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案ずる王妃と迷える王の戦い

第四章:案ずる王妃と迷える王の戦い


 翌朝シンシアはなんだかすっきりとしない気持ちで目覚める。今日も空は良く晴れており窓から差し込む光は気持ちいいが、シンシアの心はどんよりともやがかった様だった。昨日王妃の間に戻ってからは体中を駆け巡る怒りと悔しさで苦しみ続けたが、クライフィスを突っぱねるとそのまま眠りにつき、今朝目覚めるとその怒りも悔しさも嘘のように消えている。後に残っているのは何故あの様な事をしてしまったのだろうという後悔だけだった。クライフィスは老若男女を問わず気さくに話しかける王だ、ましてや相手の侍女は貴族学院時代からの知り合い会えば話ぐらいするだろう、二人の関係は何もなかったとラークファクトもロイドも言っていたのに先走る様にあんな態度を取ってしまった。今日クライフィスに会ったらまず昨日の事を謝りそしてプリシラとの関係について聞いてみよう、そう考えている時だった。

トントン

 寝室の扉がノックされる。

「あ、あのう、シンシア様…ベルです。起きておいでしょうか、そ、その…朝の御着替えのお手伝いを…」外からおそる、おそる尋ねるベルの声がする。

「ベル、起きているわ、鍵も開いている。私はもう落ち着いたから大丈夫よ」ベル達にも心配をかけた、それが悪い気がする。

「では、失礼したします」ベルは今日の王妃付きの侍女一人を連れてシンシアの部屋に入って来た。

 それを見てドキリとするシンシア。ベルの後ろについて来ているのはあのプリシラだ。プリシラも王妃付きを許された侍女の一人、今日が当番でも何も不思議はない。しかし、シンシアの胸にはわずかに動揺が走る。

「シンシア様、どうかなされましたか?」ベルはまだシンシアの事が心配と言った調子で尋ねる。

「なんでもないわ、ベル着替えをお願い」

「はい」そう言ってベルは着替えのドレスを用意する。今日は薄い琥珀色に近い黄色のドレスだ。

「シンシア様、朝食の用意が出来ています」着替えが終わるとベルが言った。昨日の事を尋ねても良いものかと困っている様子だ。

「ありがとうベル、すぐに行くからあなたは先に戻ってちょうだい」

「はい、かしこまりました」そう言ってベルはプリシラを従えて寝室を去ろうとする。

「待って、あなたは残ってちょうだい」シンシアはプリシラを指さして言った。

「え…!わ、私ですか…」突然の事に呆然とするプリシラ。

「シ、シンシア様、何かご用があるなら私が…」ベルも必死で訴える。エールメイレンよりシンシアについて来た侍女としてのプライドもある様だ。

「いいえ、その子と少し話がしたいだけよ。大丈夫だからあなたはさがって」出来る限り優しく言うシンシア。

「は、はい…」渋々納得してさがるベル。

「さてと」ベルが下がったのを確認すると外に声が漏れない様に扉を自ら閉めてプリシラに向き直るシンシア「プリシラさんだったわよね。こうして話すのは始めてね」

「は、はい、プリシラ・ラミール、ラミール子爵家より行儀見習いとしてお城にあがっております」少し戸惑いながら淑女の礼を取るプリシラ。

「プリシラさん、楽にしていいわ」プリシラの緊張を取ろうと微笑んで見せるシンシア、しかし外から見ると眼が笑っていなかった「ところでプリシラさん、クライフィスとは貴族学院時代からのお知り合いらしいわね」

「は、はい…」その言葉を聞いてとたんと表所を緩ませるプリシラ、まるで恋人に出会った瞬間様のだ「クライフィス様には貴族学院時代とてもお世話になりました。その、私剣術が苦手だったんですけど、クライフィス殿下はとても丁寧に教えてくださいました。私がどんなに失敗しても上達しなくても諦めたり怒ったりしないで何度も何度も丁寧に教えてくれたんです。そして最後は必ず上手だよって言ってくれるんです。他にも私は爵位が低くて何をやって全然駄目で、それで引っ込み治安な私の事を色々と気にしてくれて、私が貴族学院でやって来られたのは全部クライフィス殿下のおかげだと思っています。だから今回クライフィス殿下のお役に立てたのがすごく嬉しいです」

「え…クライフィスの役に立つってどうゆう事?」さりげなく言った一言に食いつくシンシア、想像は悪い方にばかり向かう。

「ああ、そうか、王妃様には言って無かったのですね。まあ、当然ですけど…」

「当然…!?」いぶかしげな表情するシンシア、クライフィスは自分には相談できない事をこの侍女には相談していたのか、ならばクライフィスは隠したいはずだ、それを堂々と喋るなんて宣戦布告でもするつもりなのか。シンシアの想像は悪い方向へより大きく広がる。

「クライフィス様は王妃様の事で悩んでおられたのですよ」プリシラは笑顔で答える。

「え、私の事で…」やはり自分では満足してなくて側室になってくれる様にこのプリシラに頼んだのだろうか、だったら自分はどうすれば…やはり大人しく…

「王妃様のお気を引くにはどうしたらいいかですって」

「え…」

 プリシラの言葉に訳も分からず呆然とするシンシア、自分の気を引くとはどう言う事なのだろうか、そもそも自分はずっとクライフィスの方ばかり向いていたはずだ。

「王妃様は流石エールメイレンのお姫様です。一人この大国にやって来てご自分で努力されて立派に王妃の務めを果たされているのですから、ベルさんやアイリーン様達王妃付きの御家来衆も尊敬します時に明るく、時に厳しく常に王妃様を支えていらっしゃる。でもクライフィス様は少し不満に思っていたみたいです。ほら男の方って自分が支えになってあげたいとか守ってあげたいとか思うみたいですから。それでも気を取り直して王妃様の気を引く為に贈り物をしようと思ったら何を送ったらいいか分からなかったみたいで、私に相談して来たのです。そうすれば王妃様を喜ばせられるかって」

「そ、それで…なんと答えたの…」それだけ尋ねるシンシア。

「ええ、クライフィス様に申し上げました。あなたがプレゼントになるのが一番よろしいのではないですかと」

 その言葉を聞いてか細い眼を見開きシンシアは呆然としていた。そう、武道大会の審査員を頼んだり、一緒に次元ホールの視察に出かけたり、自分が父、母と慕うアダイやレレイに会いにつれて行ってくれたのはその助言に従っての事だった。

「プリシラさん、その最後に一つだけお伺いしてもよろしいかしら?」おそる、おそる尋ねるシンシア。

「はい、私で答えられる事ならなんなりと」

「そ、その、あなたはクライフィス様の事をどう思っていらっしゃるの?」

「もちろん、大切な人だと思っています。貴族学院の頃から色々とお世話にもなっていますし、私が婚約をした事を知った時はそれは我が事の様に喜んでくださいましたもの」

「え!プリシラさん婚約者がいらっしゃるの?」シンシアは少し驚く。

「ええ、ハリス伯爵家の御子息です」

 プリシラの言葉はすでにシンシアの耳には届いても頭には入って来ていなかった。全ては自分の一人よがりであり、誤解だった。それなのに昨日はクライフィスにあんな酷い態度を取ってしまった。内気で美人でもなく小国の姫である自分をあんなにも愛して大事にしてくれるクライフィスに対してだ。そう思うとシンシアの頬がかあっと熱くなる。そして自分がしなければいけない事が何なのかが頭に思い浮かぶ、思い浮かんだ瞬間シンシアは弾かれた様に飛び出していた。

「シ、シンシア様、お食事の準備が…」ベルは突如走り去ろうとするシンシアにそれだけ言ったが言葉はシンシアには届かない。

「シ、シンシア様」近くに居たフラニーは慌ててシンシアを追い掛ける。

 後には呆然としたベルだけが残される。

「しんぱいには及びませんわ、クライフィス様との間の誤解が解けただけみたいですので」プリシラがシンシアの部屋から出て来てベルに告げた。


 シンシアはクライフィスの元へと必死に走る。王宮で王妃がドレスのまま走るなどはしたない行為であるはずだが、今はそんな事気にしてはいられない、元々体力の無いシンシアは走り出すがたちまち息があがり始めたがお構いなしに走る。クライフィスは執務室に居るはずだ。急がなくては急いで言って謝らなければ、それでその後、二人で食事をしようクライフィスがまだ朝食を食べていなければいいのだが、それからあんな事とかこんな事とか今までに憧れるだけであった事も話したい。そんな盲想をしながらシンシアは王の執務室にたどり着くノックをするのも忘れてガチャリとドアを開ける。しかしそこでシンシアの期待は裏切られる。そこにクライフィスは居なかった。ちなみにいつもは居るはずのロイドやラークファクト、ジェラウド達もだ。

 そこに居たのは右大臣のドール一人だった。

「な、なんですかな?王妃様」ドールは訝しげな表情で王妃を見る「いかに王妃様といえども人の部屋に入る時はノックぐらいするのが常識というものですぞ。それになんですかそんなに汗をかいて、息まできらしてみっともない。よろしいかな、王族というのは常に優雅で無くてはなりません、たとえどの様な非常事態でもいえ非常事態の時にこそ王族の堂々とした態度が国民達を安心させるのですぞ」

「は、はい、すみません、ドール殿」驚いて頭を下げるしかないシンシア「あ、あの、クライフィス様は?」

「何も知らないのですか」一瞬ドールの眼がぎろりとシンシアを睨む。

「な、何かあったのですかクライフィス様に…」シンシアはドールの眼力に気落されそうになりながらもクライフィスの身に何があったのか、自分のした事で傷つけたのではないかと心配して尋ねる。

 それを聞いたドールは一瞬小さく溜息を付いたが、諦めと使命感が混ざり合った様な表情をして話しだす。執務室にはシンシアを追って来たフラニーが入ってきたがただならぬ雰囲気に一瞬と戸惑いその場で様子を見守っていた。

「昨日、ウルナハインが我が国に再び侵攻開始したとの情報が入りました。クライフィス陛下はラークファクト殿、ロイド殿を始め城の騎士団の半数を連れて侵攻を食い止める為にウルナハインとの国境に向かわれました。その間留守は私とヘルスコビアで預かる事になります。私が王の執務室に居るのもその様な事情からです」

「ウ、ウルナハインが…」それだけ呟き呆然とするシンシア、頭の中で様々な情報がぐるぐると回り体の方は根が生えたように動かない。「父は、エールメイレン軍はどうしたのですか?たしか同盟にはウルナハインの様子はエールメイレンが見張っているはずではありませんか」

