Gobrin's Ash :灰となった同胞
逝ってしまった者達にかけるべき言葉を、いつも頭のどこかで探していた。
そんな機会が来なければいいのにと思いながら。
里に到着すると、まず煙の匂いが感ぜられた。木が燃える時の、「木が燃える」としか表現できない特有の匂いと、何かの肉が焼ける香ばしい匂い。それらが混ざり合った匂いは、ともするといつもの帰還時と大して変わりないような気もしてしまう。それでもそこに異常を感じたのは、いつもよりずっと、煙の匂いが強かったからだ。
鼻腔を焼かれたと錯覚するほどに。
ふとこの匂いはどういう原理で自分に「煙臭さ」を感じさせるのだろうかと疑問に思う。自分が「煙」の匂いをそれと感じられるのは、自分に「煙」の記憶があるからではなく、直感として「何かが焼ける匂い」を感じることができるからだ。遺伝子に刷り込まれた嗅覚に訴える「煙」の感覚。世代を超えて受け継がれるそれを「種の記憶」と呼ぶことは出来るだろうか。それともこれは生物に当然に搭載された一つの感覚の基本モードでしかないのだろうか。
「酷い」
マルコスがそう呟いた。その言葉は濡れていた。声色が震えているわけではない。頬に雫が伝っているのでもない。涙以外の何かで、マルコスは溺れそうになっていた。
里は無残な有様だった。
燃え盛る住居、轍を刻まれ荒らされた畑、そこかしこに刻まれた、何かを引きずったような跡。緑色の血痕、力なく横たわる同胞たち、えぐられた身体、ぽっかりと空いた穴から緑色の血液が流れ、炎に照らされててらてら光っている。
泥に頭を突っ込んで死んでいる死体。
ドアノブを掴んだまま事切れた死体。
後頭部だけが綺麗に切除された死体。
反対に顔面を削ぎ落とされた死体。
四肢を切断された死体。
顔から頭の後ろまで綺麗に貫かれた死体。
ありとあらゆる死体が、里のそこかしこに展示してある。色んな方法で殺された同胞たちが、殺戮とはこういうものだと冷たくなった肉体で示していた。
どこからか慟哭が聞こえた。怒りと悲しみ、後悔と絶望、そして何よりも憎しみをのせたその悲鳴は、少しこの光景のBGMに合いすぎている。
荒らされた里。奪われた里。壊された里。
悲痛な叫びを聞きながら、俺は目の前の光景を表すための言葉を探している。そのどれもがしっくりこない。
それはきっと、言葉に置き換えることなど出来ないからだ。言葉は現実と思考とに対応関係を結んで初めて意味をなすものであるがゆえに、この光景を表すに足る言葉など、少なくとも俺の中には存在しない。
なんたって、完全に思考の埒を超えているのだから。
「被害は」
自分の口から確認のための言葉が漏れた。被害は。おかしな言葉だ。
受けた害がどれほどのものか、ことこの状況においても俺は計算しようとしているらしい。軽傷は、重症は、建物の被害は。武器は、農具は、工具は、職人の数は、パン屋の数は、服屋の数は、世帯は、マルコスの家族は、アラルトの妹は、フーリエのお祖母さんは、どれだけ、どれくらい、何人、死んだ。
「全滅だ」
誰かが言った。全滅。全滅か。そうか。それで、なにが?
「俺達の里が」
また誰かが言った。俺達の里が。そうか。全滅。俺達の里が。
「ぁぁぁぁあああああああっ!!」
誰かが叫んでいた。同じ部隊のバミラトだった。その腕には一抱えほどの肉塊が収まっていた。緑色をしたそれを抱えて、バミラトは天に向かって叫んでいた。
俺達よりも一回り小さなそれは、よくよく見るとバミラトの奥さんのように見えた。バミラトは奥さんだったものを両腕に抱え、黄色い瞳から滂沱の涙を流している。しかし俺にはまたしても、その悲鳴は悲痛に濡れてはいても涙には濡れていないように感じられた。
そこかしこから上がる、同様の悲鳴。それらを聞きながら、俺はやはり違和感を感じていた。悲痛を感じる。後悔を感じる。憎しみを感じる。けれどもどういうわけか、決して涙を感じない。確かに悲鳴は濡れていた。ずっしりと重みを持った慟哭は、涙以外の何かでじっとりと濡れていた。
気づくと、俺は家の前に立っていた。いや、正確には家だったものだ。
他の住居同様、俺が10余年を過ごした家は炎に包まれていた。吹き飛んだドアを眺めながら、俺は家へと入っていく。水を入れる壺、干し肉といくらかの薬草が、地面に直接置かれている。靴を履く習慣がない俺達は、地面に雨を凌ぐための藁葺の屋根をこしらえただけのものを家と呼んでいる。
それらは家の中心にあった。いや、より正しく言うならば、家だったものの中心であったと思われる場所だ。そこにそれらは折り重なるようにして倒れていた。
