ーー ここから ーー (2)
ついに動き出すミロクですが、螺閃を追い詰めることになります。それは螺閃の気持ちが最初からかなり変わったからで、ミロクのことを考えてのことになります。“雪花の星”に対する考えの違いが出てきます。よろしくお願いします。
ほんの一瞬だが、俺はミロクに鬼の姿を見た。赤いレンズの奥から殺意に似た威圧感。その目で睨まれると、心臓を鷲掴みにされたような激痛が走り、俺は生気を奪われてしまった。
動揺を露わにした俺の後ろでは、次第に増している雪が草に薄らと積もり始める。そして、その雪に誘われるようにミロクの鈍い足音が俺から遠離っていく。
「螺閃っ、早くっ。ミロクがっ、ミロクがっ」
ゆっくりとした足音を、悲鳴に似た霞の声が掻き消した。
霞の声に急かされ、ようやくミロクの背中に目をやった。
舞う雪が中庭に星を咲かせるなかに、ミロクの楕円形の足跡が続いており、その先にミロクの背中があり、そのそばで何もできずに視線をミロクと俺とに交互に彷徨わせて立ちすくむ霞がいた。
その表情は今にも泣きそうだ。
迷わず前に進むミロクの姿に、俺は眉をひそめる。
「ミロクッ、お願い、止まってっ」
ミロクの前に立ち塞がり、必死に呼びかけて止めようと試みる霞だが、声は届かず歩みを止めなかった。
おかしいのはそれだ。
あいつ、霞の姿が見えないのか?
霞はミロクのそばで叫んでいる。それなのに、ミロクは視線を落とす様子は伺えない。そんな姿から、そう考えずにはいられなかった。
呼びかけを続けながらも、霞の視線が足下に下げたのを見逃さなかった。
「螺閃っ、早くっ。ミロクの様子がおかしいのっ。何か、体から落ちてるのよっ」
「なんだとっ」
ミロクの足跡に沿って、小さな物が点線を描くように引かれていた。俺はすぐに駆け寄り、最後尾の物を拾い上げた。
「くそっ」
手に取った物が見覚えのある物と知ると、舌打ちを打った。それはレンズを固定していた小さな部品。まさかと思い、点線を辿ると、すべて小さな部品やボルトが点線を作っていた。
俺の絞め具合が緩かったのか、それともすべての部品を取りつけていなかったので、歩いた振動で緩んで落ちたのか。どちらか分からない。分かることは、このままだとミロクの命に関わる重大なことだった。
「ミロクッ、止まれっ。このままじゃお前の命がっ」
部品が落ちる原因の一つを生んでしまった自分に苛立ちを覚えながら叫んだ。
それでも止まろうとしないミロクに、雪を被った工具をそのまま拾い、ミロクの前に回り込んだ。
「聞こえているだろっ、止まれっ」
「お願いミロク、止まってっ」
二人で必死にミロクを止めようとするが、ミロクは聞く耳を持たない。
整備が覚束ないためか、見えない部分に錆が溜まっているのか、ミロクの動きはぎこちなく、歩く速度は遅い。
それが雪の蓄積を多くさせている。頭や肩に積もり始めた雪が、ミロクの体を青く光り輝かせている。
不思議なのだが、レンズに付着した膜の輝きが雪と同調して強まっている。
「止まれって言ってるだろっ」
あまりの頑固さについ一括した。
ーー トメナイデ。モウソコニ…… ーー
「ミロクッ」
何を伝えたかったのか、文字は途中で途絶え、霞の悲鳴とともに大きな鈍い音が響き、黒い画面が消えた。
映り込んだのは誰もいない風景。そして、髪を乱す風が下から吹き上げた。
「ーーっ」
髪をあおる風に誘われて下を向くと、息を詰まらせた。
「ミロクッ」
そこにミロクが地面に横たわって倒れている姿があった。鈍い音は地面に突っ伏した音で、その衝撃の風が俺に触れていた。
倒れているならさほど問題はなかったが、倒れた衝撃で、腹部のレンズが体から少し飛び出していたのだ。
「クソッ。今の衝撃でっ」
すぐさま座り込み破損の状態を確かめた。
「ねぇ、ミロク大丈夫なのっ。これ何っ、何か飛び出しているじゃないっ」
「うるさいっ。黙っーー」
霞が動転して声を上擦らし、俺は怒鳴って制止したが、すぐさま絶句する。
飛び出たレンズ、ミロクの体に手を触れず、しゃがみ込んで地面を力一杯殴りつけた。
クソッ。
「ちょっとっ」
「もう、手遅れだ……」
俺はさらに両手で地面を殴りつけると、悔しさから雪を握り締めてうなだれた。
もう手の施しようがなかった。飛び出た衝突の際に膜の一部が剥がれ、その奥にあるレンズが本来の姿を現していた。
が、すでに輝きを失っている。斜めにヒビが入っていたのだ。
レンズとは人間に置き換えれば心臓。それが傷つけば、どれだけ優秀な者が修理を行っても、もう助かりはしなかった。
特質な物質であるレンズは硬質であるために、いくら腐敗が進んでいても、このような衝撃で破損するような物ではない。やはり、この膜が腐敗を促進させているとしか考えられない。
その散った膜を拾い上げてみると、それはかなり冷たかった。まるで雪のように。
