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はじまりの場所  作者: ひろゆき
3/15

 ーー 寂しいのか ーー (3)

 こうして奇妙な出会いは、途切れていく霞の声とともに終わった。はずだった。

屋敷の入口に差しかかり、外の風に触れると体は止まり、導かれるように後ろを振り返った。

 別に霞の声が聞こえてくるわけでもない。けれど、背中を流れる風は、俺をあの場所に戻そうとしていた。

 俺は意味も分からず来た道を戻っていた。まるで、俺自身があいつの場所へと戻りたがっているような、そんな様子で足取りは速かった。

 中庭に辿り着くと、あいつとは距離を取った場所で座り込み、そこからあいつをじっと睨みつけた。

 もう霞の声はしない。俺が戻って来たことにも気づいていないようだ。どうやら、霞からこちらは見えないみたいだ。

 しばらくこいつと睨み合いを続けた。これからどんな答えを出せばいいのか、自問自答するために。

 日は下がり、澄み切った青空は暗闇を帯び、漆黒の空へ変貌していた。

 この闇の空は嫌いだった。昔を思い出してしまう。親を喪い、暗い地面を這いずり回っていたころを。

 夜が世界を覆い、朝日が昇るまでの間、俺はどうしてもガキに戻ってしまう。膝を抱えて座り、闇に恐れ、うずくまるように顔を隠して座る。どこにいても、夜の大半はこうしてすごしていた。

 それでも、たまに顔を上げて空を見る。星を見るために。闇のなかを子供のように小さな命を必死に輝かせている星を。

 銃声と悲鳴に怯えていたガキのころ、何度も救われた。

 しかし、今日はいつも空を眺めているときと違った。視線が夜空に定まらない。前にいるあいつが気になってしまう。

 薄い月明かりが中庭を照らし、昼間ほどではないが、あいつの姿を確認できた。当然ながら、あいつは一歩も動いていない。昼間とまったく同じ格好で座っている。夜空に赤い目を捧げながら。

 お前はどうしてここにいるんだ?

 何をやっている?

 答えるはずがないと知りながらも、心で問いかけた。

 夜風も冷たくなり、身震いしてしまう。ふと、右手を眺めてしまう。

 そのまま顔の前に移し、掌を眺めた。

 ーー 寂しいのか? ーー

 掌を眺めているほど、あいつに話しかけた言葉が浮かんできた。

 そういえば、あいつはずっとここにいたのか……。

 指の隙間からぼやけて見えるあいつに焦点を合わすと、胸に押し込んでいたはずの、心を引き裂くような悲痛な気持ちが込み上げてきた。

 寂しい。

 ガキのころに俺を苦しめていた気持ち。目の前にある道を横暴に塞いでしまう暗い気持ちだった。

 あのとき、なぜあんなバカな気持ちになったのか不思議でならなかった。けれど、今になって、少しではあるが、分かった気がする。

 こいつは俺と同じだったんだ。誰にも気づかれず、長い時間をたった独りでどこにも行かずにここで暮らしていたんだな。

 きっと、通信装置から霞の励みの声は届いていただろう。けれど、姿が見えず声だけが聞こえるのは、普通に会えない苦痛の数倍苦しかったんだろう。

 俺にも分かる気がした。

 人と距離を置くことで俺は“寂しさ”から慣れていった。だが、いい意味でこいつのそばに霞がずっといた。だから、気持ちを紛らわすことはできただろう。

 なら、あいつは今やりたいのはなんなのか?

 俺ならどうしていたか?

