桜とお弁当
「ふむ、どうしたものか」
パソコンのモニターと睨み合ってしばらく経つ。モニターに映る料理のレシピサイトにはたくさんの料理の写真と共に投稿されたレシピが載っている。
私はこの前エリート約束したお花見に持っていく弁当の中身についてしばらく考えていたけど、なんかピンとこないというか……。花見なんてもう何年も行ってないからこういうときってどういうものを作っていけばいいのやら。
「あー、わからん」
ベッドに身を投げ出して枕に顔をうずめる。
こんなことで悩むなんて普段の私ならあり得なかった。慣れないことはするもんじゃないんだなあと思う。
別に料理が苦手ってわけじゃないけど、あまり誰かの好みとかそういうのは考えたことはなかった。基本的に料理は自分が食べたいものを作るっていうことばかりだったからなぁ。
さすがに私が好きなものばっかり持って行くほど空気が読めないつもりはない。でもエリーって何が好きなんだろう。最初に一緒にお昼食べたときに和食は好きとは聞いたけど、それ以外はさっぱりわからない。いや、聞けばいいんだけどさ。なんか改めてそういうこと聞くのってなんか恥ずかしいというか。今更感ハンパないっていうか。言葉で表しきれないこの複雑な乙女心をわかってほしい。
そもそも和食にするとしても範囲が広すぎる。晩ご飯何がいいって聞かれてなんでもいいって言われると困るっていう気持ちがちょっと理解できた。今の私の状況とは全く違うけど。
「こういうときは誰かに頼るか」
携帯の無料通話アプリを起動させて連絡先一覧の画面が開かれる。こういうときいつも頼りになるのは霧香様だろう。霧香はいつもお弁当作ってるみたいだし。
『突然だけど、お弁当の中身ってどうやって決めてるの?』
『そうですね。改めて言われると難しいですが、私はやはり栄養のバランスを一番気にしていますよ。凛さんもお弁当を作るんですか?』
『霧香みたいに毎日は無理そうだけどたまにはいいかなって思ってさ』
すぐに返信を返してくれた。栄養バランスか。確かに霧香のお弁当は体に良さそうというか野菜とかお肉とかのバランスがいいなと思う。もちろん体にいいに越したことはないよね。
『そうですか。何かを始めようとするのはいいことだと思いますよ。そうそう、あとは時期にあった食材などを使うとよりおいしく頂けますよ』
旬の食材ってやつか。私はあまりそういうのは詳しくないから調べてみるか。そこからヒントが見つかるかもしれない。
『なるほど。ありがとう。参考になりました』
『お役に立ててよかったです。お弁当作りがんばってくださいね』
霧香のアドバイスを受けて我が家の冷蔵庫へやってきたけど……
「なーんにもないね」
旬どころか冷蔵庫の中は冷凍食品だとか少しの野菜なんかぐらいしか入っていない。
「冷蔵庫の前に突っ立ってどうしたの?」
洗濯物を干し終えた母さんがリビングに戻ってきた。
「んー、なんもないなあって思って」
「あー、ちょうど今日買い物行こうとは思ってたんだけどね。そうだ。今日は晩ご飯なんか食べたいのある?」
お弁当のことは一瞬置いておくとして今日のディナーに想いを馳せる。今日の私は何腹なんだろうか……って考えてみてもまだ時間は1時。さっきお昼を食べたばかりじゃ今晩食べたいものなんて浮かんでこない。
「今お腹いっぱいだからなんも浮かんでこないっす」
「そ、もうちょいしたら買い物行ってくるから考えといてね」
うーん。こういうときに限ってなかなか決断って難しいんだよね。
「そうだ。買い物私が行ってくるよ」
いろいろ見てみたらお弁当の悩みの解決に繋がるヒントが得られるかもしれない。買い物はめんどいけど。
「えっ……あんたが自分からおつかい行くって、私ったら夢でも見てんのかしら」
「失礼な。それが親孝行しようとする娘に向ける言葉かね」
半分は自分のためだけど、親孝行ってのは間違いないから別にいいよね。
「あはは、ごめんって。それじゃお願いするわ。お金は後で渡すからよろしくね」
「はーい」
「うーむ」
スーパーの生鮮食品コーナーで立ち尽くすもお弁当どころか今晩のご飯すら決まらない。これはいかん。
「あら?凛さん?」
「え?霧香?」
声をかけられて振り向くと私の何も入っていない買い物かごと違っていろんな食材の入ったかごを持った霧香が。
「凛さんもお買い物ですか?」
