乳母ナタリーの才能
夕食を終えた私が部屋に戻ると、妹の世話をしていたのでしょう、私達姉妹を育てた乳母のナタリーが丁度レギーナの部屋から出て来た所でした。
「ナタリー、あの子の様子はどう? 妊娠の初めはつわりがあるのでしょう? 食の好みも変わると聞いた事があります。つわりが治まるまでは好きな物を食べさせてあげてね」
私の声に振り向いたナタリーは何か怒っているようでした。空の食器の乗ったトレイを控えていた側使えに乱暴に手渡すと、ズンズンと足音が聞こえてきそうな勢いで私の前まで来たのです。
「ユーリアお嬢様……」
今度は泣きそうな顔をして私を抱きしめます。
「ちょ、苦しいわ、ナタリー」
豊満な体のナタリーに抱きしめられ、窒息してしまうかと思うほどその豊かな胸に顔を押し付けられた私はもがいて彼女の腕を叩きます。フッと力を弱めた隙に離れると、今度は私の部屋に押し込まれてしまいました。
「私の居ない間に何があったのですか? たった二日ですよ、私が娘のところに行っていたのは。帰るなりベンにレギーナお嬢様の世話を頼まれて、何事かと心配して部屋を訪ねてみれば、ユーリアお嬢様のご婚約者のグランフェルト様がいらっしゃるではありませんか。私はあの方に何をしているのかと怒鳴りつけて部屋から追い出しましたが、その後レギーナお嬢様が信じられない事を仰いました。あれは全て本当ですか?」
ベンとはこの家の執事でナタリーの幼馴染です。ナタリーは私達の乳母でしたが今はメイド頭としてその腕を振るっています。今でも私達姉妹の体調管理をするのは彼女の仕事です。ベンがわざわざ世話を頼む事なんて今までに無い事です。ナタリーもさぞ驚いた事でしょう。
「何をどこまで聞いたのかわからないけれど、私とグランフェルト様との結婚は白紙に戻しました。そして彼の子を身篭ったレギーナはグランフェルト様と結婚させてこの家を継いで貰う事にしたわ。あと他に聞きたい事はある?」
「そんな……ユーリアお嬢様とグランフェルト様は上手くいっていたではありませんか。親の決めた結婚でしたが、不器用ながらもお互い良好な関係を築こうとしていたのを知っていますよ」
ああ、また。あなたも私を哀れんだ目で見るのね。それも当然よね、私を一番良く知っているんだもの。でも時間が経つにつれそんなに可哀想では無いと感じ始めているわ。
「私とは友人以上の関係にはなれなかったのよ。一緒に働くパートナーとしてなら最高の相手だと思うわ。あなたにだから言うけれど、自分磨きをしろと言われてしまったの。同じ事をずっとあなたにも言われていたけれど、それが原因かもしれないわ。言う事を聞いて肌や髪の手入れをするべきだったわね」
それを聞いてナタリーは目を輝かせました。身形を気にしない私に不満があったのはナタリーも一緒だったのです。身分に差はあっても彼女の大親友だった母によく似た私を、生前の母の様に可憐で優雅な女性に育てたかったと常日頃言われ続けていました。私は今の一言で、彼女のスイッチを押してしまったようです。
「今からでも遅くはありませんよ。やりましょう、ユーリアお嬢様。今晩から香油でのマッサージと痛んだ髪を補修するトリートメントを毎日やりますよ。燃えてきました! あの男を見返してやりましょう! 本気のユーリアお嬢様を見せ付けてやるのです! そして私も付いて行きます。和の国に行かれるのですよね、側使えの一人として連れて行って下さい」
「駄目よ、メイサに子供が生まれたばかりじゃない。不安な時期に母親であるあなたが側に居てあげなくてどうするの。それにこれからレギーナの出産も控えているのよ? 私なら大丈夫、和の国には一人で行くわ。言葉の通じない国に行くのだし、連れて行っても向こうの方達に迷惑をかけるだけだと思うの」
側使えを連れて行くつもりは最初から無いのよ。心細い思いをするかもしれないけれど、慣れた相手が側に居たらきっと甘えが出てしまう。郷に入れば郷に従えと言うでしょう、嫁ぐのであれば、こちらの流儀は綺麗に忘れてあちらのやり方を覚えなくてはいけないわ。