 手を下ろし、あいつの顔をじっと睨んだ。あいつはこちらの視線を気にせず、ずっと星空を眺めたままだ。

 見上げた夜空に小さな星が輝いていた。いつも見ていた同じ空なのに、この日はいつもと違う景色に映っていた。まるで、あいつがこれを見せているようだ。

 何を考えてるんだ。こいつはただの「鬼兵」じゃないか。けど……。

 俺がもし、あいつと同じ立場なら、何を望み、何を願ったか。

 今さら考えても無駄か……。

「……俺もバカだな……」

 すでに答えは出ていた。答えに辿り着くのが遅かっただけ。

 なぜか自分が情けなくなり、つい笑みがこぼれた。

 変わった解体屋が一人ぐらいいてもいいか。

「おい、聞こえるか? いいよ。お前の、いや、お前らの願いを聞いてやるよ。こんな俺でよかったらな」

 声を張り上げたが、無情に中庭に響くだけで、なんの反応もなかった。

 霞の返事がないのは意外だったが、これといって気に留めなかった。

 明日から修理とはね。考えてもいなかったな。

 本来の作業とはまったく逆の手順となってしまう修理に正直不安しかない。困惑を拭えないまま、この場で夜を明かすことにした。


 静寂した闇を切り裂くのは、暖かな風の音。耳元に風が触れると、暗闇の視界に一本の白い線が走る。

 朦朧とした意識が風によってはっきりしてくると、細い線だったものがやがて、一つの世界を映し出すのだった。

 映し出しされた世界。それは木に凭れたまま夜を明かしたあいつの姿。

 ようやく目が覚めた。

「……朝か」

『ちょっと、やっと目が覚めたのっ。遅いわよっ』

 大きなアクビをしながら身を起こす俺の耳に、霞の声が突き刺さる。

「目覚めが悪くなるような声で叫ぶな」

 こちらの事情も考えずに怒鳴る霞に、頭を掻きながらぼやいた。まだ犬の遠吠えの方がマシだ。

『で、今日はどうするの? どこを直してくれるの?』

「急かすな。その前に飯を食わせろ。まだ始めたばかりだ。大したことはできない」

 眠い目を擦りながら、作業を急かす霞を制し、寝ていたそばに散らかった荷物からタオルを取り出し、そのまま顔に押し当てて顔を拭いた。


 あの夜、俺がこいつ、「ミロク」を修理するのを決意して二日が経っていた。あの次の日、目が覚めた俺は、修理のことを霞に伝えた。

 まだ心のどこかで信じられず、返事がないのではと、不安もあった。実は霞なんか存在しておらず、俺は変な錯覚に陥っていたのではないかと。

 鬼兵を前に心が崩れてしまったのかと自分を嘲笑おうとしたとき、霞の歓声が湧いた。

 そのあと、すぐに作業にかかれと騒ぐ霞を受け流し、一度この街を出た。

 嘘をついて逃げたわけではない。修理となると、解体とは違い、どれだけの時間を費やすのか分からないために、保存用の食料を買い出しに行ったのだ。

 理由はほかにも、修理に必要な部品を手に入れたかったが、そこは見当がつかなかった。まして、本来は解体に当確する鬼兵。部品なんて手に入らない。気休めではあるが、代用が利きそうないくつかの部品を手に入れていた。

 買い出しが終わり、街に帰ってきたときには日はすでに落ち、またあの闇が街を覆い隠そうと、その手を広げていた。


 そして翌日の今日。本格的な作業を始めようとしていた。保存の利くようにと、固く焼かれたパンを口にくわえながら、右手の工具を動かしていた。

 まず昨日のうちに、体内の配線や、パーツの位置を調べるために、上部の装甲を外しておいた。そうした上で、こいつの状態をチェックする。

 外の破損した装甲はそのままでも大丈夫か。別に戦闘をするわけじゃないし。けど、この吹き飛んでしまった右手に関しちゃ、諦めるしかないな。別の鬼兵から代用するなんて無理だし。足の関節は絶対に直さないと。でないと、歩けねぇし。

