犯行は夕焼け色の教室にて
「好きだ。」
空気に緊張が走り、彼女が息をのむのが分かった。
じめりとした蒸し暑さの夏の日だった。
日の傾き始めた教室で、俺は、人生はじめての告白をした。
「…ごめん。でも、ありがとう。」
そう言って彼女は走って教室から出て行った。
ばたん、という扉を閉める音と、ルームシューズと廊下のこすれ合う音。
その音を背後に俺はその場に崩れ落ち、そのまま座り込んだ。
もう聞こえない彼女の音をきっかけに、さっきまでこらえていた涙がこぼれる。
俺の17年の人生の中の初めての告白。
その答えは大方決まっていた。
彼女には想い人が居て、だから、俺は。
ああ、こんなにも自分は彼女のことを想っていたのだ。
だから俺の出した結論は自分のエゴだ。
結局俺は笑っている彼女が好きなのだ。
嗚咽が漏れそうになり、口を押さえこらえる。聞こえないとは思うが彼女に聞こえたらかっこ悪い。
泣きながら考えるのは彼女との今までの思い出。
走馬灯のようだと、自虐のような笑みを浮かべた。
走馬灯なんて、まるで、死に際みたいじゃないか。
ふと浮かんだ疑問が頭をかすめ、その答えを導き出した途端、俺は思わず笑い声をあげた。
「…くっくっ…ぷぷ…。」
泣きながら笑う俺は滑稽でしかないとは思うが、あいにく今この場には俺しかいないのだ。
俺の好きなようにさせてもらう。
そう、俺は死んだのだ。
今日、この場をもって、正確にいうなれば、あの俺の人生初の告白にて、彼女を想う俺という個体は死んだのだ。
なんて青臭くてガキ臭い発想だろうか。
自分はもっと冷静で物事に淡泊だったのに。
それも彼女のおかげなのだろうか。
日は完全に傾き、教室は夕日の色に染まっていた。
彼女、中村さんに出会ったのは2か月前だ。あの日も教室は夕焼け色に染まっていた。
高校2年の春。クラスが変わり、教室が変わった。
桜の咲く季節はばたばたと忙しく、それに不安もあるが、未知への期待もつのる。そんなもんがせめぎ合って。輝かしい高校2年の日常がスタートしたのだ。
中村さんと出会ったのは、新しいクラスだった。
中村さんは新しいクラスでの隣の席だった。
だけど、それだけだ。
隣の席だからと言って極端に仲が良いわけでもなく、かといって仲が悪い訳でもない。
グループ作業などでは話すし、軽い世間話ならした。
だが、別に趣味が同じとか、馬が合うとか、そんなことはなく、“席が近いクラスメイト”というなんのこともないポジションに収まってしまっていた。
そんな平行線に変化が起きたのは、クラスが変わって一カ月位経ってからのことだった。
その日は日直だったため先生からの頼まれごとを任され憂鬱ながらもなんとかこなし、教室に戻って来た時だ。
空は夕焼け色に染まり、烏の声が聞こえた。
ガラガラと鈍い金具の音を立てながら、教室の扉を引くとそこには一人のクラスメイトが居た。
それが中村さんだった。
ハッとしたように此方を見た中村さんに俺は目を見開き驚いた。
中村さんが居たことにでは無い、彼女の瞳からあふれ出ていた涙に俺は驚愕したのだ。
何故彼女が泣いているのか分からず、思わず言葉に詰まると、彼女は焦ったように言った。
「何でもないよ。ちょっと、目が沁みちゃっただけ!」
真っ赤にはれた両目と明らかな作り笑顔は中村さんの感情を隠す仮面にはなりえなかった。
あまりの痛ましさに俺は思わず呟いたのだ。
「本当に…?」
ここで何もなかったように接することが出来る人間が居るとすればそれはかなりモテる人間だと思う。
だって俺はどう接したらいいか分からなかったから。
俺はもともと良く言えば硬派、悪く言えば不器用な人間だ。社交性もあまりない。
だから、この状況で俺は思ったことをそのまま口にしてしまったのだ。
「…本当、だよ。」
歯切れ悪く言う中村さんと目が合う。
目があった瞬間中村さんの瞳から大粒の涙がこぼれおちた。
「ご、めっん、でも、だいじょう、ぶだから、また、笑うから、いつもの私にもど、るから。」
嗚咽を洩らしながら中村さんは切れ切れに話した。
その口調からやはり彼女の身に何かが起きたことは明らかだった。
「そう、か。」
何もできない自分が情けない。
泣き続ける彼女にまだ、幼い自分の妹の姿を重ね、思わず言ってしまった。
何度も言うが俺は不器用で社交性のない人間だ。泣いてようが何しようが、どうすればいいか分からない。それでも、その瞬間俺は言ってしまったのだ。
「俺でよければ、相談とか、協力とかするよ。」
言ってしまってから、しまった!と思い、頭を抱えた。
こんなことたいして仲の良くない人間に言われたら気持ち悪いだろう!
