旅立ち
レギーナの居なくなった後の我が家は分かりやすく静かになりました。毎朝あの子の身支度の為に走り回っていた側仕え達は気が抜けてしまったようです。我が儘娘の世話は大変だったようですが、それなりにやりがいがあったみたいですね。
「おはようございます、お父様、藤堂様、木島様、丹羽様」
この毎朝の挨拶もあと数日でお終いです。和の国から来たお三方はすっかり我が家の一員の様に馴染んでいます。木島様、丹羽様も挨拶くらいは出来るようになりました。
「おはよう、ユーリア。目が赤いな、寝不足か? 卒業式まであと二日か。お前も居なくなったらこの家はもっと静かになってしまうな」
「あの、お父様、やっぱり私……」
「ユーリア、ちゃんと話し合っただろう。お前は予定通り、藤堂様と行きなさい。私なら大丈夫だ。この家の事も心配ない。私の姉に来てもらう事にしたし、寂しくはないよ」
レギーナを修道院に送ると決まった日の晩、お父様と藤堂様と三人で今後について話し合いました。レギーナが修道院に入り、あと数日で私だけでなく藤堂様、木島様、丹羽様と四人一度に家を離れてしまうのです。うちはそれほど大きな屋敷ではないけれど、お父様を一人にしてしまうのは心苦しいと訴えました。
そこでお父様は私を安心させるために、若い頃未亡人になって子供もいない自分の姉をこの家に呼ぶ事にしました。伯母様はまだ四十代の迫力美人、かなりパワフルな女性です。兄弟の中で一番領主に相応しい才覚を持った人らしく、今の仕事をやめて領地運営を手伝ってくれる事になりました。
「ユーリア殿、今日は予定が無いのでしたら私とバラを選びませんか。向こうへはあと二、三本持って行こう。向こうに着いたらあなた専用の庭造りをせねばな。船は既に港に入っているから積荷は運べるものを運んでしまおうと思うのだ。出港時間に余裕が無くてすまないな。卒業式が終わってすぐ出発しなければ乗り遅れてしまうのだ。次の便はひと月待たなければならず、そこまで領地を空けては置けぬのでな」
藤堂様は私をとても気遣って下さいます。レギーナと一緒に叱られた時は驚いたけれど、実はこの家で私が一番妹に甘かったのだと気付かされました。
四人で温室へ向かい、やはり中に入らず扉の前で待つ木島様と丹羽様はどうやら私と藤堂様を二人きりにしてくれていたようです。一緒に入りませんかと誘っても断られてしまいました。
「あの、今更ですけれど、藤堂様達はおいくつなんですか? 見たところ私と同じ位ですわよね。18歳か19歳ですか?」
「ははは、そんなに若く見えますか。私は21歳ですが木島が23、丹羽はもう27ですよ。情け無い事にこの年で全員独り身なのです」
「え?! 嘘です! どう見ても全員私と同い年位だと思っていましたわ。それに丹羽様はそんなに年上だったのですね。和の国の方は若く見えるという事ですか、では年下だと思って接したら実は年上だったという事も……これは気をつけねばなりませんね」
驚きましたが全員私よりも年上でした。丹羽様にいたっては10も上です。失礼な態度を取っていなかったか不安になります。
「……朝から泣いていたのか?」
「えっ? ど、どうしてですか?」
藤堂様は私の事を良く見ているようです。父にもばれなかったのに、彼には分かってしまったようです。
「鼻も少々赤かったし、雰囲気でそう感じたのだ。この地を離れる事が嫌で泣いたのか?」
「いいえ、違いますわ。確かに生まれ育った土地を離れる事は寂しいです、でも藤堂様に付いて行くと決めましたし、今は知らない土地に行く事を楽しみに思っております」
「では何故泣いたのだ? 私に話せぬ事か? 何か心配事があるなら話してみよ」
ああ、この方はそれを聞きたくて温室に誘って下さったのだわ。私の様子がおかしいと思って心配して下さるのですね。
「昨夜手紙が出て来たのです。隠すように本と本の間に挟まっていました。それを今朝読んでみたらレギーナからの謝罪の手紙でした。あんなところに隠して、私が気付かなかったらどうするつもりだったのかしら」
