青天の霹靂
「お姉ちゃん、ごめんなさい。私、アキムを愛しているの」
「……え?」
「駄目だってわかってるのよ、でもこの気持ちを止められなくって……彼に告白したら、彼も私を想ってくれていて、それでね……今、お腹に彼の赤ちゃんが居るの」
普段、学園内では私の事など一切構いもしない一つ年下の妹に、お昼休みに突然人気の無い場所へ呼び出されたかと思えば、私の婚約者、アキム・グランフェルト様との関係を告白され、大変混乱しております。
「レギーナ、あなたの言うアキムとは、アキム・グランフェルト様の事なのかしら? 彼は私の婚約者なのだけれど。それに結婚式は来月行われるのよ? あなたは一体何を考えてそのような事を……?」
「だから、ごめんなさい。アキムの結婚式がもうすぐだと思ったら、居ても立っても居られなくなって……思い切って気持ちを伝えてしまったの」
妹のレギーナはこの国一番の器量良しと言われ、学園内のみならず、社交界でも男性達にもてはやされ、可愛がられ、恋人もたくさん居るのです。なのに何故わざわざ姉の婚約者に手を出したのでしょうか。二つ年上のグランフェルト様と私の関係は大変良好だと思っていましたので、この話は寝耳に水とでも申しましょうか、とにかく、彼の方にも確認しなければと思ったのです。
「あなたの話は信じられません。グランフェルト様とは昨日お会いしたけれど、そんな素振りは見られなかったわ。今夜彼に会ってお聞きします」
「その必要は無い」
学園の校舎裏で話をしていた私達のすぐ側で聞いていたのでしょう。
すでに卒業されて、ここに居ないはずのグランフェルト様が妹の背後からスッと出て来たのです。そして彼女の細腰に腕を回し、私に見せた事のない切なく愛おし気な表情を妹に向けました。
その時の勝ち誇ったような妹の顔が深く私を傷つけ、今でも脳裏に焼きついて離れません。
「……私もレギーナを愛している。それでも彼女の事は忘れて君と結婚するつもりだったんだ。昨夜、彼女から私の子を身篭ったと聞くまでは」
眩暈がする。
こんなの、冗談にしては質が悪いです。でも彼の目は真剣だし、嘘をついているようには見えません。これは現実……?
「こうなってしまっては、君との結婚はやめるしかないだろう。お父上には私から話す。君には本当にすまない事をしたと思っている。行こう、レギーナ」
「え、あの! 私の卒業後、結婚してグランフェルト様がうちの爵位を継ぐのですよ。爵位は要らないと仰るのですか?」
混乱した私は、今言っても仕方のない事を口走り、無様にも引きとめようとしてしまいました。
うちと同じ男爵家の次男である彼は、学園卒業後に家を出てうちの離れに住み、私の父の仕事を手伝っています。その後、父は彼の仕事ぶりを気に入り、娘婿にと縁談を持ちかけたのです。
妹のレギーナはこの国の王子からも交際を申し込まれるほどの美人で、日替わりで毎回違う男性とデートを楽しみ、その将来は王子の妻となるのか、それとも別の有望な誰かを選ぶのかと皆の注目が集まる存在です。
姉の私はと言うと、休日は領地を回り、戦で夫や息子を兵に取られ、男手の無くなった家の畑仕事を手伝っており、そのため肌は日に焼け、髪はボサボサ、お洒落にお金をかけるくらいなら鍬を買うという変わり者。
待っていても縁談は来ず、近くに居たグランフェルト様にその話が回ったのは一年前の事でした。
彼は二つ返事で私との縁談を受け、気が変わる前にと即日婚約という流れになったのです。
真面目なグランフェルト様は結婚する相手を良く知ろうと、何度も私の部屋を訪ねて来ては、将来について話をしました。
彼とは二人きりになっても手に触れる事すらありませんでした。
それでも心は通じ合っていると思っていた私は、男女の事に疎すぎたのでしょうね。今思えば、領地の改革について議論するのは広い意味では将来を語り合ったと言えなくは無いかもしれませんが……普通なら、子供は何人欲しいか、どんな家庭にしたいかなど話をするのでしょう。
彼は私自身よりも結婚して得られるものに惹かれているのだと、心のどこかでわかっていたのです。
だからこそ思わず出てしまった言葉を、今すぐ取り消したい。