そう思い弁解しようと顔を上げると、中村さんと目があった。
きょとん、とした表情の中村さんが、零れる落ちる涙をぬぐいながら苦笑いした。
「そうだね、お願いっしちゃおうかな」
「へ?」
想像していた回答とは大きく変わっていて思わず素っ頓狂な声をあげる。
「あのね、忘れてくれていいよ。むしろ独りごとだと思ってくれてもいい。多分私、今話したいだけだから。」
中村さんはそう言うと俺の相槌を聞くことなく続けた。
「私にはさ、幼馴染がいるんだよ。」
知っている。中村さんの幼馴染の岡田くんは明るく気さく、このクラスの人気者だ。彼と彼女が幼馴染というのはこのクラスで結構有名なのだ。
「その幼馴染がさ、私、好きなんだ。」
「え。」
「うん、やっぱりみんなそんな反応なんだ。」
「だって、もう付き合ってたんじゃないのか?」
そう、彼女と彼は本当に仲が良かった。
登校が一緒、家にもしょっちゅう遊びに行く。そんな2人が、付き合ってなかっただなんて。
本当に驚いている俺の顔を見て少し苦しそうに笑顔をこぼした。
「うん。私とあいつは付き合ってないよ。私の長い長い片想いなんだ。」
少しの間、俺が小さくうなずいたのをみて彼女は続ける。
「岡田とはさ、幼稚園の頃からずーっと一緒。自分が惚れてるって知ったのは中学の時かな。進路のことで悩んでて、別々の学校に行くかもしれないって思った時に気付いたの。一緒に居たい。そしてそれが、友達とか幼馴染の域を超えてることにも気付いたの。アイツがこの高校行くって知って咄嗟に追いかけてきちゃったんだ。」
「でもね、今日ね、アイツ言ったの。“好きな子が出来た”って。私の長い長い片想いは失恋になっちゃったんだ。」
彼女の頬を新しい涙が伝った。それはすごくきれいに見えて。悲しい話なのに、彼女の姿が本当に美しく見えた。
彼女が大きく息を吸って、はいた。
彼女はその間に彼女の中の感情を切り替えたのだろう、涙をぬぐい此方に笑顔を向けた。
「ありがとう、話聞いてくれて。」
「いや、本当に俺でよければ相談に乗るから。」
その言葉に彼女は弱弱しく微笑み、頷いた。
「じゃあ、俺は帰るね。」
「あ、私も帰る。途中まで一緒に帰ろう。アイツ、今日部活だし、一人だといろいろ考えちゃうから。」
その日からというもの、俺と彼女の距離は大分縮まった。
教室でも話す機会は増えた。
そして、彼女の幼馴染はサッカー部で帰宅部の彼女とはいつも下校だけは別だった。
だから、たまに俺と彼女は2人で帰った。
下校の間、彼女からいろんな話を聞いた。
ところどころに惚気も思える内容が飛び交ったが、俺は黙って聞いていた。
嬉しそうな彼女を見ると俺も少し嬉しくなる。
「そういえばさ、女子とはそんな話しないの?女子って恋バナ好きじゃん。」
そう言うと彼女は大きく見開いた目で此方を見、顔の前で手を振る。
「むりむり!まじむり!はずいし、てか、惚気だって馬鹿にされる!」
惚気、自覚はあったのかと思い俺は思わず笑みをこぼす。