「王妃様、オーガスト王は我らとの同盟を破りウルナハイン軍に合流我が国の国境に侵攻しております」

ガーン

 シンシアは頭を何かで打ち付けられた様に衝撃に襲われる。父のオーガスト王がウルナハインと同調してグランドトーテムを攻撃した、それは人質としてクライフィスに嫁いだシンシアを見捨てたという事だ。愛しいクライフィスと遠い故郷で自分を案じてくれているはずの家族、その両方を同時に失った様に気持ちになるシンシア。

「お分かりですかな、シンシア王妃、あなたは今微妙な立場におられるのです。今日からの予定は全てキャンセルして部屋で大人しくしていて頂きたい」追い打ちをかけるように冷たくいい放つドール。

「ちょっと待ちな,さっきから聞いていればまるでシンシア様が悪者の様に、裏切ったのはシンシア様の故郷の御家族で会ってシンシア様で無いじゃないか、シンシア様はずっとあたい達と一緒に居たんだ、陰謀なんか企てる時間は無かったはずだ」食ってかかったのはフラニーだ。フラニーに取ってドールは遥かに位の上の存在だ。場合によっては家ごと潰されるかもしれない相手だ、しかしフラニーはそんな事はかまいなしにドールの前に立ちふさがる。

「王妃付きの騎士か?」ドールはフラニーを訝しげに見下ろして呟く。まだ情報は一部の者だけが知る所で公にはせず内密にしている、王妃付きの騎士が知らなくても無理はない「良いか、シンシア王妃はエールメイレンとの同盟の証としてこの国に嫁いで来られたのだ、言わば人質なのだ。エールメイレンが裏切ったとなれば殺されても仕方ないのだぞ」

「そんな事、あたい達がさせるものか」フラニーが叫ぶ。

「およしなさい、フラニー」シンシアが止める。

「シンシア様…でも…」

「いいえ、ドール殿の言っている事は間違いではありません。私は部屋に戻りしかるべき処分が下るのを待つしかありません。ドール殿細かい事については後で侍女のアイリーンを使いに出します」

「承知いたしました。クライフィス様よりくれぐれも王妃様には手を出さないようにとの御指示でしたので事の詳細はハッキリするまではお命は保証されております。お食事やお世話の侍女は今まで通り王妃の間へ向かいます。必要な物があれば侍女を通じて侍女長にお伝え下さい、ただし王妃の間よりの外出は御控え頂くようお願い致します」

「分かりました。行きますよ、フラニー」そう言ってシンシアは踵を返して歩き出す。

 フラニーは納得行かない様子だがドールを一瞥してシンシアについて立ち去った。

 その様子をドールは怖い表情で見守る。

「ヘルスコビア、居るのだろう出てこい」呟く様に言うドール。

 シンシア達の出て行ったのとは別の扉を開けて左大臣のヘルスコビアが現れた。

「あの様子だと王妃様は何も知らない様だな」ヘルスコビアが言った。

「ああ、ずっとこのドラゴンアース城に居たのだ、当然だろう。しかしエールメイレンの姫である事には変わりない、今まで通りの暮らしをしていただけとのクライフィス様の御命令だがそう言う訳にも行くまい」ドールはシンシアの立ち去ったドアを睨む、それがシンシアであるかの様に。

「ああ、分かっている家臣とは時に王の過ちを正す為に命に叛く事も必要だ。その時が近づいている」

 二人は無言のままドアを睨み続けていた。


 少しだけ時間をさかのぼろう。シンシアに王妃の間を追いだされたクライフィスは理不尽な気持ちを抱えたまま王の間へと戻り、乱暴にその扉を開ける。

「クライフィス、どうしたのだ?忘れ物か?」そこに居たジェラウドがキョトンとした表情で尋ねる。

ジェラウドの部屋は王の間に隣接している。流石に王と王妃の寝室までついて行くのは遠慮してこの王の間に残り眠っている。常にクライフィスの事に気を使っているジェラウドに取って唯一気の休まる時間だ、今日もすでに寝巻に着替えリラックスモードに入っている時にクライフィスが帰って来て面をくらっている。

「違う、王妃の間から追い返された。今日はここで寝る」不機嫌に言い放つクライフィス。

「どうした、喧嘩でもしたのか?」

「知らん、帰ったら何故かヒステリーを起して部屋に閉じこもっていた」理不尽な仕打ちに苛立ちを隠せないクライフィス。

 ジェラウドのすぐに察する。女性は時に男達の理解できないヒステリーを起こすものだと彼は知っている。夫婦喧嘩とはなんだか夫婦らしくなってきたと内心微笑んですら居たが、今のクライフィスには変な言葉を掛けない方がいいと思いそれ以上は何も言わない事にする。

 クライフィスはそのまま自分の寝室へ向かう。執務室の隣の王の間、以前はそこで寝ていたが最近では全く使っていない。その為にかなり荒れていた。元々政務の為の資料や必要な道具を物置の様な所であった上に、最近では使った物をベッドの上にとりあえず置いていた為にベッドの上はものでごった返してすぐに眠れる状況ではなかった。片付けなくてはならない、そう思うと一層苛立ちが募る。もちろん王なのだから家来に片付けさせるという手もある。現に近くにジェラウドも居る、しかしそれを見たジェラウドの反応を想像すると命令したくはなかった。仕方なく自分で片付け始める。と言ってもベッドの上に乗っているものを乱暴に床に置くだけだが、その時だった。

「クライフィス、居るか?入るぞ」ラークファクトの声がした。

「なんだ、こんな時間に」苛立ちを隠せずに怒鳴る様な声をあげながら執務室へ戻るクライフィス。

「よかった、まだ帰ってなかったか」ラークファクトは思わず笑みをこぼす。その姿は慌ててやって来たようで明らかに息が切れている。服装もいつもは完璧なラークファクトにしては珍しく少し乱れていた。

「帰ったけど追い出されたのだ。何か用か?」眼も合わせずに言い放つクライフィス。

「ウルナハインが再び我が国に侵攻を始めた」

「そうか…な、なんだと?」一瞬受け流そうとしたがすぐに事態の深刻さに気付くクライフィス、先ほどまで感情を支配していた怒りもどこかへ飛んで行ってしまう。

「それは本当か?」ジェラウドも立ち上がり問う。彼も緊張で顔を引き締めている。

「ああ、さっき国境警備隊から早馬で知らせが届いた。間違いはない」

「エールメイレンはどうしている。ウルナハインの侵攻に対しては抑止力になる約束のはずだろう」ジェラウドが問う。ちなみに婚約者を選ぶ舞踏会の翌日細かい同盟の取り決めの中で付け足された約束だ。

「それが、どうもエールメイレンは我が国を裏切り再びウルナハインと手を結んだようだ」

「な、なんだと」クライフィスが怒鳴り思わずラークファクトに掴みかかる。

「落ち着けクライフィス、これに関しては不確かな情報だ。使いの騎士も敵の中にエールメイレンの旗があったのを見ただけだ。しかしウルナハインが侵攻してきているのは確かだ、裏切っていないまでもエールメイレンに何かあったのは間違いないだろう」

「くっ…」クライフィスも賢い王だ。ラークファクトに責任がない事は分かっている。ラークファクトを攻めるのを辞めて近くの椅子にどかりと腰を降ろし、爪を噛み始める。エールメイレンのオーガスト王は優柔不断な王だ。ウルナハインの口車に乗った事はおおいに考えられる。しかしあのナンシー王妃はただものではない、シンシアがこの城に居る以上裏切るなど許すとは思えない。それよりシンシアだ、この事を知ったらきっと嘆き悲しむだろう。

「その使い者というのはどうしている」ジェラウドがラークファクトに問いかけている。

「今騎士の控室で休ませている。詳しい情報は直接聞くといい。現在ロイドが戦力の割り振りをしている。国境の争いを早急に止めるのに充分なだけの戦力を都合してくれるはずだ。出来るだけ早くに決着をつけなくてはならない、まだエールメイレンから塩が届いていない為に現在在庫は底が見え始めている」ラークファクトが答えている。

「クライフィス」

 突然の二人の問いかけに驚いて頭をあげるクライフィス。シンシアの事ばかり考えていて話は半分ほどしか入って来ていなかった様だ。

「シンシア王妃の事を考えていたのか?」気遣う様に問いかけるラークファクト。

「ああ、シンシアは間違いなく辛い立場に立たされるな」眼を合わせず呟く様に言うクライフィス。

「大丈夫だ、シンシア様が意外にお強い事はお前だって分かっているはずだろう、信頼する家来や貴族も多い。むしろ少しでも早く事態を収める事がシンシア様の為になる。私もロイドもお前と一緒に出陣する」励ますように言うラークファクト。

「待て、ラークファクト貴様は残れ、シンシアの事も国の事も任せられる者を残しておきたい」クライフィスが訴える。

「私もラークファクトは来て貰った方がいいと思う」ジェラウドが口を挟む「現在、次元ホールの対応で騎士は人手不足だ。戦力的には辛くなるだろう、早急に決着を付ける為には少数精鋭による奇襲が有効だ。先の戦いと同じく我々四人の連携による奇襲で決着をつけよう」

「し、しかし…」クライフィスも頭ではそれが一番だと分かっている。クライフィス、ラークファクト、ロイド、ジェラウドの四人は魔法の相性もいいし、何より付き合いが長い為連携が取りやすい。先の戦も四人の奇襲で一気に勝負を付けた。しかし今揃って城を離れるとなればシンシアが頼れる者は居るのだろうか信頼する貴族が居ると言ってもまだ日が浅い、頼る事は出来ないだろう。シンシアの側近たちはもちろん裏切らないだろうが皆騎士や侍女に過ぎない政治的な意味では力になる事は出来ないだろう。

「シンシア様の事は信頼できる者に頼んでおく、すでに手配もしている」ラークファクト聞き迫る表情で説得する「最後に会って行くか」

「いや、いい」決心した様にクライフィスが言った。先ほどの様子からしてしばらく離れて見た方がいい、今会えばシンシアも自分も余計に混乱してしまうだけかもしれない、だったらラークファクト達の言う様にこのまま出陣して逸早く戦を終わらせるのがシンシアの為だ。その為には気持ちを切り替えるのが大事だ。そう決意して立ち上がった。


