結婚は白紙に戻します
テラスから直接応接間に入ると父はすでに戻っており、憔悴しきった表情で私を見ました。そして藤堂様を見て、俯いて一度深く息を吐くと何かを決意したかのように私と藤堂様を見据えました。父が意を決して何か言おうとしたので私はそれを遮るように発言しました。
「お父様、私もお父様にお話がございます。お客様の居る前で話す事ではありませんが、この場で言わせて下さい。私はアキム・グランフェルト様との結婚を白紙に戻します。そして爵位の継承権も放棄いたします」
父は私がレギーナとグランフェルト様の事をまだ知らないと思っていたのでしょう。ガタッと椅子を鳴らし立ち上がると、ワナワナと震えながら私の方へ歩いてきました。
「ユーリア、お前は知っていたのか? アキムの裏切りを、レギーナの気持ちも……」
「いいえ、今日レギーナの口から直接聞くまで知りませんでしたし、情け無い事にまったく気付きもしませんでした」
「お前も知らなかったのか……レギーナの腹の子は堕胎させる。あの子はまだ16歳になったばかりの学生なのだ。本人もそれで納得した。そしてアキムは解雇する。お前にはすまない事をしたと思っている。私の見る目が無かったのだ、あのような男を大事な娘に近づけてしまうとは……」
先ほど父が怒鳴っていたのを聞いても、その後二人を許したものと思っていた私は耳を疑う言葉に驚き、つい声を荒げてしまいました。
「お父様! お腹の子供に罪はありませんわ! 堕胎などと恐ろしい事言わないで下さいませ! 折角授かった命を殺すと仰るのですか! 私の代わりにレギーナが来月結婚式を挙げれば良いのです。学園は退学になってしまいますが、勉強は家庭教師を付けて続ける事もできます。グランフェルト様だって、あの方は本当に領地の事を考えて下さっています。散々彼と議論してきた私が言うのですから間違いありませんわ」
お父様は私を哀れんだ目で見ます。そんな目で見ないで下さい、惨めな気分になってしまいます。
「お前は、それで納得できるのか? あの二人を憎く思うだろう?」
「……これは仕方の無い事なのです。私にも非があったのだと思います。赤ちゃんのためにもレギーナとグランフェルト様を許して差し上げて、そして二人にこの地を継がせて下さい。私は……」
私はそこで言葉を詰まらせてしまいました。二人が結婚した場合、私はこの屋敷に住み続ける事はできません。いえ実際は私が結婚するまでここに残る事は可能です、しかし全員が気まずい思いをするのは目に見えているのです。
「私は、学園卒業と同時に藤堂様と一緒に和の国へ参ります」
「な、駄目だ駄目だ! そんな事私が許さない。何の為におまえとアキムを婚約させたと思っている。そうさせないための婚約だったのだぞ。藤堂様にはレギーナが馬鹿な真似をしたせいで無駄足を踏ませてしまったが、お詫びに心行くまで滞在して頂き、我が家の家宝を差し上げるつもりなのだ。領民に愛されるお前にこそ、この地を継いで欲しいと思っている。お前ほど心の清らかな娘は居ないだろう。学生の身でありながら私の補佐をこなし、休日は領地を巡り領民のために汗をかくことも厭わない、私の自慢の娘なのだから」
その様な考えがあっての婚約だったとは知るわけも無く、お父様が自分をどのように思って下さっていたのか聞く事ができた私は、こんな時ですがとても心が満たされたのです。褒めて欲しくて領地を回っていたわけでも、父の仕事を手伝っていたわけでもありませんが、きちんと見ていてくれた事が嬉しく、そして自分を誇らしく感じました。
「お父様、ありがとうございます。そんな風に思って下さっていた事、とても嬉しく思います。しかし、私が和の国へ行く事で全て丸く収まるのです。私の意志で外の国を見たいと思っています。お願いします、私を藤堂様の所に行かせて下さい」
「私からもお願い致します。ユーリア殿を是非我が国に迎えたい。必ず幸せに致すゆえ認めて頂きたい」
お父様はしばらく黙って私を見つめていました。そして目に薄ら涙を浮かべ、私をぎゅっと抱きしめると小さな声で言いました。
「わかったよ。お前を手放したくはないが、初めてのお願いを聞かない訳にも行かないな。我が儘一つ言わなかった娘の頼みだ」
今度は藤堂様に視線を移し、私の背中を押して藤堂様の方へと歩かせました。
「藤堂様、こちらから言い出した事なのに取り乱してしまい申し訳ありませんでした。当初の約束通りユーリアをよろしくお願いします。この子は本当に良い娘なのです。決して泣かせるような事はしないで下さい」
「承知致した。ではユーリア殿の卒業を待って、出発致します」