「ちょっと、馬鹿にしてる?」
ムスッと言う効果音が合うように頬を膨らませ拗ねる彼女に俺はついに噴き出した。
「ちょっと、ねえってば!」
笑う俺に彼女も笑みをこぼした。
ひとしきり笑った俺は、さっきの会話の内容を思い出す。
「え、じゃあこういう話してんの俺にだけ?」
ハッとしたように彼女は此方を再び見る。
「そうかもしれない!」
「え、じゃあ、大丈夫なのか?アイツ誤解しない?俺と帰ったりして。」
いまさら感じた不安と疑問をぶつけてると、彼女はあっけらかんとした様子で大丈夫、誤解なんてしてもアイツなんとも思わないだろうし。と拗ねたように呟いた。
その姿を少し可愛いと思ってしまったのは秘密だ。
そんな風に話すようになって2週間がたったころ。
俺と彼女は週に2~3回ほど一緒に帰っていたせいから、少しばかりクラスでネタに持ち上がっていた。
「ねえ、あんたら最近二人仲いいよねー。」
クラスの女子が何気なく呟いた。
思わず噴き出しそうになったが、彼女は普通にこたえる。
「それがですね、この人意外と面白いんですよ。」
不思議な口調で答える彼女に彼女の周りで聞き耳を立てていた彼女の友人が笑う。
「てか、あんたには岡田君が居るしね!」
「もうやめてよ、そんなんじゃないってば!」
そう言う彼女たちの女子トークが炸裂しているがどことなく彼女の顔はどこか悲しげだったように感じるのは俺の気のせいだろうか。
その日の帰り道、今日は彼女と帰る日だった。
彼女とまだ明るい空の下世間話をしながら歩いた。会話の区切りが出来たところで彼女はまるで本題だという感じに切り出した。
「ごめんね、私と居る時間が多いせいで誤解されるよね。」
その言葉を聞いて俺は驚いた。だってそう感じていたのは寧ろ俺の方だったからだ。
「いや、俺は大丈夫。それより、そっちの方が心配。アイツに誤解されないのか?」
「ああ、それは大丈夫。アイツ見て無いだろうし、聞いてないだろうし。興味、ないだろうし。」
間髪いれずにそうかえした彼女が暗い表情を浮かべる。
ああ、俺は彼女にそんな顔をさせてしまうのか。
聞いてしまったことに後悔する俺をよそに彼女の表情は一瞬で明るいものへと変化した。
「あ、そうそう、ちょっと相談していいかな?」
彼女の相談内容はこうだ。
明日、どうやらサッカー部は教師共がたまに行う会議のせいで、顧問が来ることが出来ないので、お休みになったらしい。そこでアイツは彼女の家に久しぶりに遊びに来るというのだ。
「毎朝アイツのことむかえに行くことはあるけど、家に来るのはかなり久しぶりなんだよね。だから、すごく緊張するんだ。」
少し赤い顔をした彼女はうつむきながら恥ずかしそうに話しだした。
そして、今度は暗い表情を浮かべながら呟いた。
「それと、たぶん恋愛の相談とかされるんだと思う。」
それはあんまりではないだろうか。
好きな相手から他の好きな相手について相談される。
これほど辛いことはそうそうないだろう。
