秋山さんちの一般人
「~♪ ~~♪ ~♪~♪」
日本国某県某所。携帯音楽プレイヤーで聴いている一昔前のポップソングを口ずさみながら、一人の少年が自転車をこいでいる。籠の中には食材が詰め込まれたビニールの袋が入っている。どうやら買い物の帰りらしい。
少年の名前は秋山薫。今年で十七になる、高校二年生だ。身長は約165センチと少し小柄だが、まだまだ伸びる余地はある。近視で、細いメタルフレームの眼鏡をかけていた。
住宅地を自転車で進む薫は、ふと自分の周りの異変に気づく。あまりにも、静かだ。確かにこの辺りは閑静な住宅街だが、今は不気味なほどに静まり返っている。そのことに気づくと、薫は舌打ちを漏らす。こういう事態には何度か経験がある。主に家族のせいで。
(この前は、たしかドワーフだったっけ……)
三頭身で筋肉ムキムキなドワーフのおっさんが日本の住宅街を闊歩していたのである。思わずスマホで写真を撮ってネットに投稿してしまった。もちろん加工写真と言うことにしておいたが。ちなみに絶賛。「まるで本物みたい!」とのコメントを貰った。まあ、本物なのだが。
(さて今度は何が出てくるやら……)
薫がそんなことを考えながら自転車を走らせていると、曲がり角から人影が出てきた。その影が差した瞬間、薫は眉をひそめる。経験上、こういう時にあらわれるのは家族の関係者かつマトモでない奴らばかりだ。
そして今回もどうやらその通りらしい。曲がり角から現れたのは金髪を肩まで伸ばした、いかにも王子様的ルックスのイケメンだった。ただし、マントのついたフルプレートを装備して腰には剣を下げている。
彼の姿を見た瞬間、薫は携帯音楽プレイヤーの音量を5から10に上げた。彼に気づいたイケメンが何か言っているが、聞こえない。聞こえないったら聞こえない。むしろ聞いてたまるか。
さらにイケメンが道路の真ん中に飛び出してくる。どうやっても薫に接触するつもりらしい。しかし薫は関わりたくない。その決意を胸に彼は自転車の前輪を持ち上げてそのままイケメンにタックルをかます。そして薫は倒れたイケメンを悠々と自転車で轢きながらその上を通過していった。まったく、こんなことばかりあるものだから自転車で人を轢くテクばかり上達していく。
(ま、死んじゃいねぇだろ。鎧着てたし)
胸の中でそれだけ呟くと、薫は後ろを振り返ることもせずに自転車をこぐ。あのイケメンが警察に銃刀法違反で逮捕、もとい保護されれば明日の新聞のどこかに載るのだろうが、それは恐らくないだろうと彼は思っている。なにしろ今までどれだけ放置してもニュースにはならなかったのだから。
「ったく。一般人のオレを巻き込むんじゃねぇってぇの」
憮然とした表情で小さくそう愚痴ると、薫はそれっきりイケメンのことを忘れた。
一般には知られていないが、秋山家の面々はどいつもこいつも普通ではない。母親は平行世界の日本で「破邪の巫女」をやっていたらしい。そして邪神を封じたはいいが、その反動でコッチの世界に飛ばされてきて、父と出合ったそうだ。
もちろん、父も普通ではない。彼は宇宙人だ。母がこちらに転移してきたときの時空の歪みとやらの影響で宇宙船が故障し、普段は隠しているそれを母に見られてしまったのが二人の出会いである。なんやかんやあって二人は無事に結ばれ、宇宙人的科学力を最大限悪用して二人分の戸籍を捏造し、こうして日本で暮らしているという次第である。
そしてイタいくらいに普通ではない二人にも普通に子供が生まれた。今のところ全部で四人。長男・長女・次男・次女の順番だ。ちなみに薫は次男である。そしてこうして生まれてきた子供たちは、普通ではなかった。
