ーー 寂しいのか ーー (2)
嘘だろ? 止めてくれよ……。
『お願い、教えて……』
怖くなりそうなほどに、少女の声は重なっていく。
恐怖心から逃げ出したくなりそうだが、冷静にこの声の主を探してやろうという好奇心も微かにあり、かの場に踏み留まってしまう。
掠れそうな声は続いている。目を瞑って神経を研ぎ澄ませ、声のする方に首を傾ける。
喉仏が鳴るほど息を呑んでしまう。
信じたくないのだが、その声の出所を突き止め、首を捻る。刹那、目を見開いた。
不思議なことが積み重なってしまうと、逆に呆れてしまうものだ。目の前には、少女の姿はなく、この「三十六」が迎えるだけ。
空耳でもなんでもない。確実に少女の声は「三十六」から聞こえてくる。
俺は見えてないのか?
『……やっぱり、誰もいないのね……』
いや、待て、待て。
「…………」
俺もバカかもな……。
「……聞こえている」
『ーーっ』
この鬼兵のなかに少女が潜んでいるなど、バカな話はないが、壊れそうな声に、つい返事をしてしまった。
しばらく少女の返事はなく、俺と「三十六」との間に沈黙が流れた。俺から話すわけにもいかず、その間ずっと返事を待った。
『やっぱり、そこに誰かいるのね、よかった~』
これまでとは打って変わった明るい口調で聞こえてきた少女の声に、面喰らってしまう。
なぜ、鬼兵のなかから少女の声が聞こえるのか疑問はある。
『ねぇ、そこはどこなの? あなたは誰?』
しかし、声は悩ませてくれないらしい。間髪入れない少女の声に、さっきとは違う意味で頭を抱えてしまう。
「ちょっと待て。落ち着け」
目の前に少女がいるわけでもないのに、両手の掌を「三十六」に見せて、制した。
俺の行動は空しく、少女の声は続いた。頭を抱えているのを無視して、自分の言いたいことをすべて話したのか、やっと静かになった。
「やっと、落ち着いたか……」
深くため息をこぼし、「三十六」の前に胡座を掻いて座った。
大丈夫。俺は狂っちゃいない。今も平常心を保っている。ただ、長くなりそうなこの未知の少女の話を聞こう。諦めるしかない。
話を切り出すのはこちらだ。長話が続いてしまいそうだ。
「まずはお前の名前を教えてくれないか?」
『えっ? 私? 私はカスミよ。「霞」ね、あなたは?』
「訊いているのは俺だ」
『何それ。つまんないっ』
雑誌か何かで見た少女が、釈然とせず、頬を紅潮して膨らませた顔が浮かんだ。どんな奴であれ、そんな顔をするだろう。今の反応では。
けれど、こちらの立場を上にするために、毅然と振る舞い、厳しい口調で言った。
いろいろと訊きたいことはあるが、まずはこの質問をぶつけてみた。
「お前はどこにいるんだ? まさか、この鬼兵の内部じゃないだろ?」
回りくどい言い方をするのは嫌なので、単刀直入に訊いてみた。さて、どんな返事をされるか。少し楽しみだ。
どうやら、霞という子は躊躇しているのか、黙り込んでしまった。
答えられないのか。それとも……。
『ハハッ。あなたって面白いことを言うのね。私がこの子のなかにいる? そんなことがあったら、私自身、驚いてるわよ』
重い返事をされると思いきや、冗談のように聞き流した軽い返事をされてしまう。
『私がいるところはちゃんとした自分の家よ。ただ、ここからこの子を通して語りかけているだけでね。まぁ、私の方は今、一人で寂しいけどね』
話し終えるころには、抑揚を失うように、小さくなっていた。
疑問が一つ解決したような、してないような、微妙だ。まぁ、鬼兵のなかに人がいるという、バカげた疑問がなくなっただけでも前進だ。
『ねぇ、今度の質問は私の番だよね? ね?』
「ダメだ。まだ俺の質問は終わっていない」
嘘だ。実はまだ上手く質問は浮かんでいない。
『ケチッ。そんなの不公平っ。あなたは一回質問したのよ。次は私なのが妥当でしょ』
勢いのある口調で霞は迫る。まったく、うるさい女だ。
「……分かった。どんな質問だ」
勢いに押されて折れた。まぁ、まだ新たな質問もうかんでいないので、一度こいつの質問に答えよう。
膝の上で両手を擦り合わせながら、霞の質問を待った。
『ねぇ、その子は今、何をしているの?』
「その子? まさか、この鬼兵のことか?」
『そう。お願い。その子の様子を教えて』
意外だった。まさか、鬼兵について訊かれるとは思ってもいなかった。
「別に変わった様子はない。力尽きて、俺の前で眠っている。こいつが目覚めることはないだろう」
『そう、やっぱり……』
眠っている?