「メイサなら大丈夫です。あの子も母親になったのですから、一人でもやっていけますよ。向こうの両親にも可愛がられて、私と違って旦那だって居るのですから。私はユーリアお嬢様の方が心配です。レギーナお嬢様の様に我が儘を言わないあなたは絶対にどこかでご無理をなさるでしょう。言葉の壁くらい何です、気持ちで通じる事もありますよ。どうせ私が一緒だと甘えてしまうとでもお考えですよね。そんな相手は一人くらい必要です。絶対に付いて行きますから、旦那様にも明日許可をもらいます。和の国の方にもお願いしなくてはなりませんね」
そう言いながら、ナタリーは浴室で風呂の準備を始め、一度部屋を出て香油やら美容液やら籠にたくさん詰めて戻ってきました。そしてあっという間に着ているものを全て剥ぎ取られ、湯船に入れられてしまいました。どう思いますか、年頃の娘相手に、子供を世話するのと同じ扱いです。だからこそ、つい気が緩んでしまうのです。
「ねぇ、そんなにたくさんの種類何に使うの?」
「レギーナお嬢様はもっとたくさんの種類を使い分けていますよ。さぁ、髪を洗いますから頭をこちらに出して下さい。まったく、手入れをすれば奥様のような艶々の髪になるというのに、こんなにパサパサになるまで放っておくなんて、私ももっと強引にするべきでした。でもこのトリートメントは一度で効果が現れますから、明日が楽しみでございますね。学園で騒ぎになるかもしれませんよ。ふっふっふ」
マッサージ用の台に寝かされどこもかしこも揉み解された私はあられもない姿のまま寝落ちしてしまいました。考えてみれば、今日は朝から畑仕事をしてきたのでした。疲れて寝てしまうのも仕方の無い事です。
「あらあら、こんなになるまで頑張るから放っておけないのですよ。私の手で本来あるべきユーリアお嬢様の姿に戻して差し上げますからね。あの男、レギーナお嬢様より美しいと気付いてももう遅いですから、見ていなさい」
ナタリーは一体どんな魔法を使ったのか。朝になり目を覚ました私は、きっと誰よりも驚いたに違いありません。
「ちょ……と、嘘でしょう? 髪がサラッサラだわ。痛んだ毛先も切ってくれたのね、あんなにゴワついていたのにスルンと纏まるわ。それに、私の肌ってこんなに白かったの? 昨日は寝てしまって何をされたのか覚えていないけれど、日焼けした肌が大分白くなってる。ガサガサだった唇もぷるぷるだし、こんなの私じゃないわ」
登校する為に制服に着替えて更に驚く。むくみが取れてスカートがゆるゆるになっているのだ。自分でも痩せていると思っていたユーリアのウエストは更に細くなり、今まで自分は寸胴のお子様体型だと思っていたが腰には素晴らしいくびれが出来ていた。
寝ている自分に何をしたのかいつもより背筋がピンとして胸が上向きになっている。気のせいかいつもより胸が大きくなって見え、たった一日でお子様体型から大人の女性へと変身してしまった。
「これを毎日やったら私、別の生き物になるんじゃないかしら。心なしか背も高くなったみたい」
階下に下りた私は側仕え達に二度見され、お父様は卒倒してしまいそうな程驚いていました。
「それは、ナタリーの仕業だな。よくやった。お前に付いて行くと言って聞かないから、藤堂様からも許可を貰って正式に同行させる事にした。ただし同行者は一人だ、世話をする者はあちらにも居るらしいのでな。それにしても、カリーナが生き返ったかと思ったぞ。若い頃の彼女によく似ている。こちらに来て、よく見せておくれ」
お父様は私を通してお母様を見ているようでした。懐かしそうに目を細め、私の髪を撫でました。
「おはようございます、今日は学校へ向われるのですか?ユーリア殿」
「おはようございます、藤堂様。はい、授業はもう無いのですが、色々とやる事がございまして」
藤堂様は特に何の反応も示しませんでしたが、丹羽様と木島様の驚きようは相当な物で、私が思わず噴出してしまうほど面白い顔をされました。