長男は“神”になった。細かい説明は後でするが、ひとまず“神”になったのである。長女は聖女になり、次女は勇者になった。しかしそんな中、次男の薫だけはなんら特異な能力やいわれを持たない一般人だったのである。
異世界トリップだの召喚だの、そんなことが日常的に起こる環境の中、しかしその全てが薫だけを避けて通った。十六年と数ヶ月生きてきた人生の中で、薫は異世界どころか外国さえ行ったことがない。つまり彼だけはごくごく普通の人生を歩んできたのである。少なくとも本人はそのつもりである。
なぜ自分には家族のように特異なエピソードがないのか。薫はそれを疑問に思ったこともある。ただ、コンプレックスにはならなかった。コンプレックスになる前に、家族が引き起こす騒動と面倒に散々巻き込まれてきたのである。そのおかげで彼は平穏と日常をこよなく愛する、スレた面倒くさがりな小僧になったのである。
薫が家に帰り着くと、ドアには鍵がかかっていた。鍵自体は彼がかけたものだが、どうやらまだ誰も帰ってきていないらしい。仕事であっちこっち飛び回っている両親や異世界に引き篭もっている兄はともかく、姉と妹はそろそろ帰ってきそうなのだが。
家の中に入ると、薫は買ってきた食材を冷蔵庫の中に入れていく。それからコーヒーをドリップで一人分淹れる。粉を蒸らして香りを出し、小さく円を描くようにしながらお湯をゆっくりと注いでいく。この時、なるべく落ちる量と注ぐ量を同じにするのがコツだ。淹れ終わったときに、ペーパーフィルターの側面に粉がすり鉢状にくっ付いていれば大成功である。
「よし、イイ感じ」
淹れたてのコーヒーの香りをかぎながら、薫は満足そうにそう呟いた。そして棚からチョコレートを取り出して一服。ちなみにブラック。インスタントであればクリープかミルクを入れるが、ドリップのときはブラックで飲むのが彼の飲み方だった。決して背伸びをしているわけではない。
「ただいまぁ~。っていい匂い。コーヒー? いいなぁ、わたしも飲みたい」
薫が一息ついていると、玄関から女性の声がした。長女の秋山雪菜だ。現在大学の三年生である。身長は160センチ強で弟の薫より少し低く、伸ばした黒い髪の毛をそのまま背中に流している。メリハリのついた身体つきをしていて、見た目だけなら大和撫子と呼ぶに相応しい美女だ。
「ただいま、薫。お姉ちゃんにコーヒー一杯淹れてくれない?」
「おかえり、ユキ姉。コーヒーは自分で淹れてくれ」
オーダーをすげなく断り、薫はチョコレートを一つ口に運ぶ。雪菜は「えぇ~」と言って残念そうな顔をしたが、なにか良いことでも思いついたのかすぐに笑顔を浮かべる。その笑顔を見て薫は逆に渋い顔をした。
「じゃあさじゃあさ! なんかツマミ作ってよ。アッチに行ってる間はお酒飲めないからさぁ……」
「『清楚で可憐な聖女様』なんていう胡散臭いキャラ作るからだ」
薫の指摘に雪菜は「うっ」と言葉を詰まらせる。彼女は度々異世界に召喚されているのだが、その召喚された先で聖女をやっているのだ。そして最初に召喚され始めて「聖女様」と呼ばれた瞬間、当時本人曰く「まだ若かった」雪菜は分厚いネコを引っかぶったのである。なんでも、「その頃は物静かで儚げな深窓の令嬢に憧れていた」のだそうだ。
彼女が作り上げた「清楚で可憐な聖女様」は現地の人たちの心を鷲掴みにした。こうして雪菜は絶大な支持と大変な聖女人気を残して初めての“お仕事”を終え、日本に帰ってきたのである。
しかしここで大きな誤算が発生する。
「だって、同じ世界に何度も召喚されるなんて思わないじゃない」
雪菜はその後しばらくしてまたしても異世界に召喚されたのである。しかも、前回と同じ世界に。当然、そこには彼女が残してきた「清楚で可憐な聖女様」の話が脈々と受け継がれていた。いや、それどころか尾びれ胸びれがついて美化されまくっていたのである。