「……バカ野郎。霞はそんなの望んでないんだよ……」
叱ろうとした。なのに、力が抜けていき、独り言のようにこぼした。
寝そべるミロクのそばに膝を着いてうつむいていると、霞がそばに来て同じように座り込んだ。
「どうして?」
「…………」
「どうして、そこまでするの? 私はあなたに生きてほしかったのよ。私の分まで…… なのに……」
霞の顔を見ることができない。話す隙さえ見つからない。俺は霞の涙が混じった問いかけをじっと聞いていた。
降り続ける雪は、地面の温もりを奪い積もり始めていた。中庭に淡く青い絨毯を敷いていく。その中心に俺たちはいて、ミロクは中庭で大きな岩みたいに自らの体に雪を積もらせていた。
溶けずに残った雪は光を失わず輝き続け、木を大地から鮮明に照らして、闇に幻想的な空間を作り上げていた。光に包まれているような、そんな感じだった。
下からの明かりでミロクの顔もよく見えた。今では赤く鋭い輝きはしてなく、黒くくすんだようになっていた。
あの日、初めて会ったひのように。
「やっぱり、寂しかったのか、お前」
自然と訊いていた。もう俺の顔からは恐怖や不安がどこかに消え去り、頬が緩んでいるのが自分ども分かった。
横を向くと、霞は口元を手で押さえ、止まることのない涙を流しながらミロクをじっと見詰めている。
「けどさ、お前はやっぱり間違ってたよ。本当に霞のことを思っていたのなら、霞の願い通り生きていかないと」
考えてみれば不思議だった。これまで俺は自分本位で物事を考え、行動を起こしていた。それなのに、今はまず霞のことを考えていた。
あの日、ミロクを見つけたときは大金を手に入れたと大喜びしていた。なのに、今となっては、命を散らそうとしている姿に胸を痛めている。それだけの変化が俺にもあるのが信じられなかった。
次第にミロクから聞こえる起動音も弱まってきていた。認めたくないが、それも長くないのが見て取れた。
俺はもう少し伝えたいことがあったが、それはミロクだけに聞いてほしいと思い、声に出さないでいた。
見えるだろう、霞の泣いている姿が。こいつも辛かったんだよ。こいつもこんな姿になりながら、お前を心配していたんだよ。お前が霞を思うように。
互いが互いに姿を変えても思い合っている。独りでいた時間が長い俺は、それが少し羨ましくもあった。だからこそ、伝えておきたかった。霞の今の辛さを。
ーー ヤクソク…… ーー
「大丈夫だ。もう霞は見ている。お前の前で、“雪花の星”を見てる。心配するな」
横たわったミロクの顔が俺に向けられ問われた。それほどまでに“約束”に執着していた。
俺は深く頷いた。
ーー カスミ…… カスミ…… ーー
「お前の前にいる。見えるだろっ。お前の前に霞はいるんだよっ」
必死に呼びかけながら霞の存在を示す。
「ミロク、分かる? 私、ここにちゃんといるよっ」
霞は自分の居場所を知らせるために叫び、身を乗り出してミロクの顔に自分の顔を近づけ、呼び続けた。
視線を少し上げれば、霞の姿を捉えられる範囲にミロクの目はある。それなのに、一向に見ようとしない。
「私、今度はちゃんと見られたよ。ねぇ、だから、生きてっ。私の願いを聞いてっ」
霞の言動からしてまだ諦めていなかった。まだ、ミロクが助かると信じていた。
俺なんかより長くミロクといて、鬼兵についても詳しいはずなのに、諦めきれないようだ。
唇を震わせ、涙をこぼす姿はとても儚かった。
霞……。
すると、ミロクは動かすのも容易でない右腕を、積もり出した雪を落としながら、何かを掴もうと掲げた。
顔は腕と違う方向を向いている。ミロクに見えているはずがなかった。偶然にも右腕は霞の体のそばを上がっていき、顔のそばにで止まった。
人の温もりがほしいのか、ミロクの掌は霞の顔を求めているようだった。霞はその手に触れられないのを知っていながらも、その手に自分の手を重ね、自分の顔を重ねていった。
ーー アリガトウ ーー
「ミロクッ」
ーー アリガトウ、ラセン ーー
「ーーっ」
ーー アリガトウ、カスミ ーー
上がられた腕が、力なく重力に逆らうことなく真下に落ちた。
ーー ゴメンネ ーー
ーー ゴメンネ、カスミ ーー
ーー ゴメンネ、ボクノオカアサン…… ーー
腕が地面に落下する間に感じた声。
確実に聞こえた。間違えるはずのないミロクの声。
これがミロクの最期の声だった……。
大きく動き出したミロク。自分の体をボロボロにしながらも進もうとするミロク。いつか、螺閃との会話みたいなことをしようと思いました。でも、それはミロクを追い詰めた形となっていきます。それでも、螺閃、霞、ミロクの考えは一緒なんです。ただ、一途に相手のことを考えているからこその結果になります。例え、それが今回の最後に繋がったとしても。それが伝わっていただければ嬉しいです。