「こないだもね、相談に乗ったんだ。アイツの好きなやつ、この学校の人なんだって。それでね、すっごく可愛いんだってさ。」
そう呟いた彼女の表情は苦しく歪んだ笑顔だった。
慰めの言葉でもかけようと思い口を開こうとした時彼女の足が止まった。
疑問に思い前を見ると、そこには彼女の想い人である彼が知らない女子が仲良く歩く姿が見えた。
思わず呆然とその姿を見ていると、先に彼女が動いた。
「ごめんね、何処寄って行かない?」
この誘いをした彼女が何所かに行きたい訳でもましてや俺と一緒に居たからでもないことは重々承知だった。
そして、その誘いを俺が断るという選択がないのも、分かっていたのだ。
近くにあったファーストフード店に身を寄せた俺たちだが、別におなかが減っていた訳でもないため、彼女は珈琲を俺はシェイクを頼んで席に着いた。
少しだけ暗い表情の彼女に少しでも笑顔が戻ればと、俺は言葉を発する。
「そういえば、アイツ、今日も部活休みだったんだな。」
発した言葉がかなり際どい所を突いたものだと気付いたのは発してからだった。
後悔しているとワンテンポ遅れて彼女が言葉を紡ぐ。
「私は、今日も部活だって聞いてたんだ。」
その言葉を聞き、俺は更に先ほどの言葉を後悔した。
彼女はそのまま続ける。
「私、いままでアイツから嘘つかれたことなかったから、今ちょっとショックかな…。」
そう言った彼女の表情があの日の表情に重なる。
いてもたってもいられない、どうして彼女ばかり不幸を感じなければならない。どうして、彼女はまた泣いている。そんな感情が俺の中でぐるぐると渦を巻く。
そして俺の感情は続くのだ。
俺なら、泣かせないのに。
その言葉に我に帰る。
何を考えているんだ、俺は。頭を左右に振り、思考を整える。
今のは気の迷いだ。その一部始終を見ていた彼女は疑問そうな顔で此方を見ていた。
その彼女に俺は言葉をかける。
「急に休みになっただけかもしれないし、明日、聞いてみれば?」
その言葉に彼女は少しだけ笑顔を取り戻し、そうだね、と呟いた。
1時間ほど彼女と時間をつぶし、外に出る。空は少しずつ夕焼け色に染まり始めていた。
「今日は付き合ってくれてありがとう。」
そう言って彼女は満面の笑みを此方にくれた。
俺はその笑顔に少しだけ見とれながら、明日のことを考える。
天気予報は確か、晴れだ。
次の日の放課後。
彼女は表面上、彼と嬉しそうに出て行った。
それが表面上だと俺が感じるのは昨日の表情を知っているからかもしれない。
学校から帰宅した俺は彼女がどうなったのかが気になって仕方がなかった。
落ち着きなく自分の部屋を徘徊しながら頭を抱え、ああだこうだと悩み続けた。
気付いたら夕飯時で、彼女が帰宅したかもしれないと最近教えてもらったスマートフォンアプリの連絡先を開く。そこにメッセージで“今、家?大丈夫?”とだけ送ると、すぐに返信が来た。
“まだだよー。今アイツの家ごはーん。帰ったら連絡するね!”