雪菜は頑張った。現地の人たちの理想と憧れを壊さないためにそりゃもう頑張った。頑張って「清楚で可憐な聖女様」を演じ切って日本に帰り、そしてまた召喚された。同じ世界に。
召喚されるごとに聖女像は美化されていった。そして気づけば雪菜はもう後には退けなくなっていたのである。いまさら「ネコ被っていました」なんて言えず、召喚されるたびに彼女は神経をすり減らしながら「清楚で可憐な聖女様」を演じる。しかし演じれば演じるほど聖女様は美化されていくという悪循環。完全に自業自得なので薫は盛大に笑ってやったものである。
そして雪菜が二十歳になると、事態はいよいよ悪化する。雪菜が酒の味を覚えたのである。彼女は立派な酒豪になってしまったのだ。
しかし雪菜が作り上げた「清楚で可憐な聖女様」はお酒なんて飲まない。当然である。周りも飲まないものと思い込んでいるから、お酒なんて俗っぽいものは勧めないし飲ませてくれない。かくして雪菜は召喚されるたびに禁酒生活を送ることになったのである。
「うぅ……。顔の筋肉が固まるまで笑顔浮かべてさぁ、胃の痛い思いしながら聖女やってるのに、お酒も飲ませてくれないんだよぉ……」
「あ~、分かった分かった。鬱陶しいから泣くな」
とうとう泣きが入り始めた雪菜にそう言うと、薫はよっこらせと立ち上がった。時計に目をやると、少し早いが夕食の支度を始めるのにちょうどいい時間だ。オーダーは「ツマミ」だ。薫は買ってきた食材や家にあるものを頭に浮かべて、メニューを決める。
「天ぷらと、塩タラがあるから水炊きでいいか。ご飯はセットしておいたから勝手に炊けるし」
「お肉食べたいなぁ」
「鶏肉があるからトリ天にしよう」
「から揚げも作ってよ」
薫は「あいよ」と答えてからエプロンを身につける。ちなみに腰に捲くタイプのヤツだ。そして早速料理に取り掛かった。水炊きはすぐに作れるのでまずは天ぷらだ。彼が油を温め食材を準備していると、雪菜がお酒の用意を始める。彼女が取り出したるは見事な一升瓶。それに嬉しそうに頬刷りする彼女は、どこからどうみてものん兵衛である。
「早く♪ 早く♪」
「ええい、うるさい」
雪菜に急かされながら薫は食材をあげ始める。サツマイモ、かぼちゃ、しいたけ、れんこん。まずは野菜からである。
「うほっ、おいしそ!」
揚げたての天ぷらに雪菜は目を輝かせて歓声を上げる。そしてその天ぷらをツマミに日本酒を飲み始める。その姿に薫は苦笑するが、しかしおいしそうに食べてもらえるのはやはり嬉しい。
「ただいまぁ~。っていい匂い! 天ぷら!?」
薫がとり天を揚げ始めると、玄関から声がした。次女の秋山春菜が帰ってきたのである。彼女は騒がしく廊下を走って台所に顔を出す。身長は150センチと少し。髪の毛はポニーテールにしている。利発なスポーツ少女と言った感じだ。
「ただいま、カオル兄! あ、ユキお姉ちゃんも居たんだ!」
「お帰り、ハルちゃん」
「お帰り、ハル。……食べたいんなら手ぇ洗って来い」
そう言って薫は揚げたてのとり天に伸ばされた春菜の手を叩いた。春菜は不満げな顔をしたが薫が軽く睨むとすぐに洗面所に向かった。そして台所に戻ってくるととり天をつまみ食い。「おいしぃ~」と言って顔をほころばせた。
「……それでハルちゃんや、今度の魔王はどうだったの?」
「バッチリ成敗してきたよ!」
写真見る? と言って春菜はスマホを取り出した。薫がそのスマホを覗き込むと、その画面には顔面をボコボコになり歯が抜けて白目を剥く推定80歳のおじいちゃんと、そのおじいちゃんの髪を掴んで笑顔を見せる春菜が写っていた。どうやらこのおじいちゃんが今回の魔王らしい。魔王の威厳は皆無で、恐怖もまるで感じないが。むしろどっちが悪なのか分からない写真である。