説明したのは兵器だ。それなのに、なぜだか人間に例えていた。自然に喋っていた。
霞という少女も、同じようにこいつを人間として心配しているように呟くと、そのまま黙ってしまう。
この間を使って混乱する頭を整理した。
まず、この動かないはずの鬼兵からなぜ、少女の声が聞こえてきたのか?
この「霞」という少女は一体何者なのか?
そして、これが一番難解だ。なぜ、この「三十六」と書かれた鬼兵を、どうも兵器として見ていない。同じ人間として見てしまっている自分も不愉快だ。
もう一度こいつを見上げた。さっきもそうだが、やはりこいつは寂しそうに見えて仕方がない。
「さて、今度は俺の番だな」
胸に渦巻くしこりを抱えながらも、一つずつ解決しようと、質問を再開した。
「お前は何者だ? こいつとどんな関係があるんだ?」
『…………』
返事はない。
「どうかしたか?」
『えっ、あ、ゴメン……』
霞は上の空みたいだ。質問も流されていまう。それほどにこいつの状態が気になるのか。
もう一度同じ質問をした。
『私? 私はこの子、「ミロク」のお母さんよ』
「ーーはぁ?」
何かにアッパーを喰らった。
「ちょっと、待て。お前、何ふざけてるんだ」
むせながらも声が出てしまう。受け流すわけにはいかない。
霞を制止したのはいいが、なぜ制止されたのか、本人は理解していないようだ。
「おい、お前、今なんて言った? 「お母さん」? 鬼兵相手に何を言っている?」
『ちょっと、そんな言い方はないでしょっ。別にふざけてなんかいないわよっ。私はその子の「抑」なんだから』
「“よく”? はぁ?」
霞からの不明な言葉に眉をひそめ、頬を歪める。
解体屋として、兵器に対する情報はそれなりに得ている。解体手順に様々な情報が必要になる場合があるから。それなのに、「抑」という言葉は初耳だ。
顎を擦りながら、「抑」という言葉を頭のなかで模索していると、霞が喋ってきた。
『ねぇ、もしかして、「抑」を知らないの?』
思わず息を呑んでしまう。痛いところを突いてきやがる。けど、弱みを見せるわけにはいかない。だが、言い返せない。
『「抑」ったのはね、この子たちを制御する役割を持った人のことよ』
「制御? こいつらに、戦う指示を与えるようなことか?」
『……うん』
返事はどこか弱々しい声だった。なぜ、霞がそんな態度を取ったのか気になったが、それもすぐに理解した。
勢いよく立ち上がると、「三十六」の肩を掴むように両手を広げてのしかかると、スッと息を強い込み、
「それって、お前がこいつらに人を殺せって、命令してたってことじゃないかっ」
苛立ちが急に込み上げ、姿の見えない霞に怒鳴った。
沈黙が流れ、俺の荒い息づかいが小さく聞こえる。
『私だって、そんなの嫌だった。けど、仕方がなかったのよっ。命令をしなければ、反逆罪だって言われたし、そうしないとこの子たちだって、処分するって言われたっ。この子たちには罪はないのにっ。大人の勝手な都合でそうするしかなかったのよっ』
息を詰まらせるような霞の叫びが中庭に木霊した。
『それに言い訳になるけど、私がこの役に就いたのは終戦間際だったから、そんな命令をしていないし、この子もそんな酷いことは……』
これ以上、責められなかった。声を詰まらせ、時折、鼻をすする霞の声に、怒りは鎮まっていく。
それからも、「三十六」の体から霞のすすり泣く声がもれていた。つい、「三十六」赤い目を眺めていると、こいつも何かを訴えているように思えた。
唇を舐めてひとまず冷静になり、肩から手を離すと、元の位置に戻って座り直した。
どうも、気まずい空気が流れている。元々、人と話すのが俺は得意じゃない。だから、この間がとてつもなく長く、突き刺さるプレッシャーが辛かった。
どう質問を重ねていくか考えていたのに、すべて崩れ去ってしまった。だからって、「抑」について尋ねる気になれない。もう一度、これまでの話を振り返って、重い空気の糸口を探した。
「……ミロク? そうだ、「ミロク」って、なんだ?」
その糸口になりそうな言葉を見つけ、突拍子もなく訊いた。どうか返事をしてほしい。神に願うような気分だ。
けれど、そう上手くはいかない。すぐに霞は返事をくれなかった。
『ーー名前』
「ーーん?」
『名前よ、その子の』
「名前って、この鬼兵のか?」
『……うん』 呆れた答えだ。必死になって話題を探した俺がバカみたいじゃないか。
深い意味があると思えば、こんな鬼兵の名前などとは。
しかし、俺の余計な心配はなくなったようだ。こいつの名前が出ると、さっきの沈黙が嘘のように、霞は喋り出した。
『みんな、この子たちを番号で呼んでいたの。私はそれに違和感があって。それで、私と組んだこの子にだけでもと思って、名前をあげたの』
「それがミロク?」
『そうよ。その子の肩に、「三十六」って、書いてあるでしょ。それから。読み方を変えて「ミロク」って』
当て字か。それって、結局は番号だろ。それにこいつは気づいていないのか?
