図書室と修学旅行
「リン、準備大丈夫デスカ?」
「うん、大丈夫だよ。それじゃ行こうか」
エリーと一緒に家を出る。私とエリーは微妙に通学路が違うから、こうして一緒に登校するのはなんだか新鮮だ。
「リン」
エリーが私の手を握る。
「うん」
私はそのエリーの手を握り返す。
「行ってきます」
「行ってきマス」
私たちの関係が変わってから初めての登校だ。そのせいか、気分が軽い気がする。
「おはよー……ん? 凛とエリーが一緒に居るのはいつものことだけど、登校が一緒って珍しいね」
校門の近くでまどかと霧香に出会った。
「おはよう。まあ、ちょっと家が離れてるからね」
まどかと霧香と挨拶を交わす。
「凛さん、エリーさんと仲直りできたんですね」
「うん、霧香のアドバイスのおかげ。ありがとう」
4人で教室へと向かう途中で霧香と話す。エリーと話そうと思えたのは霧香があのとき私に声をかけてくれたからということが大きい。本当に私は霧香には頭が上がらない。
「きっと私は関係ありませんよ。お二人の想いが互いに少しすれ違ってしまっていただけ。だから、私が何もしなくてもこうやって仲直りできたと思います」
「もし、そうだとしても、やっぱり霧香には助けられたから。本当にありがとう」
「おーい、凛、霧香! 置いてくよー!」
エリーとまどかが呼んでいる。私たちも急いで二人の所へと走った。
「今日は修学旅行のについていろいろ説明するぞ」
担任の修学旅行という言葉を聞いた瞬間、教室中がざわざわと騒がしくなった。そういえば、もうそんな時期か。すっかり忘れていた。言われてみれば、最近修学旅行の行き先のアンケートとかあった気がする。エリーとのことで全く覚えていなかったんだけど。
「リン、シュウガクリョコウってなんデスカ?」
エリーが小声で聞いてきた。修学旅行ってエリーの住んでいたところではなかったのかな。
「学校で行く旅行のことだよ。一応勉強のためにってことらしいけど。そういえば、今年はどこ行くんだろう? 去年の2年生は沖縄だったみたいだけど」
「オキナワ……日本の南の島って聞いたことありマス」
間違ってはいない……かな?
「今年はどこだろうね」
「なんだかドキドキしてきマシタ!」
エリーとヒソヒソ声で盛り上がっていると、担任が静かにしろーと本当に静かにさせる気があるのかわからないテンションの声を上げた。
「それで、今年の行き先だが、アンケートの結果、京都、奈良に決まったぞ」
再び教室中に騒がしさが戻る。去年と同じ沖縄が良かったという声もあれば、楽しみだという声、様々な声が教室中に響き渡った。
「リン、リン! キョウトとナラデスって!」
そして、ここにもテンションが上がりまくっている娘が一人。
「エリーは京都とか行きたかったの?」
「はい! ずっと憧れデシタ!」
エリーは目を輝かせている。海外の人には京都や奈良って確かに人気の観光スポットだってよく聞くけど、本当なのかもしれない。
「そういえば、私も京都とか奈良って行ったことないなぁ」
昔からこの辺りから関西の方まで行くことはなかったし、小学校の修学旅行でも、そっちの方には行かなかった。
そうこう話しているうちに、修学旅行のしおりが回ってきた。
「おおー……」
エリーは修学旅行のしおりをこれまた目を輝かせながら眺めている。こういうときのエリーはなんだか小さい子みたいですごくかわいい。
「それじゃ、次は自由行動と部屋で一緒になる班を作ってもらう。それからは各班で自由行動の予定とか立ててくれ」
その言葉が発せられるとともに、教室中で生徒の大移動が始まった。皆仲がいいメンバー同士で集まっていく。
「おーい、凛、エリー! 一緒に班組もうぜー!」
「うん」
「はい!」
まどかに声をかけられて私とエリーもまどかの班に入ることに決定した。まどかの班のメンバーの霧香と合流していろいろと話し合いが始まった。
「うちには霧香がいるから、回る場所とかは心配いらなさそうだね」
「私だって、京都や奈良に詳しいわけじゃないのよ?」
そう言うけれど、おそらく、この中で一番詳しいのは間違いなく霧香だと私も思う。
「うーん……皆さんはどこか行ってみたいところとかありますか?」
考えてみるも、そもそも京都や奈良ってどんなところがあるかとか全く知らないから浮かんでこない。
「あ、あたし舞妓さんと写真撮りたいな」
