マドラスコーヒーをもう一杯
用語解説
・マドラスコーヒー
インド式カプチーノと呼ばれる甘いミルクコーヒー
ムガル帝国 Sirsa
むちゃくちゃ眠い…。
昇は、司令部で塹壕の地図を見ながらそう思っていた。
現在、昇が小隊長を務めている第31歩兵師団第4連隊第2中隊第3小隊は塹壕の修繕と新しい塹壕を掘っていた。
昇は連隊司令部に赴き、中隊長に会い塹壕の地図を借りた。
人と馬の死体をどけ、撃破した車両を運んでいることだろう。
「長篠軍曹!」
「はい。」
「統治派の総司令官があなたをお呼びになっています。至急、Suratgarhに来てほしいと…。」
「統治派の総司令官って…。」
「મોહનદાસ કરમચંદ ગાંધી(モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー)氏です。飛行機がこちらに来るので連隊長と共にそれに乗ってください。」
「第3小隊の指揮は?」
「第2小隊のデュカス少尉に任せますので準備してください。」
数十分後、飛行機が空港に降り昇と師団長であるセギュール大佐と他2名と共にスーラトガルに降りた。
飛行機から車に乗り換え司令部へと案内され、俺はそのまま部屋に案内されて彼を待った。
ソファが2つ向かい合い、その間にテーブルがある応接間のような部屋で豪華な装飾が施されてはいるのだが昇にはあまり興味がないものだった。
待ってる間に自分の匂いを確認するがやはり泥と血と汗と火薬の硝煙のような匂いがしており、どうしようもないとは思いながら香水を使った。
そして、入口近くのソファに座り彼を待った。
しばらくして、彼がやって来た。
「はじめまして、君が長篠昇君かい?」
「はい、そうです。」
見た目からして、30代以下だろうか。
後年の丸い眼鏡をかけ瘦せている老人ではなく、健康そうで黒いひげを豊かに生やしていた。
そして、彼は奥のソファに座り昇をじっと見た。
少したってからマドラスコーヒーが机に置かれ昇は一口それを飲んだ。
部屋には二人だけだった。
「ああ、そんなかしこまらなくてもいい。わたしは、モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー。あなたのことは知っている。どうかリラックスして話してくれればいい。ロゼッタストーンの力であなたが言いやすい呼び方でわたしを呼んでくれて構わない。ようこそ、インド共和国へ。」
「はい、はじめまして…そのガンディーさん。」
「まだ、硬いね。どうかしたかい?」
「あっ、はい…何というかあなたは…その…。」
「もっと歳を取っていると?」
「はい、それに眼鏡も掛けていません。ですが、それ以前になんていうかあなたの話すのはとても恐れおおいからです。」
「ふっ…ははは…っと、これは失礼。わたしは、そんな大した男ではないよ。なんせ、わたしが若い頃は…それはそれは非常に許し難い自分の過去だ。性欲におぼれ、わたしは自分の父親の最期を見ることができず、学びも疎かにしたこともあった。他には、肉やタバコを買ったりもした。ましてや、自殺までしかけた。そういう過去を知っても君はわたしのことをどう思う?田舎のヤンキーや不良が更生して警察官になるようなものだろう…。昔は、ヤンチャしていたで終わりはしない。それこそ、最初から真っ当に生きていればわたしはもっと素晴らしい人になれただろう…。父を看取ることもできた。しかし、わたしが禁欲をしたのは30を超えてからだ。…ああ、すまない。ただこれだけは言っておきたい。わたしは、いい人ではないのだと…。」
彼は遠くを見つめるようにそうつぶやいた。
昇は、ただそれを聞いていた。
「…あなたは…いえっ、でもあなたはインドの独立を叶えた人なんじゃないですか?」
「どうだろう…わたしは彼、जवाहरलाल नेहरू(ジャワハルラール・ネルー)と出会ったことが大きいかもしれない。」
「…そうですか、その…彼もこの世界に居るんですか?」
昇がそう尋ねるとガンディーは顔を大きく横に振った。
「いやっ、彼はこの世界に来ていない。」
「本当ですか?」
「ああ、本当だ。そうだな、君はこの世界の地図を見たことがあるかい?」
