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はじまりの場所  作者: ひろゆき
9/15

 ーー あの“雪花の星”を ーー (3)

 これまでの日記の内容から、「抑」の辛さを知る螺閃。もう、このころには、初めてミロクと出会ったときに比べ、かなり心境が変わっています。彼の霞、ミロクに対する接し方の違いを楽しんでもらえればと思います。

 しかし、この手帳の存在が邪魔をしているのか、互いによそよそしい喋り方になってしまった。

 霞からあのワガママで勝手な言動はなく、俺はどうしても気持ちが高ぶらない。

 何かにすがるように、手帳を開いて日記を読み返していた。

 すると、書かれていた文字の異変に、思わず失笑してしまう。辺りは静まっていたので、俺の笑い声は中庭にすぐ広がった。

『ちょっと、どうしたのよ?』

 霞もそれを聞き逃さなかった。

「これだよ、これ。この手帳」

 霞がそばにいるわけでもないのだが、手帳を片手で開いた状態にして、ミロクの顔付近に向け、奥にいるであろう霞に見せた。

『手帳がなんなのよ』

「字が間違ってるんだよ。すげぇ、簡単な文字なのに」

声を張り上げる霞に、俺は笑って間違った字を指差して指摘した。すると、霞は黙ってしまう。

 静まっていっても、俺は笑い続けてやった。この嫌みな笑い方に、霞が攻撃を仕向けてくるのを期待して。

『うるさいわねっ。そういう螺閃はどうなのよっ。それを間違いって気づかずに読んでいたんでしょっ。あなただって、バカじゃない』

 やはり、こうでないとな。

 得意げに俺をけなすのは頭にくる。が、やはり、こうした言い合いの方が俺たちには合っている気がして正直ホッとした。

 調子を取り戻した霞がまだ文句を続けている。それを無視して、虚ろな表情に見えたミロクの顔を眺めた。

 お前も、この方がいいんじゃないのか? この時期の霞よりも。

 胡座を掻いた膝の上に手帳を置き、声に出さないまま問いかけた。

 このときばかりは、ミロクが「あぁ」なり、「うん」なりと返事が聞こえてきそうな気がした。

『ちょっと、聞いてるのっ』

 そんな穏やかな雰囲気を邪魔したのは、やはり霞だある。

「っるせぇなぁ。今、ミロクと喋ってんだよ」

『ーーえっ、嘘っ。螺閃が? マシで?』

「ったく。なんでもねぇよ」

 驚きを隠せないでいる霞に、これ以上突っ込まれるのを避けたくて、話を濁らせて終わらせた。

 しかし、さっきまで真剣に読んでいたのに、間違いに気づかないのは、それだけ余裕がなかったのか、霞の言う通り俺もバカになってしまったのか、考えたくもないものだ。

『大体、それを書いたのって昔なのよ。子供だったんだから仕方がないじゃない。それを考えてよね』

 ふて腐れたように、霞は当たってくる。

「子供ねぇ」

『そうよ。今なら間違えるわけないでしょっ。まぁ、誰かさんはそれに気づかなかったみたいだけどねぇ』

 どうも、棘のある喋り方だ。間違いを指摘されたのがよほど屈辱だったのかもしれない。もう遠慮も何もなく言いたい放題だ。

 普段ならば、軽く言い返していただろう。けれど、今はその気になれなかった。

「だよな。仕方がないよな。まだこのときはガキだったんだからな」

『そ、そうよ…… どうしちゃったの?』

 予想外の俺の返事に霞は拍子抜けしてしまったらしい。

 どうも重い空気が嫌になり、粗探しをして茶化したが、それは必死だった当時の霞の心境を何も考えず、理不尽な命令を下していた大人と変わらないように不意に思えた。

 霞はあの小さな体に「兵器」という名の鎖で縛られていた。従わなければ未来はない鎖で。それに気づいて、軽はずみな言動をしてしまったと自分を責めた。

『確かにあのころは子供だったんだけどね』

 俺の心情が伝染したように、霞は急におもたい口調になった。

「おい、おい、お前こそどうしたんだ? そんなのお前には似合わねぇよ」

 冗談っぽく言い返すが、苦笑いで頬が引き攣っているのを見られれば、俺も無理をしているのは一目瞭然だ。

『中途半端な子供だったからね。無謀な希望さえも抱いてしまったのよ』

 俺の行為も空しく、霞の口調は変わらない。このままではいけないと、霞のテンションを上げようとするのだが、上手くいかない。

 まったく、自業自得と言えば終わりだろうが、必死で手を大きく振って盛り上げようとしている動作は、誰も見ていないと分かっていながらも、恥ずかしくなる。なんだか、顔がやけに熱い。頬が赤くなっているだろう。