「うん。でも、今晩なににしようか全然決まらなくて」
「そうですか、たしかに献立はなかなか決まらない時ってありますものね」
そうそう。本当にこれが食べたい!って思うものがないとなかなか決まらないんだよね。
「そういえば、先ほどのお弁当の方はどうですか?」
「んー、そっちもまだまだ苦戦中」
ご飯は作る側になるとこんなにも決まらないものなんだなと痛感する。霧香が毎日お弁当作ってるということが改めてすごいと思った。
「そうですか……先ほどは栄養のことを考えてと言いましたが、そういうときはいっそ自分の好物を中心にしてしまうというのもありかもしれませんよ」
「なるほど。確かにそれなら間違いなくおいしく食べられるもんね。あとさ、霧香って誰かにお弁当作ったりとかってするの?」
人に作るのと自分のために作るのって霧香なら私よりもよくわかっているんじゃないだろうか。
「私はたまにまどかのお弁当も作ったりもしますけど、そんなにそういった経験はありませんね」
「いやー私なんて全くないからすごいよ。ちなみにそういう時ってどうやってお弁当の中身決めてるの?」
「私はまどかと幼馴染でしたからまどかの好物は知っていましたし、特に意識したことはなかったですけど……そうですね、それでも誰かに自分の料理を食べてもらうときはその人においしくいただいてもらえるようにということは考えて作っていました。これじゃ当たり前すぎてアドバイスにはなりませんね」
その当たり前が難しいということを私は現在進行形で痛感している。霧香は日ごろからそういうことを気にしているのだからやっぱりすごい。
「ううん、ありがと。でも、私はやっぱりそれってなかなかうまくできるかってちょっと不安かも。あまり凝ったものとか作れないし」
「これは私個人の意見ですが、そこまで難しく考えることはないと思いますよ。確かに凝ったお料理でおもてなしすることも良いとは思いますが、相手のことを考えておいしくしようと作ったものなら普通のお料理だっていいと私は思います」
「そっか、そうだね。もっと気楽に考えていいのかも」
変に難しく考えすぎて自分の晩ご飯すら決まらないというよろしくない状況に陥っていたみたいだ。
「たとえば、凛さんの得意なお料理とかそういうのできっといいんだと思いますよ」
そっか。そういうのでいいんだ。なんかさっきまで悩んでた自分が馬鹿らしく思えてくる。
あれ……?なんかお腹まで減ってきた。
「本当にありがとう霧香。私の悩み解決したみたい」
「それはよかったです」
二コっと微笑む霧香。こういう仕草でも上品さを感じさせるあたりお嬢さまだなぁと思う。それにしても霧香には本当に助けてもらった。今度なんかお礼しないと。
それと今日の晩ご飯はハンバーグにすることにした。
「ねえ、凛あんた彼氏でもできたの?」
鍋の火加減を見ていたら唐突に母さんからなぜそう考えたのか私には全く理解できない質問を問いかけてきた。
「は?」
「いや、だって最近よく料理してるでしょ?彼氏ができて手料理でもふるまおうとしてるのかと思って」
娘が料理してるだけでなぜその発想が生まれるのか。
「そんなのいないよ。別に私だって料理くらいするってば」
「ふーん。まあがんばんなさいな」
母さんはニヤニヤしながら勝手に変な想像してるみたいだ。本当に違うのになあ。
とりあえず母さんは無視して再び料理のほうに集中することにした。
今週の土曜日にはエリーと一緒にあの公園に行く約束をしている。もう今日は木曜日だしそろそろ当日に何作っていくか決めないとなあとか考えつつ晩ご飯の支度をするのであった。
「むぐ……」
いつものごとく携帯のアラームが鳴り響いて目が覚める。唯一いつもと違うのは今日は学校ではない日だということか。
鉛のように重い体を起こして携帯のアラームをとめる。時間を見ると朝の7時前。学校が休みの日にこんな時間に起きることなんてそうそうない。
「起きなきゃ……」
いつもはお昼過ぎまで寝ているから余計に眠く感じる。でも、今日は寝てばかりはいられない。
「うん。よかった。ちゃんと晴れてる」
カーテンを開けると眩しい陽の光が差し込んでくる。
顔を洗って歯を磨いてからキッチンへと向かう。
まだ母さんも起きてはいないみたいで家の中はとても静かだ。
「さてと」
