その夜、ヘンゼルとグレーテルは
「童話なんて退屈だよ、いつだってめでたしめでたしで終わるんだから。どうせ子供をバカにしてるんだろ」
そう言ってフカフカの布団をたくしあげると、少年はプイと横を向いてしまった。
「そうねぇ……」
椅子に腰かけていた老婆は、少年の返事を聞いて、少しだけ首をかしげた。そして小さく頷くと、今読み聞かせていた本をぱたんと閉じて膝に置いた。そして微笑むように少年に語りかけた。
「あなたたちには退屈かもしれないわね」
そう言って老婆は本を机に置くと、少年にもう一枚布団をかけた。
部屋の中では赤々と暖炉が燃えていた。窓の外には一面の冬景色が広がっている。
「だけど、ハッピーエンドは嫌い?」
少年はゴロリと寝返りを打つと、
「だってありきたりさ。うまくいきすぎだよ、おかしいと思わない?」
と同意を求めるように老婆に訪ねた。
「確かにそうね。ありきたりで、都合のよすぎる物語かもしれないわね」
少年はそうだろ、とつまらなそうな声で言う。
老婆はその声を聞きながら机の上に積まれた本を一冊手に取ると、かすれた背表紙をそっと撫でた。
「でもね」
老婆は少年を見つめて、少し言葉を切った。
「少し考えてみて、そんな退屈な話、だれが作ったのかしら」
老婆の言葉に、少年は考えるように首をかしげた。
「うーん、そうだな、きっと退屈な人だよ。つまらない話をする人は大抵そうさ」
少年が得意気に指を立てて言うと、老婆はゆっくりとうなずいてみせた。
「そうね、あなたの言う通りだわ。だけどそれは間違い。この話を作ったのは決して退屈な人なんかじゃないわ」
老婆が首を振りながらそう返すと、少年はまた考える様に首をかしげ、色々な唸り声をあげた。
老婆は少年の様子を見守りながら、ゆっくりと腰を上げると、炎が弱まっていた暖炉に薪を足した。乾いた薪が火にあぶられて、パチリと木が割れる音がした。
「それじゃあね、とても忙しい人だよ。次から次へとお話を頼まれて、真面目に物語を考える時間がなかったんだ。だからいっつも単純なお話ばっかりなんだよ」
少年は口元に手を当てて考える様な仕草をしながら答えた。
老婆は椅子に腰掛けながら少年の答えを聞いたが、今度は首をかしげた。
「それも違うわね。もっとよく考えて。お菓子の家なんて欲しがる子はどんな子かしら」
「とっても欲張りな子だね」
「欲張りな子はお金を欲しがるわ」
老婆がピシャリとそう言い返すと、うーん、と少年はまた俯いてしまった。
やがて少しすると、少年は思いついたようにハッと顔を上げて、
「とても、おなかがペコペコな子だ」
と言った。
「そうよ。そしてその子は、あなたみたいにお菓子をたくさん食べられない子なの」
老婆の言葉に少年は口を曲げると、
「僕はそんなにお菓子ばっかり食べたりしないよ」
と不満そうに言い返した。しかし、老婆が顔を寄せて
「でも、毎日食べているでしょう」
と言い返すと。
「……うん、まあ、ね」
と少年は口ごもってしまった。
老婆は罰の悪そうな少年の顔を見つめると、少し微笑んで、それからまた少年に語りだした。
「じゃあもう少し想像してみて。どうしてその子はお腹がペコペコなのかしら?」
「そりゃあ、……何も食べていないからさ」
少年は当り前じゃないか、というように言った。
「じゃあ、どうしてその子は、何も食べていないのかしら」
老婆の問いかけに、少年は急に黙りこんだ。それからしばらく少年はうつむいたまま、居心地が悪そうにモソモソと動き回った。布団のこすれる音が部屋に響いた。老婆はずっと微笑みながら少年の答えを待った。
時折吹き付ける風が、部屋の窓を揺らしていた。
「家が、貧乏なんだ……」
ぼそり、とつぶやくように少年は言った。
「そうよ、よくわかったわね」
そう言って、老婆はゆっくりと頷くと、少年の頭を優しくなでた。
「物語というのはね、夢を語るものなの。皆のどうしても叶えたい願いをね……。夢のような話を望んでいる子供たちのためにね」
老婆は机の上に積まれた古びた本たちを見つめながら、何かを懐かしむ様に目を細めた。
「あなたたちには空を飛ぶ妖精やお菓子の家なんて、下らないお伽話にしか聞こえないかもしれないわね。だけどね、昔々には、そういうものを夢見ながら育った子供たちがいたの。ずっとずっと、大人になってもね」
老婆の語る声を聞きながら、少年はその小さな手をギュッと握りしめていた。老婆はそんな少年を見守りながら、その手を優しく握りしめてあげた。
「あなたたちがヒーローや冒険を思い描いて心を躍らせるように、幸せな生活を語り合って笑い合う子たちがいたのよ」
老婆が語るのをやめても、少年は布団にしがみついたまま、しばらく顔をあげなかった。
窓の外ではいつの間にか雪が降り始めていた。老婆はその光景を見つめながら、少年の頭を撫で続けていた。やがて、こらえきれなくなった様に少年が体を震わせ始めた。
「ねえ、その子たちは、どうなったのかな。だって、カボチャの馬車も、ガラスの靴も。本当はないんでしょ」
つっかえつっかえしゃくりあげながら、少年は老婆に聞いた。
老婆は微笑みながら、少年の涙を拭ってあげた。
「大丈夫よ、そういう子たちがちゃんと大人になって、こういう物語を作っていったの。だから、そういう子供たちのために、童話はいつだってハッピーエンドなのよ」
そう言って老婆は少年を抱き寄せた。少年は顔をクシャクシャにして老婆にしがみついた。少年の背中を撫でながら、老婆はその小さな心と体が痛むように震えているのを感じていた。
まだ、早過ぎたのかもしれない。
あまりにも純粋に泣く少年に、老婆は胸が締め付けられるのを感じた。
でも、きちんと知っておいて欲しかったのだ。
自分たちのいる世界のことを。
幻想が、明るいモノだけを映しているのではないことを。
今では手垢のついたような幸せが、涙に洗われて銀色に輝いていた時代があったことを。
私が、伝えなくてはいけないことを。
了