タイムリミット
ドイツ三国 ドイツ領 ベルリン ドイツ最高研究所
目を覚ますと、俺は病室のベッドの上に居た。
時計を見ると、10時を過ぎていて日の光が白いカーテン越しに差していた。
手術が終わったので、俺はとりあえず自分の身体を触った。
そして、身体を起こし顔を洗いに行き、濡れた顔をタオルで拭くと目も前の鏡には金髪の少年が居た。
寝ぼけているのだろうと、もう一度顔を洗い、タオルで拭くがそこには、やはり金髪で青い瞳の少年がタオルを持って鏡を持っていた。
「…。」
そして、自分の頬を叩くと鏡の中の少年もやはり頬を叩いていた。
「…マジか。」
ローマ帝国では、光彩が緑色になったがこれは明らかに顔の形も少し異なり、どう見ても別人のような身体になっていた。
そして、慌てて病室を飛び出した。
「ん?おはようございます、昇さん。どうされましたか?」
「エヴァ!」
「そんなに慌てて、大丈夫ですか?」
「いやっ、大丈夫じゃない…一体どんな手術を!」
「大丈夫ですよ、昇さんにお変わりはありません。」
「そんな!…鏡では、自分とはまったく違うことに!」
「あ~、わかりました。とりあえず、落ち着いてください。検査がありますので…。」
エヴァは、淡々と俺の話を軽く受け流し診察室に向かった。
お腹が空いてきたが、今はそんなことも言ってられない。
「先生、長篠昇が目覚めました。」
「はい、わかりました。では、診察を行います。エヴァ様。」
「よろしくお願いいたします。昇さん、そこに座って…。」
「ああ、その…俺の身体ってどうなっているんですか?今?…それに、視覚に異常があると思うんですけど…。」
「では、診察を行いましょう。」
「よろしくお願いいたします、森先生。」
「はい。」
俺は、森先生により診察を受けた。
森先生は、眼鏡をかけていて髪がほぼ無かった。
年は、50代を超えているくらいのベテランだと思う。
そして、そのまま聴覚、痛覚、反射、視覚などの検査を終えて行く。
「…異常は見当たりませんね。色覚も正常です。」
「そんな…。」
「ドイツ陸軍生体への移植手術だった為、少々順応が遅いとも考えられますが…おそらく、心的ショックの方が大きいと思います。」
「PTSDですか?」
「いやっ、Beweise für Einsamkeit…所為、『孤独の証明』によるものかと…。」
「…つまり、どういうことなんですか?」
「診察はどうですか、先生?」
「終わりました…あとは、彼への説明です。」
「なるほど…じゃあ、昇さん…この鏡を見てください。」
「ああ…。」
「そこには、誰が写っていますか?」
「自分。」
手鏡とカメラを持ってきたエヴァは、俺に手鏡を渡した。
「では、こちらを向いてください。」
「ああ…。」
「はいっ、チーズ…。っと、少しお待ちください。」
エヴァは、俺をポラロイドカメラで撮影すると、そのカラー写真の昇の居るの位置には先ほどの金髪の少年が居た。
エヴァは、そのカラー写真を俺に渡した。
「はい、どうぞ…。」
「やっぱり、俺なのか…。でも、この鏡だと…。」
「その鏡は、雲外鏡、照魔鏡など様々な魔物の正体をあばく鏡…いえっ、この鏡は魂の形を現す鏡ですね。人の自己の定義では自身の身体が魂の形であると考えられ、自己認識をしていますので…。」
「ようするに、これが俺の魂の姿ってこと?」
「そうですね。最も昇さんはこの世界では魂のみなんで…その…。」
「まあ、難しく考える必要はないよ。君の身体は、今その写真の少年の素体だからということに慣れてもらえれば…あとは、そうだね…投薬でもしてその身体に慣れてくれれば…かなりギャップは大きいがね。」
「…わかりました。でも、俺は…その…元の日本人のままですよね?」
「ああ、勿論。」
「ふぅ…それなら、良かった。ん?でも、エヴァには俺がどう見えるんだ?」
「黒髪の昇さんですよ。」
「なんか、高校デビューしようとして金髪に染めたみたいな言い方だな…その、エヴァ?」
「はい!」
「この手鏡、しばらく借りていい?」
「はい、ですが…他の人には何も映りませんよ。」
「そっか、なんかオカルトなのか、それとも技術の賜物なのか…。」
「難しい問題でしょうか?魔法と言えばそれで、終わりなんですけど…。」
「魔法が科学か?っていう問題?」
「魔法科学ということですね。残念ながら、それは間違いです。」
「余計ややこしいな。」
「仕方ありませんよ、正直なところ私達の魔法は科学によるものです。」
「…科学?」
「はい、私達は物理現象を魔法を介することで現象としています。」
「なら、物理に入るのか?」
「はい。」
「なら、魔法は科学じゃないのか?」
「そこが、ポイントなんです。魔法が物理であるのなら科学ですが、魔法が起こした現象は物理なるでしょうか?」
「それなら、魔法か…なるほど、言いたいことはわかった。それじゃあ、俺が魂である状態は魔法という事になるのか?」
「ええ、魔法です。」
「そっか…なら、俺の身体…本当の身体はどこにあるんだ?」
「世界の境界面ですよ。」
「…えぇ。」
全く聞きなれない場所が聞こえた。
流石に、色々とありすぎてもう驚かないと思っていたが、さらに頭が痛くなりそうな事態が起きていることがわかった。
「逆さ吊りで世界の境界に、入間基地に居た人々全員分ありますよ。」
「…じゃあ、そこに行けば…元の世界に帰れるんじゃ…。」
「帰れませんよ…。」
エヴァは、申し訳なさそうにそう言った。