緑色だ。緑色の山のようなものが、俺の家の中心に鎮座している。ふと何故あれらは緑色なのだろうかと疑問に思い、自分の腕を眺める。ごつごつとした表皮に、黄色い爪。力を込めれば血管が浮き上がり、とくんとくんと脈打つのが感じられる。
目の前の緑色の小山が、この腕と同じ素材で作られていることに、遅ればせながら気がついた。俺と同じ素材。ということはつまり目の前の山はゴブリンの死体の山ということだ。俺はその死体の山に近づいていった。
一歩近づく毎に、身体が震えた。理由のわからない悪寒に苛まれながら、俺はその山に近づいていく。
家族だった。
ツミナイ、フルノ、マリコク、ノストラ。
それは別な言葉で表すと、俺の、父、母、兄、祖母にあたる。
俺の家族が、俺の家の中心で折り重なるようにして倒れていた。
倒れて、死んでいた。
見開かれた目からは黄色い瞳が覗いている。半開きの口から静かに緑色の液体が流れ、地面を汚している。びりびりに破かれた布は、地形探索が好きだった兄が作成したここら一帯の地図だ。その他にも、ありとあらゆるものたちが、ここには溢れていた。言葉では言い尽くせないものたちが。
踏み固めた地面、ぱちぱちと燃える家、散乱する狩りの道具、切り裂かれた獣皮の布団、飛び散った血液、こぼれた中身が炎に照らされててらてら光る、ごつごつした身体に突然空いた穴、流れる血液、緑色の命の灯火が、際限なく地面に広がっていく。
俺は叫んでいた。不思議な感覚だった。頭では起きたことを理解しているのに、感情のほうがどこか麻痺している。認識した事実にどう反応したら良いか戸惑っているようだった。ボルテージだけが上がった感情が、喉から叫びとして流れ出ている。
ふと俺は思った。この叫びは濡れている。けれどもそれは涙にではない。
ここにおいて、俺は違和感の正体を完全に理解した。マルコスの呟きが、バミラトの叫びが、何に濡れていたのかを理解した。
この叫び、この慟哭は。
涙に濡れているのではなかった。
血に濡れているのだった。
心が流す血に。
燃え盛る炎の前で、誰も言葉を発さなかった。
轟々と唸りを上げて燃える炎。火種となっているのは緑色の肉塊だ。
里のあちこちに散らばっていた「彼ら」を俺達は集め、家の残骸と一緒にして火を放った。そうしなければならない理由があったわけではない。死んだら必ず死体を燃やしてくれとお願いされたわけでもない。けれども俺達は、誰が何を言うでもなくそうしていた。誰かがやめようと言えばやめたかもしれないし、誰かがやろうとしなければ誰もやらなかったかもしれない。そのくらいの感じで、俺達は仲間の死体に火をつけた。
死体はよく燃えた。
彼らはもはや「物質」となってしまった。血液を流し切り、機能を停止させてしまった生命に、残された選択肢は少ない。他の生命に喰われるか、静かに朽ちていくか。あるいは残された者達に方法について承諾も取られずに埋葬されるか。
天高く舞い上がる炎の先端を眺めていると、ふと疑問が湧き上がった。
俺は何を燃やしているのだろうか。
俺が燃やしているのは彼らの肉体のはずだ。彼らが生前、歩き、走り、踊り、殴り、作り、笑い、泣き、見て、聞いて、嗅いで、触れて、味わって、話して、感じて、愛するのに使った肉体のはずだ。この世で生を謳歌するのに用いた身体のはずだ。けれども今、彼らの「魂」はこの炎の中にはないのだ。
今燃やしているこの肉体に、彼らの魂はもうないのだ。
ならば俺は今、何を燃やしているのだろうか。もう「彼ら」ではない肉塊を一つに集めて、燃やして、その様子を微動だにせず眺め続けて。いったいぜんたい、何がしたいというのだろうか。
弔いだ。
答えは自分の中から返ってきた。弔い。弔いか。俺は自分の中の疑問がすうっと解けていくのを感じた。弔い。
死んでしまった者達に対して、生きている者達が出来ることなどなにもない。
死者への利他行動は、「利した」と感じる者が存在しないために成立し得ない。なればこそ、弔いとは生者のためのものだろう。死んでしまった者達のためではなく、生き残ってしまった者達のためのものだろう。
俺は俺のために、彼らを灰にするのだ。
頬が湿っていた。拭っても拭っても湿っていた。
俺達の仲間は死んだ。
そして灰になった。
全部の灰を集めると壺8個にもなった。それは奇しくも俺達の人数と同じだった。
明け方の空気の中で、俺達は並べた壺の前に並んでいた。誰からともなく、目の前にある壺を手に取った。同胞の灰が詰められた壺を。俺も、一番端にあったものを一つ、両腕で抱きかかえるようにして拾い上げた。