 視線をそのまま関節部分に移す。

 おっ、この辺りは大して破損しているようじゃないな。配線をちょっといじって……。

 これなら、思ったよりも短時間で修理できそうだ。そうなると、残る問題は内部か。

 こいつの状態からして、外見は後回しにしてもよさそうだ。それだけでも、かなりの時間を短縮でき、胸を撫で下ろした。

 続いて、内部が露出した状態の胸部分を睨んだ。やはり、外と違い、簡単にいきそうになく、頭を悩ませる構造となっている。

 自然と唾を呑んだ。

 この難解さに口を尖らせながらも、冷静に構造を頭に詰めていった。

 やはり、この部分に重要な物が詰められているんだな。えっと、これはやけに厳重にロックされているな。機密情報でも隠されているのか? ま、当然といえば、当然だな。

 えっと、こっちは記録装置のようだな。まぁ、こんなのは後回しでいい。ろくな物しか記録されてないだろうし。

『ねぇ、何黙っているの? 本当にちゃんと修理しているんでしょうね?』

 うるさいっての。

 必死で作業に奮闘しているのに、このバカ女、霞は俺を疑うような野次を放ちつつ、割り込んできた。

 声の元を辿ると、人間でいう、鎖骨の辺りに小さなスピーカーを見つけた。霞の声はここから聞こえていたようだ。

 延々と愚痴をこぼす霞の声を受け流しながら目を瞑り、息をこれでもかとまで大きく吸い込み、目を開き、

「っるせぇっ。ちゃんとしてるよ。邪魔するなっ」

 吸い込んだ空気をすべて吐き出す勢いで怒鳴ってやった。これに驚いて少しは大人しくなるだろうと見越して。

 通信機の前でさぞかし、霞は面喰らっているだろうと、満足したが、考えは甘かった。

『そんなに怒鳴らなくてもいいでしょっ。私はそっちの様子が見えないんだから。それぐらい、心配してもいいじゃないっ。あなた、無口で何一つ話してくれないんだからっ』 

 俺の怒鳴り声に間髪入れず、霞は怒鳴り返した。

 鼓膜を破りそうな高い声が耳を貫いた。脳が揺れるほどの金切り声に逆に面喰らって奥歯を噛んだ。

 怒声が治まり、ようやくかぶりを振る。

 ワガママはさておき、声の質からして霞は華奢なイメージがあった。だから、一度でも感情を剥き出しにして怒れば、反論などは一切してこないと思っていた。けれど、静かに治まらなかった。

 通信機の前でどんな顔をして怒っているのか?

 きっと、俺のことを嫌な奴として顔を歪めているだろう。そんな霞の顔に多少の好奇心が生まれた。

 姿が見えなくても、スピーカーの奥から、霞の気迫は伝わってきていた。

『ねぇ、教えてってば。ミロクはどうなってるの? ちゃんと教えてくれるまでずっと、訊き続けるわよ。実況中継しなさいっ』

 ったく、厄介な奴だな。

「これといったことはまだしてない。外装を外して、どこをどう直せばいいか、検討しているところだ」

『嘘? まだそれだけしかしていないの?』

 怒りを紛らわすために首を振る。いちいち、癇に障る喋り方をする奴だ。本当に頭にくる。

「闇雲にあちこち触るわけにはいかないんだ。これだけの精密機械になると、一つの過ちが取り返しのつかないことになり兼ねないからな」

本当はまた怒鳴りたかった。けれど、俺もそこまでガキじゃない。冷静に今の状態を丁寧に説明してやった。

『……ありがと』

「ーーん?」

 一瞬、耳を疑う言葉が聞こえて首を捻った。奇妙に感じてスピーカーに耳を近づける。

『ありがとう。ちゃんと、ミロクのことを考えてくれていて。正直、私たちを嫌っていると思っていたから』

 急にあどけない少女のようで、壊れ物みたいな儚い態度に戸惑ってしまい、声を詰まらせた。

 こんなとき、どんな反応を見せればいいのか、正直知らない。

「ま、できる限りのことはしてやるさ」

 ここは差し障りのない対応で返しておいた。

『期待しているわよ。えっと、あ、そういえば、あなた、名前は?』

「ーー名前?」

『そう。だって、これからしばらくつき合うんだから。お互いの名前ぐらい知っておかないと。私は前に言ったけど、あなたの名前はまだ訊いていなかったじゃない?』

「そうだったか?」

『ねぇ、名前は?』

 気さくに訊いてくる霞だったが、俺は声を詰まらせ、顔色を曇らせた。

 俺は人に名前を長い間、伝えたことはなかった。それは人との関わりを極力避けていたからだ。名前を告げることで、厄介な揉めごとに巻き込まれるのが嫌だったから。

「別に名前なんか大した問題じゃないだろ」

『何言ってるの。大問題じゃない。私はあなたのことをなんて呼べばいいのよ?』

「好きに呼べばいい」

『だから、そうじゃないでしょ。お互いに名前で呼び合った方が、親近感が増すでしょう? いい? 名前ってのは、気持ちを伝える上でとてちもなく重要なんだよ。それがきっかけで話だって膨れることもあるんだから』