「あの妹が謝罪の手紙をしたためておったとは、いや、良く知りもせずこんな事を言うものではないな。して、反省しているようなのか?」
「はい、もう小さな頃からの事を全部書いたみたいで、いつから私の事を煙たく感じたか、今どんな気持ちでいるのか、事細かに書き記してありました。私はあの子に劣等感を感じておりましたけど、あの子も私に劣等感を感じていたらしいです。似たもの姉妹ですわね」
手紙の内容を思い出し、思わずまた目が潤んでしまいました。私は藤堂様に見えないように背を向けて花を見ているふりをします。あの子は本当に包み隠さず何でも書いてしまって高貴な方達に玩具のように扱われた事まで書いていたのです。私は相手に腹が立って、でも毎日顔を合わせていて妹の異変に気付かなかった自分にもっと腹が立って、もうどうしていいか分かりません。
ぽん、ぽん、と大きな手が頭に軽くふれ、藤堂様が私を慰めて下さっているのが分かりました。この方は何も言わずただ私の後ろで見守ってくれるのです。
「泣いても良いですか……? 今回はちょっと、我慢するのが難しくて……」
「一人になりたいか?」
「……ここに居て、背中を貸して下さいませ」
藤堂様は後ろを向いて立って下さいました。
「ほら、後ろを向いたゆえ泣き顔は見えぬ。思う存分泣けば良い」
もう涙でぐしゃぐしゃになっていた私は大きな背中に縋りつき、感情のまま子供の様に声を上げて泣きました。その間、藤堂様は何を考えていたのでしょう。
卒業式当日は晴天で、お父様は藤堂様達を連れて保護者席に座っています。帰国に向け着物姿の彼らはとても目立ち、私の友人達は誰が旦那様なのかと盛り上がっていました。
この日の私は別の意味で目立っていました。ナタリーの技術は相当なもので、あれから毎日マッサージやトリートメントを施された私は、さすがに別の生き物にはなりませんでしたが、別人の様になりました。女生徒達に取り囲まれて、何を使ったのか、どうやってこのくびれを作ったのかと質問攻めに遭い、困った私はナタリーの娘メイサを紹介しました。今は育児のため休業中ですがメイサは街で香油の販売とマッサージの店を営んでいます。その腕はナタリーの技術を受け継いでおり、私達が居なくなったあと彼女の店は大繁盛しました。
講堂での式が終わり、いよいよ皆とお別れという時にグランフェルト様が現れました。友人達は知っているので不快感をあらわに彼を睨みます。高位貴族令嬢からのひと睨みはかなり怖いです。それでも彼は臆せず前に来て頭を下げました。
「ユーリアお嬢様、ご卒業おめでとうございます。謝って許されるとは思っていません。しかし謝罪はさせて下さい。本当に……本当に申し訳ございませんでした。私の事は一生許さないで下さい。旅の無事をお祈りします、どうかお元気で」
藤堂様がこの様子を見て間に入ろうとしましたが、グランフェルト様は私の返事を待たず、それだけ言って去って行きました。その後友人達に藤堂様を紹介すると周囲に居た女生徒たちの和の国の印象は180度変わったようで、とても羨ましがられてしまいました。木島様と丹羽様は令嬢パワーに圧されタジタジで、でも悪い気はしなかったのでしょう、終始笑顔で言葉の壁を乗り越えました。
「皆さんお元気で! お父様、行って参ります」
「ああ、体に気をつけてな。手紙待ってるぞ」
馬車で港に向うと大きな船が着けられていました。私は船旅が初めてなので緊張してしまいます。藤堂様はそんな私の手を引いて船にかけられたタラップを一緒に渡って下さいました。初めて繋いだ大きな手は最初に見た印象通りゴツゴツして固い感触で、そこから伝わる体温に胸がドキドキしてしまいました。
この手が導いてくれるのならば私はどこにでも行けると、繋いだ手を見つめ安心してその背中に付いて行きました。
船は和の国に向け、約二ヶ月の船旅に出た。