木材を円形に切っただけの蓋を、壺を抱えるのとは逆の手で取った。取った蓋は地面に置き、俺は静かに、壺の中身を見た。生前グロテスクなまでに鮮やかな緑色だった肉体は、以外なことに真っ白な灰となっていた。石灰をそのまま詰めたと言われても信じてしまいそうなほど、そこには綺麗な「白」があった。
この灰の中に、果たして俺の家族はいるのだろうか。俺の家族だった者達は、この灰の中にあるのだろうか。
些末なことだと思った。同時に重要なことだと思った。
いっぺんに焼いてしまえば、どれが誰の灰だなんてことは識別しようがない。
一つに集められた灰は、誰かの灰であって誰かだけの灰では有り得ない。混ざり合った誰かと誰か。それが俺の家族たちなのか、それとも嫌いだったあいつなのかはわからない。
混ざり合った同胞たち。混ざり合った家族たち。ここに至って、俺達は真の意味で種としての完全な団結をみたのかもしれない。
灰になってしまえば、愛した人も憎んだ人も区別をつけることはできない。
ただ公平に、弔ってやることしかできない。
俺は壺に手を入れた。灰に触れ、柔らかなそれをほんの少し掬い上げる。
ふと掬い上げた灰に光が差し込んだ。静かに首を回せば、山の稜線から光が溢れでている。
日が昇ったようだ。
俺は朝日に照らされた仲間たちを見た。豊穣と厳しさをもたらす太陽の光が、彼らを美しく照らし出していた。
俺は手に掬った遺灰をそっと口に運んだ。灰に濡れた手で、唇を撫で、頬を撫で、鼻を撫で、瞼を撫でる。顔面に塗りたくられたかつての仲間たちは、何も言ってはくれなかった。ただ静かに、ひんやりとその物質となった手で残された者達の心を撫でていた。
「無駄にはしない」
誰かが言った。
「お前たちの死を、決して無駄にはしない」
それは弔いの言葉だった。死んでしまった者たちへと向けた、生者にできるせめてもの餞だった。
「安らかに眠ってくれ」
今度は別な誰かが言った。俺の家族は、安らかに眠っているだろうか。どこかここではない場所。全ての死した者たちが集まる場所。それは俺達の間ではクーシュミルカと呼ばれている。意味は、『全ての善いもの』
そこにいる俺の家族は、どんな表情を浮かべているだろうか。永遠の眠りについた彼らの表情は安らかなものだろうか。この世に存在する『全ての善いもの』の一部となった彼らに、未だ生命の呪縛から逃れられない者たちが何を思えば良いのだろうか。
「俺達はずっと、お前たちと共にある」
マルコスがそう言った。異なる世界へと旅立ち、遺灰という「物質」になってしまった彼らと、俺は共にあることが出来るのだろうか。
どんな言葉がふさわしいのか、俺には分からなかった。俺の家族は既に旅立ってしまい、ここにはその痕跡しかない。既に逝ってしまった人々にかけるべき、決して届くことのない言葉には、一体なにがふさわしいのか。
「ありがとう」
誰かが言った。音声として捉えたその言葉の連なりは、しかして俺自身が自然と発したものだった。俺はありがとう、ともう一度呟いた。しっくりくる感じがした。
ありがとう。
人生をくれてありがとう。
幸せをくれてありがとう。
楽しさをくれてありがとう。
切なさをくれてありがとう。
鮮やかな生をくれてありがとう。
この世界の美しさを感じさせてくれてありがとう。
同胞になってくれてありがとう。
仲間になってくれてありがとう。
家族になってくれて、ありがとう。
そして何より。
生まれてきてくれて、ありがとう。
あらゆる思いを込めて、俺達は身体を白く塗った。
仲間の遺灰で、白化粧を施した。
月日が経っても、雨にぬれても、この「白」が落ちることはなかった。
敵の剣から、矢から、戦車から、熱から、全ての脅威から、彼らは俺達を守ってくれた。
残された者たちを。
朝日に照らされて白く輝くゴブリンたちがいた。
8人の戦士であり遺族である者たちが、仲間の遺灰が入っていた壺を地面へと埋め、8つの墓を作った。
これらに中身はない。ただ空っぽの壺が並んでいるだけだ。一輪の花も添えられていないが、弔いとはそういうものではない。
少なくとも俺達にとって、弔いとは残されたものたちに必要なプロセスであって、『全ての善なるもの』となった彼らをこの俗世で着飾る必要はなかった。
誰かが泣いていた。マルコスも泣いていた。俺も泣いていた。
墓の前を離れる時、もう一度ありがとうと呟いた。
返事はなかった。
それでいいと思った。




