広義の意味では嘘と言える。
だが今回はたまたま近くに自称管理人がいたと言うだけの例外事項である。
現在のアストレアへの信仰や恨みが満ちている世界において、ナイアに声を届けるにはある一定以上の純度が必要なのも事実であるし、さらに対象の持つアストレアの加護を打ち破り、彼らに被害者の呪詛を届けるためには、今の男では圧倒的に純度が足りていないと言うのもまた事実であった。
ちなみに勇者を呼び出した元凶とも言える神や王侯貴族・教会の人間よりも、勇者と言う個人に平民からの憎悪が向きやすいのは、彼らは代々続く王侯貴族と違って突如としてこの世界に呼び出された異分子だからだ。
なにせ平民と言うのは王侯貴族に対して無条件で負けを認めてしまっているので、怨みや憎悪よりも諦めが先に来てしまう。しかし異分子である勇者はその限りではない。
彼ら平民にとってほとんどの勇者は『王侯貴族に雇われた凄腕の傭兵』程度の認識であり、現状はその傭兵が貴族の威を借りて好き勝手していると言う感じで認識されていた。
よって、いくつかの国を跨いで聖女に認定されるレベルの勇者で無ければ、敬意を払う存在ではないと言うのも大きいだろう。
そんな対勇者に関する事情はともかくとして、だ。
男の内心には「自分は死んでも良いから妻子だけは!」と言う思いが見え隠れしている。
確かにその想いは崇高だろう。だが同時に彼は『自分の命の価値は妻子より下』と位置付けてしまっている。それの祈りにどれだけの価値が有る?その命にどれだけの価値が有る?
たとえそれが自分自身であっても最高の価値があるものではなく、最高より下のモノを差し出すと言うのは神に対する冒涜にほかならない。その程度の想いが神に届くはずが無いし、その程度の想いはナイアにとっても、アストレアにとっても取るに足らないモノでしかない。
そもそもナイアが復讐の為に魂を求める契約をするのは、その想いを武器とする為である。
その武器を自称管理人が使うことでアストレアの加護を貫く力となるのだ。そして一般の人間の執念が神の加護を貫くと言うのだから、その想いがどれだけのモノが必要なのかは推して知るべしと言ったところだろうか。
「ですので、まずは純度を上げましょうか」
「純度?」
「そうです。あぁ別に奥様への想いを捨てろとか、お子さんへの想いを捨てろと言うわけではありません。ただ己の中にある勇者への憎悪を滾らせてくれればいいのです」
「勇者への憎悪……」
何かを思い出しながら歯を食いしばる男は、確かに勇者への恨みを持っている。だからこそココに来ることが出来た。ならば後は心の中を憎悪で染め上げるだけだ。
この行為はある意味で妻子への想いを捨てると言うのと同じ事なのだが、男はそれに気付くことなく、藁にも縋る思いで自称管理人の男の言うことに従うことにした。
そう、彼は勇者が憎いのだ。殺したいと神に頼み込みに来るほどに、彼は勇者を憎んでいるのだ。
「そうです。まずは目を閉じてください」
「あぁ……」
だからこそ彼は焦りや怒りを抑え、言われるままに目を閉じる。
「勇者は何人でした?」
「勇者は1人だ。だけど周りに教会の兵士がいた!10人くらいだっ!」
男の言葉を受けて、自称管理人の心に(めんどくせぇ)と言う思いがむくむくと出てくる。
「(ほら、続き続き!)」
「……勇者の顔を覚えていますか?」
そんな自称管理人の内心を理解してか、せっせと煽ってくるナイアに(うぜぇ)と思いながらも、ここまで来て魂獲得の機会を逃がしたら間違いなくナイアがヘソを曲げてしまうので、心の中でため息を吐きながら目の前の男に勇者の情報を開示させる。
「忘れるわけがねぇっ!」
血を吐くような声を出す男、強く握り締めた手からは血が滲んでいた。
「よろしい。ではその勇者は何をしたのですか?」
「あの野郎はっ、あの野郎はっ!」
それから数十分、何度も激昂する男の飛ばす唾に悩まされながらも、自称管理人はなんとか話を聴き終えることに成功する。
しかし……
「(う~ん。微妙だけど、その魔獣の呪いには興味あるかな!)」
「(……こいつの魂は?)」
「(いらな~い)」
「(おいっ!)」
神と人間の価値観は違う。
神にとって、どれだけ祈りを捧げたとしても1に届かないならゼロと同じだ。よって『ゼロならば必要ない』と判断を下すのも当然と言えば当然と言える。
だが、このような性格だから自分の下にまともな信者が集まらないのだと言うことを自覚出来ていない時点で、彼女が邪神を卒業するのはまだまだ先の話になりそうである。
それはともかくとして。
全てを聴き終えた後に邪神が発したこの一言によって、彼の話を聞いた数十分の苦労が無駄に終わったことが判明した。しかし、それは祈りを捧げにきた男にとってはある意味で福音であっただろう。
なにせ彼はナイアから契約を結ぶに値しないと認定されたのだ。
この瞬間、彼が勇者や教会の人間を狩るのは『依頼』ではなく『彼らの事情』となり、男は報酬を支払う必要がなくなったと言うことなのだから。
途中、正田卿のシナリオのパク……オマージュ有りますけど、書籍化するわけじゃないし、本人も見てないからきっと大丈夫ですよね!
もしもダメなら即座に消しますってお話