悋気
「ユリ様はまた畑に出られるのですか? 確かに人手は足りないかも知れませんが、こう連日では体が心配です。ナタリーもお止めしてちょうだい、ユリ様はこの藤堂家の奥方になるのだからそこまでする必要は無いと」
「セツ様、これがユーリア様なのです。自国でもこうして民と一緒に汗を流し、慕われてきた方なのです。どうせ言っても聞きません。これで気が紛れるのならやりたい様にさせましょう」
私の受けた特命をセツ様は反対されました。領主の妻となるのに野良仕事に精を出す私が理解できないようです。反対に弟の雅高様は率先してお手伝いをして下さいました。初日は話もしてくれなかった雅高様ですが、すっかり壁は無くなり、まるでお友達のように気安い仲になっていました。
桜が蕾をつけ、花が咲き始めても藤堂様は戻ってきませんでした。桜は藤堂様が仰っていた通りとてもきれいだけれど、隣で一緒に見てくれるあなたが居なくては、感動も半減してしまいます。
桜が散った頃、やっと吉報が入りました。辻山で動きがあり、籠城していた兵が門を開け投降してきたと言うのです。辻山は病に倒れた先代と代替わりしたばかりで、血気盛んな若い城主の暴走で大崎や周辺国を巻き込んでの戦となってしまいましたが、まだそれほど人望も経験も無い彼では他国を引き止める力は弱く、野戦に破れ兵を捨て自分はさっさと城に立てこもったとの情報が伝わり辻山と同盟を組んでいた国は加勢に向わずあっさり鮫島軍に寝返りました。
鮫島軍の勢いは止まらず、周辺国の脅威となり戦に発展する前に次々と傘下に下り、辻山での戦い以降は血を流す事無く一気にその勢力を広げていきました。
朝から村の畑を見て回っていた私は馬で街道をのんびり進み、菜の花を眺めながら帰っていました。清野浜に戻ると門の前に人だかりが出来ている事に気が付き馬を走らせます。
「皆様どうなさったのですか?」
「兄上が帰って来るのです! ユリ様も早く着替えてきた方が良いですよ。今はお館様の所に報告に行っているのだそうです」
奥から走って来たナタリーは私を見て焦っているようです。
「ユーリア様、早くこちらへ。湯の用意も済ませてありますから泥汚れを落として下さいませ」
ナタリーに連れられ湯殿に行くと、浴槽にはたっぷりお湯が張られ湯気が出ています。
「ここで洗い流すだけで良いわ。浴槽のお湯を汚したくはないから。これは藤堂様に使って頂きましょう」
私はサッと土を洗い流して取っておきの石鹸で全身を洗い、ナタリーの手で髪の手入れをしてもらいました。着替えには青い着物が用意されていて、それを着て藤堂様のお出迎えの列に並びました。
「ユリ殿、その着物よく似合っています」
「雅高、あなた最近ユリ様に近づき過ぎですよ。姉になるお方だと自覚しなさいと何度も言っているでしょう。兄上がお戻りになれば今までの様にはいきませんからね」
「分かっていますよ、姉上。兄上の代わりはもうお終いです。今日からはユリ様の補佐としてやっていきますから心配無用です」
雅高様は手が空いた時に私の手伝いをしてくれたり、花見に連れ出してくれたりと、とても気を使ってくれました。初めて弟が出来る喜びでつい親しくしていましたが、ナタリーに、彼の気持ちには応えられないのだから一定の距離を保つように言われ、それ以来そう心がけてきました。
「あ! 兄上が帰ってきましたよ、ユリ様!」
藤堂様が先頭になり丹羽様、木島様、他多数を引き連れて戻って来ました。私はホッとして目が潤みます。藤堂様は私を見つけ、胸をトントンと拳で叩き、にっこり笑って馬を降りました。
「今帰ったぞ、ユーリア殿。皆も留守中変わりが無かったようでなにより。早速だが今夜私とユーリア殿の祝言を執り行う事になった。お館様も夜には来られる、準備を進めてくれ」
「清雅、よく無事に帰りました。母は嬉しいですよ。あなたに言われなくても祝言の用意は出来ています。あとはあなたを待つばかりでした」
「藤堂様、湯殿の用意が出来ています。どうぞ疲れを落として下さい」
藤堂様を湯殿まで連れて行き、セツ様と雅高様と一緒に着ているものを外す手伝いをします。こんなに重い物を身に着けて戦っていたのだと思うと胸が苦しくなります。近くで見れば着物が切れて血が滲んだ跡がありました。
「お怪我なさっているのですか?」
「いや、かすり傷だ。もう傷も塞がっている。あの刺繍は効果があったな」
中の肌着だけになった所で私達は脱衣所を出ようとしましたが、藤堂様に腕を掴まれてしまい、それを見たセツ様達は脱いだ物を入れたかごを持って出て行っていまいました。二人きりになった脱衣所では久しぶりに会った藤堂様に緊張してしまい固くなった私をじっと見下ろす藤堂様と、目のやり場に困って視線をさまよわせる私との奇妙な沈黙が続きました。
「ユーリア殿、会いたかった。あなたからの手紙はあの戦の場では癒しとなり、会いたい気持ちが募ってしまった。なのに、私の留守中、雅高と良い感じになっていたとは本当ですか?」
「え?」
「お館様に聞いたのです。留守中、お館様からの特命を受けたユーリア殿をあやつが支えていたと。二人で花見に出かけ、仲睦まじい様子を何度か見かけたと。本当か? 本当に雅高と良い仲になってしまったのか?」
何を言っているのでしょう。あれを仲睦まじいとは言わないと思うのですが。せいぜいお友達との散歩、または仕事仲間との休憩。私の認識と外から見るのとでは違う印象だったという事なのでしょうか? 確かにナタリーに注意されるまで距離が近い時もあったように思いますが、花見をした頃には雅高様も気をつけてくれていたのです。藤堂様はお館様にからかわれたのでは?
これはヤキモチなのでしょうか。思わず笑みが零れてしまいました。
「私がその様な事をする女だと思っているのですか? 私が妹に婚約者を取られて傷ついたのに、同じ事をするわけが無いではありませんか。私の想い人は藤堂清雅様ただ一人でございます」
キッパリと断言すると分かりやすく藤堂様の表情は緩みました。そして安堵の息を吐き、私を抱きしめたのです。
「良かった……」
藤堂様はそう呟いたかと思えばバッと体を離しました。
「どうしたのですか?」
「すまん、戦から戻ったばかりで汚れているのを忘れていた。あなたからは良い香りがするが私は……とにかく、確認したかった事は聞けた。もう行って良いぞ」
「はい、ではごゆっくり」