 そこまで力説されても。それが後々問題になり兼ねないんだよ。

『それに、あなたは私に名前を訊いておいて、自分は答えないなんて卑怯よ』

 修理の箇所を調べるのに、顔をスピーカーに近づけているせいか、いつもより霞の説教じみた声が耳に刺さる。

 このままでは、延々と霞の説教が続きそうだ。

「……螺閃だ」

 舌打ち交じりに名前を呟いた。

『えっ、ら……』

「“らせん”だ。しっかり聞いておけ」

 問いただすだけ問いただしておきながら、聞き逃していた無様な反応に、さらに眉をひそめる。

『何偉そうに言ってるのよ。はっきり答えないのが悪いんでしょ。散々出し惜しみしておいてさ』

 挙げ句の果てに、責任を押しつける。まったく、勝手な女だ。

 しかし、いつもなら決して名前を打ち明けないんだが、こんなワガママ女になぜ、簡単に告げてしまったんだろうか? 不可解な感覚に、自然と手も止まった。

『じゃ、私とミロクのこともちゃんと名前で呼んでよ。「こいつ」とか、「お前」は禁止だからね。約束だからねっ。はいっ、決まりっ」

「おいっ、勝手に決めるな。俺はそんなの一言もいいなんて言ってないぞっ」

 馴れ馴れしいのはゴメンだ。

『じゃ、よろしくね。螺閃っ』

 すべてを無視して霞は優しい口調で俺の名前を口走った。

「あ、あぁ」

 もっと抵抗して、文句を言ってやるつもりだった。けど、時折聞こえるこの柔らかな口調を耳にしてしまうと、それまでの身構えた気持ちは一瞬にして、氷のように溶かされて、素直に従ってしまう俺がいた。

 今も心とは裏腹の言葉が漏れてしまう。けれど、心はなぜか落ち着いていた。霞には人をそんな気持ちにさせる不思議な力を持っているのかと、感心してしまった。

 霞に名前を呼ばれ、不思議と安心感が湧いてきた。長い間、忘れていた感情だ。

 懐かしさにも似ていたのかもしれない。

 名前で呼ばれるのも悪くないものだな。

 まったくもって不愉快ではあるが、目を細めて笑ってしまった。

 そんなとき、本性を表したワガママ女が懐かしさに浸っている俺を現実に引き戻し、またしても口を挟んできた。

『どこを直しているとか、ちゃんと教えてよ。私、姿が見えない分、心配なんだからね。ほら、実況中継、実況中継』

「へい、へい……」

 その報告の方が疲れるな。きっと。

 霞に聞こえないように、大きくうなだれた。

『で、螺閃はまずどこを直そうとしているの?』

 早速、霞は名前で呼んできた。まぁ、悪い気はしないが。

「最初は動力部を直す。言ってしまえば、そこは鬼兵にとっての心臓だ。そこを直せば、それに連動して動いてくれる場所もあるかもしれないからな」

『そうなんだ』

 やけに霞は感心していた。

 じっくりと観察していると、そのうち、視線を止めた。動力部と思われる部分を見つけたのだ。

 そこは人間でいう溝うちの位置していた。これ自体はさほど大きくはないが、心臓であるゆえに、板状のパーツや、太い配線で頑丈に保護されていた。

 取っても差し障りのない部分を慎重に外していく。工具を持つ手も否応に震えてしまっていた。

 もう少し……。

『ねぇ、また黙っちゃってるけど、見つかったの?』

「あぁ。けど、頑丈に保護されてて、それを取るのに……」

 一つ、二つと、まるで花びらを剥がすようにパーツを外していくと、やっと鬼兵の心臓でもある動力部が姿を表した。

 この鬼兵が解体屋にとって、宝物といわれる由縁は、この動力部にあった。鬼兵の動力部はほかの兵器とは異質で、鬼兵には「レンズ」と呼ばれる、球体状の青く輝く宝石みたいなものが仕込まれていたのである。