「どういうことなんだ、エヴァ?その…君らを信用していないわけじゃない。だから、意識を持ったままちゃんとこうして、みんなと話してる。
だけど、わからないことばかりだ…帰る方法を探しているのか、それとももう見つかっているのか…どっちなんだ?」
「それは、お答えできません。」
「魔法で戻れないのか?元の世界に?」
エヴァは、ただ顔を下に下げた。
代わりに、黙っていた森先生が口を開いた。
「昇君、君は二元論について知っているか?」
「二元論?」
「ああ、人は肉体と精神の2つで構成されるという考えだ。」
「…森先生も、その…エヴァと同じ…。」
「ああ、LLFに所属していて、君らを知っている…だから、ここに居る。」
「そうですか…。」
別に、驚きはしない。
少なくとも、エヴァが手鏡を見せることが前提なら、森先生には俺が魂の姿で見えているということだからだ。
しかし、俺は相手にどう見えているのかはわからない。
ましてや、ステラ達が見えていたのだとしたら…いやっ、ステラ達ロボットは見えているはずだ。
元々、ネロ・クラウディウスの能力である為、彼なら見えているはずで、カチューシャとジャンヌも俺が身体を手に入れる前からずっと見えていたと考えられる。
「話は複雑なようで簡単だが、端的に言えば、君はこの世界に『精神』としてここに居るわけだ。」
「それは、わかります。」
「ああ、だが…魂はまだこの世界の外にある。外にあるということは、元の世界へ残っている、もしくは引っ張られているということだ。だから、分離している。」
「…そんな、磁石みたいに引きつけられて分かれるものなんですか?」
「そうだ、この世界は取り分け死者の魂を引きつけている。だから、私達はここに居る。」
「森先生も死んでいるですか?」
「私は、死んだ。だから、もう身体は無い。」
「そんな…。」
「だから、この世界から逃げるには方法を探す必要があるんだ。逆に、君らは帰れる可能性が高い。」
「…元の世界に身体が引きつけれているからですか?」
「ああ、君らの身体は『生きている』だから、生者であり逃げ出すのは少しは楽かもしれない。だが、逆にこの世界に身体も落とされた場合、この世界で生きて死ぬことになる…。ようするに、君らは元の世界に帰ることが出来ずにここで死ぬことになる。」
「この世界で…ですか…。」
「悪くないかもと君は思うだろうが、問題がある。」
「どういった問題ですか?」
「この世界に身体が落ちた時、その世界では元から存在しない事象である為、その時点で完全に『死者』となる。」
「…完全に死ぬってことですか?」
「そうだ…。」
「じゃあ、この素体にも魂がくっつかないってことですか?」
「ああ、ただ死後の世界に行くことになるだけだ。まあ、かなりおかしな話かもしれない。死者である私達がここで居られるのに、君ら生者は死後の世界へと行くと…。」
「はぁ…よくわかました。…けれど、なんでそんな世界の境界に…いやっ、待て…まさか、達也と満も…。」
「いやっ、彼らはその境界で魂と体両方ある状態だ。だから、元の世界に近くある。」
「ならっ、この世界に来た俺や、中間さん…ホワイトさんに刑部さん達は…。」
「言い方は悪いが、『死』に近いということだ。」
「…。」
砂時計は上から下に落ちていく。
ただ、重力に引かれ下に落ちて行くのだ。
昇は、その中の砂だった。
砂時計を天国と地獄に見立てるのであれば、現世はその中間地点だろう。
そして、この砂時計は真ん中が膨らんでいる。
天国が生、地獄が死なら…昇は地獄へと向かっている。
昇がこの世界に転移した入間基地に、一緒に来た友達ではなく他の自衛隊や報道関係者と共に来てしまったのは偶然であるのかもしれないが、ただそれ以上に怖いものであったことを改めて感じた。
「昇さん?」
「ああ、大丈夫…そっか、確かにこれならみんなが助けてくれるわけだ。なんていうか、荷が重い…。」
「昇さん…。」
「いやっ、落ち込むことはないよ。」
プツンと糸が切れたように意気消沈した昇に、森は声をかけた。」
「少なくとも、君の身体やこの世界に来ていない他の人達は、世界の楔になっていると言える。」
「楔ですか?」
「そうだ、タイムリミット…もしくは人質と言える。この世界は、魂…精神からこの世界に人々を連れ込む。…だが、まだ一人も落ちて来ては居ない。精神が全てこの世界に落ちた時に、次いで身体もこの世界に落ちてくる。」
「…落ちて来ないってことはまだ、世界が安定している…帰れるかもしれないと?」
「ああ、その通り…。」
「昇さん、私達LLFはあなたをお助けします。だから、必ず元の世界に帰ってください。約束ですよ!」
「ああ、約束するよ…。」
そう、わりとすぐに返事をした。
元の世界に帰るということは、この世界に来た俺たちがみんな死ぬことはなく、生者として帰ることだ。
だから、本当に…かなり重い決断だった。
元の世界に帰って、それからすぐに死ぬ人もいるかもしれない。
だが、この世界で…いやっ、何も思い残すことも出来ずに死ぬというのは悲しいことかもしれない。
それに、無痛で死ねるのを望んでいる人がいるかもしれない。
だが、たとえそうだったとしても…彼らにはその意思を伝えることはできないし、何より元の世界に俺が帰ろうが、帰らなかろうが…全員死ぬか、俺が死ぬというだけだ。
ただ、本当に被害はそれだけなのか?
入間基地という、領域に居た人々だけが元の世界から取り除かれて死ぬだけなのか?
…そんなこと、考える余裕もなかった俺はただ、最初から選択肢の用意されていない…「元の世界に帰る」ということを選んだ。