「……人には見せるなよ。老人虐待の罪で逮捕されるからな」
薫は苦笑しながらそう言った。そして同じ写真を見た雪菜は爆笑する。完全に酔っ払いの反応である。
秋山春菜は勇者である。勇者として様々な異世界に召喚され、あるいはトリップしその世界を(大抵は魔王を倒すという方法で)救ってきた。
そして異世界を救うたびに春菜は強くなっていった。なにしろ強くてニューゲームのウン十週目である。魔王ですら彼女にとってはもはやザコだった。その証拠が先程の写真である。
そして強くなりすぎた春菜は普通に冒険するのも面倒になってきたらしい。最近では「超高速! 魔王討伐の旅」が彼女のマイブームだった。ちなみに現在の最短記録は半日である。
学期末テストが間近に迫っていた時期で、彼女はそのまま異世界に隠れてテストをやり過ごそうとしたのだが、しかしそんな自堕落を許してもらえるはずもなく。恐ろしい笑顔で乗り込んできた母親と姉の監視の下、超スパルタかつハイスピードで魔王を討伐しそのまま帰宅。泣きながらテスト勉強をさせられていた。
まあそれはともかくとして。魔王討伐の旅から帰ってきた勇者様は腹ペコだった。春菜は天ぷらをお行儀悪くつまみ食いしながら、さらに台所に立つ薫にオーダーを入れる。
「コロッケ食べたい! ねえねえ、コロッケ作ってよカオル兄!」
「冷凍のならあるぞ」
「え~、そこは手作りでしょ!? 手抜き反対!」
「手作りって……。どんだけ手間がかかると……」
却下だ却下、と薫は鶏のから揚げを揚げながら春菜をすげなくあしらう。だが春菜は頬を膨らませて「食べた、食べたい~!」と喚く。
「黙れお子様。コロッケはまた今度」
「お、お子様じゃないもん!?」
「人のことを考えないで我儘言ってるうちはお子様だ。ったく、いつまで経っても成長しないな」
薫が付け加えた最後の一言のせいで(春菜一人の)空気が軋んだ。彼の言う成長はどちらかと言えば精神的な成長のことなのだが、春菜は別の意味に解釈した。母や姉に比べて凹凸の少ない身体は彼女のコンプレックスだった。
「ふっふっふ……。カオル兄、どうやら伝説の聖剣の切れ味を味わいたいみたいだね……?」
全身から怒気を滾らせ、般若のような笑みを浮かべながら、春菜はどこからともなく美しい装飾の施された剣を取り出す。どうでも良いが、銃刀法違反である。たぶん。
勇者様から剣を向けられても薫は動揺しなかった。それどころか彼は呆れたかのような視線を妹に向ける。確かに彼は腕力その他身体的能力では春菜に叶わない。このままではスマホに記録された魔王の二の舞だろう。しかし兄ともなれば妹をやりこめる手段の一つや二つ持っているのである。薫はすぐさま最も効果的な対策を取る。
「お前の食事はこの先ピーマンだけだ」
薫がそう宣言した瞬間、春菜は伝説の聖剣とやらを手から落とし分かりやすく絶望の表情を浮かべた。そして真っ青な顔をして目に涙を浮かべながらこう絶叫した。
「カ、カカカオル兄!? いまどき恐怖の大魔王だってそこまで極悪非道じゃないよ!?」
「やかましい。さっそくピーマンの天ぷらを作ってやるからありがたく喰え」
そう言って薫は冷蔵庫からピーマンを取り出す。肉詰めにするつもりだったのだが急遽変更である。その緑色の悪魔(春菜命名)を見た瞬間、彼女は「ひぃぃぃ!?」と悲鳴を上げた。その大げさなリアクションに薫は小さく苦笑する。
(こんなんで魔王と戦えるのかね?)
→魔王はピーマンを投げつけた!
→勇者ハルナは泣き出した! 効果はバツグンだ!!