まどかが提案して、霧香がメモをしている。それぞれの希望をメモしておいて予定を立てやすくしてくれているようだ。こういうところに気を回せるのは霧香のすごいところだといつも思う。
「エリーは行きたいところとかある?」
「えっと、えっと……行きたいところが多すぎて決められないデス……どうしよう、リン!」
さっきはあんなに目を輝けていたエリーの発言がなかったので、エリーに聞いてみたら、どうやらそういうことみたいだ。
「それじゃ、一度皆で京都と奈良のことをいろいろ調べてみて、それで改めてどうするか決めましょうか」
「そうだね。そうした方がいいかも」
私とまどかはそもそもどういう場所があるのかを知らない、エリーは行きたい場所を絞りきれないって状態だし、一度皆で調べながら相談した方がいいと思う。
「では、放課後にパソコン室でいろいろ調べてみましょうか」
「うん」
放課後になって皆でパソコン室にやってきた。さすがに私たちと同じことを考える人も多いみたいで、パソコン室は結構な人で賑わっていた。
「空いてる所は……おっあそこに二人づつ座ればいくない?」
奥の方に2台空いているところをまどかが見つけて、そこを使うことにした。
私とエリー、まどかと霧香で1台づつ使って調べることになった。
「とりあえず検索してみよっか」
検索エンジンに「京都 修学旅行」と入力して検索すると、かなりの数のページが表示された。さすが定番の修学旅行先というべきか。
「さすがにいろんなところがあるね」
「うーん……やっぱりどこに行きたいか迷っちゃいマス」
エリーはウェブサイトのページと睨めっこして「むむむ……」と唸っている。こういう仕草もかわいいな。それに、1台のパソコンを二人で使っているから、必然的にエリーとの距離が近くなるわけであって、今すぐにでも、目の前のエリーの唇にキスしたくなる。
「リン?」
「え? ……あ、ああ! ごめん! なんだっけ?」
エリーに見惚れてボーっとしてしまっていた。
「リンは行きたいところありマスカ?」
「うーん……メジャーなところで金閣寺とか清水寺とか?」
知ってるところがそれくらいしかないのは秘密だ。
「わあ、いいデスネ! わたしも行ってみたいデス!」
よかった。メジャーどころに間違いはないみたいだ。
まどかと霧香にも聞いてみよう。
「あら、いいですね」
「あたしも賛成だよ」
とのことで、限られた知識から挙げた私の案は思いのほか好評だった。
しばらくパソコンでいろいろ調べたら、結構いろんなところの情報が出てきたおかげで最初に比べたらかなり予定を立てやすくなったと思う。
「結構進んだね」
「はい。ただ、まだ修学旅行まで時間はたくさんありますから、もっといろいろ調べてみてもいいかもしれませんね」
修学旅行までまだ2週間以上ある。霧香の言う通りしっかり時間を使って予定を立てて後で後悔しないようにするべきだろう。
「そういえば、うちの図書室ってなにげに雑誌とかもあったよね? 旅行雑誌とか置いてるかな?」
まどかの発言で思い出したけど、そんなコーナーもあった気がする。図書室はあまり行かないからうろ覚えだけど。
「それじゃ私がちょっと見てくるよ。良さそうなのあったら借りてくる」
「お、ありがとう。頼むよ凛さんや」
めんどくさがりな私でも、さすがに少しは働こうという気はあるのだ。
「わたしも一緒に行きマス。二人で探した方がいい本が見つけられるかもデスし」
「うん、それじゃエリーも一緒に行こうか」
エリーもついてきてくれるなら、まあ探し物も大丈夫だろう。
「凛さん、エリーさんよろしくお願いします」
「オッケー、任された」
「はい!」
図書室は放課後で結構時間が経っているということもあって、パソコン室ほどの賑わいはなく、呼吸の音すら聞こえてしまいそうな静けさだ。
「リン、こっちデスカ?」
エリーが小声で呼んでいる。
「うん、ここみたいだね。旅行雑誌……あった」
エリーに呼ばれて行った図書室の隅の方のコーナーには、まどかの言った通り雑誌のコーナーがあって、ちゃんと旅行系の雑誌も最新号まで置いてある。
「えっと……これだね」
京都と奈良の特集が組まれた雑誌を手に取って軽く数ページ開いてみる。
「どうデスカ?」
エリーが私に体を密着させて雑誌を覗き込む。エリーの体の柔らかい感触と一緒に、ふわりとエリーのいい匂いがした。これはやばい。
「エリー」
「?」