「……くだらん」
『なっ、何よ、その反応っ。私だって、一生懸命考えたんだからねっ』
反応に不服な様子だが、なぜそんな態度をしたのかは言わなかった。言ってしまうと、またうるさくなりそうだから。
霞の文句が飛び広がるなか、中庭に冷たい風が吹き込んできた。その風に誘われるように、本来の目的を思い出した。
こいつを解体することを。
奇妙な出会いに、我を忘れていた。よく考えれば、こいつの名前がミロクだとか、このミロクから霞の声が聞こえるなど、関係ない。
確かに、「抑」などという、知らされていない情報も手に入れた。まぁ、信憑性はない。きっと、霞が気を引こうとデマを言っているに違いない。
初めて見たこの鬼兵に興奮して、少しおかしくなっていただけなんだと判断して、腰のカバンからまた工具を取り出すと、またこいつの首元のビスに工具を取りつけた。そう、俺は解体屋なんだ。
無言でビスを一つずつ外していく。今度はあの変な感覚に陥らず、無事に外していき、手は首元から左胸の辺りに下げ、また数カ所のビスを外すと、左足のパーツを一つ外すのに成功した。
内部は外見と違い、破損した場所はほとんどないが、何重にも内装が施され、その隙間から微かに配線のコードが覗いていた。
一旦、手を止め、隙間から内部を覗き込んで、これからの手順を思案した。
結構、複雑だな。まぁ、これだけの大物だ。それで当然か。
実物を見たことがなくても、これまでの経験と勘で、大体の手順は浮かんできた。
『ねぇ、あなた、何しているの?』
内部と睨み合いをしていると、霞が心配そうな声で訊いてきた。けれど、解体に頭が一杯でその声を無視した。
それが何度目か知らなかったが、この難物からな気を紛らわすために、問いかけに答えた。
「ーー解体だ」
できるだけ落ち着き、抑揚のない声で答えた。
『解体? ちょっと、それってミロクを分解しているのっ』
驚きを隠せず、上擦った様子で霞は怒鳴ってきた。
「あぁ。俺の職業は解体屋だ。兵器を見つければ解体する。そして、その兵器が俺の目の前にいる。手を動かすのは当然だろ?」
内部とこいつの赤い目を交互に見交わしながら、冷たく言い放った。
『何やっているのっ。そんな勝手なことをしないでっ。ミロクは死んでなんてないんだからっ。傷ついて休んでいるだけっ。それをーー』
「邪魔するなっ。仕事中だ。それにこいつはもうっ」
怒声が庭和全体に轟いた。霞もまだ何かを言いたげだったが、俺の声に驚き、声を噤んでしまった。
解体の手順が決まり、工具を握り直して作業を再開した。
「悪く思うなよ。俺だって生きていかなくちゃいけないんだ。これはそのための手段だ」
『…………』
弁解のつもりではないが、最後にそう加えた。だが、霞の返事はない。
それ以降、二人の会話はなく、工具とミロクがこすれる、甲高い金属音だけが空しく鳴っていた。
『死んでなんかないわ。ミロクは体が壊れて動けないだけよ……』
独り言を呟くような弱々しい霞の声が耳に入り、作業の手を止めた。
『ミロクは兵器なんかじゃない。人を殺すような恐ろしいものなんかじゃないわ。体はそう見えても、力が怖いほどあっても、心は優しいの。人と同じなのよ。寂しがり屋なのよ。ずっと一緒にいた私が言うんだから間違いないわ』
寂しがり屋? こいつが? 確かに、初めて触れたときはそんなふうに感じたが、まさか、そんなことがあるはずがあるはずないだろ? こいつは鬼兵だぞ。
どうも、調子が狂ってしまい、手元が暇を弄んでいた。
頭では理解していながらも、どうしても最初の印象が拭えなく、またしてもこいつの顔を見上げている。
本当にお前はそうなのか? 本当に……。
その一瞬、霞の言っていることが本当なのだと信じてしまいそうになってしまった。
「泣いて…… いる?」
はっきりとそう見えた。こいつの赤く丸い目から、涙を流しているように見えてしまったんだ。
突然の出来事に目を疑い、何度も目を擦ってこいつを確認し、その幻覚が何であるかを確認した。
なんだよ、ったく。
それは、レンズの部分の隙間から漏れたオイルが、頬を伝う涙のように見えただけだったのだ。
『どうかしたの?』
小さく呟いたつもりでいたが、霞の耳にも届いていた。