そんなゲーム風ナレーションを頭の中で流しながら、薫はピーマンを揚げ始める。ソレを見た春菜はいよいよ切羽詰った顔をして、日本酒からウィスキーにシフトした雪菜に泣きつく。
「お姉ちゃん、カオル兄が虐めるぅ~」
「カオル。お姉ちゃん、こういうの良くないと思うな」
妹に泣きつかれた雪菜はそう言って薫を睨む。ただし、酔っ払いに睨まれてもあんまり怖くない。そして今まで散々姉の引き起こす騒動に巻き込まれてきた弟は、身を守るための手札の一枚や二枚持っているのである。薫はすぐさまそのうちに一枚を使う。
「そこの棚の奥に隠してあるフジツボのついた酒瓶だが……」
「うん、ハルちゃん。お姉ちゃん好き嫌いはよくないと思うな!」
「うわぁ~ん。お姉ちゃんの裏切り者ぉ!」
あっさりと手のひらを返され、春菜はとうとう泣き出した。ちなみに件の酒瓶は雪菜が聖女の力を最大限悪用して沈没船から引き上げてきたものである。一緒に沈んでいたという金銀財宝には目もくれなかったというのはこれ如何に。
揚げたてのピーマンの天ぷらをお皿に山盛りにして食卓に並べると、春菜は分かりやすくたじろいだ。そしてピーマンの天ぷらが盛られたお皿をススッと雪菜のほうに寄せると、なにくわぬ顔で他の天ぷらを食べ始める。そんな妹に「ピーマンも食べろよ」と釘を刺してから、薫は水炊きの準備に取り掛かった。
天ぷらを揚げていた油と中華鍋を片付け、土鍋とヤカンに水を入れて火にかける。そしてお湯が沸くまでの時間を使って水炊きに入れる野菜を洗って切っていく。白菜、水菜、シメジ、長ネギ、焼き豆腐などだ。
さらに塩タラを出してヤカンで沸かしたお湯をかけて臭みを取る。土鍋で沸かしたお湯にダシの素と酒を入れ、野菜を下に敷いてからタラを入れる。全ての食材を土鍋に入れれば、あとは煮るだけだ。
「あ、カオル。お客さんみたいよ? ちょっと出てきて」
薫が土鍋を火にかけながら後始末をしていると、突然雪菜がそんなことを言い出した。ちなみに呼び鈴は鳴っていない。だが気配がするらしい。こういう場合の“お客さん”は、大抵家族の関係者である。招く招かざるに関わらず。
「自分で出ろよ。オレを巻き込むな」
「お酒飲んでるからイヤ」
「ったく……」
小さく悪態をつきながら薫は前髪を乱暴にかきあげる。そして彼は春菜のほうに視線を向けるが、彼女は兄の視線に気づくことなく天ぷらを消費していく。ちなみにピーマン以外。はあ、とため息をつくと薫はエプロンを外して玄関に向かった。
「っく……! なぜ開かない!? この奥から確かにハルナ様の気配がするというのに……!」
薫が玄関に近づくと、すぐ外でなにやらガタガタとやっている人影が一つ。ぼやけていてよく見えないが、どうやら鎧を着込んでいるらしい。おそらく彼が自転車で轢いたあのイケメンだろう。どうも玄関が開かなくて四苦八苦しているようだ。鍵はかかっていないと言うのに、ご苦労なことである。ちなみに秋山家の玄関は引き戸である。
「まさか特殊な結界が……? くっ……! もしや魔王軍の手先に捕らえられて……!」
(想像力逞しいなぁ……)
イケメン騎士の呟きを聞いて薫は呆れる。どうやら春菜の関係者らしいが、彼の心配とは裏腹に勇者様は奥で天ぷらを食べている最中だ。
「きっとあんなことやこんなことを……! い、今混じりに、もといお助けに……!」
「あ゛ぁ?」
薫が低い声を出す。彼の聞き間違い出なければ、玄関の向こうにいるイケメン騎士は妙なことを口走りやがった。さすがに看過できず、文句の十や二十浴びせて叩き出してやろうと思い、薫は勢いよく玄関を開けた。しかしそこで彼が見たものは……。
「テメェ!! 何人様の妹でヤラシイ妄想してやがんだよ、コラッ! アアン!?」
ピンクのウサギさん(着ぐるみ)がイケメン騎士に馬乗りになって彼の頭を前後にシェイクしていた。その速度たるや残像が見えるほどである。
「カナメ兄か? どうしてここに?」
カオスな光景に絶句することもなく、薫は冷静にピンクのウサギさんに話しかけた。
「ん? カオルか。なに、不埒なことを考えている変態がいたのでな。急ぎ時空を越えて私的制裁を下しにきた次第だ」
ピンクのウサギさんは手を止めると薫のほうを見て得意げな口調でそう言った。着ぐるみのせいで顔は見えないが、きっとドヤ顔をしているに違いない。そんな彼の後ろには時空の歪み的なナニカが不気味に口をあけている。