 シンシアとフラニーが部屋に戻った時にはすでに事態を聞きつけた、アイリーン、バルドス、ライトが駆けつけていた。

「シ、シンシア様…」気づかわし気にバルドスが声をかける。しかしそれ以上先の言葉が続かない。

「皆、心配を掛けました、私は大丈夫です。ただ、私の祖国がグランドトーテムを裏切り再びウルナハインと同盟を結んだとの噂があります。それにより政務の予定は全てキャンセルとなるでしょう」そこで一度言葉を切りアイリーンの方を見て「アイリーン」と呼びかけるシンシア。

「は、はい、何でしょう」必要以上に居住まいを正して応じるアイリーン。

「すまないけどその件に関してドール殿の元へ行き詳しく打ち合わせをして来てちょうだい、その後王妃の間を去りたいと言うのであれば止めません。あなたのキャリアに傷が付かぬように最善の事をしましょう。他の者も同じです、去りたい者は遠慮なく申し出なさい」シンシアは必死感情を押し殺して毅然と言った。

「ふ、ふざけるな」しばらく沈黙が続いた後バルドスが叫び声をあげる「お、俺達を見くびらないで頂きたい、俺達は国に仕えている訳でも王家に仕えている訳でもない王妃様に仕えているんだ。何が会っても俺は王妃様のお側を離れない、命に変えておお守りする覚悟だ。たとえ出て行けと言われても俺はここを動かない」言い終わるとバルドスはそこへ座りこむ。

「シンシア様、ドール様の様子だとシンシア様に何をするか分からない、だけど言っただろうあたい達が手出しをさせないって」フラニーが訴え掛ける。

「私も同じです」毅然と言いだすアイリーン「たしかに最初は命令されて私達はここへやって来ました。しかし今は自分の意思で王妃様を信頼してここに居ます。それは王妃様の祖国が裏切ろうとも何にも変わりません」

 ライトは何も言わずに居たがそこを動こうとはしない、それは彼の意思が同じである事の証明だった。

「シンシア様」心配そうにシンシアに歩み寄るベル。エールメイレンからやって来た彼女は他の者と違い最後までシンシアと運命を共にする以外ない「ナンシー王妃やメランダ様がシンシア様を見捨てる訳がありません、きっとこれは何かの間違いです。クライフィス様はきっとそれを確かめる為に戦場へ向かわれたんだと思います。どうかお気を強くお持ちください、そして信じてください。クライフィス様をそして遠き故郷に居る御家族を少なくともシンシア様は一人ではありません」

「ああ…ベル…」

歩み寄って来たベルに抱きつくシンシア。同時に涙が零れてしまう、王族として家来達の事を思い、強く振舞ったつもりだったのにそれは返って家来達を傷付けてしまったのかもしれない、結局自分は弱い姫のままだ。そう思うと涙がとめどなく流れ落ちる。でも同時に心の中に温かい物も広がって行くベルの言う通り自分は一人では無いのだ。

「シンシア様、私が心配なのはエールメイレンの事よりシンシア様の事です」ベルはシンシアを抱きしめながら続ける「一昨日まであれ程までに仲睦まじかったクライフィス様を何故昨日はあの様に拒絶なさったのですか」

 言われてはっとするシンシア。クライフィスに冷たい態度を取り、そしてそのままクライフィスは戦場へ行ってしまった。

「心配しないでベル、私のつまらない誤解が原因なの、それももう解けた。でもクライフィスはそれを知らない、どうしようすぐにクライフィスを追い掛けなくては…」慌てるシンシア。その慌て様ですでに涙も止まってしまっている。

「落ち着いて下さい、シンシア様、クライフィス様達は昨夜先発隊として出発なされました。おそらく今日の午後にでも後続の部隊が出発する事でしょう。今その為の準備をしているはずです。その者達に手紙を持たせればよろしいかと思います」アイリーンが冷静に言う。

「そ、そうね…」納得するシンシア。焦ってはいけない冷静に王族として今度こそ強く対応しなくては、そう心に誓う。

「では、私はドール殿の所へ行ってまいります。手紙を届ける件も話を付けてまいりましょう。シンシア様は手紙をお書き下さい。ベル準備を」アイリーンは言い残して立ち去った。

 その後手紙を書こうと机に向かったがどう書けばいいか分からずに便箋を前に頭を抱えてしまうシンシア。しかし午後一番で後続の部隊は出発するらしい、時間がない。仕方なく要点だけをまとめて書く事にした。


 愛しきクライフィス様、昨夜はぶしつけな態度を取り誠に申し訳ありませんでした。あれは私の誤解とつまらぬ虚栄心が招いた事でございます。どうかお気になさらずにグランドトーテムの為に戦いを治める為に御尽力ください。祖国の父がクライフィス様とグランドトーテムに刃を向ける様な事があればどうぞ容赦なくお打ちください、私も王族その際には罰を受ける覚悟はできております。

シンシア・ヒルトン・マクラレーン


 自分の事を心配しないで下さいという一文を入れるか入れないかで随分と迷ったが結局入れない事にした。シンシアは迷いを断ち切り手紙を封筒に入れてアイリーンに渡す。アイリーンは急ぎ足で手紙を届ける為に王妃の間を出て行った。

 ちなみにその翌日からシンシアはあの内容でよかったのかと悩み続ける事になる。それでも出した手紙を取り戻す事は出来ない、今はただただ返事を待つばかりとなった。

 そしてその日から王妃の間には暗い空気が漂う事になる。毎日夕方には戻って来ていたクライフィスの姿は無く、何故かレイも戻らない。戦争の事は考えても仕方ないと分かっていて誰もが忘れようとするがどうしても頭から離れない。気がつけばクライフィスからの返事はまだなのかと考えている自分が居る。戦争を鎮める為に戦地へ出かけたのだ、王妃の女の事など考えている場合ではない、分かっていても返事くらい出せるだろうという気持ちになってしまう。そんなシンシアの葛藤が苛立ちとなり王妃の間を余計に暗くする。

 バルドスやフラニーは時に暗くなっても仕方ないと無理に明るく振舞ったりもするがあまり効果は無い。


 そしてクライフィス達王国軍の出陣から二週間が過ぎた時だった。シンシア達は居間で静かに過ごしていた。誰も口を開かず重い空気が漂っていた。そこにアイリーンが駆けこんで来た。いつも落ち着いた彼女にしては珍しく慌てていた。

「シンシア様、クライフィス様からお手紙の返事が参りました」慌てた様にそれだけ口にするアイリーン。

「本当ですか」思わず立ち上がるシンシア、ずっと見せる事もなかった明るい表情を一瞬見せる。

「はい、こちらに」アイリーンは一通の手紙を差し出す。

 部屋の中に居た、バルドス、フラニー、ライト、ベルも手紙を覗きこむ。

 シンシアは居ても立ってもいられず乱暴に手紙の封を切り読み始める。

 しかし、そこに期待以上の事は書いてなかった。内容は以下のとおりである。


愛するシンシアへ

 あなたに一言の挨拶もなく城を飛び出した事を申し訳なく思っている。急な事であったので許して頂きたい。エールメイレンの動向についてはおそらく何らかの誤解があっての事と思う。私は必ずウルナハインの侵攻を止めて再び君が安心して暮らせるようにする。たとえこの命に代えてでも、だから君は安心して待っていてくれ、城での暮らしには不自由をしない様にしてあるはずだが何か困った事があったら手紙で知らせてくれ、出来る限りの事はするつもりだ。

クライフィス


 短く要点のまとまらない手紙、あらさがしをすれば矛盾する点も見つかりそうだ。戦況などについては一切触れていない、何より命に代えてもと一言が心に突き刺さる。事態はそれほどにまで切迫しているのだろうか、何よりクライフィスが死んでしまっては何の意味もない、それなのにクライフィスは暮らしに不自由がないかとかそんな事ばかり気にしている。手紙を読み返せば読み返す程にシンシアの心にはどす黒い刃の様な物が突き刺さった様な気分になってしまう。

「シンシア様、クライフィス様は何と…?」ベルがおそる、おそる尋ねる。

 シンシアは無言のまま手紙を差し出す。家来たちは交代でそれを呼んでいる。シンシアは内容を頭の中で反芻しながら後から後から湧き出る不安と戦っていた。

「シンシア様、お返事を書きましょう。これでは戦の状況が分かりませんし、それにクライフィス様大事な事は何も書いていらっしゃらない、これではあまりに酷い」フラニーが訴える。

「いいえ、フラニーよしましょう。今クライフィス様は戦の事で頭の中が一杯なのです。私達に出来る事は戦場の皆様を信じて待つだけ、少なくとも誤解は解けた様だし、私は安心したわ」最後は砕けた調子で無理に笑顔を作って見せるシンシア。

「ああ、そうだぜ。クライフィス様は我が国のどの騎士よりもお強いんだ。もちろんうちの団長も、それに宰相様もジェラウド様も同じくらいお強いウルナハインなどあっと言う間に蹴散らしてくれよう。そう考えると残念なのは俺が戦場で暴れられない事だ」最後は残念そうに拳を握るバルドス。もちろん場を明るくしようとする演技だ。

「バルドス殿あなたは王妃様の騎士団の隊長、いかなる時も王妃様から離れる事は許されないのですよ」アイリーンが嗜める。この場はバルドスに乗って少し明るく振舞った方がいいと判断したからだ。

「そう言うな、冗談だって」おどけるバルドス。

 そしてそこで場が再び沈黙に包まれてしまう。

 その時手紙はライトの手にあった。ライトは手紙を読み終えた後意味深な表情で手紙を見つめていた。


 その夜不安を抱えたままシンシアは寝支度を整えてベッドへ入る所だった。夜になるとする事もなく最近では早くベッドに入るが寝付けない日が続いている。それでも今日は起きているだけでも辛い気がして早めにベッドに入るシンシア。侍女のアイリーンとベルも下がろうとした時だった。

