友情論のこと
僕は小さい頃から親に「友達を大切にしなさい」と教えられて生きてきた。父親がそう教えたのはある種の文学論であったかも知れないし、ただ単に僕に健全な人生を歩ませたいという意図でもあったし、自分の思うままに教育したい、尊敬させたかったからかも知れない。しかし、そうかもしれないけれども、少年時代の僕はありがたかった気持ちが強かった。それは僕の性格からもちょうど良いことだったし、それをもう少し説明すると、そもそも僕には友情を大切にする才能がありました。それに(こんなことを言うのは恥ずかしいけれど)僕はお父さんが大好きでした。ちなみに、父の友情の教育はまず「女よりも男の友人を大切にしなさい」というものだった。あともう一つ、「あくまで友達として大事にすべきであって、同性愛的な関係は御免だ」というものでした。
僕は二つとも、守りました。なぜなら、そもそも僕にはそれを守る才能がありました。それに、僕はお父さんさえ大好きでした。ひとつだけ悔やんでいることはお父さんが友情の教育をしなければ、もう少し自由に友人と接することができたんじゃないかということでした。本当に友人のことを考え、助け合う関係を作ろうと必死になりました。いくらか友人の方が僕を息苦しく考えていたぐらいです。僕は何人かの友達ができました。しかし、その友人は少しグレていました。悪かったのです。不良という存在だったかもしれません。そこのところは困りました。困りはしましたが、僕も不良のようにふるまったりもしました。自分も彼らと同じ水準で考え、同じ価値観でいようと努力しました。そうこうしているうちに、僕はやさしい奴だと認められ、一目置かれるようになりました。小学校時代ぐらいまでには「僕のグループ」が存在しているほどに成長しました。
しかし、中学に入ってからはみなが離れていきます。かつて友達だった子供たちはさらにグレて、もう僕などどうでもよくなったのです。悲しかった。新しくできた友達なんて、どうでもよかったです。向こうもどうでもよかったですしね。ところが、高校に入って、一人だけまた友達に戻ってきました。良也です。良也は真の友達です。良也はその後、また離れていきますが、今でもずっと心の中で存在しつづけています。なんとかして彼とまたよりを戻したいと電話を掛けたこともありましたが、何度鳴らしても彼は出ないのでした。その後、他の友人が言うには、彼は携帯を持っていることは持っているが、ほとんど使っていないということでした。
そうこうしているうちに、結婚をいたしました。するとまた友人が減りました。僕が結婚をすると、友人たちのいったいなにが不憫だというのでしょうか。いや、本当にそれが原因なのかはわかりません。しかし、友達のことを第一に考え行動してきた僕にとって、結婚をすることによって友人が離れていくという現象は見るに耐えないものでありました。最近、めっきり友人が少なくなりまして、プライベートで会って呑んだりする男性はもはや二人になってしまいました。こだわり続けた結果がこれなので、人生はきついなあとしか思えません。その二人だって、もう半年ぐらい連絡も取らず、会っていない友人なのです。良也だけは違いましたが、もう良也とは会う方法が見つかりません。完璧にアウトです。しかし、プライベートの飲み友達であるその二人でさえ離れることはもう本当の絶望でありましたので、仲良くしたい、関係を壊したくはないと思ってここまできました。なので、休みの日はどうしているかというと、もっぱら嫁と映画に行ったり、食事に行ったり、嫁の友人の会合に自分も参加させてもらったりしながら、楽しんでいます。みなさんも友情について考えていますか。考えていない人がSNSで何千人と友達がいることに、私は憤りさえ感じます。そんな時代が来たのでしょうか。もっともっと考えて、生きていきたいと思っています。そして、正義の思想を広めるために、文章を書いていきたいと思っています。ありがとうございました。