このピンクのウサギさん(の中の人)は、名前を秋山要という。秋山家の長男で、今年で二十五になる。身長は180センチを越え、身体は細身ながらもよく引き締まっている。顔立ちも端正で、淡く微笑めば気絶する女性が続出ほどだ。頭脳明晰にして運動神経抜群。まさに天に愛されまくっている男だった。
さてそんな天に愛されまくっている秋山要だが、彼は中学二年生の頃に一度人生に絶望した。この世にはエルフもケモノ耳もヴァルキリーもいないことを数学的に証明してしまい、彼は人生に絶望したのである。
そして絶望した三秒後、彼に天啓が舞い降りる。
『そうだ、この世にいないなら、いる世界を創ってしまえばいいんだ!』
どこからどう突っ込めば良いのか分からず、薫は現時点まで放置を継続しているが、そんな弟そっちのけで要は本当に創ってしまったのである。エルフもケモノ耳もヴァルキリーその他諸々が存在するファンタジーな世界を。そして世界を一つ創り上げた彼は、晴れて“神”になったのである。
現在、要は自分が創り上げた世界で18禁ならぬ21禁の爛れた生活を送っているそうだ。「そうだ」というのは、薫が詳しく教えてもらっていないからだ。「まだ早い」というのが要の言葉である。ちなみにエルフもケモノ耳もヴァルキリーもいないコッチ世界では、適当に株を転がして年1000万ほどをコンスタントに稼いでいる。
で、その“神”になった長男は、今はピンクのウサギさんの着ぐるみを着て、イケメン騎士に馬乗りになっている。しかも、日本のごく一般的な住宅街で。カオスな光景だ。薫はため息をつく。ただし、カオスな光景そのものに対してではなく、その手の光景に慣れてしまった自分に対して、である。
「……なんでピンクのウサギなんだ?」
「うむ、実はついさっきまで子供たちとパーティーをしていたのだ」
ちなみに秋山要はハーレム作ってすでに子供も生まれている。「爆発しろ」と薫は心の中で呪った。
「さっさと帰った方が良いんじゃないのか?」
「そうだな。コレは私が処分しておくので心配するな」
そう言ってピンクのウサギさんはイケメン騎士の上あごを引っつかんで立ち上がった。イケメン騎士がもがくが、ピンクのウサギさんは平然としている。
「お父さんとお母さんは……、仕事か。ユキとハルによろしく言っておいてくれ。今月末には一度来れると思う」
そういうとピンクのウサギさんはもがくイケメン騎士を引きずりながら時空の歪み的なモノに向かって歩いていく。そしてあと三歩といった距離で「そうそう」と言いながら何かを思い出したかのように振り返りこう言った。
「薫ももうすぐで18だったな。よし、お前が18になったら女の子を紹介してやろう」
確か金髪巨乳で尽くしてくれるタイプが好みだったな、と要は言った。自分の性癖が見透かされていた薫はバツが悪そうに顔を背ける。そして彼が小さな声で「なんで知ってる?」と呟くと、要は「兄にかかれば弟の性癖など完全にお見通しである」と偉そうにのたまった。
「ははは、ではまたな」
苦虫を噛み潰したみたいな顔をしている薫にさわやかにそう告げてから、要は時空の歪み的なナニカに消えていった。そしてその時空の歪みもすぐに消え、秋山家の玄関先に平和が戻る。
「カオル~? 誰だったの~?」
「カナメ兄が騒いでただけ!」
家の中から尋ねてくる雪菜に、薫はそう答えた。
「カオル兄、お鍋まだ~?」
「ちょっと待て。今仕上げる!」
そう答えてから薫は玄関を閉めて家の中に入った。そして台所に戻り、水炊きの具合を確認する。
「ちょうどいい塩梅だな」
そう呟き、薫は火を止めた。そして土鍋を食卓に持っていく。
「できたぞ~」
土鍋の蓋を開けると、雪菜と春菜が揃って歓声を上げた。さっそく盛り始める二人の様子を見ながら、薫は自分の椅子に座った。
なぜ自分に特別な力が無いのか。それを疑問に思うことはある。そしておぼろげではあるが、薫は自分なりにその疑問に答えを出していた。
(もしかしたら……)
放っておけばあっという間にバラバラになりそうなこの家族を、家族のままここに留めておくための重石。もしかしたら、それが自分なのではないだろうか。
仲良く水炊きを盛る雪菜と春菜の姿を見ながら、薫はそんなふうに思った。