ーー “空”が見たかったの ーー (1)
第二章が今回から始まります。螺閃の心境も変わり、霞に茶化され、圧倒されながらも、声だけの霞との奇妙な会話を楽しんでいただければと思います。よろしくお願いします。
第二章
ーー “空”が見たかったの ーー
雲一つない空から、太陽の暖かい日差しが中庭を照らし、心地よい風も頬に触れた。俺が作業を始めて三日が経った日であった。
空を見上げれば、目を細めたくなりそうな、眩しいばかりの太陽が俺を覗いている。今日の空も機嫌がよさそうだ。時折、小鳥たちが中庭に降り立ち、ミロクの肩を借りて、羽を休めていた。
こんな光景を見て喜んでいる自分が不思議だった。まさか、性格が変わってしまったのかと疑いたくなる。信じがたいが、動かしている手が軽いのも事実なのだ。
残念なのは、そんな時間が長く続かないこと。
『ねぇ、螺閃っ。何か面白い話をしてっ。私、すっごく暇っ』
霞の唐突な要求が小鳥たちを驚かせ、空へと追いやってしまった。
「俺は暇じゃない。作業で一杯一杯だ」
空に逃げる小鳥を惜しむように遠のく姿を目で追った。
『そんな冷たい態度しなくてもいいじゃないっ。ねっ、何か話してよ』
「言っただろ、俺は忙しいって」
相手をするのが少しだるかったので、霞の要求を無視した。霞の相手をするのは本当に疲れるのは、この三日で収穫した一つ。手を動かしているので、なおさら無視をする。
俺が相手をしないと分かると、霞は黙り込んでしまった。急にそんな態度を取られると、物足りない。あの口ぶりでは、もっと責めてもいい口ぶりなのに。
「どうした?」
逆に気になって声をかけた。
『ーー詰まんない』
少し間を置いてから、ふて腐れた様子の霞の声が漏れた。
よくまぁ、そんなのでこれまで暮らしてきたものだ。ついこの間まで、俺はいなかったのに。
「……分かったよ。ちょっとだけなら、相手になってやるよ」
『ーー本当っ』
半分は嫌々なのだが、このガキまたいに喜ぶ声を聞いてしまうと、何も言い返せない。だが、これだけ期待されると、俺の方が何を話せばいいか困惑してしまった。
下手な話をしても、霞はきっと納得しないだろう。
そこで疑問を一つ訊いてみた。
「お前って、ミロクとどんな話をしているんだ?」
『ーーえっ?』
俺の質問に呆気にとられたように返事した。
「だって、ミロクはこんなんだろ。けど、お前はミロクと話していたとか言っていたしよ」
『う~ん……』
返答に困っている霞だが、どこか躊躇しているようにも感じた。訊いてはいけないのかと、悔やんでしまった。
『ーー色々っ』
しかし、心配は無縁だったのか、明るい口調で霞は返した。
『今日は元気? とか、今日は疲れた~。とか。結構、私の愚痴が多かったんだけどね』
「ふ~ん」
『あ、でもミロクに一つだけ、ちゃんと訊きたいことがあったなぁ』
思い返しながら話す霞が、急に何かを思い出したように呟いた。
そんな言い方をされては、話が気になってしまう。
「なんだよ、訊きたいことって?」
『知りたい? 知りたい? やっぱり、気になる?』
俺が興味を示した途端、霞は嘲笑うように話を焦らし、からかう口調になった。
『いいよ。教えてあげる』
また俺が折れるのを待っているのかと思えば、すんなりと霞は教える気になったみたいだ。
『“空”が知りたかったの』
霞の声はどこか寂しげに聞こえてしまったが、意外な返事に目を点にした。
それこそ、空のように変化する霞の声の落差は読めなかった。
「“空”って太陽が見える空だよな?」
霞に俺の姿が見えるわけでもないのに、つい指を空に向けて突き立ててしまった。
『そうよ。それ以外ないじゃん』
「でも、なんでまた“空”なんか?」
『知りたかったのよ。ミロクがどこで私と同じ空を見ているのかを。私の場所と、ミロクの場所の天候の変化で、もしかしたら、今いる場所が分かるかもしれないって思ったし』
「なるほどね」
先入観から、霞という女は楽観的で、計画性のない人物を描いていた。けれど、ちゃんと考えているのに素直に感心した。
……そうか。
霞の話に耳を傾けていると、今になって、肝心なことに気づいた。
「簡単なことを忘れてた」
『どうしたの、急に?』
「いや、今はミロクの前に俺がいるってことを。なんで気づかなかったんだ。俺がこの場所を教えたらいいんだよ、お前に。なら、そっちから、ミロクを迎えに来れるだろ?」