ご飯までいただいちゃう仲なのかと、少し思いながら、そのメッセージに了解の返事を送る。
そうすると、彼女から一言“ありがとう”と何故かハートマーク付きで返信が来た。彼女からすれば冗談かもしれないが、俺の胸は少しばかり高鳴る。
そのまま返事はせずに、スマートフォンをベットに放り投げ、そこに自分の体も放り投げる。
気付き始めた自分の感情に辟易しながらも、初めての感情に少し戸惑う。
なんだって俺はこんな最悪なタイミングで彼女に恋なんてものをしているのか。
笑顔や怒り顔、拗ね顔、そして泣き顔。すべてが愛おしくなるなんてどうかしている。
ましてや、彼女をアイツに渡したくないなんて、そんなのなんて非道な思考回路だ。
ベットに横たわりながら、右腕を目に当て、考えるがいっこうに答えは見つからない。
さらに頭を抱えていると、ノック音が聞こえた。返事をすると、母からで、夕餉の準備が出来たとのこと。まずは腹ごしらえか、そう考えスマートフォンを置いて居間へ向かう。少し頭を入れ替えねば。
晩御飯のカレーを平らげ、部屋に戻りスマートフォンを確認する。
メッセージが一件、彼女からだ。
“今、帰ってきた。明日、話す。”
どこか冷めた内容に、クエスチョンマークが浮かぶ。
これは何かあったかもしれない。
了解の返信をし、床に就いた。
まだ、寝るには早いが起きていても今はまともな思考が出来ない。
電気を消し、瞼を閉じる。
明日は平常心の俺でいられますように。願いにも似たその思考を片隅に少しずつ俺は眠りへと落ちていった。
次の日、いつもより少しばかり早く目覚めた俺は早々と学校へと向かった。
彼女に会える訳でもないが、いてもたっても居られなかった。
学校に着くと、いつもより1時間も早い時間だった。
教室に入ると、そこには俺以外誰もいない。
朝練があるのか外から運動部の声が聞こえる。
自分の席に着き、スマホを開くとメッセージ1件。
…彼女からだ。
そこに書いている内容は彼女が今俺と同じような状況であるという事だった。
どうやら彼女も今日は早いらしい。アイツといつも一緒に朝は登校するはずなのだが、今日はそうではないらしい。
早々と返信を打つと彼女があと5分ほどで此方に到着することが分かった。
了解の返信をうち、スマートフォンをかばんに入れる。
少しそわそわして待っていると、教室の扉が開いた。
「おはよう。朝、早いね。」
そう言って笑顔を向ける彼女だが、その笑顔は最初に彼女に会った時のような無理をしているような笑顔だった。
「おはよう、あのさ、ちょっと話さない?」
たぶん俺が彼女をこんな風に誘うのは後にも先にも無い気がした。
その言葉に彼女は一瞬戸惑いを見せたものの、こくりと首を縦に振った。
俺が彼女の心境を見破ったことに気付いたのだろう、眉を八の字にした彼女は小さな声で謝罪を口にした。
俺はそれが聞こえなかったふりをして彼女を屋上に誘った。
誘ったのは俺だが、屋上に着いた瞬間口を開いたのは彼女だった。
「あのね、アイツ、告白するんだって。」
「そうなんだ、相手分かった?」
俺は少し驚いた。だって急展開だ。彼がいきなり行動に出るなんて。
彼女は俺の問いかけに首を横に振る。
「でもね、告白の時、私にいてほしいんだって。来週からさ、テスト休みで部活無くなるんだって。だから、その時告白するんだってさ。」
テスト休み。確か来週の月曜日からだったはずだ。今日が木曜日だから、時間はあまりない。
「どうする気でいるの?」
思わず問いかけると、彼女は一言わからないと呟いた。
そうだろう、だってそんなの残酷ではないか。
「でもね、あいつにお願いされたら、たぶん私断れない。」
髪を風になびかせながら、彼女は言う。
それが答えだとしたら、本当に世の中は残酷だ。
「そうか、うん、俺が力になれることとかあったら言って。」
そして、俺のこの言葉も残酷だ。
彼女は苦笑気味に頷いた。