トントン

「ライトです、シンシア様起きておいでですか」扉の向こうからライトの声がする。

「ライト殿、シンシア様はもうお休みになられます。用なら明日になさい」アイリーンが怒気を含んだ声をあげる。就寝前の女性の部屋を訪ねるなど無礼な行為だ。

「いいのよ、アイリーン。ライトにも何か理由があるのかもしれません」シンシアが嗜める。ライトは必要もなくこの様な事をする騎士ではない。

「失礼します」ライトは寝室へ入って来るとアイリーンとベルに会釈をした後、シンシアの方へ向かって来た。

「ライト何ようですか?こんな時間に」微笑みを浮かべて尋ねるシンシア。

「シンシア様、本日クライフィス殿下より届いた手紙はお持ちですか」ライトが返す。

「ええ、ありますけど…」短い手紙だが机の引き出しに大事にしまってある。

「ここへ持って来てください」

「ええ、ベルお願い」何をしたいのかよく分からなかったが言われるままにベルに指示を出すシンシア。

 ベルも何も言わずに手紙を持って来た。

「シンシア様はそのままベッドの中に居てください。ああ、横になる前にこの薬をお飲み下さい」そう言ってライトは小さな小瓶を差し出す。中には透明な液体は入っていた。

「ええ、分かったわ」多少はあやしいと思ったが信頼する家来の出したものなので大丈夫だろうと思い飲み干すシンシア。後ろに控えるアイリーンも同じ気持ちの様だ。

「シンシア様、持ってまいりました」そこにベルが手紙を持って戻る。

「ライト、この薬は?」尋ねるシンシア。

「薬はたんなる眠り薬です。すぐに眠気が襲ってくるでしょう」そう言いながらライトは手紙をシンシアの手の上に乗せてその手の上に自分の手を重ねる。丁度シンシアとライトの手が手紙を挟んで合わさる形になった。

「ライト、何をするつもり」

「私の闇の魔法でこの手紙の記憶を読みとります。シンシア様、まずは私に身を任せてお眠りください」

「そ、そんな事が出来るのですか」

「はい、出来ます…」

 ライトはそのまま言葉を続けている。しかしシンシアは眠気に襲われてそのまま意識が遠のき始めライトの声も遠くなって行く。その辺の事はシンシアも後になっても思い出せない。


 気が付くとシンシアは雨が降りしきる山間に居た。辺りを見渡すとグラントーテムの紋章の入った幾つもテントがある。ふと自分の後ろにある一際大きなテントに眼を止める。国の紋章の他に金色の王家の紋章が輝いている。そしてそのテントの奥にシンシアが一番会いたい人の姿があった。

「クライフィス」思わず叫んで駆けだすシンシア。しかしクライフィスはシンシアの事など気付かない様に机を睨んでいる。

かまわずクライフィスに抱きつこうとするが、シンシアの体はクライフィスの体をすりぬけてしまう。

何が起こったのか分からずに呆然と自分の体とクライフィスの体を交互に見るシンシア。

「シンシア様、ここは手紙から読み取った記憶の世界、つまりは過去の映像です。本来ここに私達はいません、ゆえに干渉する事は出来ません」いつの間にか隣にライトが現れて説明する。

「そ、そうなのですか…」一瞬混乱するが必死で状況を整理しようとするシンシア。

 シンシアは夜着のまま、ライトは部屋に来た時と同じ騎士団制服を着ていた。ライトはともかく自分はすごく目立つはずだが誰も気付いていない様だ。クライフィスも側で人形の様にたたずむジェラウドも出入りしている騎士達も同じだ、それにたしかさっき自分は雨の中に立っていたはずなのに全く濡れていない、足元を見るとごつごつとした石が転がっているが裸足の自分が全く怪我をしない、ライトの言う通り自分達は見えていないし干渉する事も出来ない言わば幽霊の様な存在だと理解した。

 理解した後に改めて周りを見渡す。殺風景なテントだがよく見ると王の存在を示す様な物も見られる、ここがたぶんクライフィスが控える王のテントだろう。

「ライト状況は?」自分の判断だけでは不安になりライトに尋ねてみるシンシア。

「ここは国境の山間の様ですね。グランドトーテムとウルナハインはこの山脈を境に領土を分けています、通称国境山脈です。本来なら山脈そのものが国境の役割を果たしていたのでしょうけどこの山脈の何処までがどちらの領地かで揉めたのが両国の長い争いの始まりだと聞いています。おそらくそちらの崖の下側にウルナハインの陣が敷かれていると思います。現在は偵察を放ちながら両国睨みあいをしている所でしょう」

「そう」上の空で返事をして今度はクライフィスの様子を観察するシンシア。

 普段の明るい笑みのクライフィスからは想像も出来ない様な辛そうな表情をして机を睨んでいる。ふと見ると机の上には何も書かれていない便箋とペンがあった。クライフィスはペンを取ろうともしないで両手を組んで顎の下にあてて考え込んでいる。白紙の便箋の隣に自分の書いた手紙がある。

「おそらく、この便箋があの手紙でしょう。クライフィス様はどう返事を書こうか迷っていらっしゃるようです」

「ええ、その様ね」自分の予想通りの解説をしたライトを少し鬱陶しく思いながらクライフィスを心配そうに見つめるシンシア。

「おーい、クライフィス居るか」そこへロイドがやって来た。騎士団長の証である黒い鎧を着てギシギシと足音を立てている。後ろには完全武装ではないが体中に防具を付けたラークファクトも続く。

「ロイド殿場所をおわきまえください、ここは戦場ですぞ」ロイドの態度を嗜めるジェラウド、人形の様な無表情を崩さない。ここは他の騎士達も出入りしているので当然だが。

「そうだな、以後気を付けよう」気まずそうに答えるロイド。

「まあ、そう固くなるな、暗い雰囲気に沈んでいても状況はよくならない、兵の士気が落ちるばかりだ。ロイド騎士団長はその辺を少しでも良くしようと気さくな態度を取ったのだ」ラークファクトがフォローする。その顔は笑っているがシンシアにも分かる程にいつもとは違う、おそらく無理をして笑っているのだろう。

「それだけの為にここへ来たわけではなかろう、何か敵に動きがあったか?」クライフィスが顔をあげて尋ねる。

「いや、偵察は戻ってきたが特に変わった事は無い。敵の人数が少し減った様な気がすると言っていたがおそらく気のせいだろう」ロイドが答えた。

「たしかに、この状況から撤退は考えづらいな」クライフィスが神妙な顔で答える。

「敵より高台を取れたのは幸運だったがやはり準備をしていたのだろう守りは固く迂闊に攻められない、もう膠着状態に入って三日か…」ロイドは溜息混じりであたりを見回す。

 雨音と騎士達が重い足取りで歩く音以外は聞こえない。

「ああ、しかし私はどうも腑に落ちない」ラークファクトが顎に手をあてて語りだした「なぜウルナハインはこの高台に登っていなかったんだ。われわれよりも先にこの国境山脈に来ていたはずなのになぜ高台を取って居なかったんだ。長い戦争の歴史の中でも上から奇襲しやすいこの場所に陣を張った戦は全て我がグランドトーテム側の勝利に終わっている事は向こうも知っているはず。しかしここに陣取ってくださいと言わんばかりにここを開けて、ここから奇襲しやすい様に下に陣を張っている。しかもその後は強固な守りを築き我らが容易に手を出せなくしている。まるで我らがここに陣を張るのを準備して待っていたかの様だ」

「深く考えすぎではないかラークファクト、結果としてここに陣を張れた事で我らは有利に戦を運べる。それが幸運であった事はたしかだ」ロイドは務めて明るく言う。

「うむ、そうだな…」渋々納得する感じのラークファクト。

 その後、長い沈黙が流れる。シンシアはその様子を不安気に眺める。

「ライト、状況はどうなっているの?」シンシアはライトに尋ねるしかない、答えられるのは彼だけなのだから。

「ロイド隊長は武勇にはとても優れた方ですが敵を甘く見る癖があります。言う様に安心は出来ないでしょう」ライトの答えだ。

「そんな…」シンシアは不安になる。

「しかし、その点はクライフィス様とラークファクト様がいつもフォローしてくださいます。お二人共広い大局眼と知略に優れた方です」そこで一度言葉を切り、息を整えてから付け加える「しかし、お二人でも絶対ではありません、もし敵がその上を行く作戦を立てていたら読み切れない事もあります」

「そう…なの…」シンシアに戦の事は分からない、ただ見守る以外ない自分を無力に思う。

「クライフィス殿下、それは王妃様への手紙ですか?」沈黙に耐えかねたラークファクトが尋ねる。兵達の前なのでとても丁寧な口調だ。

「ああ、出発前の事はつまらぬ誤解だったとある。その上で争いを治めるのに全力を尽くしてくれと書いてある。おそらくエールメイレンの裏切りは知っているのだろう、シンシアも辛い立場に立たされているはずなのにひたすら余を気遣っている。何と健気なことか」そう言って手紙を見降ろし溜息をつくクライフィス。

「いい娘じゃないか、王妃様は、帰ったら大事にしてやれよ」うっすらと笑みを浮かべるラークファクト。

「ああ分かっている。しかし不思議なものだ、シンシアを安心させる手紙を書こうと思っているのに思う様に言葉が出て来ない」

「それはおま…じゃなったクライフィス殿下が真面目すぎるがゆえです。たしかに状況は思わしくありません、しかし嘘も方便です。大丈夫だと書けばよいのです、状況は必ずよくなります、いやよくしなくてはいけないのです。王妃様の為にも民達の為にもそしてあなた自身の為にも」

「そうだ忘れるなお前は一人じゃない俺達が側に居る。そして四人が力を合わせれば乗り越えられない困難なんてなかったじゃないか、これまでもこれからも」ロイドが力強く励ます。

「ああ、そうだな…」そう言ってクライフィスはペンを取り親愛なるシンシアへと書き始めた。

「クライフィス様」そう呟いてシンシアはクライフィスの方へ歩み寄ろうとする。

 クライフィスに自分の思いが伝わっている。それがたまらなく嬉しかった、万一祖国の両親や姉妹に裏切られたとしても自分はクライフィスと共にグランドトーテムの王妃として歩んで行こうそう心に誓う。その瞬間だった。

