条件
「あなた」
初めて少女と目が合ったかと思うと、そのまま顔を近づけてきた。緋色の瞳の中には金色の紋章もようなものが輝いている。
「どうして何もしないの? このままだと死ぬってこと、理解しているのでしょう?」
幼子ような口調で問いかける。俺が咄嗟に状況を飲み込めず何も言えないでいると、少女は一枚の金貨を俺の足元に落とした。
「これがあればあなたの命は助かるわ。それもお釣りが来るほどにね。分かるでしょう?さあ、こちらに渡してちょうだい。もちろんその口でね」
俺は理解した。
この少女も見た目は良いが、頭の中身は他の奴と同じだ。
俺が卑しく這いつくばるって助けを請う姿を楽しみたいだけなのだ。
「……断る」
俺は冷えていた頭にもう一度血が上っていくのを感じた。
「アンタらの笑いものにされるのなんて死んでもお断りだ。そうさ、アンタには分からんだろうが、俺はこの世界に未練なんざ無い。人間としての尊厳を失うくらいなら、死んだほうが大分マシだね」
今度こそ場の空気が固まった。それにつられるかのように、俺の頭から血が引いていく。まずい、言い過ぎたか?
だがこれは俺の本心だ。どんな目に遭わされるか知らんが、どのみちこの世界で長生きは出来ないだろう。それならば、せめて無様な死に方は御免だ。
「フッ、フフ……」
しばらく黙り込んでいた少女が、突如として笑い出した。しかしそれにつられる者はいない。むしろ場の緊張感はより一層高まったように感じる。
「『人間としての尊厳』なんて言葉、初めて聞いたわ。面白いことを言うじゃない」
少女は金貨を拾い上げると、マスクの男に手渡した。
「これ、いただくわ」
男は呆気に取られていたがすぐさま持ち直し、部下に釣りの用意をするよう指示した。
「お買い上げありがとうございます。すぐに準備いたしましょう」
男は俺の手を縛っていた金具を外しながら、小声で囁きかけてきた。
「まったく君は運がいい。アルテミシアの屋敷に引き取られるとは。まあ、せいぜい飽きられないよう頑張るといいでしょう」
負け惜しみのような台詞を耳にしながら、俺は自由の身となっていた。
「さあ人間、着いてきなさい」
少女が踵を返すと、群衆が自然と道を空けた。横に控えていたメイドが少女に話しかける。
「本気ですかお嬢様? 人間を買うなど……」
「いいじゃない。あとはあれの頑張り次第よ」
わざと俺に聞こえるように言っているのか、それとも本当に気にも留めていないのかは分からないが、俺はどうやら助かったらしいという事実に胸を撫で下ろした。
「他の買い物は済ませております。直接お屋敷まで連れて行かれますか?」
「ええ。お願いね」
そう言った少女の体は青い光に包まれたかと思うと、一瞬で消え失せていた。何が起こったか分からなかったが、話の流れからすると転移魔法の類だろうか。この異世界ならそんなものがあってもおかしくない。
「では、あなたも」
いつの間にか俺の後ろに回りこんでいたメイドに、首根っこを掴んで持ち上げられる。まるで雑に扱われる猫の気分だ。そんなことを考えていると、目の前の景色が青色の光に塗りつぶされ、そして――
気がつくと豪邸の前に立っていた。予想していたとはいえさすがに面食らってしまい、その場に立ち尽くす。
「こちらへ」
メイドの女性が豪奢な扉を開き、少女が中へと入って行く。俺はどうしたものかと一瞬考えたが、メイドの急かすような目線を受けて恐る恐る中へ入った。
「「「おかりなさいませ!」」」
その途端、目に飛び込んできたのは外観に反しない立派な内装と、そこにズラッと並んだメイド達であった。先ほどのメイドと異なり、その服装はカラフルで様々なアレンジが施されている。
また服以外の部分も、猫耳と尻尾が生えている者、濃い青色の肌と二本の角が特徴的な者、下半身が消えかけている幽霊のような者など、多種多様に渡っていた。
「戻ったわ。これは今日私が買ってきたものだから、命令以外で手を出さないように」
「「「はい!」」」
広いロビーにメイド達の声が響く。この屋敷の主らしき金髪の少女がズンズンと前に進んで行くので、俺はその後ろを黙って着いて行くしかなかった。後ろからメイド達のヒソヒソ声が聞こえる。
「ねえ、あれってもしかして人間?」
「そうじゃない?魔力も感じないし」
「自分の足で歩いている人間なんて久しぶりに見たわあ、羨ましい」
俺は聞こえないふりをしながらとにかく歩く。ふと、隅の方に獣人の男達の集団がいることに気づいた。メイド達に比べれば貧相な服装だが、まさに筋骨隆々といった外見がただならぬ雰囲気を醸し出していた。
と、そんな中に一人だけ小柄な奴がいる。
「おいログ、何をそんなに睨んでるんだ?」
「……あの人間野郎、さっき街で俺に喧嘩を売ってきやがったんだ。アイツを買っただって?お嬢サマの気まぐれもいい加減イヤになるぜ」
「人間に喧嘩を売られたって? 冗談だろ?」
どうやら街で会った犬男らしい。正直顔はあまり見分けがつかないのだが、こちらを睨む表情からは他の獣人とは異なる感情が感じられた。俺は少女の言葉を思い返す。
(『手を出さないように』、ねえ……)
少なくとも男女のアレ的な意味ではないことは確かだった。
しばらく歩き続けるとまた大きな扉があり、その先は中庭だった。よく手入れされているのだろう、木々や花々が美しく咲き誇り、まさに『豪邸の庭』といった様子だ。
そんな庭の片隅に、明らかに場に合わない馬小屋のような建築物がある。この時点で俺は嫌な予感がしていた。
「この人小屋が、あなたの家よ」
少女は小屋の一角にある、簡素な板で仕切られただけのスペースを指差した。広さは一畳あるかどうかといったところだ。少女が俺のことをどう扱うつもりなのか、これ以上ない程に分かりやすく伝わってきた。
「あなたが尊厳を持って生きたいというのなら、今から3日以内にあなたの有用性を示しなさい。さもなければ」
俺の反応など気にもせず、少女は微笑みながら続けた。
「あなたは犬のエサよ」
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