『ーーあっ』
霞もまったく気づいていなかったみたいで驚いた。それを聞いて、あまりにも情けなくなった。
そうなれば、するべきことは一つ。霞にこの場所を知らせるだけだ。そうなれば、俺みたいな解体屋ではなく、しっかりとした場所で修理も行えるはず。
「おい霞、今からこの場所を教える。しっかり訊いておけよ」
『ーー待ってっ』
場所を教えようとすると、霞は急に大声を上げて、高揚する俺を止めた。突然の大声に驚いて身を反らした。
「なんだよ。何か悪いことでも言ったか?」
『ううん。そうじゃないの。その考えはいいと思うよ、私も。けれど、ダメなの』
「どうして?」
『私、ちょっと今、自由に動けないのよ』
「動けない? なんで?」
霞は問いにも答えず黙ってしまった。まるで、その話には触れてほしくないみたいだ。
一向に口を開こうとしない霞に困惑して、頭を掻いてしまう。
「ーー止めよう、この話は」
『ーー螺閃?』
「悪い。俺、嘘をついていたんだ。実は今直している部分にちょっと行き詰まっていてな。修理の話を放り出そうと考えていたんだ。やっぱ、中途半端な気持ちじゃダメだな。うん。最後まで俺が修理する。それで、ちゃんとミロクの方からお前のところに帰すよ」
この話こそ嘘だ。別に修理に行き詰まってなどいない。むしろ、順調だ。けれど、そうやってでも話題を変えなければいけなかった。
『ゴメン』
霞の一言はどこか儚げだ。それでも重たく聞こえた一言に、これでよかったと思えた。
この光景を俺を知っている者が見れば、どう思うだろうか? きっと言葉をなくし、驚くだろう。俺だってそうだ。以前なら、自己中心的な判断を下しているはず。
この二人に愛着でも湧いてきてしまったのだろうか?
現に今でも、霞が気になって仕方がない。どうにかして、あのうるささに戻そうと考えてしまっている。
『ーーねぇ』
そんなとき、先に声を出したのは霞。
『螺閃のいる場所の“空”ってどんなの?』
「はぁ? なんだ、それ?」
俺の心配をよそに、唐突な質問に呆れて、口が半開きになってしまう。
『だって、今、私がいるところ、空がちゃんと見えないんだもん。だから、空がどうなっているのかしりたいのよ。それに、そこはミロクが見てる空と同じ何でしょ?』
「俺はこいつの目の代わりか?」
皮肉を込めて言い返した。けれど霞は気にもせず、無邪気に笑っている。まぁ、気分が戻ったみたいなので、それ以上は言わないでおいた。
仕方なく空を見上げた。
「空は無邪気なガキと同じなんだよ。その日の気分によって、表情を変える。晴れて笑っているときもあれば、雨で泣いているときも、雲って悩んでいるときもある。そうやって、包み隠さずさらけ出しているのがガキと同じなんだ」
不思議なことに、次々と口が開いた。自分の好きな物に興味を持たれて、無意識のうちに嬉しかったのかもしれない。
ちょっと喋りすぎたと感じていても、霞は一向に返事をせず黙っていた。
「おい、どうした、霞?」
不安になり、名前を呼んでみるが返事はない。
「おいって」
『あ、ゴメン。ゴメン?』
「驚かすなよ。急に黙り込みやがって」
『だって、驚いたんだもん。まさか、そんな話をするなんて』
スピーカーの奥の霞から、どこか笑うのを堪えている声が聞こえた。
『だって、螺閃のイメージからして、空を人に例えるなんて思えなかったんだもん』
「ーーはぁ?」
『声だけだと、螺閃ってどこか冷たい感じがしていたから。それで驚いちゃった』
まだ霞は笑っている。急に恥ずかしくなり、頬が熱くなってくる。
俺も俺だ。何も考えずに喋ってしまった。情けない。
『恥ずかしい?』
「ーーっ」
心を見透かしたように、霞はふざけて訊いてくる。ムカつく言い方だ。だが、当たっているから反論できない。
「あ~っ。もう止めだっ、こんな話っ」
『あ~、照れてる♪ 意外~♪』
面白がって茶化す霞を無視し、手元に集中し直して作業に戻った。
それでも霞の声は耳元で続いている。元の喋り方に戻ってよかった。
しかし、安心は無常にも奪われていまう。なぜなら、霞のイジリは水を得た魚みたいに一日続いてしまった。結果として後悔しか残っていない。
