3話。理由
さりげなく投稿してみる作者である。
何だかんだで勇者狩りとして悪名高い俺だが、実のところ俺には勇者に対して個人的な恨みはなかったりする。
いや、勿論あいつらの存在を迷惑だとか、うっとおしいと思う事は有る。それは否定しない。
だが以前の依頼者のように家族を奪われただとか、何かを騙し取られたとか、そう言うことは一切無い。
ならば何故殺すのか?
一言で言えば生活の為だ。これは大半の殺し屋が納得する理屈だろうが、自分達に何故○○殺すのか?を聞かれても困るのだ。
そんなの「依頼人に聞け」としか言いようがない。まぁ質問している人間としては何故殺し屋なんかして居るんだ?と言う意味なのかも知れないが、それに対する答えは……まぁ人それぞれだろう。
だが一つ言えるのは、需要が有るからこそ殺し屋は居なくならんと言うことだ。
と言うか個人的にはこの質問は、冒険者に対して「何故魔物を狩るのか?」と聞くのと同じだと思っている。
①魔物を殺せばレベルアップできるから。
②魔物を殺してほしいと言う依頼が有るから。
③魔物は人を襲うから。
まぁこんな感じだろう?そして俺は、この『魔物』が『勇者』に代わっただけの話だと思っている。だからこそ依頼が有れば勇者を殺すのだ。
まぁ勇者を殺せば強くなると言うのも一つの理由だが、これは強い敵を狙って倒してレベルアップをしようとする連中と一緒だろう。
結局のところ俺がこうして勇者を狩るのは、ナイアからの依頼であり、最期の最期で彼女に助けを……いや、復讐を求める声を届けることが出来た者の願いを依頼として叶えているのだ。
だから「何故殺すのか?」と問われたら「依頼人に聞けと」答えるだろう。
まぁ勇者と会話する気など無いのだが。
そもそもナイアとは何者で、アストレアとは何者なのか。
じつは俺も詳しく分かってはいない。いや、ナイアの自己紹介は聞いたがソレが正しいかどうかは分からないからな。
まぁその上で語るなら……何でもナイアはこの世界を創世した神の一柱らしく、人が居て、エルフが居て、ドワーフが居て、オーガが居て、ゴブリンが居て、それぞれがありのままの姿で生きること(アストレアの神話で言えば原初の混沌の中にあること)を好んでいた。
そこに突如として現れたのが、『人が秩序の名の下に世界を統べるべきだ。それこそが正義なのだ』と標榜するアストレアだ。
彼の神は己が選んだ人間を使徒としたり、知恵の有る生き物が人間種しか存在しないと言うような特殊な異世界から人間を呼び出して『勇者』として力を与え、他種族を滅ぼす一助とした。
そうして人間種を優遇しながら人間至上主義を広めると共に、人間以外の種族を認めず、時には奪い、時には滅ぼし、時には隷属させて人間の正義を他の生き物に押し付けていった。
そんなアストレアに対して原初の神々は何をしたかと言うと……なにもしなかった。彼らにしてみればアストレアに唆されたとは言え、人間が作る世界もまた混沌の一部と言う判断だったらしい。
そうして人間はアストレアからの恩恵で力を伸ばし、他種族を蹂躙していく。その中で、いくら祈っても助けてくれない原初の神への信仰は当然の如く薄れていった。
このままアストレアが唱える秩序が世界を覆うのか?人間以外には生きる資格すら無いと言うのか?