ドカーン

 大きな爆音が陣地に響く。

「きゃあ」シンシアは驚いてライトに抱きつく。

「シンシア様、御安心を我々はここ居ないのです。何があっても傷つけられる事はありません」ライトはシンシアを抱きしめながら言った。

「な、何事だ!」本文に入ろうとした手を止めてクライフィスが問う。

ドカーン、ドカーン

 立てて続けにあちらこちらで爆発が起きる。

「ま、魔法攻撃か?」ロイドが叫ぶ。

「可能性はゼロではないが低い、ウルナハインは魔法の廃れつつある国だ」ラークファクトが答えるように叫ぶ「第一何処からの攻撃だ、敵は崖の下に居るはずだ」

「報告します、山の山頂に敵の部隊が出現しました」テントに駆けこんで来た兵士が報告する。

「なんだと」ロイドが叫び、すぐにテントの外へと走る。

ドカーン

 外で爆音がして一瞬ロイドが怯む。

「ロイド、大丈夫か?しっかりしろ」ラークファクトがロイドに駆け寄る。後ろからクライフィスとジェラウドも続く。

「陛下、あれを」ジェラウドが人形の様な顔を崩さないままに山頂を指さす。

 シンシア達も追って来て山頂を見上げる。怖さからライトの手は離せないがそれでも好奇心には勝てない。

 山頂にはウルナハインの旗を掲げた軍勢が仁王立ちしていた。そして等感覚で三人の黒マントの男達が兵の間に並んでいる。

「ば、馬鹿な、魔法使いだと」ラークファクトが呆然と叫ぶ。

「なぜ?ウルナハインに魔法使いが…」ロイドが疑問を口にする。

「考えるのは後だ、今は対処をする」ラークファクトが叫ぶ。

ドカーン、ドカーン

 その間にも魔法使い達は魔法を放ち、あたりに噴煙をまき散らす。どうやら三人とも火の魔法の使い手らしく火の玉を作りグランドトーテムの陣地へと投げ込む。

「今はまず兵達を守るのだ」クライフィスが叫ぶと同時に両手を高く掲げた「大地の力よ我らを守れ」

 クライフィスが叫ぶとグラントーテム陣地を泥がドームの様に覆う。

ぼふん、ぼふん

 泥のドームの向こうから鈍い音が聞こえる。クライフィスは顔をしかめる。

「ライト、クライフィスはどうしたの?」シンシアはライトに尋ねる。

「土は水を含み泥になると防御力が落ちるのです」

「そんな、土と水は増幅効果がある筈では」

「たしかに、土と水が組み合わさると攻撃力はあがります。しかし防御面は…」歯峨みするライト。

「攻撃を一点に集中させろ」ドームの向こうから敵の指揮官の叫ぶ声がする。

ぼふん、ぼふん、ぼふん

 同じ場所から立てつづけに鈍い音がする。

「うわっ」クライフィスがバランスを崩した様にその場に倒れ込む。

ドカーン

 同時に泥の幕が破れて火の玉が振って来て爆発する。

「クライフィス、しっかりしろ」ラークファクトが叫ぶ。

「大丈夫だ、しかし土の防御は効果が薄い。通常の防御魔法でしのぐ」そう言うと手を掲げなおすクライフィス「プロテクトシールド」

 グランドトーテム陣地を茶色い膜が覆う。

「ライトあれは?」シンシアがライトに尋ねる。

「通常の防御魔法です。土の魔法は土や岩での防御だけではなくバリアも出せる魔法ですから、しかしいかにクライフィス様が土の魔法の名手でもあの火の玉をそう何発も防ぐのは無理でしょう」

「だ、団長~」聞き覚えのある声が近づいて来る。副騎士団長のメイリンだ、シンシアも次元ホールの視察の時にお世話になっている。

「メイリン、無事か」ロイドが叫ぶ。

「はい私は、しかし兵の中には負傷する者も多く混乱しております」

「うむ、動けるものだけいい、反撃に出る」そう言うが早いか駆けだすロイド。

「はい団長」メイリンも叫ぶとロイドの後に続く。ちなみに手には柄の比較的に短い槍を抱えている。

「待て、ロイド土の魔法で身体強化を」クライフィスが叫ぶがロイドには届かない。ロイドもメイリンもすでに駈け出した後だ。

「間に会わない、今はロイド達の援護に全力を尽くすのだ」ラークファクトが叫ぶ。

 走るロイド、メイリンの後ろに幾人かの兵士が合流する。

「クライフィス、ロイド達なら強化魔法なしでもあの程度の敵に負けるはずがない。まずは進路を」ラークファクトが叫ぶ。

「分かっている」

 クライフィスが叫ぶと防御シールドにロイド達が通れる程度の穴が開く。

 シールドからロイド以下数人騎士が飛び出した事はウルナハイン側も気が付いた。魔道士たちはすぐさま火の玉をロイドめがけて放つ。

「アイス・ヘル」ロイドが叫ぶとロイドの手から大きな氷の塊が飛び出して火の玉にぶつかり相殺する。

「ライト?」叫ぶ様に問うシンシア。

「ロイド団長は水の魔法の使い手です。そして氷は水で出来ています、水で出来た者は全てロイド団長の思うままなのです」シンシアの呼びかけに的確な答えをすぐに返すライト。二人は戦場から眼を離せない。

「弓矢隊前へ」敵の指揮官もすぐに対応する。今度は数えきれないほどの弓矢隊が前列に出て来て一斉に弓を放つ。

流石のロイドも全て相殺するのは無理そうだ。しかしロイド達は恐れる様子もなく突き進む。あわや矢が刺さる直前でロイド達の眼の前に強大な泥の壁が押し寄せて来て矢は泥の壁にずぼずぼと鈍い音を立てて突き刺さる。

 そしてすぐに泥の壁の一部が開きそこからロイドが飛び出して来た。

「大いなる水の力をここに」

 ロイドが唱えるとロイドの眼の前から大量の水が噴き出して瞬く間に津波となりウルナハインの兵士達に押し寄せる。

 しかしウルナハインは高みを取っていた為、みるみる津波の勢いは削がれて兵士達に到達する頃には小波程度になってしまう。

ザパーン

 足元を濡らす程度の波に兵士達の間から嘲笑が漏れる。

「い、いかん、総員退避」指揮官の男はすぐに狙いに気付いて退避を命じる。他にも気付いた者はいる様だ。

「おそい」ジェラウドが空を飛んで現れる「天空に舞う風の精霊よ、今こそあしき者達に裁きのいかづちを」

ゴロゴロ、ドカーン

 次の瞬間雷が落ちて足元の水を伝わり兵士達を感電させる。たちまち悲鳴をあげて倒れる兵士達。しかし全員ではない、素早く作戦に気付いて逃げた者も居れば、感電に耐えて果敢にジェラウドに切りかかろうとする兵士も居る。しかし

「突撃」ロイドの叫び声とともにロイド、メイリン、そして数人の騎士が崖を駆け上がり立っている兵士達に切りかかる。

 シンシアは全身を駆け回る様な恐怖をライトにしがみ付く事で必死に堪えて見守る。しかし何故ジェラウドが浮いているのかなど理解が追いつかない事も多い。

「ジェラウド様は風の魔法の使い手です。あれは風で自分の体を浮かしているのです。ちなみに風の魔法は雷を操る事も出来ます。水は電気を良く通しますので一か所に雷を落とせば広い範囲を感電させる事が出来る訳です」ライトは解説する。

 ロイドは片手で剣を持ち、反対の手から吹雪を放つ。敵は一瞬に凍らされて動けなくなりそこに騎士が剣でとどめを刺す。

「水の魔法は単体攻撃なら氷や吹雪、全体攻撃なら津波が定石ですね。この雨のおかげでロイド団長の強い魔力が強化されている感じです」ライトは自分達の団長の強さに満足気だ。

 そして騎士達の中でも一人突出しているのはメイリンだ。後方で戦うロイド達より五メートル以上も前で槍を振り回して自分の倍近くも体格のある男を次々なぎ倒す。

「おのれ、グランドトーテム」ウルナハイン側の兵士も負けじと槍を突き出す。

 メイリンは突き出された数本の内半分程度を薙ぎ払うが数が多い、全て払いきれずにその穂先が何本かメイリンの胸や腹に刺さる。

「きゃあ」シンシアはメイリンの死を感じて眼をそむけライトの胸に顔を埋める。

「大丈夫です」

 ライトの言葉におそる、おそる顔をあげるとメイリンは何事もなかったかのように槍を振り回して先ほど自分を突いた敵をなぎ倒している。

「でやー」兵士が今度は剣で切りかかる。

 メイリンは身をよじるが避け切れずに腕を切られてしまう。瞬間血が噴き出すがすぐに治まり傷がみるみる内に塞がり、服まで元通りになってしまう。

「メイリン副団長は光の魔法の使い手なのです。光の魔法は回復に優れた魔法です。本来なら後方支援に適しているのですがメイリン副団長は戦う時全身に光の魔法を巡らせて体を超活性化させながら戦うのです。そうすれば受けたダメージもすぐに治りあの様な事も可能なのです。また時間の経過と共に持久力もあがり肉体的にも優れて行くという訳です」

 ライトの指さす方を見るとメイリンが再び槍を突きたてられているしかし槍の方が折れてしまっている。

「まあ、すごい」感心するシンシア。

「まあ、一度は傷つくので痛みはありますし、失った血液もすぐには戻りません。それに首を落とされたりしたら回復が間に合いませんので万能でありませんし、攻撃を避ける必要もあります。しかしメイリン副団長のあの戦闘スタイルはかなり強力です」そう言うとライトはクライフィスの位置を確認する「クライフィス様も戦場へ向かう様です我々も追い掛けましょう」そう言ってライトはシンシアの手を掴むと浮きあがり崖の上へと向かう。

 シンシアも記憶の中に居るのだからこんな事も出来るかと納得する。

 シンシアとライトが崖の上に到着するとメイリンが最後の一人をなぎ倒した所だった。残るは指揮官と黒いマントを纏った三人の魔道士のみ。いや背後の一人が起き上がり後ろからメイリンに切りかかる。

ズバーン

 メイリンの首に刃が当たる直前で上空からジェラウドが降る様に飛来して兵士を切り裂いた。兵士は血しぶきをあげて倒れる。

「さあ、追い詰めたよ」メイリンが不敵な笑みを浮かべる。後ろでジェラウドも剣を構えた。

「ふん、流石ではあるな、しかし我らも負けはせぬ」魔道士の一人が不敵な笑いを浮かべる。

 同時に三人が肩を寄せ合う。

「メイリン殿危ない」ジェラウドが叫びとっさにメイリンの肩を掴み右に飛び跳ねる。

 同時位に真ん中の魔道士から巨大な炎が噴き出した。

 メイリンとジェラウドは間一髪の所で回避、二人は地面に転がる。

「な、なんて巨大な…!」驚いて呟くシンシア。

「三人で協力して放ったのです。火の魔法は小さな範囲に大きなダメージを与えるのを得意としています。少人数での戦いでは無類の強さを発揮します」ライトが解説してくれる。

「どうすれはいいの?」ライトにすがるシンシア。

「強いけど無敵ではありません。グランドトーテム最強のコンビにはおそらく敵わないでしょう」

ゴゴゴ…

 次の瞬間大きな地響きが聞こえて来る。

「どうやら選手は交代の様ですね」ジェラウドが呟くとメイリンを抱えて飛び上がる。

「な、何事だ?」地響きに驚いた敵指揮官が叫ぶ。

ドシーン

 次の瞬間崖を巨大な泥の塊が登って来る。そしてそのままもの凄い轟音と共に四人に向かい転がる。

 中心の魔道士が先ほど以上の炎を放つが回転で掻き消されてしまう。効かないと判断すると四人は左右に散って泥玉を回避。しかし泥玉はすぐに踵を返して指揮官の男めがけて突進する。