「……それって、「最後の望み」ってやつか?」

 気分を上げるのを諦めた俺は、この話題に関わっていそうな単語を言いながら、視線を落とし、手帳を指でなぞりながら読み返していた。

 的を射ていたのか、霞は黙り込んでしまう。

『ーーうん』

 頷く声に張りはない。

 予想はできたが、それ以上踏み込む勇気がなく、自分から訊けなかったが、それを悟られまいと、無駄に遠くの空を眺めた。

『決められた行動、束縛された時間。あの施設にいた「抑」と「鬼兵」私たちは逃げられなかった。大人たちに逆らうのは生きる術をなくすようなものだったから、私は挫けず、居続けた』

 生きる術か。

 それは理解できそうだった。ガキだった俺が盗みをしていたのと同じようなものだろう。どちらがマシなのかは今となっては言い切れないが。

 どちらにしても、“死”という恐怖から逃れられないのは変わりなかった。ただ、その施設にいる間、食事に困ることがないだけ、霞の方がマシだと思ってしまうのは、俺の勝手な思いすごしなのだろうか?

 けれど、手帳の前半だけを読んでいると、飯にありつけるのさえ困難だった俺は正直、羨ましい気持ちが心の隅に潜んでいた。そのとき、大人から見た「抑」の立場を知りながら……。

『けれど、それは守りたいものがあったから』

「守りたい? ミロクか?」

『ミロクもそうだけど、別にもあったの』

「別に?」

『うん。それは大好きな家族と一緒にいる子供たち。私たちのような「戦災孤児」で、「抑」の立場になった者が頑張れば、辛い思いをしないで済むって考えていたの。名前や、顔すら知らない人たちでも、親を喪った辛さを知っている私にとっては、親が何ものにも変えられないと知っていたから。それが励みになって頑張れた。けど、それも何もかも、大人たちの会話を聞いたあのときに砕けちゃった……』

 手帳から読み取れたのは霞の砕けぬ強さの根源を、本人の口から聞くことができた。強い意志が絶望に変わってしまった瞬間も。

 俺は声がかけられず、うつむいたままだった。直接声で聞いた思いの方が、あの長い文章で伝わった辛さよりも、身を震わせた。

『そのころからだった。あの施設に入ってから一度も見ていなかった“雪花の星”を見たくなったのは』

 そこで霞の声は止まってしまった。俺には、その先を話すのを躊躇っているように感じた。

『そして、私はあの出撃の朝、ミロクに頼んでしまったの。「私に“雪花の星”を見させて」って』

「ーーっ」

「ちょっと待て、それって、どう頼んだんだっ」

 落ち着いて聞いていたのだが、“雪花の星”が出ると、不安が積もり出して、話を中断して荒い口調で問うた。

 困惑した様子の霞は間を開けて、すぐには答えなかった。

『どうって言われてもーー』

「だから、その手段だよっ。お前を“雪花の星”が見られる場所に連れて行けって言ったのか? それとも……」

 霞が言い終わるのも待たず、俺は急かした。なのに、勢い込んで割り込んだのに、この先を話そうにも、口がまごつき上手く声が出なかった。

『……「撮ってきて」って』

「ーーっ」

 霞はあまりにも小さな声で短く呟いた。聞き取れなくても仕方ないほどだ。が、俺は聞き逃さなかった。

 積もり出した

不安が怒りに変わっていくのを自分でも実感していた。

「お前、本当にそんなの頼んだのかっ」

 抑え切れない衝動で飛び起き、怒鳴りつけると、ミロクの首筋を睨んだ。

『な、何よっ。急に怒って。そっちが言えって言ったんでしょっ』

 変貌した俺の態度に驚きながら、霞は反論してきた。

 本当はこのまま怒鳴りつけたいが、順を追って確認するために、右の掌を左胸に当てて、息の上がった心臓を押さえて気を落ち着かせた。

「お前が聞いていた会話で、ミロクが整備されているときにいた大人は二人で、一人は「ミロク」と呼んでいなかったか?」

『え、えぇ。そうよ。それで、偉い人に注意されてた。「番号で呼べ」って』

 やっぱり……。

 落ち着いた口調で訊いたので、霞も素直に答えてくれた。そして、確実に俺がミロクから見せられた日の記憶だった。

 確認は一つ済んだが、不安はまだ取り除けない。

『でも、どうして螺閃が知ってるの?』

 日記には関係者の会話までは書いていない。霞が疑問を抱くのは当然だ。

「俺は、その日の映像をミロクから見せられたんだ。戦争が終わることや、“雪花の星”の会話も」

『……そうなんだ』

 意外にも霞の反応は薄い。

 お互いに同じ会話を聞いた上で、確認は核心へと持っていくことにした。

「じゃぁ、俺が怒っている理由は分かるよな?」

 押さえつけているつもりだが、一言、一言に刺がある話し方になってしまった。

『…………』

「鬼兵にとって、“雪花の星”は体を蝕むウイルスのようなものだ。しかも、その処置法は見つからなかった。見つからなかったから、鬼兵は戦争の世界から消えていったようなものだ。それを知っていて、お前はそんなことを頼んだのか?」