その日の授業は身に入らなかった。
そして迎えた月曜日。
休み明けのけだるい雰囲気の通学路を歩きながら一人ため息をつく。
いつもより早い時間に家を出た俺はのんびりと歩きながら今日のことを考える。
今日、やはり彼女はアイツのもとへむかうのだろう。
好きなやつに告白するアイツの言葉を聞いて彼女はどうなってしまうのだろうか。
アイツに振られたら、彼女は俺に振り向いてくれるのではないか
邪の考えが浮かび、足を止め、その考え首を左右に振ることで薙ぎ払う。
駄目だ、そんなの絶対。
「なにやってるの?」
後ろから声が聞こえ、振り帰ると彼女が居た。
「なんでもないよ、…おはよう。」
ごまかすために笑って彼女に挨拶すると彼女は疑問そうにしながらも挨拶を返してくれた。
なんとなくそのまま一緒に学校へと向かうと彼女の方から話題を切り出した。
「今日、だね。」
その話題は何所か暗さをもっており、彼女の表情はまさに死刑宣告を受けた被疑者のそれに近い。
「そうだね。今日の放課後、だよね。」
その言葉に彼女は無言でうなずく。
少しの間の後に吹っ切れたように彼女は言った。
「頑張るよ、私。もしね、もしアイツに彼女が出来ても今まで通りしてやるんだ。でね、彼女より仲良くしちゃうんだから。」
そう言って彼女は苦笑した。あきらめたようなそんな顔に思わず顔をしかめる。
「そんな顔、しないで。でもね、ありがとう。本当に今まで。」
「まだ、アイツが告白成功するとは限らないじゃん。」
「するよ、私が惚れた男だよ。成功させるに決まってんじゃん。」
思わず面食らう。
女とこんなに強い生き物なのか。
「そっか…。あのさ、話なら俺でも聞けるから。」
「本当に、ありがとね。」
学校に着き自分の席に着いてからも気は晴れなかった。
もやもやと胸やけしたようになる。
なんだか、やりきれない気持ちでいっぱいだ。
授業にはやはり集中できず、先生の声は右から左へと流れていく。
来週はテストなのだから大事なはずなのに、そのこと自体どこか関係の無いことのように思えた。
そして、放課後。
一時間一時間授業が終わるごと彼女の表情は暗さを増していった。
今の彼女の表情はまさに雨雲のようにどんよりとした暗さをはらんでいた。
一人、また一人と消えていくクラスメイト。
帰宅するもの、部活に行くもの、遊びに行くもの。
俺と彼女が2人だけになった時、外は夕焼け色に染まり始めていた。
あえて俺は何も言わず、教室でスマートフォンをいじっていたが、彼女は空の色が変わっても自分の席から動こうとしない。
俺は彼女の席に近づき、後ろから声をかけた。
「まだ、行かないの?」
彼女はワンテンポ置いてから首を横に振った。
「もうね、行かなきゃだめなんだけどね、だめなの。」
そういって彼女は此方に振り向く。
先ほどから必死に耐えていたであろう涙が、彼女の頬を伝った。
「やっぱり怖いよ。」
そう言ってしゃくりあげてうつむいた彼女の頭をなでる。
「覚悟、きめたんじゃないの?」
俺がそう言った瞬間彼女は顔を上げて、俺をにらむ。
「今日意地悪だ。いつも慰めてくれたのに。」
口をとがらせる彼女に俺は笑った。
「前に、進もうよ。きっと大丈夫だから。」
「そんな、保障どこにあるの。」
俺の言葉にかぶせるように彼女は言った。
「アイツに彼女が出来たら今まで通り話せなくなるかもなんだよ?私なんていらない、って言われてアイツの彼女にも馬鹿にされて。そんなことになったら、私は耐えられない。」
怖いよ、と更に涙を伝わせる彼女は最初の時とかぶる。
ああ、もしかして、俺はあの時。
「アイツは、そんな奴じゃないだろう?」
「わかんないよ、彼女出来て変わっちゃうかも。」
「今行かないとたぶん後悔するよ。」
「行った方が後悔するよ、何で来ちゃったんだろうって。」
「本当にいいの?」
「だって、怖いし。」
「アイツ、待ってんじゃないの?」
そこで俺達の会話は止まった。