幾多の生き物がアストレアと自分達を見放した原初の神々に怨嗟の声を挙げて滅ぼされて行く中、ようやく立ち上がったのがナイアだった。
人間によって玩具のように殺されていく魔族や、同じ人間に殺される人間の声。人間に焼かれて行く森や、そこに住む生き物たちの断末魔がそれまで我慢していた彼女を動かしたのだ。
だが時すでに遅く、彼女が動く決心をする頃にはナイアをはじめとした原初の神々への信仰心は薄れており、人々の信仰は宗教と言う概念でもって人を統治するアストレアへと集まっていた。
神の力は信仰(認識)されることで上昇する。極端な話、称えられようが忌み嫌われようが、関係無いのだ。
そこでナイアは何とかしてアストレアから信仰(認識)を奪うことが出来ないかを考えた。その結果が、アストレアの使徒である勇者を自らの使徒が殺すと言うものだ。
そしてナイアは最初に魔族と呼ばれる者たちに目を着けたらしい。
彼らは生来魔力が強く、また人間に似ている部分が多いために率先して殺されたり虐げられていたからだ。そんな彼らから一人の子を選び、力を与え、魔族と呼ばれる者たちを一つに纏めさせ人間に対抗させようとした。
これが初代の魔王だ。だがここでナイアにとっての誤算がおきてしまう。
彼女の中では魔王が立つことで、他の魔族と呼ばれる者たちも彼の元に集い、自分を崇める(認識する)ことになるだろうと言う算段が有った。当然の話である。そうしないとアストレアやその使徒には対抗できないのだから。
だが、今の今まで自分達に何もしてこなかったナイアを信じるものは少なく、いくら魔王がアストレアの使徒を殺しても、いくら魔王が組織を整えて人と言う種族に対抗できるような魔族の国を造ったとしても、一般の民の中ではアストレアが魔族にも慈悲を与えたのだと言う考えが主流になってしまう。
一番救えないのは、魔王までもが自分の力はアストレアから貰ったモノだと考えてしまったことだろう。
まぁ政治的に考えて仕方が無いことではある。いきなり訳のわからん神に力を貰ったと言うよりは、アストレアの加護は人間だけのモノではない!と声を挙げた方が人間に与える影響は大きかったし、基本的に神からの加護は一度しか与えられない。そして魔王も少年だった時の自分に力をくれた神が誰なのか?と言うことを考えるだけの余裕も無かったのだ。
結果としてアストレアの力が強まり、その力を与えられた使徒によって魔王は討たれてしまう。
そして、再び人間種に虐げられることになった魔族たちは再度の奇跡を、アストレアへ魔王の再誕を願う。
その願いの力がアストレアを強化して、更に使徒の数が増え、人間の勢力と信仰が増し、虐げられる者たちが増える度にアストレアへの祈りも増えると言う循環が出来上がってしまった。
これに頭を抱えたのがナイアだ。残り少ない力を振り絞って作り出した魔王がアストレアの強化に繋がってしまったのだから、その気持ちはわからないでもない。
そこでナイアは魔族がダメなら人間種ならどうだ?と考えた。人間こそが世界の主!と、嘯きながらも人間は人間で階級があり、差別があり、怨嗟の声が有る。
ならばアストレアに優遇された人間や使徒を恨む人間に力を与えて、そいつにアストレアの使徒を殺させる。そして自分の使徒が殺したと言う証拠を残せば、嫌でもナイアの存在は知れ渡るし、最悪でもアストレアの信仰が増すなんてことはないだろう。
そうして何人かの人間を使徒にして何人の勇者を殺すことに成功し、手応えを掴んだナイアは一つの賭けに出る。
それは自らの大半の力を注いだ使徒の作成である。
つまり強化した使徒の中から更に優秀な人間を見つけ、そいつに力を注ぐことで最強の使徒を造ろうとしたのだ。
その結果、ミスがあって何故か俺が使徒になったのだが……まぁそれに関してはいつか話すことも有るだろう。とりあえず俺がナイアの使徒であり、金と生活の為に勇者を殺す存在だとわかってくれれば良い。
「(ん?あ!依頼が来たわよ!さぁ勇者を殺しに行きましょう!)」
「わかったわかった。だから急に叫ぶな」
さぁ、出発だ。ただ……願わくば殺すべき勇者がクソ野郎であることを願うと思うのは、俺が甘いからだろうか?