 霞は駄々をこねる子供のように沈黙を守り続けていた。

 鋭い眼光でじっと睨みつけながら対峙する俺と霞。厳密には霞ではなくミロクなのだが、状況からして俺にはミロクの身に隠れ込む霞の姿が幻のように見えた。

「それで、ミロクはその頼みを受けたのか?」

 違う。

 と否定してほしかった。ミロクは“雪花の星”を浴びていないと信じたかった。けれど、霞の沈黙は俺の願いを否定しているのだった。

『仕方ないじゃない……』

「仕方ない? 何がだ? お前も知っていたんだろ? なのに、仕方ないだとっ」

 やっと沈黙を破った霞に、間髪入れずに責めた。

 俺の勢いに負けた霞は口を噤み、言いかけた言葉を呑み込んだようだった。そこに俺は構わず責め続けた。

「いいかっ。お前がしたことはな、お前たちに戦争に行けと命令した大人たちと変わらないんだぞっ。お前はミロクに死ねって頼んだんだぞっ」

『ーーっ』

 込み上げてきた感情が一気に爆発して、俺は霞の心境など構わず、胸に溜まった言葉を止められず、すべてを吐き出していた。

 勢いついた俺は、怒声を上げながら左腕を大きく振り払っていた。手帳を手にしていた右の拳にも力がこもり、手帳にシワが寄った。

 クソッ。こんなつもりじゃなかったのにっ。

 息の上がった自分と、霞をかばうようなミロクの目に気づいた俺は、冷静さを取り戻して、うろたえてしまった。

 日記を読み、霞の置かれた立場を多少は理解したつもりでいた。言ってはいけない願いと知りつつも、苦しさに耐え切れず、言ってしまった霞の思いを。それが、一時の感情に流されて我をなくしてしまった自分を恥じて叱責した。

 非は自分にあると、自己嫌悪に陥ったとき、すでに遅かった。

『勝手なこと言わないでっ。何も知らないくせにっ。螺閃に何が分かるって言うのっ』

 霞の攻撃が始まった。

『私の日記を一回読んだだけで、すべてを把握したような言い方をしないでっ』

 まったくその通りだ。

 霞の叱咤が痛い。俺はそれを甘んじて受けるしかない。

『残された道はもう決められていたのよ。戦場に行って、そして…… どうせ同じなら自分が納得できる方法を選んだっていいじゃないっ。

 それにもうあのとき、私は…… あのままだと、ミロクが…… それが最後の望みだったのよ』

 当時を思い出したのか、霞の感情が治まってきた。

「ーー霞?」

 その変化が気になり、名前を呼んでしまうが、一向に返事がない。

『螺閃なら……』

「ーー霞?」

『螺閃なら分かってくれると思ってた。私たちの辛さを。だから、ミロクもその手帳を見せてくれたんだと思う。けれど、それも間違いだったのね。もういいよ』

 待っていたのは俺を軽蔑する言動。そしてそれを期に、通信が切れる音がして霞の声は途絶えた。

 こんな音がしたのは初めてだ。まるで、この先は通信を交わさないと絶縁されたように。現に、俺が何度も呼びかけても、まったく反応はなかった。

 そばにいるミロクに助けを請うように顔を覗き込んだが、今のミロクの表情は冷たく、俺は突き放されたようだった。

 通信が途絶え、静寂した風の音が耳に触れると、急に寂しさが込み上げてきた。

 崩れるように腰を落とし、ふと、昔のことを思い出してしまった。戦争中、戦火から逃げながらも、爆撃に親を喪い、悲鳴と爆音が轟く街を独り彷徨っていたあのころを。

 漠然とした不安と悲しみに襲われていたころに、今の俺の心境は似ていた。

 塞ぎ込む俺をよそに、時間は静かに流れていた。ミロクの前に座り込む俺の影はさらに小さくなり、影は闇のなかに逃げようとしていた。

 鮮やかな緑色を渋みのある色へ濃くしていく周りの光景にやっと気づき、屋敷を覗く夜空を見上げた。すると、燦々とした太陽の光りは深々とした月の明かりに移り変わっていた。

 長かった一日が閉じようとしていた。

 霞、ミロクのことを思い、励まそうとする螺閃。ども、幼い霞の無垢な願いに激怒した螺閃ですが、それはやはり、霞とミロクの捉え方が変わった証拠になると思います。また、“雪花の星”が鬼兵にとってウイルスみたいな存在にしたのは、綺麗なものが凶器みたいな存在にして、誰かを苦しめるものにしようとしたかったので、こういう形にしました。今後、“雪花の星”が螺閃らの関係に深く関わっていくようになります。

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