「爵位よりも大事なものが出来たのです。私が彼女と子どもを守らなくては」
「……!」
「私が言うのもなんですが……あなたはもっと自分磨きをしたほうが良い。他人にばかり目を向けていないで、自分自身を良く見てください」
「そうよ、お姉ちゃん。まだ17歳だというのに女を捨てるのが早いわ。元は悪く無いのだから、綺麗にしていれば次の縁談だってすぐに来るわよ」
何も言い返せない。
私は自分の荒れた手を見おろして、その場を立ち去る二人の背中を見送る事しかできませんでした。
肩を落として屋敷に帰ると、見た事もない衣装に身を包んだ黒髪の凛々しい青年が応接間で父と談笑していました。
「では、約束通り娘のレギーナをあなたの元に行かせます。親の欲目かもしれないですが、大変美しい娘です。きっと気に入ってくれると思いますよ」
話の内容が理解できず、私は思わず部屋に入ってしまいました。
「お父様、レギーナをどこにやると仰っているのですか?」
「おお、おかえりユーリア。丁度良い、お前にも紹介しよう。3年前私の乗った船が嵐に遭い、死にかけたという話をしただろう。海岸に打ち上げられた私を保護して下さったのがこの人だ。お名前を……」
その青年は椅子から立ち上がり、私の方へ歩いてくると、こう言いました。
「はじめまして、私は藤堂清雅と申します。ああ、こちらの言い方では清雅、藤堂でしたな。東方の和の国より此度はシェルクヴィスト家と縁を結びにやって参りました。どうぞよろしく」
青年はゴツゴツとした大きな手を私に差し出し、握手を求めて来ました。異国人というだけで何だか恐ろしく感じた私が手を出せずにいると、彼はその手を上へ持っていき、ガシガシと頭をかいてニッコリ笑います。私はその屈託の無い笑顔に胸がキュウっとなりました。何なのか良くわかりませんがそれは初めての感覚で、言葉に表す事ができません。
「初対面の時は握手なるものをすると聞いて来たのだが、おなごには違ったか。これは失礼した。そんな所に立っていないでこちらに来て座りませんか?」
彼は私に指一本触れないよう注意を払ってエスコートしてくれました。父の隣に座り、事の経緯を聞きます。
「藤堂様は嵐で海に投げ出され、運良く海岸に打ち上げられた私を保護して怪我が治るまで介抱して下さった命の恩人だ。当時そんな話をしたと思うが、その話しには続きがあってな。とても良くしてくれたお礼に何か差し上げたいと申し出たら、何もいらんと申されてだな、それでは私の気持ちが収まらないからと、娘を嫁にもらってくれとお願いしたのだ。3年前は、お前はまだ14歳、レギーナは13歳になったばかりで現実的では無かったが、嫁に出せる年になったら迎えに来て欲しいと言って私は国に帰って来た」
父の話を聞く間、藤堂様は私の反応をずっと見ていました。それは私の表情がわかりやすく、見る見る曇って行ったからだと思います。私の頭の中ではこの日の昼休みの、妹レギーナとグランフェルト様との会話が何度も繰り返し流れていたのです。
レギーナはまだ帰ってきておらず、昼休みを終えたグランフェルト様がその後父に報告したとも思えません。
恐らく、当時の父は私をこの方の伴侶に差し出すつもりだったのでしょう。だから、私の卒業間近のこの時期に迎えにきたのだと推測できます。しかし私は思いがけず婚約が整い、レギーナへと矛先が向いてしまった。私とグランフェルト様を婚約させるなんて、お父様はこの方とのお約束を忘れていたのでしょうか。レギーナを外国に出す気なんて無かったでしょうに。
これはどうするべきでしょうか。他の男性の子を身篭った娘を嫁に出すなんてもってのほかです。だからと言って私の口からお父様に話す内容でもありません。
そんな事を考えていると、執事がお父様に何か耳打ちしています。
「うん? レギーナが書斎で待っていると? 今は来客中だと伝えたのか?」
「はい、ですが至急旦那様と話がしたいと仰って、アキムと二人で待っております」
「アキムを巻き込んで今度は何をねだろうと言うのか……申し訳ない、藤堂様、少し席を外します。ユーリア、藤堂様に庭を案内して差し上げろ。お前の温室のバラも見ごろだろう」