エリーはなんだろうという風に小首を傾げている。
「ごめん、私我慢できない」
エリーを抱きしめて、唇を重ねた。エリーは驚いてちょっとびくってなった。
「り、リン……人、来ちゃいマス」
「ここ死角だから……」
私たちの居る場所はちょうど人もいなくて、入り口や机のある方からは見えない位置だから、多分大丈夫だ。今はその心配よりも、エリーともっと触れ合いたいだとか、キスしたいっていう気持ちが暴れだして止まらなかった。
もう一度エリーの唇に私の唇を重ねる。エリーの口から漏れる吐息の暖かさを感じる。
「んんっ……!?」
こちらの方へ誰かが近づいてくるような足音が聞こえる。エリーから離れないと。ああ、でも、もっとエリーとこうしていたい。
そうしているうちにも、どんどん足音は近づいてくる。図書室の静けさのせいか、近づいてくる足音がとても大きく聞こえた。
もうだめだ、離れないと。そう思ったが、どうやらこちらの方へ近づいてきていた人は私たちとは一つ隣の列の本棚の方へ行ったみたいだ。
「も、もう! リンのバカ!」
エリーに怒られてしまった。図書室だからか、怒った声は小声でなんだかかわいらしい。
「ごめんなさい……」
「……」
図書室の席の隅の方に二人で隣り合って座っている私たちの間にはなんとも言えない空気が流れている。
さすがにやりすぎてしまった。エリーは怒ってしまって、謝ってもそっぽを向いてしまう。それでも、手を繋いでいてくれるエリーはきっと天使だ。間違いない。絶対口には出せないが、怒った顔もかわいい。
いかん、またエリーのことを抱きしめたくなってしまう。さすがに私もそこまで空気が読めないわけじゃないが。
「……反省、してマスカ?」
「はい……」
しばらくして、エリーが口をきいてくれた。
「わたしも、リンといっぱいぎゅってしたり、キスもしたいデス。でも、そういうことはその、二人きりのときとかじゃないとダメだと思いマス」
「はい、仰る通りです。ごめんなさい……」
返す言葉もないとはまさにこういうことだろう。まさか、自分が身をもって体験することになるとは。
「わかりマシタ。わたし、もう怒りマセン。わたしだって、その、リンとキスしたいって思ってマシタから……」
なんとかエリーに許してもらえた。何度思ったかはもうわからないが、私の彼女はやっぱり天使だ。いや、それ以上だと言ってもいいと思う。
「ありがとう。今後はあんな風にはしないから」
「で、でも……二人きりのときなら、さっきみたいにちょっと強引でも……いい、デスヨ?」
「!?」
今、私の中に電気が奔った。今のエリーの破壊力はすごすぎる。ここが公共の場でなければ、間違いなくエリーを押し倒していたところだ。
もちろん、そんなことはできないが。
その後、帰りが遅くなったことをまどかに突っ込まれたが、無理矢理話題を修学旅行の話に逸らしてなんとか難を逃れた。
「あ、もうこんな時間か」
夕方5時になると鳴るチャイムが学校中に響き渡る。パソコン室はブラインドで窓の外の様子はわからなかったけど、隙間から覗いてみるともう外は日が暮れている。
「今日はこれくらいにしましょうか」
霧香の言葉に皆賛成して、今日は帰ることにした。
「修学旅行楽しみデス」
「ん、そうだね」
まどかと霧香と別れた後にエリーと二人で学校からの帰り道を手を繋いで歩く。
私たちの通学路の分岐点である公園が近づいてきた。結構遅くまで学校に居たから、もう公園にも人の姿は見えない。
さすがに、今日もエリーを我が家に泊めるわけにはいかない。エリーのおじさんたちも心配するだろうし。
でも、ここでエリーと別れたら、明日学校で会うまでエリーに会えない。そう思ったら、なんだか家に帰りたくなくなってきた。いつもの帰り道なら、真っ先に家に帰ってだらけたいと思って家時を急ぐところだったが、こうも変わるとは。我ながら驚きだ。
「リン」
もう、私とエリーが別れる所まで差し掛かったところでエリーが私の方に向き直った。
「どうしたの?」
そう聞いた瞬間、エリーが少しだけ背伸びをして、私の唇を奪った。
「また明日デス!」
そう言って、エリーは走って行ってしまった。エリーの顔が真っ赤になっていたのは、今にも沈みそうな夕日のせいだったのかもしれない。
「……柔らかかった」
私だけしかいない公園に一人佇んで、唇に手を当てる。鮮明に残るエリーの唇の感触を忘れないように目を閉じた。