この日の空は悩んでいた。暗く思い雲が太陽を拒み、光を遮っていた。昨日、霞からあれだけ茶化されて嫌になっていたのに、どうしても空を眺めてしまっていた。
「今日はちょっと急がないとな」
曇天の空からは今にも雨が降りそうな気配だ。空を気にしながら、ミロクに話しかけた。
中庭には屋根がなく、雨が降ってしまえば隠れる場所がほとんどなかった。もし降り出せば、中断せざるを得なかった。
ミロクが凭れる木の下なら、多少は雨をしのげるだろうが、そこはもうミロクの特等席となっている。俺の入る隙間はない。
だからこそ、今日の作業は急ピッチで進めなければいけなかった。幸い昨日、霞から茶化されたあと、霞を無視して作業に没頭したお陰で、あと少しで記憶装置の修理は済みそうだ。
「霞、無駄話は勘弁してくれよ。今日はそんな暇はなさそうだからな」
霞はまだ話してこなかったが、念を押すように呟く。これでもまだ文句の一つでもあると思えたが、霞は黙っていた。少し拍子抜けな気がしたが、これもまた幸いと作業を開始した。
珍しく、今日は霞の邪魔はなかった。
いつにも増して、金属が掠れる甲高い音が耳につく。それだけ霞の声がデカいのかもしれない。作業も驚くほど早く進んだ。
「よしっ。後はこの配線を繋げれば……」
ほぼ記録装置の修理は済み、ミロクの体に収まるように身を乗り出して、胴体側の配線を繋ぎ合わせた。
一本、二本と、線を繋げていると、俺の首筋に冷たい感触が走った。次第にそれは頭、背中に広がっていく。
「くっそ。降り出しやがったな」
身を起こして空を見上げれば、曇っていた空はさらに暗さを増しており、小粒の雨が降り出していた。
何がそこまで悲しいことがあったのか、雨は瞬く間にその量を増やす勢いだった。
「ーーやっべっ」
慌てて、ミロクの開いている部分に雨が入らないようシートを被せ、辺りに散らばっていた部品をかき集め、雨がしのげる屋敷のなかに逃げた。
よほど空は悩んでいるのか、雨は一向に止む気配はなかった。雨が打たれる中庭を呆然と眺めていると、木の葉に守られながらも濡れているミロクであったが、まったく動かなかった。
そんな彼にシートをかけるしかできないことに、どこか心が痛んだ。
瓦礫が散らかる廊下に座る隙間を見つけ、俺は中庭を眺める形で壁を背にして座り込み、オイルで汚れた手を拭き取った。
用意したのがほんの数日前だった白いタオルが、もう汚れて黒くくすんでいる。タオルの汚れを見て、本当に修理しているんだと実感した。
そんなとき、ほんの一瞬、タオルの汚れに意識が向いている刹那、中庭にから青白い光が見えた。
「ーーなんだ?」
不思議に思い腰を上げ、視線を光の方に向けた。しかし、様子を伺ったときにはすでに光は輝きを失っていた。が、しかしーー。
同時に目を疑ってしまう。
まるで誰かに騙されているような感覚。ここには俺とミロクしかいないはずなのに、ちょっと、目を離した隙に、あろうことか二人の女性の姿があった。
二人は俺に気づいていない。一人はまだ子供で、この雨に濡れる庭でクルクルと回りながら、両手を大きく広げて楽しげに踊っていた。
もう一人は子供ではなく、背丈からして、俺とさほど変わらない年齢の女性のようだ。
彼女は子供と違い、ミロクのそばで静かに立ち尽くしていた。
腰の辺りまで伸びた黒髪を揺らすことなく、ミロクをじっと見詰めていた。彼女は俺の場所に背中を向けていたので、表情は伺えなかったが、全体の印象からして寂しさを醸し出していた。
二人出現なの目を疑い、目を手で擦って瞬きをしてから、もう一度二人の姿を確認してみた。すると、またしても驚かされた。
今度は髪の長い女性が姿を消していた。再度、目を擦って確認をするが、やはり姿はどこかに消えていた。
誰もいない場所に突然人が現れ、一瞬目を逸らした隙に忽然と姿を消してしまう。夢を見ているような、幻覚を見ているような、奇妙さを通り越して不気味さを抱いた。
残っているのは雨にも関わらず、楽しく踊る子供の姿だけ。
「ーーおいっ」
試しに声をかけてみた。しかし、子供は踊り続けている。
「おいっ。聞こえていないのかっ」
さらに呼びかけるが何も変化はない。雨の降る音に掻き消されて聞こえないのかもしれない。
不意に空を見上げるが、雨はさほど激しくなく、声は中庭に通るはずである。そもそも、あの子はその場で回転している。その回転のなかで、俺の姿に気づいてもいいはずなのに、その素振りはない。