私に気付かれていないとお思いのようですが、お父様はレギーナが欲しいと言った物は何でも買い与えているのです。きっと今回のおねだりは、アキム・グランフェルト様です。私から婚約者を取り上げるのなんて、簡単な事。妹に甘いお父様の事だもの、きっと怒りもせず二人を許すのでしょうね。
「藤堂様、こちらから庭に出ましょう。花はお好きですか?」
「え、まぁ、そうですな。それなりに」
私は正直な彼に思わずクスクスと笑ってしまいました。
「フフ、そうですよね、男性は花にそれほど興味はありませんものね。では散歩がてら、私のお友達を紹介させて下さいませ」
母から受け継いだ温室は父の書斎の前にあります。母を愛していた父がいつでも様子が見られるようにとここに建てたのだそうです。
私が温室の扉に手をかけたとき、窓の開いていた父の書斎から、パンッという何かを叩く音が聞こえました。
「お前という娘は、いつからそんなふしだらな女に成り下がった?! しかも少しも悪びれず、姉の婚約者と結婚したいだと? アキム貴様、私の信頼をこんな形で裏切るとは、お前には失望したぞ!」
お父様が怒鳴る声を生まれて初めて聞きました。こんな話をお客様にお聞かせするわけには行きません。私は慌てて扉を開け、藤堂様を中へ招きました。
「あの、中へどうぞ。お聞き苦しい会話を耳に入れてしまい、申し訳御座いませんでした」
「ああ、いや」
パタンと扉を閉めてしまえば外の音はそれほど聞こえません。
「……藤堂様、この子はとても珍しい種類で、育てるのがとっても難しいのですよ。手をかけなければ途端に枯れてしまうので世話は大変ですけれど、咲けばこんなに可憐で美しい花が咲くんです。それにこちらの黄色い子は……」
「ユーリア殿、そんなに気を張らず、泣きたければ泣けばよい」
余程私が泣きそうに見えたのでしょう、藤堂様は優しく声をかけて下さいました。こんな時、優しくされると辛くなります。喉の奥がぎゅっと苦しくなり、涙が目に溜まります。それでも私は上を向いて何度も瞬きし、涙が零れるのを防ぐのです。
「強情なおなごだ」
「可愛げが無いと良く言われます」
藤堂様に呆れられてしまうかと思いましたが、彼はとても優しい目で私を見ていました。
「それにしても、あなたのお父上はあなたの事が余程自慢なようだ。私がここへ来てからずっと、ユーリア殿の自慢話をしておった。領民の生活を考え、自ら畑仕事を手伝っているそうですな。どれだけ民のために働いているのか、その手を見ればわかる。領民に慕われ、学問にも秀でておるとか、我が領地にもあなたのような方が欲しいものだ。どうかな、婚約が御破算になったのなら、私と一緒に和の国に参らんか?」
父が私の自慢話を聞かせていたという事にも驚きましたが、突然の申し出に私はどう答えれば良いのかわかりませんでした。
「私の学園卒業まであと半月あるのです。それまで考えさせて頂けますか?」
「おお、考えるという事は、希望を持って良いという事だな。ぜひ前向きに検討して欲しい。元々、私はあなたを迎えに来たのだ。お父上の話を聞いて更に興味が湧いた。和の国は四季折々に咲く花が美しく、春に咲く桜はそれはもう見事だぞ。この温室のバラなる木も、株分けして持って行けば良いしな」
藤堂様は本気で私を選ぶつもりらしいです。でもレギーナをひと目見てしまえば、その考えも変わってしまうのだけれど。
温室内の花を一通り紹介し、書斎側ではない別の扉から外に出て、今度は庭を散歩する事にした。
すると書斎からは、一瞬レギーナの声が聞こえた。きっとお父様を説得しているのね。藤堂様と話すうちにグランフェルト様への気持ちがスゥッと冷めてしまいました。あれは恋ではなく、年上の彼へのただの憧れだったのかもしれません。
「素晴らしい庭だ。趣は違うが和の国ではここまで広い庭を持つのは天子様くらいのものであろうな。先に言っておくが、私の屋敷はこの屋敷の半分にも満たない小さな屋敷だから、庭もそれほど広くはないぞ。庭師も居らぬしな。自分で手入れできる範囲で飾ってはいるが、あなたが来たら好きに変えてくれて構わぬ」
もう私が付いて行く体で話が進んでいるようです。あなたはレギーナを見ても、その考えは変わりませんか?