「い、いや、なんでもない」
『嘘。ミロクに何があったのっ。それとも、あなたが酷いことでもしたのっ』
そのまま白を切るつもりでいたが、上手くはいかず、霞は執拗に迫ってきた。よほど、こいつの身を案じているようだ。
観念して今見た光景をすべて話した。
『泣いている?』
「言っただろ。勘違いだ。こいつは鬼兵だ。そんなことはない」
最後は力を込めて言い放った。半分は霞に対してだが、もう半分は自分に言い聞かせたのかもしれない。
気を取り直して作業に戻った。
『ーーねぇ』
「ーーなんだ」
無視してまた余計なことを言われてもいけないと、今度はすぐに返事をした。
『あなた、解体屋だって言ったわよね? それって、どんなことをするの?』
意外な質問だった。
「別に変わったことはしない。その名の通り、物を解体するのが仕事だ。別に難しいことはしない」
『ふ~ん。そうなんだ』
解体屋たは、もう世間では知れ渡っている職柄だ。それなのに、霞はそれを知らず、初耳のような反応だった。
『なら、逆もできるの? 壊れた物を直すとか』
「それなりの知識を持って分解をするからな。やろうと思えばできる。だが、基本的にそれはしない。解体屋にとって、修理はタブーだ」
霞がどこに興味を湧いたのか知らないが、事務的なことを返した。
霞は黙って何も言わない。
『ねぇ、一つお願いしてもいい?』
「ーー断る」
間髪入れず、突き放す。
『なっ。まだ何も言ってないでしょっ。もしかして怒って私の話を聞きたくないだけなんじゃないでしょうねっ』
「そうじゃない。俺は元々、他人と馴れ合うのが苦手で、頼みごとは断っているだけだ」
『お願い。ミロクのためなの』
それでも霞の頼みを聞く気になれなかった。それは差別なんかじゃない。ほかの誰かに頼まれても同じ対応をしていた。
それを知らない霞は、微かな望みを託して話し出した。
『別に私は難しいことや、無理な願いを頼もうなんて思っていないし、望んでもいない。ただ、ミロクに帰って来てほしいの。もう一度この子の顔を見たいの。
この子は戦うために出ていったんじゃないの。私はそんな命令していない。けれど、この子は出て行った。それで何かに巻き込まれて怪我を負っただけなの。それで、誰もいない場所に隠れていただけ』
怪我を? まぁ、確かにそうだが……。
つい、関節部が剥き出しになっている右腕を見た。
『私は励まし続けた。大丈夫だから帰っておいでって。けれど、怖くて動けなかったみたい。仕方なく、私は待っていたの。誰かがこの子を見つけてくれるのを。
そして、あなたがこの子を見つけてくれた。私の声に気づいてくれた。それは、希望みたいなものなの。しかも、あなたが解体屋だというのなら、なおさら』
まさか、こいつ。
霞の話を聞いていると、胸の奥に一つの不安が浮かび上がり、顔が青ざめた。
そこまで話すと、霞は一拍置いた。自分の気持ちでも整えているのだろうか。
『お願い。この子を修理してっ』
ふう……。やっぱり……。
もっとも恐れていたことを、霞は示してきた。
「言っただろ。その話はタブーだと。解体屋にそんな話を頼むのは間違っている。ほかの奴を見つけて頼んでくれ」
すぐさま作業していた手を止め、いくつか外した部品を散らかしたまま、工具を仕舞い、この場を去ろうと決めた。
いつも解体のために常備していたのは棒状の工具一つだけ。大方、その一本で今まで仕事をしてきた。今日もそれ一本しか持っていない。ほかにある物は、手が汚れないように持っている軍手のみ。帰る準備をするのに手間はいらなかった。
服装だってそうだ。汚れが目立たないようにと、黒のTシャツと動きやすいジーンズとラフな格好だ。そのために帰る支度はすぐに終わった。
目の前に散らかった部品と、霞の声を気にかけながらも、「金目の物はなかった」と納得させて、このミロクと呼ばれる鬼兵に背中を向け、歩き出した。
「じゃぁな。俺はここを離れる」
『ちょ、ちょっと、待ってっ。どこ行くの? ねぇっ、待ってっ。お願い、この子を助けてっ」
小さくなっていく姿と声が、背中を刺激する。されども足を止めず、屋敷の出口へと急いだ。
無用な出来事に関わりたくはない。ただそれだけだ。悪いな。