冷蔵庫から必要な食材を取り出して準備を始める。待ち合わせはお昼過ぎだからまだまだ時間はある。せっかく早起きしたんだからその分しっかりやろうじゃないか。
「凛?もう起きてんの?」
しばらく今日のお弁当を作っていると母さんが起きてきたみたいだ。
「おはよ」
「おはよう。なんというか珍しいこともあるもんねぇ。それとも私まだ夢見てんのかしら」
信じられないって感じの表情の母さんは放っておいて私はお弁当作りに集中することにした。
「ふう。できたー……」
うん。我ながらバッチリだ。これなら今日持って行っても大丈夫だろう。一仕事終えたらなんかどっと眠気が押し寄せてきたけど、ここで寝たら多分夕方まで起きられない気がするからなんとか起きてないと。
「はい、お疲れ」
「ありがと」
眠気と戦っていると母さんが珈琲を淹れてくれたみたいだ。この眠気を察してくれたのか、ありがたいです。
「にがい……」
超ブラックなやつだこれ。
「そっちの方が今はいいでしょ。それよりも早起きして彼氏にお弁当なんてあんたも案外乙女なのね」
「だーかーらーそういうのじゃないってば。友達と出かけるだけだって」
まだ勘違いしてたのか。本当にそういうのじゃないのにな。
「まあまあ、照れるな娘よ。それよりもそのうち紹介しなさいよ」
なんかもう弁解するのがめんどくさくなってきたな。
「はいはい」
そうこうしてるうちにそろそろ出発した方がいい時間になってるみたいだ。
「それじゃそろそろ出かけてくるよ」
「はーい。楽しんどいで」
自転車を出して公園へと向かう。あの坂道が無ければ学校にも自転車で行くんだけどなあと自転車に乗るたびに思う。実際自転車があるとどこに行くにも楽だし時間もあまりかからないからとても重宝する。文明の利器最高。
あっという間に公園が見えてきた。公園の自転車置き場に自転車を停めてエリーとの待ち合わせ場所にした場所へ向かう。
休日でいい天気なだけあって普段よりも公園は多くの人で賑わっている。
「あっ、リーン!」
エリーがぶんぶんと手を大きく振っている。ちょっと早めに来たつもりだったのにもうエリーは着いていたみたいだ。
「お待たせ、それじゃ行こっか」
「ハイ、オハナミたのしみデス」
「うわぁ……」
「おー満開だね」
公園の桜は満開になっていてあまりこういうことに興味のない私もすごく綺麗だと思う
「すごい!すごいデス!」
エリーは子どものようにはしゃいでいる。なんだか見ていて微笑ましいけど、そんな様子でもエリーは絵になるなと思う。
「日本のサクラってこんなにきれいなんデスネ!」
「ほんと綺麗だねえ」
改めてこうして見るとやっぱり桜って綺麗だなと思う。派手さとかはないんだけど、どこか惹かれるような気がする。といっても私は花より団子だけど。
「それじゃ、どこかで座れる場所探そうか」
既に結構場所取りの人たちが来てるみたいだ。二人だけだからそんなに広い所探す必要はないけど、まだ場所残ってるかな。
しばらく公園を歩きまわってみたけど、やっぱりいいところはかなりおさえられてしまっているみたいだ。
「うーん、どっか空いてないかな」
「あそこはどうデスカ?」
エリーが指差した先には一本の桜の木がある。他のところみたいに桜の木でいっぱいって感じじゃないけど、静かだしいいかもしれない。
「うん。いいね、あそこにしようか」
桜の木の近くに押入れから数年ぶりに引っ張り出してきたシートを広げる。
「うん、ここならゆっくりできるね」
広げたシートの上に二人で座る。小学生のころに遠足で使ったやつだから広さが足りるか不安だったけど問題ないみたいでよかった。
「ほんとにきれいデス。ずっとみていたい……」
二人でしばらく無言でぼーっと桜を眺める。こういう二人っきりで無言の状況ってなんだか気まずくなってしまうから苦手なはずなあのに、なぜか今はそういう気分にはならなかった。むしろ心地よさも感じる。時間がゆっくり流れるような感覚ってこんな感じなのかな。いい具合に暖かい春の陽気がまた気持ちよくてなんだか眠気が……
「ん……」
なんだかすごく気持ちいい。ふかふかの枕で眠っているような……目を開くと桜の木とエリーの顔が見えた。ああ、本当に絵になるな。ってあれ?私もしかして寝てしまったのか?
「オハヨウゴザイマス」
「お、おはよう」
頭上からエリーに声をかけられる。冷静に考えてみるともしかしてこれって膝枕してもらってるんじゃないか?