 鬼兵のレンズは政府の規定された部品だった。これを持っていけば、莫大な金が手に入ると解体屋の間で噂になっていた。

 金に換金すれば、一生遊んで暮らせると噂されるほどに。

 きっと、以前の俺ならば、発狂して大いに歓喜したに違いない。だが、目的が変わった今、このレンズにヒビや傷がなく、原形を留めていることに頬が緩んでいた。

 残念なのは、レンズが輝いていないことだ。目を凝らしてレンズを覗き込んでみると、薄くだがレンズに硬く白い膜がべったりと張りついていた。

 これではヒビもくそも分からないな。どうやら、こいつが原因のようだが。

『どうかしたの?』

「まぁな。レンズに余計な物が張りついている。原因が分かった」

 レンズ付近の形状については、解体の情報屋から聞いたことがあったので、冷静でいられたが、実際に見てみると、驚きを隠せず、何度も首を捻ってしまう。

 試しに膜を指で擦ってみたが、膜はしぶとく、電球についたホコリのように剥がれ落ちそうにない。こうなっては、残る手段は一つ。このレンズを取り出し、手作業で膜を剥がしていくしかないだろう。

 いくら膜が張っていても傷をつけては元も子もない。一度手を止め、集中力を整えるのに、手刀を切るように掌を擦り合わせ、ゆっくりと深呼吸をした。

 否応にも緊張が走る。

「……さてと、これからレンズを取り出す」

 工具をしっかり握り直すと、レンズを傷つけないよう、レンズを繋いでいるプラグのビスに工具を当て、ゆっくりと回転させた。

『ねぇ、本当に大丈夫なの? そのレンズってのを取ってしまうと、ミロクがおかしくなってしまうとかは勘弁してよ』

「別に問題は起きない。ただちょっと……」

 心配する霞に説明しようとして、この先の話を浮かべると、不安が逆によぎってしまい、工具を回す指が止まってしまった。

 ひとまず手を止め、ミロクの首元を見上げた。見ているのはスピーカーで、その奥にいる霞の存在が気がかりになっていた。

 レンズがこのような状態になっていて、ミロクが動かないにしても、このスピーカーから霞の声がこちらに届いているのを考えると、通信機能を作動させるだけの動力は残っているのかもしれない。あるいは、ミロクがそれを望んで留めているのか。

 そのような状況でレンズを機体から取り上げてしまうと、また戻すにしても、一時的にミロクは完全に死んだ状態に陥る。無論、霞との通信も途絶えやる。そして問題はそ後だ。

 仮にあの膜を取り払い、レンズを元の場所に戻した後、今のように霞との通信が戻るだろうか? 最悪、ミロクが初期状態になってしまえば、霞側から設定を行えても、こちら側の設定の手順を知らない。事前に霞に訊いておく手段もあるが、それ“専用”の器具が必要となってはお手上げだ。何もできなくなる。

 そのような問題を無視して行う手もあるが、それはミロクが望んでいない気がする。なぜだかわからないが。何より、そうなると霞の文句が酷そうだ。

 それだけは勘弁してほしい。これは慎重にしなければいけない。

 ある意味、これは賭けだな。勝率の低い賭け……。

 やっぱ、そうはいかないな。

「おい霞、聞こえるか?」

『あ、ちゃんと、名前で呼んでくれたわね』

 でないと、うるさいだろうが。

『で、何?』

「ちょっとした事情ができた。レンズを後回しにする。先に別のところから修理していくことにする」

『ちょっとした事情って?』

「まぁ、俺の気まぐれだ」

 正直に話してしまって、話がややこしくなるのは避けたかった。軽くごまかしておいた。

 霞は反論してくると覚悟したが、何も言ってはこなかった。

 レンズの修理を後回しにすることで、残る大がかりとなりえる修理箇所は、なぜかロックされている部分と、記録装置の二つ。

 作業のやりやすさからして、記録装置を優先することにした。運よく残っている記録を発見し、それにレンズに関する情報が掴めれば、と淡い期待も含めて。

 作業の手順を決めると、一度立ち上がり、大きく腕を空に向けて掲げ、伸びをした。これから長くなる修理に控えるつもりで。

 意外と楽しいかもな。

 気持ちとは逆に楽観的な言葉が浮かんでくる。

 ミロクの顔を見ながら、部品に意識を捧げて本気で考え込む自分を思い返していると、心が弾んで、笑みがこぼれる。

 本家的な修理のスタート、だな。

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