「いいえ、見たことはありません。」
「そうか…それじゃあ、この世界でのこの場所…ムガル帝国とは言われているがインドだ。どこが違っているかわかるかい?」
昇は、元の世界のインドの場所を思い出し今居るムガル帝国と比較した。
「海で囲まれているところですか?」
「ああ、そうだ。他には何か思い当たることは?」
「モンゴル帝国…中国や他の国と繋がっていない…ああ、でもそれは海で囲まれているのと同じだから…なんでしょう…わかりません。」
「まあ、聞き方が悪かったから答えを言おう。まず、海で囲まれているのはその通りだ。陸続きでないので中国、パキスタン、ネパール、バングラデッシュには繋がっていない。気にしてほしかったのは国の位置関係だ。スリランカは君と私の世界より北の方にあり、パキスタン、ネパール、バングラデッシュはこの世界に存在しない。また、アフガニスタンが不可侵地になっており遠くにある為、この国では仏教が破壊されることなく、ヒンドゥー教はそこまで広まっていない。また、無宗教者もここまで多くなかった。」
「その不可侵地とは何ですか?」
「ああ、そうだね。それについて話す前にこの世界での宗教に話しておかなければならない。」
「宗教ですか?」
「ああ、そうだ。君が居た世界ではインドではどの宗教が多かったかい?」
「ヒンドゥー教でした。」
「そう…だがこの世界では無宗教の人が居てこのインドでもその数は多い。それに、仏教やキリスト教、神道、ユダヤ教もこの地に伝わっている。だから分布も変わるはずだが実はある宗教だけこの世界には無い。」
「他にも、宗教があるのにこの世界に無い宗教があるんですか?」
「いやっ、すまない…確かに新興宗教や分派を含めるとこの世界に無い宗教はたくさんある。ただ、わたしの世界でインドにあった宗教…イスラム教の教えがこの世界には無い。」
「そうですか…でも、イスラム教が無くてもこの世界にはトルコやイランとかの国が確かあるってジャンヌから聞いたことがあるのですが…。」
「国としては、存在しているからそれで間違いがない。ただ、この世界にはイスラム教が無く、わたしやبہادر شاہ ظفر(バハードゥル・シャー2世)などイスラム教を知る者がこの世界に来ていた、しかし、宗教としてイスラム教を起こすことはできなかった。」
「…それは、なぜですか?」
「私達がこの世界に来た時のことを創世記と私達は言っている。この世界の神と約束を交わした私達は国を作り始めた。そして、その中にキリストと仏陀、モーセなど多くの宗教に関する人が居る中、ムハンマドはこの世界に居なかった。神道や精霊と言った他の信仰の確立が可能である中、イスラム教の創始者であるムハンマドが居なかった為、イスラム教無しでの国作りを私達は始めた。」
「…あの国作りって…その…まさか何千年も前の話ですか?」
「おっと…忘れてた…そうだね…創世記が約5000万年以上前のことだ。」
「その時、人類が居たんですか?」
「なんせ、とてつもない計画だった。初期人類をどうやって発展させながら約束の条件を満たすことができるか考えるのに時間がかかったものだから…。そして、なにより正確な時間という概念そのものが成立しないというより…この世界の神が今、私達の体験している時間を止めることができるから計測のしようがないというか…ああ、人類は居たよ。とまあ、そうだなたぶんこの話の内容なんてほとんどわからない…たぶん、君が初めて知る情報だった。私達、他の世界から来た人間は長い時を過ごすことができた。ただ、いくら待ってもムハンマドが来ることがなく、私達はいくつかの土地をこの世界の人が知ることのない私達が居た宗教の聖地として、この世界の人々が入ることのできない不可侵地と定めた。その一つがアフガニスタンだ。」
「歴史をもう一度繰り返そうとしたんですか?」
「まあ、そういうところだね。…もう一杯飲むかい?いやっ、これは意味のない質問だ。わたしは、もう少し君に話したいことがあるし話すべき本題に入っていないから…君には、コーヒーのおかわりを飲むしか選択しはないんだ。」
「それじゃあ、もう一杯貰えますか?」
「ああ、勿論。」