どうやら悩んでいるらしい。
静寂が教室を包み、窓から生ぬるい風が入ってきた。
「待ってなんかいないよ、私なんて。こんなどうしようもなく弱虫で、覚悟もないやつ。」
そして続ける。
「告白する勇気もなくて、いままでずっとこの関係に甘えていたんだ。掻っ攫われちゃっても仕方ないよね。」
苦く笑う彼女のその言葉は俺の耳にも痛い言葉だ。
ずきずきと俺の心をついばみ、仕舞には全身に回る感覚。
俺のこれも逃げなのかもしれない。
「行くべきだよ。」
俺は知っている。
「何でそんなこと言うの?いつも味方してくれたのに。」
彼女とアイツの答えを。
「だからこそ、後悔してほしくない。」
君は行くべきだ。
「行った方が後悔するんだよ。」
強い言葉で言う彼女。
「そんなことないよ。」
「君に何が分かるのさ!」
更に強い口調で此方をにらむ彼女。
「なら俺だけでも、立ち向かう。」
俺も強くかえすと、彼女は良く分からないという表情で此方を見る。
「俺は、君が好きだ。」
その言葉に彼女が言葉を失うのが見える。
「気付いたのは最近だけど、たぶん、一目ぼれだ。」
動揺している彼女が、口をパクパクさせている。
「私がアイツのこと好きなの知ってて何で言えるの。誰も、得しないんだよ?」
「俺は、後悔したくないから。今言わないとこの先ずっとそれを理由にして逃げちゃいそうだから。」
その言葉に今度は目を見開く彼女。
「だから、君は君の答えを見つけないとだめだよ。この気持ちは燻ぶらせておくには辛いものだから。」
「そんな、でも、そんな自信ないよ。」
「俺が君を好きなのは君が魅力的だから。それは君の自信にならないかな?」
それでも彼女は不安そうに此方を見る。
「そう、なら、もう一度言うね。」
俺は敢えて笑顔を作った。俺と彼女の答えは決まっていた。
「好きだ。」
彼女が息をのむ。
そして、強い目で俺に言う。
「ごめん。でも、ありがとう。」
そう言って彼女は走って教室から出て行った。
その後ろ姿を見てから俺はその場に崩れ落ちる。
あふれ出る涙。嗚咽が漏れないように口を押さえる。
長い回想、終了。
今、俺はここだ。走馬灯のようにながれた時系列ごとの思い出が今に至った。
いつか、これも思い出になるのだろう。
少し老けた回想に涙をこぼしながらも笑みがこぼれる。
泣いたり笑ったり今日の俺は随分忙しいな、と考える。
そして、考える。
今ごろ彼女は驚いているに違いない、と。
だって俺はあいつの答えを知っていたのだから。
だからあの二人の未来がどんなものか俺は知っていた。
何故知っていたか、それを知るには今度、本日の昼休みに遡る。
昼休み。トイレに向かうとアイツが居た。
思わず引き返そうになるが、考えてみれば俺と彼との接点はほとんどなく、別に共に連れションになってしまっても別に気まずい訳では無いであろう。
そう考え、用を足すためトイレへと向かう。
アイツのいる位置から一個開けて立つと、それに気付いたアイツが何故か話しかけてきた。
「よお」
「お、おう」
何故話しかけられたのか、よくわからないがもともとアイツは人好きな人間だ。
たまたま連れションになってしまった俺に声をかけるのは彼の中の普通なのかもしれない。
早々と立ち去ろうと、さっさと用を足し、手を洗う。
そうするとアイツは俺に更に声をかけてきた。
「今日、俺告白するわ。」
なんでこんなことを俺に言うのかわらなかった。
軽い返事で返そうとして彼の顔を見る。
動揺した、彼の表情はいつものふざけたものではなかったからだ。
「おう、がんばれ。」
驚きながらも俺は淡泊答える。そうすると、間髪いれずにアイツが言った。
「誰なのか聞かなくていいのか?」
「聞いてもいいのか?」
そういうと、彼は少し照れた様子で頭をかきながら言う。
「あー、てか、うん。知ってると思ってた。」
「俺の知ってるやつなのか?」
「お前、案外鈍感だな。まあ、いいや。俺、負けねえから。」
