アキム・グランフェルトの後悔
学園から帰った私とレギーナは、屋敷に着いて馬車のドアを開けた御者が怯えるほど険悪な雰囲気だったようです。
レギーナは御者を睨んで馬車を降りて行ったので、私は妹の態度を御者に謝り労いの言葉をかけました。
「ごめんなさいね、機嫌が悪いみたいなの。いつもありがとう」
「いえ、今朝はすみませんでした。レギーナお嬢様に強く言われて断れずに先に出てしまって」
「断れないのは分かっているわ。でも次は置いて行かないでね」
御者は深く頭を下げ、私が立ち去るのを待って馬車を厩舎へ向け走り出しました。
帰宅後着替えた私は、丁度書斎から出て来たお父様に断りを入れて、ナタリーにお医者様を呼んで欲しいと頼みます。
「ユーリアお嬢様、実は私前回のレギーナお嬢様の月経の時期からして、まだ妊娠したかどうか分からないのではないかと思うのですが……確かに遅れてはいるのです。ご自分でも身に覚えがあるから妊娠したと思ったのでしょうが、まだつわりなどの症状も無いようですし、産婆を呼んでも意味が無いかもしれませんよ」
産婆というあまり耳慣れない名前に、私はナタリーにそれは何か質問します。
「さんばとは誰? 呼ぶのはお医者様ではないの?」
ナタリーはやれやれといった感じで私に教えてくれました。
「妊娠出産は女達の仕事です。男性医師は関わりません。心配しなくてもきちんと専門知識を身につけて国家試験をパスした女性ですよ。私でも取り上げはできますが、妊娠中のアドバイスなどは専門家に頼む方が安心できます。実は私も勉強中なのですが、資格を取るのは間に合いそうにありませんね。でも勉強は続けてユーリア様の子は私が取り上げますからお任せ下さい」
ナタリーの言葉でまた顔が赤くなるのが分かりました。
「もう、気が早いわ。私の事はまだまだ先よ。今はレギーナよ。何かで妊娠したかどうか調べられるのではないの? ほら、胸の音を聞いたり、お腹を触ったり?」
「何ですかそれは? 妊娠を知るには本人から症状を聞いて判断するしか無いのです。お腹が大きくなれば触ったりもしますけど、初期のうちはつわりが出て初めて分かるというのが一般的です。つわりは出ない人もいますから、お腹が大きくなり始めるまで分からない場合もあります。ただの月経不順という事もありますし、稀に女性特有の病気というケースもありますから、油断はできませんよ」
病気だなんて考えもしなかった私は、途端に妹が心配になってしまいました。
「最後の月経時期から考えて妊娠していれば今は丸二ヶ月といったところですから、つわりが出始めるかもしれませんね。そこは個人差があるので何とも言えませんが」
「ナタリーは良く知っているのね。私も勉強しようかしら、和の国で役立つかもしれないもの。ねぇ、やっぱり産婆を呼んでくれる? 多分初めての事で不安だと思うからレギーナの相談相手になってくれると助かるわ」
それから程なくしてやって来たナタリーの手配した産婆は、嫌がるレギーナに苦戦しながらもしっかり話をしてくれたようです。
「あの、あの子はどうでしたか?」
「レギーナお嬢様は月経予定日を二週間ちょっと過ぎただけで、まだはっきり妊娠しているとは言えませんね。あ……これお姉さんに聞かせても良いのかしら……恥ずかしがってなかなか教えてくれなかったのですが、その、タイミング的には妊娠している可能性が高いとだけ言っておきます。そろそろ症状が出て良い時期ですが、焦らずあと二、三週間様子を見ましょう」
どうやら妊娠報告はフライングだったようです。私が和の国に旅立ってから結果が分かるという事でしょうか。ナタリーは本当によく勉強しているようです。産婆の話は先にナタリーから聞いた物とほとんど一緒でした。
私は結果をお父様に伝えに行きます。
コンコン
「お父様、ユーリアです。入ってよろしいかしら?」