「え、援護するのだ」魔道士の一人が叫び炎を放つ。

 他の二人も続くが、炎は回転で消し飛ばされてしまう。

 指揮官の男は横に飛退いて回避。しかし泥玉はまるで生物の様に器用に方向を変えて追撃する。指揮官もさるもの器用にかわしているが徐々に追い詰められていくのがシンシアにも分かる。

 ふと見るとクライフィスとロイドが両手を掲げて泥玉を操っている。

「あれがクライフィス様と団長の必殺技です。本来土の魔法は攻撃力が低い、全くないと言っても過言ではない魔法なのですが、水の魔法と合わせる事によりあの様な攻撃も出来ます。さっきまで雨が降っていたので威力は倍増でしょう。術者二人の息が合わないとコントロールが難しいのですがお二人は息もばっちり、もう勝った様なものです」ライトは笑顔で解説する。その瞬間だった。

ガタン、ゴゴゴ…

 突如大きな音が鳴り響き、地面が揺れる。

「うわぁぁ…」バランスを崩すクライフィスとロイド。

 泥玉もコントロールを失い反対側の崖に落ちてしまう。

「よし、退却だ」

指揮官の男が叫ぶと魔道士たちが踵を返した様に走り去る。指揮官の男もこれに続き、倒れていた兵士達の何人かも体を引きずりながら立ち去った。

「ま、待て」メイリンが後を追う。その瞬間だった。

ひゅん、ひゅん、ぐさ、ぐさ

 無数の矢が飛んで来てメイリンの行く手を阻む。

 メイリンは慌てて身をかわす。何本かの矢が体をかすめるが光の魔法のおかげで立ちどころに治って行く。

「そ、そんな…」シンシアは矢の飛んできた先を見て愕然とする。そしてがくりと膝を折った。

「シンシア様、しかっりなさってください」駆け寄るライト、シンシアを助け起こすと矢の飛んで来た方を見る。

 そこにはエールメイレンの旗を掲げた軍勢があった。逃げるウルナハインの指揮官達を援護する為に矢を放っている。

「メイリン殿、深追いは禁物です、ここは退却を」ジェラウドが叫ぶ。

「くっ、仕方がない」メイリンも状況を理解して引き下がる。

「ライト、エールメイレンの軍勢は、お父様達は、何故私達を裏切ったの?」ライトにすがるシンシア。

「分かりません、これは手紙の記憶ですので手紙から離れた所で起こった事は分からないのです。まあクライフィス様の残留思念もあるのですけど、おそらくクライフィス様も分からないのでしょう、それに今はグランドトーテム陣地の事に気を取られているのではないでしょうか」

「なんだこれは」

 ロイドの叫び声を聞いて我に返るシンシア。崖の端に立って下を見下ろすクライフィス達の元へ走る。ライトもそれに続く。

「ひ、酷い…」下の様子を見たシンシアは言葉を失い、両手を口にあてて呆然とする。

 グランドトーテムの陣地のあった地面の半分が崩れ落ちている。そしてなだらかだが柔らかく、まるで底なし沼の様な崖にはテントや兵士が半分埋まってしまっている。脱出しようともがくと返って埋まったり落ちたりしてします。

「こ、これはいったいどうゆう事だ?」絞り出すような声でメイリンが言った。

「余、余のせいだ…」クライフィスががっくりと膝を折る。

「クライフィス、貴公は奇襲に対処しようとしたのだ。貴公のせいではない」ロイドがクライフィスの肩を抱き叫ぶ。

「我々の陣地より上は固い岩で出来ていました。その為クライフィス様陣地下の土を使い兵を守ったり泥玉を作ったりしたのでしょう。その為、雨出地盤が緩んだ所に大量の土が抜けて崖崩れが起きたという訳です」ジェラウドがメイリンに解説する。


 グランドトーテム軍はラークファクトの的確な判断により死者もなく被害を最小に留めていた。しかし負傷した者も多く、食料や武器の多くも失くしてしまった。何より奇襲に最適な陣地を失ってしまった。

 陣地内では埋まってしまった兵を助けたり、まだ使える物を掘り出したりする兵達が忙しく動いていた。クライフィスは辛そうな表情でその中心に座っている。側にジェラウドが表情一つ変えずに佇む。

「クライフィス、偵察が戻ったぞ」ロイドがそこへ駆けこんで来た。

 兵を指揮していたラークファクトも気付いてやって来る。しかし、クライフィスは魂が抜けてしまった様に動かない。

「ロイド、敵の状況は?」代わりにラークファクトが尋ねる。

「土砂崩れを予期していたように軍勢を引いて無傷だ。そして奇襲の為の準備をしている」ロイドはなるべく感情を込めずに言った。

「くっ、やはり我々ははめられたのか」歯峨みするラークファクト。

「ラークファクト陣地の状況の方はどうだ?」今度はロイドが尋ねる。

「最悪だ、幸いにも死者は無いが兵の半分が負傷、食料や武器も大半が無くなってしまった。何よりこのあたりの地盤は不安定で何時再び崩れてもおかしくない」そう言い終わるとクライフィスの方へ向き直る「クライフィス、ここは一度引くしかない、グランドトーテム領の安全な場所へ向かいそこで態勢を建て直して敵を迎え撃つしかない」

 クライフィスは動かない。

「クライフィス」

「クライフィス」

 ロイドとラークファクトが必死で訴える。それでも反応のないクライフィスに一つの影がすっと近づく。

バシッ

 ジェラウドがクライフィスの頬を殴りとばした。

「いい加減にしろ、クライフィス!貴様は我が軍の指揮官だぞ、我々グランドトーテム軍全員とその家族そして国で待つ全ての人間の命がお前の肩にかかっているのだぞ、だからお前は何があっても落ち込んではいけない、常に強い王として我々の上に立たなくてはいけないんだ。そうでなければ私達はどうすればいいと言うのだ」ジェラウドは涙ながらに訴える。

「ジェ、ジェラウド…」クライフィスが呟く。

「クライフィス、厳しい様だが私も同じ気持ちだ」ラークファクトは笑みを浮かべながら地面に転がるクライフィスに手を差し出す。

「あ、ああ…、すまなかった。そうだったな、余はグランドトーテムの王だった。我々はまだ負けていない、すぐに退却の準備をせよ。今は物より人の命だ、人命の救出を最優先に退却準備、使えない物は捨てて行くのだ」

「はい」ラークファクト、ロイド、ジェラウドの声が重なりすぐに三人は走り出す。

 ふと、自分の机を見ると書きかけの手紙があった。クライフィスは決意した様にペンを取り書きはじめる。

「待っていてくれシンシア、私は必ず皆を守りあなたの元へ戻る」クライフィスが呟いた。

「クライフィス様…」シンシアは見守る事しか出来ない自分をこんなにも無力に思った事は無い。出来る事なら今すぐにクライフィスに抱きつきたい、自分が戦場に居ても足手まといにしかならない、そんな事は分かっている、でも…それでもクライフィスの側に居たい。そう強く思っていた。

「う、うわっ…」突然ライトが叫び声をあげる。

 次の瞬間あたりの景色が歪み始める。

「ライト、どうしたの?体の調子が悪いの?」駆け寄り尋ねるシンシア、ここはライトが見せている手紙の記憶だ、ライトが倒れると消えてしまうだろう。そうなったら自分は帰れるのか。

「大丈夫です、シンシア様体調が悪いわけではありません。むしろ理由は分からないのですが力が増幅しています。今なら見えそうです」ライトは力強く言った。次の瞬間あたりの歪みが治まり景色がハッキリと見える。

 シンシアとライトは広い平原に立っていた。

「そ、そんな…」シンシアは正面に見えた物を見て言葉を失う。

 そこにはグランドトーテムの首都があった。中心にはシンシア達が暮らす城ドラゴンアース城もある。しかし城は燃えている、そして街のあちこちからも煙があがっている。

 両手で頭を押さえて必死に考えを整理しようとするシンシア。ここは過去の映像のはずだった、しかし自分が寝る直前まで町も城も燃えてなどいなかった。

「ここは過去ではありません」ライトが説明する「ここは未来です、私の予知の力はそれほど強くありませんけど、どうやら見えてしまった様です未来が」

「み、未来…」シンシアは驚いてライトの方を振り向く。その瞬間恐ろしい物が眼に飛び込んで来た「い、いやーーー」頭を抱えて泣き叫ぶシンシア。

「シンシア様どうしたのです。落ち着いて下さい」慌てて落ち着かせようとシンシアを抱きかかえるライト、そこでライトもシンシアの見たものを見て眼を見開く。

 そこにはクライフィスの姿があった。そうあったのであって居たのではない、地面に大の字に横たわる彼の胸には剣が突き刺さり眼を閉じたままピクリとも動かずにそこにある。

「ク、クライフィス様、クライフィス様…」シンシアはクライフィスの名を呼びながら這う様にクライフィスの側に向かおうとした。しかし体は恐怖と絶望でガタガタと震えて動かない、気がつけば思考も止まりただ震えながらクライフィスの死体を見つめていた。

「シンシア様お気をたしかに、これは予知です。予知の未来は必ず実現するとは限りません、シンシア様、シンシア様…」必死に呼びかけ続けるライト。呼びかけながらもライトはクライフィスのそして周りの様子を出来るだけ記憶しようと務めた。闇の魔法の使い手のライトは、それが最悪の事態を防ぐために今しなくてはならい事だと知っていたからだ。

 一方のシンシアは意識がだんだんと遠くなるのが分かった。絶望でも恐怖でも悲しみでもない自分に分かる感情はただそれだけだった。


「ク、クライフィス様」叫び声をあげながらシンシアはベッドから飛び起きる。

「シンシア様」近く居たアイリーンとベルが駆け寄ってくる。

 シンシアがあたりを見回すとそこは見慣れたドラゴンアース城の王妃の間の寝室だった、火事で燃えた様子はない。窓からは高くなった日が差し込んでいる、また寝過ごした様だ。慌てて飛び起きた為になんだか体が重い。