「ご、ごめん!」
眠ってしまった上に膝枕までしてもらってエリーは怒ってないだろうか。
「とてもきもちよさそうデシタ」
エリーは怒った様子も無くニコニコしている。怒ってないみたいでよかったけど、なんか申し訳ない。
「ごめん、自分でも気付かないうちに寝ちゃったみたいで……」
「きにしないでクダサイ。こんなにあたたかいとおひるねしたくなりマスヨネ」
「申し訳ない……」
「そういえば、おなかすきマシタネ、おひるごはんにシマセンカ? 」
「うん、今お弁当出すね」
鞄の中から今朝作ってきたお弁当を出す。
「おー!とってもおいしそうです!わたしもサンドイッチつくってきまシタ」
「エリーのサンドイッチも美味しそうだね」
「リンにたべてほしくてつくってきまシタ」
やばい。今ちょっとキュンときた。私が男子だったら落とされていたところだ。
「そ、そうだ!私のお弁当も食べてみてよ。結構自信作だからさ」
「ハイ!イタダキマス」
エリーが最初に箸をつけたのは卵焼き。これが今回のお弁当の中で一番上手く出来た自信があるんだけど、やっぱり緊張する。
「すっごくおいしいデス!」
ぱあっとエリーの顔が明るくなっていく。よかった、エリーの口に合ったみたいだ。緊張の糸が解けて私もなんだかお腹が空いてきた。
「私もいただきます」
エリーが持ってきてくれたサンドイッチをいただくことにする。
「あ、おいしい」
これってローストビーフかな?サンドイッチに挟むイメージがなかったから以外だけど全然ありだ。
他にもタマゴサラダみたいな王道のものもあればなんかいっぱい具が入ってて初めて食べるようなものまであった。
エリーに聞いてみたところイギリスの朝食のソーセージやら焼きトマトやらマッシュルームやらをサンドイッチにしたものらしい。サンドイッチって私が思っていたよりも奥が深いんだな。
「ごちそうさまでした。すごくおいしかったよ」
「ゴチソウサマデシタ。リンのおべんとうもとってもおいしかったデス」
食事を終えて再びのんびりと桜を二人で眺める。食後のこういう時間ってなんだか幸せだな。
「そういえば私たちが初めて会ったのもこの公園だったんだよね」
「ハイ、あのときはほんとうにたすかりマシタ」
「やっぱりあのペンダントってエリーの大事なものなの?」
あのペンダントは確かに高そうだなと思ったけど、あのときのエリーの動揺ぶりからしてそれだけじゃないような気がしてなんとなく気になったことを聞いてみた。
「あのペンダントはママがわたしにくれたものなんデス」
「エリーのお母さんからのプレゼントだったんだ。そりゃ大事なものだよね」
「ハイ、ママがわたしにくれたさいごのたからものデス」
さいご?それってどういうことだろう。
「最後ってどういう……」
「ママはいちねんまえになくなったんデス。だからあのペンダントはわたしとママのさいごのおもいでのたからものデス。だからほんとうにリンにはかんしゃしてもしきれマセン」
私は聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれない。私はおじいちゃんもおばあちゃんもまだまだ元気で大事な人を亡くした経験をしたことがない。だからエリーが経験した痛みがわからない。だから私はエリーにかける言葉が見つからない。エリーの痛みを知らない私は気易く慰めの言葉なんてかけちゃいけない気がした。そう考えた瞬間なんだかエリーがとても遠くの存在に感じてしまって、気がついたらエリーのことを抱きしめていた。
「わわっリン?」
だめだ、なんだか私変になってしまった。何も言葉が出て来ない。
「……リンは日本のはるみたいにやさしいひとデスネ」
違う。私はそんなんじゃない。今だってただエリーが遠くに感じて置いて行かれてしまった気になって、少しでも近くにその存在を感じたいだけの実に俗っぽい気持ちが私をそうさせているのだから。
「ママはわたしに日本のこといっぱいおしえてくれマシタ。ママのおかげでわたしは日本のことがだいすきになって日本にきたいっておもったんデス」
「……うん」
「だからママにはわたし、とてもかんしゃしてマス。それに、ママが日本のことをおしえてくれたおかげでリンとあえマシタ」
「わたし、もっともっと日本のことをしりたいデス。そして、もっともっとリンとなかよくなりたいデス。だから、その……わたしにもっといっぱいいろんなことをおしえてほしいデス」
青空のような澄んだ瞳に真っ直ぐに見つめられる。なんだか私も目が離せなくなってしまいそうだ。
「うん、これからも一緒にいろんなことをしよう。その……わ、わたしももっとエリーと仲良くなりたいし」
顔が熱い。きっと今頃私の顔は真っ赤になっていることだろう。
「うれしいデス!これらからもヨロシクオネガイシマス!」
今日は少しエリーのことを知ることができたけど、まだまだ私はエリーのことを全然知らないんだと思う。それでも、今日みたいにエリーと一緒なら心地よい日々が過ごせそうでこれからの毎日が今までよりも楽しみに感じられるような気がした。
エリーと一緒なら今までのなんの変哲のない日常が少しずつ特別なものになっていくだろうなと感じた春の一日でした。