何かが変だ。次の瞬間、体はすでに動いていた。その子のそばに駆け寄っていた。
「おいっ、聞こえていないのかっ」
踊るその子の腕を掴もうと、手を伸ばしたとき、俺の手は掴むはずのこの子の腕を突き抜けてしまった。勢い込んだいたのと、驚きから体の体勢を崩し、子供の体にのしかかるように、倒れそうになってしまった。
咄嗟に身を捻って倒れるのを回避してはみせたが、すぐに飛び込んできた光景を見て、絶句してしまう。
子供を掴もうと伸ばした腕は、腕を掴むどころか、子供の着ている薄い黄色のワンピースのお腹から背中へと突き刺すように貫通していたのだ。その状態に陥っても、子供は表情を変えず、まだ踊っている。
落ち着け、いいか、落ち着くんだ。
体勢を直しながら胸に手を当て、何度も内心言い聞かせる。それでも、情けないが心臓は破裂しそうに暴れてやがる。
心臓が引き裂かれそうなのを必死で堪えながら、この不可解な状態を理解すべく、唇を舐めてこの子をよく観察する。
「……立体映像?」
ここでようやく理解できた。
そこで踊っていたのは人ではなく立体映像であった。そんな物を映し出せるのは
こには一つしかない。
ミロクだ。
ミロクのそばに寄った。この映像がどこから映写さらているのかを確認するために。
今は雨よけにシートを体に被せてあるので、それ以外の箇所を雨も気にせずチェックした。
「……お前っ」
そして、映写されている場所を見つけると、予想を超える出来事を目にして、息を呑んだ。
投影部分はミロクの前で踊る子供をじっと見詰めている。俺がそばにいるのにも関わらず。まるで、この子を懐かしむような眼差しで。
そう、子供の映像は、ミロクの赤い目から映し出されていた。
今まで、どれだけ体をいじっても、霞と話していても微動だにしなかったミロクが今、首を下げて、自らの意志で映像を流しているのだった。
いつ動いたのか分からない。けど。
「よっしゃぁぁぁぁぁぁっ」
初めて反応を見せてくれたミロクと、自分の修理が上手くできていたのが嬉しくなって、雨が降る空に両手を突き上げ、ついガッツポーズを取った。
解体をしていたころ、これまでの喜びはなかった。体の奥から込み上げる高揚感はとてつもなく、笑いが止まらなかった。
しばらく俺は喜びに浸り、ミロクとともに女の子をじっと眺めていた。この映像自体の時間は短いらしく、時折不自然な止まり方をすると、また踊り出す、を繰り返している。きっとまだ完全に直ってらず、短時間記録された映像が繰り返し投影されているのだろう。
あるいは、ミロク自身がそれを望んで、故意にそう行っているのかもしれない。そうとは信じがたいのだが、この映像を出したのが俺ではなく、ミロクだとすれば、そんな可能性も考えてしまう。
どちらでもいい。俺が関わった修理が目の前の現実に繋がっているのが嬉しい。
俺がこの映像に気づいてもう三十分ほど経つだろうか? ミロクの体に凭れながら、じっと女の子の踊りを鑑賞していた。空は通り雨だったらしく、次第に雨も弱まり、雲の切れ間から青い空が覗いていた。
はっきり言って、この映像には疑問ばかり浮かんでいた。この子は一体誰なのか? なぜ、ミロクはこれを出したのか? 霞に聞けば少しは解決するだろうが、さっきから呼びかけても一向に返事をくれない。何か問題でも起きているのだろうか?
さらに気になることも残っている。もう一人の映像だ。もう一人の女性は、ほんの一瞬しか現れていない。あれはなんのためにここに映し出されたのだろうか? まったく見当もつかない。
それからほどなくして、子供の映像は前触れもなく途切れてしまった。さっきまで踊っていた草の舞台は閑散とし、初めから誰もいなかったように草は風に揺られていた。
誰もいない目の前の光景は、まるで俺自身が夢を見ているような錯覚を覚えさせられる。不安になるが、見上げた先のミロクの顔が動いているのを見ると、さっきまでの出来事は現実であるのを実感させてくれる。
それなのに、なぜか寂しさを否めなかった。
螺閃と霞との会話に、ちょっと別の人物を入れるか迷って、今回の立体映像という形で、新たな人物を出すことにしました。ちょっと今思うと、螺閃の心境の変化が早かったかな、とも思っています。
また続きを読んでいただければ嬉しいです。