「シンシア様、お気をたしかに」アイリーンが声を掛けている。

 シンシアは冷静に冷静にと自分に言い聞かせながら昨夜の出来事を整理する。そして考えがまとまった所で声を発する。

「ベル、ライトを呼んで」

「は、はい」呼びかけていたベルも我に返り返事をする。そして手をパンパンと二階叩いた。

ガチャリ

 寝室の扉を開けてライトが出て来る、何故か鎧を見に付けている。様子から察するにアイリーンとベルもすでにライトから昨夜見たものの一部始終を聞いているのだろう。

「およびでしょうか王妃様」膝を突き挨拶をするライト、普段しない態度だ、王妃様などと呼ぶ事もない。おそらくシンシアを冷静にさせる為にやっているのだろう。

「まずは昨夜の働き大義でした。お礼を言います」合わせて尊大な態度を取るシンシア、そして口調を崩して続ける「今の私は冷静よ、まずは説明して昨夜見たものが何なのかを」

「はい、申し上げたと思いますが、まず前半部分は手紙から読み取った記憶、つまりは過去の出来事です。おそらくは今から数日前、手紙が送られる直前の出来事でしょう。そして最後に見たのは予言、つまり未来です」ライトは一度そこで言葉をきる。

「ええ、あなたの使う闇の魔法には予知の力もあるのでしたね」

「はい、しかし予知とは不確定なものです。必ず当たるとも限りません、つまり覆す事も出来ます」

「本当なのですか?」シンシアは祈る様な気持で尋ねる。

「はい、もちろんです。特に私の予知能力はそれほど高くはありません。予知の最大の不確定要素は未来を知る人間が確実に産まれるという事です。あの未来にはそういう人間が居た事は入っていませんので、知った人間が頑張れば必ず覆す事が出来るはずです」

「本当に止める事が出来るのですね、あの未来を」心配そうに何度も尋ねるシンシア。

「ええ、出来ます。未来を止める事は出来てもこの人達を止める事が出来ないほどですよ」そう言ってライトは笑みを見せる。

「シンシア様、お目覚めですか。急ぎましょう戦場へ」

「久々の実戦腕がなるぜ、シンシア様ご安心をどんな敵が来ようとあたいがこの鉄球で全て倒して差し上げます」

 そう言いながら武装したバルドスとフラニーが現れた。どちらも久々の戦場に腕が鳴ると言った顔で生き生きしているほどだ。

「シンシア様、たとえ祖国に裏切られようとも私はシンシア様のお側を離れませんので」ベルがシンシアの手を取り訴える。

「酷な言い方ですが戦争に裏切りは付き物です。しかし裏を返せば一度寝返った国が再び寝返るという事も少なくありません。エールメイレンは歴史上我がグランドトーテムとウルナハインの間で寝返りを繰り返して来た国、特に現国王の優柔不断な性格を考えると再び我が国の味方をしてくれる可能性もあるかと存じます。王妃様どうか御希望をもたれます様に」さらりと毒を吐きながらもシンシアを励ますアイリーン。

「ええ」ベッドの上で静かに頷くシンシア。もう自分はチャールハム城の自室で震えていた内気な王女ではない、大国グランドトーテムと祖国エールメイレンの運命を背負う王妃だ。そしてたとえたったの五人でも自分を慕ってついて来てくれる家来や仲間が居る。自分は一人ではないのだ。そして何よりクライフィスはまだ生きている、そしてそれを救えるのは自分達だけかもしれない、今ありったけの勇気を振り絞りシンシアは動こうとしていた。

「そうと決まれば急ぎましょう、シンシア様。確定ではないにしろ現在あの未来に向かって動いているのは事実なのです」ライトが言った。

「ええ、分かりました。ベル支度を手伝って」

「はい、必要そうな物はすでにまとめてあります。後はシンシア様が確認をして頂くだけです。まずはお召変えを」

「分かったわ」

 シンシアの着替えはなれたベルが手伝う。今日は淡い青のドレス、クライフィスが自分に一番似合うと言ってくれた色だ。着替えが済むとシンシアは机の引き出しから母から貰った湖の懐剣とお祭りでクライフィスに買って貰った玩具のペンダントを出した。

「クライフィス様私を守ってください」そう言ってペンダント首に下げるとドレスの中にしまう。そして懐剣を握り締める「お母様…」母のナンシー王妃はもしもの時はこれで自害しろと言っていた。その時は近づいているかもしれない、複雑な気持ちを抱えたまま湖の懐剣も懐にしまう。その瞬間だった。

ガチャン

 突如王妃の間のドアが乱暴に開かれて魔法大臣のゴードンが駆けこんでくる。

「お、王妃様大変です」息を切らしながら叫ぶゴードン。

「なんですか、ゴードン殿ここは王妃の間、女性の部屋ですよ。失礼ではありませんか」アイリーンが厳しく言い放つ。

 その間に武装しているバルドス達は隠れる。こっそり城を抜け出す予定の為武装している所を見つかれば怪しまれるからだ。

「し、失礼しました。しかし一大事です」訴えるゴードン「ドール殿とヘルスコビア殿がエールメイレンの裏切りを理由に王妃様の殺そうとしているのです。もう時期ヘルスコビア殿が城に残った城兵と自らの私兵を引きつれてここにやって来ます」

「なんだって」バルドスの叫び声と共に奥の間からシンシア、バルドス、ライト、フラニー、ベルが飛び出してくる。

「あのじじいどもやはり王妃様を」歯峨みするフラニー「こうなったらあたいがやっつけてやる」

「よしなさいフラニー、お二人もお二人なりに国の事を思っての事です。それに来るのはあなたの仲間の騎士です。どんな事があっても仲間同士争う事はあってはならいのです」

「で、でも、それではシンシア様が…」心配そうに訴えるフラニー。

「ご安心を私に策があります」そう言うとゴードンは暖炉の脇の壁に両手を掲げて魔力を送り込む。

ゴゴゴ…

 突然壁が左右に割れて開くとそこには下へと向かう階段があった。

「この階段は非常用のものです。ヘルスコビア殿もドール殿も存在を知りません。真っ直ぐ降りれば馬車の車庫に出るようになっております。御者のリンドに事情を話して待機させております。さあお急ぎを」

「分かりました。みんな行きましょう」シンシアの言葉を受けて全員が階段を降り始める。

「王妃様どうか御無事で」最後に降りようとするシンシアに向かって声をかけるゴードン。

「ええ、あなたも気を付けて今回の働き感謝いたします」

「もったいないお言葉です」そう言って深く頭を下げるゴードン。

「シンシア様、お急ぎを」下からライトの声が聞こえて来る。

 シンシアは踵を返して階段を駆け降りる。


ドーン

 王妃の間のドアを乱暴にこじ開けてヘルスコビアと騎士達は入って来る。

「ひぃぃ…」そこにはゴードンが一人居て、ヘルスコビア達の勢いに驚いて尻餅をついていた。

「ゴードン殿何故ここにる。いやそもそも王妃様は何処だ?」凄むヘルスコビア。

「わ、私は王妃様の様子が気になってここへ来ただけです。私が来た時にはすでにもぬけの殻でした」尻餅をついたまま怯えるように答えるゴードン。

「なんだと」呟いてみるみる顔が青ざめるヘルスコビア「馬車小屋だ、急げ」叫ぶと体を揺らしながら駆けだすヘルスコビア。騎士達もそれに続く。

 残ったゴードンはヘルスコビア達が走り去るのを確認するとほっと一息溜息をついて微笑んだ。


「なんとしてでも王妃様を捕えるのだ」ヘルスコビアは叫びながら乱暴に馬車小屋の扉を開ける。

スボーン

 次の瞬間ヘルスコビアの顔に馬の飼料を入れた袋が直撃する。

「うおゎ~」驚いて後ろに倒れるヘルスコビア。後ろの騎士達もドミノ倒しの様に倒れる。

「それもう一丁」バルドスは立ち上がる騎士達に向かってもう一つ資料の入った袋を投げつける。

スボーン

 袋はまるでボールの様に勢いよく飛び、立ち上がる騎士達にぶつかる。その威力は凄まじく屈曲な騎士ですら倒れてドミノ倒しになる。

「ひ、怯むな、王妃様を捕えるのだ」顔を起こして叫ぶヘルスコビア。その眼の先にはバルドスの後ろに隠れるシンシアの姿を捕えていた。バルドスの背中に隠れるようにして震えているが女性もののピンク色のドレス、肩までかかる髪は淡い青色、間違いなく王妃だ。

 騎士達はヘルスコビアの命に従うべく立ち上がる。

 バルドスは立ち上がる騎士達に向かってドンドン資料を投げる。怪我こそしないがこれでは近づく事はおろか立ち上がる事すら出来ない。

「バルドス隊長、馬を連れてきました」フラニーが片手で自分の馬に乗りながらもう片方の手で別の馬の手綱を引いてやって来る。

「すまない、フラニー」バルドスは王妃の手を引き空いている馬の方へと走る。王妃も俯き加減のままそれに従う。

 しかしヘルスコビアの連れて来た騎士達の一人がその隙を逃さずに立ち上がり、バルドスと王妃に向かい猛然と走る。

バルドスは自分が馬に乗った後、王妃を引きあげようと手を伸ばす。その瞬間、王妃の体を走って来た騎士が取り押さえる。

「バルドス殿、フラニー殿、あなた達だけでも行って」押し倒されながら叫ぶ王妃。

「そ、そんな」フラニーが叫ぶ。

「フラニー、心意気を無駄にするな、我々だけでも行かねばならぬ、なすべき事の為に」バルドスは叫ぶとすぐに馬の踵を返して走り出す。

「すみません、どうかご無事で」フラニーも叫んで馬を走らせる。

 二人はヘルスコビア達が入って来た城内からの入り口とは逆にある馬車の出口から外へ走り去る。

「あいつら、主を置いてまで何をする気だ」王妃に馬乗りになりながら騎士が叫ぶ。

「無礼者、降りなさい」王妃?が叫ぶ。

「お、おい、貴様そいつは偽物だぞ」駆けつけて来たヘルスコビアが叫ぶ。

「え…?」

騎士が驚いて自分が馬乗りになっている女性を見降ろすとそこに居たのは第一侍女のアイリーンだった。ピンク色の王妃のドレスを着て頭にかぶった桂は飛んでしまっていて数メートル先に落ちていた。その為頭は本来の黒髪が見えていた。