「ああ、入りなさい」
お父様は書類にサインをしながら私が話し始めるのを待ちます。報告したいけれど、今この部屋にはグランフェルト様もいらっしゃるのですが。
「何だ、産婆に来てもらってレギーナを診てもらったのだろう? 子供は順調に育っていると言っていたか?」
「ええ、それなんですけれど……」
チラリとグランフェルト様の方を見ると、彼は手に持っていたペンをストンと落とし、目を丸くして私を見ていました。ペンはコロコロと私の足元に転がってきたので、拾って彼に手渡します。
「はい、グランフェルト様、落としましたよ」
彼は恭しくペンごと私の手を握り、何だかいやに熱っぽい目で私を見てきました。
「ユーリア、様。もしやあの時私が言った言葉を気にして、こんなに変わられたのですか? ああ、あなたは何て可憐で美しい……内面の美しさも然る事ながら、隠れていた本当のあなたは誰よりも綺麗だ」
彼の真剣な目と手から伝わる熱に私は背中がゾワッとしました。咄嗟に手を引きましたがガッチリ掴まれてビクともしません。
「アキム、娘の手を離しなさい。後悔しても遅い、その手はもうお前のものでは無いのだから」
グランフェルト様は力を緩めてくれたのでバッと手を引き、ペンを彼の机に放りました。
「ユーリア、グランフェルトの子供がどうだったのか話しなさい」
「でも……はい、分かりました。あの、その前にグランフェルト様に聞きたい事が……」
これを話す前に聞いてみたかった事を質問してみた。父の前では言いにくいかもしれないけれど。
「何でしょう。答えられることならば良いのですが」
「あの、妊娠を知ったときレギーナからは何と言われたのですか?」
グランフェルト様はそんな質問をされると思わなかったでしょう、少し不快そうな顔をしました。
「お父上の前で話す事では無いでしょう」
「ハッキリ妊娠したと言われましたか?」
「……いえ、月のものが来ないの、あなたの赤ちゃんが出来たかも、と」
「やっぱり。お父様、レギーナはまだ妊娠しているのかハッキリしていませんでしたわ。産婆の話ではつわり等の症状が出るまで判断できないとか。二、三週間様子を見るよう言われました。ただし、できている可能性は高いらしいです」
グランフェルト様がゴクリと喉を鳴らすのが聞こえました。どこか期待に目を輝かせているようにも見えます。それはどちらの感情ですの? 赤ちゃんができていて欲しい? それともできていて欲しくない?
彼は真面目で責任感が強い人だから、あの子に子供ができたかもと言われて責任を取るつもりだったのかもしれません。でも本当に真面目ならば、婚約者の妹に手を出すべきでは無かったのです。
「旦那様、レギーナお嬢様に子供ができていなかった場合、私の処遇は?」
「変わらん。どちらにせよ、お前が娘を傷物にしたのだ。もうどこにも出せんだろう。お前たちは愛し合っていると私に言ったのだ、その愛を貫いてみせろ。そしてお前はユーリアの代わりに一生をかけて領民の為に尽くせ」
「はい……承知致しました」
グランフェルト様は暗く沈んでしまいました。どう見ても好きな女性との結婚が決まった人の顔ではありません。私は報告が済んだので書斎をあとにしました。
「私はこれで失礼しますわ。お父様、お仕事頑張って下さいませ」
パタンと書斎の扉を閉めて、喉が渇いたのでお茶をもらいに食堂へと足を進める。
初めてグランフェルト様に触れたけれど、背中がぞわっとしてただ気持ち悪いだけだったわ。あれは何だったのかしら。異性に触れたからと言ってあんな風に感じた事は今まで無いのだけれど。
私は自分の手を見つめ廊下を歩いていると食堂からレギーナのはしゃぐ声が聞こえて来ました。
「ねぇ、清雅様、私にも和の国の言葉を教えて下さらない? 何だか不思議な発音で面白いわ」