「し、しまった」ヘルスコビアは慌てて走り出してバルドスとフラニーを追う。

 ヘルスコビアが馬車小屋の外に出るとそこには馬に乗ったバルドス、ライト、フラニーの三人に守られながら城門を抜ける王妃の馬車が見えた。


 その日の午後、クライフィスはグランドトーテム陣地の奥にある王のテントで頭を抱えていた。ウルナハインとの戦を止めるべく出陣して来たもののこちらの予想を上回る敵の奇襲の連続で負け続け、気がつけば首都の近くまで撤退を余儀なくされていた。負傷する騎士や兵士達日に日に増えている。

 クライフィスの側にはジェラウドが人形の様な無表情で立っていた。表情にこそ出さない様に注意をしているが彼もまた不安と戦い、クライフィスにかける言葉もない自分の無力さを情けなく思っていた。

おー

 突如として遠くから沢山の男達の叫び声が聞こえて来た。

「な、なに事だ!」驚き立ち上がりすぐに駆けだすクライフィス。またウルナハインの奇襲か?だとしたら何としてでも防がなくてはならない。

「クライフィス大変だ」宰相のラークファクトが駆け寄ってくる。

「何事だ、ラークファクト!ウルナハインの奇襲か?」

「いや、違う…いやそれもあるか」珍しく歯切れの悪い返事をするラークファクト。

「どっちなのだ。状況を説明しろ」

「シンシア様だ、シンシア様がこっちに向かっている」

「なんだと?」驚きのあまり再び駆けだすクライフィス。シンシアが何故?一瞬浮かんだ疑問をすぐ打ち消す。シンシアに会えるかもしれないという喜びがクライフィスの中で広がり体に力を戻していた。

 先の荒野が見渡せる場所に来ると上空に青いドレスを着た女性が騎士に抱えらえて飛んでいる。間違いないシンシアとライトだ。

「青の王妃だ、逃がすな」すぐ近くにウルナハインの軍勢が居てシンシアに矢を射かけている。

 この広い荒野をどうやって発見もされずにここまで近づいたのか?しかし、今は驚いている場合ではないすぐにシンシアを助けなくてはそう思い、両手を掲げ魔力を放出する。

 敵の放った矢の一本がライトの足にあたり動きが止まる。チャンスとばかりに一斉に矢を放つウルナハイン。しかしクライフィスの魔法が間に合い砂の防壁がシンシアとライトを守る。

「王妃様をお守りしろー」ロイドが叫び声をあげて敵の軍勢めがけて飛び出す。

「弓矢隊前へ、魔法を使えるものも援護をするのだ」ラークファクト叫んでいる。

 騎士や兵士達は前に進み出て弓矢や魔法を敵陣に放つ者、ロイドに続き敵の軍勢めがけて突撃する者、疲弊しきっていたグランドトーテム軍は一瞬にして生気を取り戻す。

 シンシアの方へ眼を戻すと二人はクライフィスめがけて飛んで来る。しかしウルナハイン軍もそうはさせまいと矢を放っている。クライフィスは両手を掲げて土の防壁を作り二人を守る。

「クライフィス」近づいたシンシアはクライフィスの胸に飛び込んでくる。

「シンシア」それをがっちりと受け止めるクライフィス。

 城を出てからずっと気がかりだったシンシアが今自分の胸の中に居る。ここは戦場指揮官である自分が王妃にうつつをぬかしている場合ではない、そんな事は分かっているしかし、今抱きしめるその小さな体はとても愛おしい、自分は何があってもこの王妃を守らなくてはならないそう感じる。その思いが力になるはずだ、クライフィスはそう感じていた。

「クライフィス、再会を喜ぶのは後だ、ウルナハインが来るぞ」ラークファクトが叫ぶ。

 その声で我に返るクライフィス。気付けば突撃したロイド達は圧倒的な戦力の前にピンチに落ちっていた。矢や魔法の援護もそれほどの効果を出せていない。

「だ、大地の力よ、皆を守れ」クライフィスは両手を掲げて魔力を放出する。シンシアはまだ胸に抱きついたままだ。

 敵軍の中で戦っていたロイド達を突如現れた土が包み込み土の玉となり、一気に転がりルランドトーテム陣に舞い戻る。次の瞬間両軍の間に大きな岩山が生えるように出現してウルナハイン軍の行く手を阻んだ。

「こ、これは…?」魔法を使ったはずのクライフィスが驚く、以前の自分にはこれ程パワーは出せなかったはずだ。

「チャンスだ、岩山の上に登り矢を放つのだ」ラークファクトは叫ぶと両手を掲げる。

 すると岩山から蔓が生えて来てロープの様に垂れ下がった。兵士達はそれをよじ登り岩山の上から矢を放つ。岩山の出現に驚いてたじろいでいたウルナハイン軍はたちまちその矢の餌食となって行った。

「シンシア様」味方の陣地に戻ったロイドは思いだした様にシンシアの元へ駆け寄ってくる。

 その声を聞いてシンシアとクライフィスも我に返る。特にシンシアはそこには多くの家臣や兵が居た事を思い出して慌ててクライフィスから離れた。本当は何時までもくっついて居たかったのだが仕方ない。

「シンシア、一体どうしてここに?」クライフィスが疑問をなげかける。

「ええ、ライトが未来を見せてくれたのです。クライフィス様が殺されるかもしれない未来をそして私の祖国エールメイレンの裏切りも知りました。ならば私のやらねばならない事は一つ戦場に出向いて来ているはずの父オーガストを説得して、再び両国の同盟関係を復活させる事、それが叶わない時には遠慮せずに私を人質としてお使いください。父は私がこの国に居る事を知っていて裏切りました、おそらく人質としての役目は何も果たせないまますでに終えているのかもしれません、それでも私は両国の同盟の為にこの命を使わなくてはなりません」

「悲しい事は言わないで下さいシンシア様、王妃のお命この私が命に代えてもお守り申し上げます」ロイドが進み出る。周りの騎士達も我も我もと続く。

 その様子にシンシア自身が驚いていると突然、シンシアの体に強い力がかかりクライフィスの方へ吸い寄せられる。そして再びクライフィスの胸の中に抱きしめられる。

「すまないシンシア。私が不甲斐ないばかりに君に辛い思いをさせてしまった様だね。二国間の同盟関係が崩壊したのは君のせいではない、私が不甲斐ないからだ。だけど私は君をシンシアを愛している。たとえエールメイレンとこのまま戦い続ける事になっても君を離すつもりはない、だから…」クライフィスはそこで一度言葉に詰まり意を決した様に続ける「だから、ずっと私の側に居て欲しい」

「クライフィス様…」呟いたままクライフィスを見上げるシンシア。クライフィスに会ったらまずは出陣前の冷たい態度を謝ろうと思っていた。しかしいざ会ってみるとそんな言葉は出て来なかった。いや謝罪の言葉だけではない全ても言葉がまるで口から出るのを拒むように出て来ず、ただじっとクライフィスを見つめる事すら出来なかった。そしてそれが何よりの幸せだった。そう二人は何も言わなくても通じあっている様だった。

「クライフィス様、ウルナハイン軍は撤退をして行きました…ってうわ」敵を倒して報告に戻ってきたラークファクトは二人のその様子を見て驚く。

 シンシアとクライフィスもそれで再び我に返る。ここは相変わらず戦場多くの人が見守る陣地の中だ。ロイドもジェラウドも周りの兵達も生温かい眼で二人を見守ったり、少し俯き加減になったりしている。ラークファクトにいたっては驚いてとりあえず後ろを向いている。

「かまわん、ラークファクト報告の続きを」渋々シンシアを離して自分の隣に立たせてクライフィスが言った。

「続きも何も報告はそれで終わりだ。ウルナハイン軍は逃げて行った」そう言ってクライフィスが出した山を見上げるラークファクト「しかし、凄いな、また魔力があがったのではないか?」気まずい空気をなんとかしたい気持ちもあり尋ねてみる。兵の前にも関わらず少し砕けた口調になっているのも御愛嬌だ。

「うむ、私も驚いている。これ程パワーは出せなかったはずだ。いや今同じ事をしろと言われても出来ないだろう。これはおそらく…」そう言ってシンシアの方を見るクライフィス。

 同時に視線はシンシアに集まる。

「えっ!わ、私…」当のシンシアは困惑するばかりだ。一体自分が何をしたというのだろうか。

「そうです、王妃様は金の魔法の力を急速に覚醒させつつあるようです。昨日私の予知の力が発動したのも、今日ここまで飛んでこられたのもそしてクライフィス様の魔法の力が強くなったのも、全てシンシア様の魔力と反応しての事です」ライトが左右を仲間の騎士に支えられて現れて報告する。

「私に魔法が…それも金の魔法…」シンシアの中で様々な思考がぐるぐると回る。たしかに魔法が使えるようになったのはとても嬉しい事だ。しかし金の魔法は非常に使い勝手が悪く増幅関係にある属性も少ない属性だ。自分は魔法属性までも落ちこぼれかという気持ちにもなる。しかし

「凄いじゃないかシンシア」クライフィスがシンシアの体を再び抱き寄せて両腕を優しく掴みながら言った。その眼はとても輝いて我が事の様に喜んでいるのが分かる。

「おめでとうございますシンシア様」ロイドも続く「金の属性は現在わが国には一人も居ません。従ってシンシア様は闇属性のゴードン殿やライトよりも貴重な存在となるでしょう」

「それにクライフィスとの相性もいい」嬉しさのあまりまた砕けた口調になっているラークファクトが言葉を取る「広範囲に守りを展開できる土の属性の王とピンポイントで強固な守りを展開できる金属性の王妃、まさに国を守る鉄壁の王と王妃になりますよ」

「そ、そうですね」周りに少し押され気味になりながらも笑顔で答えるシンシア。そう少なくとも自分の力でクライフィスとライトの力を強化する事は出来る。前向きに考えようそう思うのだった。

「あのう…」ライトが申し訳なさそうに声をかける。

「なんだ、ライト?」ロイドが不思議そうに問う。

「いえ、ここまで至った詳しい経緯を説明してよろしいですか」

「あ、そうだったな」ロイドは思いだした様に素っ頓狂な声をあげた。

 その後ライトはドール、ヘルスコビアにシンシアが国を追われた事やここに来るまでの間に次元ホールが開いた事その時バルドス、フラニー、ベル、リンドとはぐれた事そして四人はおそらく敵の捕虜となってしまっている事、そして昨夜見たクライフィスに関する予知の内容などを簡潔に報告した。内容はどれも重いものではあったが陣地の中は決して暗い雰囲気ではなかった。シンシアが現れた事で全員の心の中に希望にも似た明るい光が灯った様な感じだった。



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