「は?」
何の話か分からず思わず素っ頓狂な声を上げる。
あいつは苛立ったようにそれにかえす。
「あー。だから、お前はライバルなの。最近、アイツと仲良いじゃん。」
その言葉に流石の俺も察した。
「まじで?」
「まじだよ。」
強い口調で彼は言う。
「まさか、付き合ってねーよな?」
「付き合ってないよ。俺は好きだけど。」
さらっと、何となしに言えてしまえた自分に驚いた。
「やっぱりかよ。」
愕然とした様子で項垂れる彼を見ながら、俺は言う。
「ふーん。なら俺も告白しちゃおうかな。」
「は?まじで言ってんの?」
焦った彼に少し笑いながら、彼と彼女の未来を予測する。
ならば、少しくらいわがまま言ってもいいだろう。
「どっちが付き合っても恨みっこなしってことで良いかな?」
「うわー。お前そんなキャラだっけ。」
「細かいことは気にすんな。」
「うわ、でも負けねー。このために俺マネジに女子の好きそうなものとか聞き込みしたし。」
その言葉にこの間の彼を思い出す。なるほど、合点がいった。
心底嫌そうな彼に笑いながら最後にこれだけを伝える。
きっと彼女は彼の告白を聞くまで不安で駄々をこねるから。
「もし、君との約束に遅れるようなことがあれば、たぶん俺のせいだから。だから、あいつが来るまで待ってあげて。」
これでこいつらがすれ違うことはもうないと思いたい。
昼のことを思い出すと、また笑みがこぼれる。
彼女がなんだかんだ駄々をこねたもののあの時の言葉があるから、彼は待っていてくれるだろう。納まる所に納まればいいのだが。
あいつ等は始めからただすれ違っていただけだったのだ。
最初にかまをかけたのは彼だ。そしてそのかまかけのせいで俺が彼女と近しくなった。
それが彼らの関係の変化のきっかけだった。
俺という変化剤は、彼の心に焦りをもたらすのに十分だったらしい。
まったく人騒がせなカップルだ。
俺は泣きながら笑った。
空は夕焼けの色を濃くし始めていた。
そろそろ、帰る準備をしないと。
もしかして彼女が戻ってくるかもしれないし。
泣いている自分を見せるのは流石に恥ずかしい。
立ち上がり、鞄を手に取る。
涙をぬぐい。一つ、息を吐く。
よし、と心に中で言って扉を開けた。
がらがらと、乾いた音を立てて開けた教室の引き戸。
その横には何故かうちのクラスの委員長が居た。
「うわあ」
「ひゃあ」
驚愕して慄くと委員長は焦ったように口を開いた。
「ご、ごめんね、えっと、立ち聞きするつもりはなかったんだけど、教科書忘れちゃって、それで、えっと、うん」
「どもり過ぎでしょ。」
思わず笑ってしまった。
「ええ、笑わないでよー。」
恥ずかしそうに言う委員長に声をかける。
「さ、俺は帰るね。じゃあね、委員長。」
そう言って俺は委員長に背を向けて歩き出した。
委員長はそんな俺の背中に投げかけた。
「ねえ、今幸せ?」
何故そんなことを聞くのか分からなかったが、俺は振り向き彼女に言う。
「ううん、どうだろう。でも清々しい気分だ。」
「そっか。じゃあそれは正解だ。」
そう言いながら委員長は手で此方めがけて空に花丸を書いた。
委員長は実は天然なのかもしれない。普通振られた男にこんなことを言うだろうか。
そもそも彼女の言っていること自体俺は理解しきれていなかった。
「委員長、よく、分かんないんだが。」
分からないから聞いてみることにしたが、委員長はきょとん、として答えた。
「だって、頑張ったんでしょ?」
「え、あ、うん。」
「全力を尽くして、後悔してなくて、満足したんでしょ?」
「そう、だけど…。」
「なら、それは正解だよ。お疲れ様。」
良く分からないがどうやら俺はほめられているらしい。
「えっと、ありがとう?」
「どういたしまして。それよりごめんね、聞いちゃって。」
「不可抗力でしょ、仕方ない。でも秘密ね。」
「そっか、うん、わかった。」
会話が止まり、一瞬静寂が流れる。
「じゃあ、ばいばい。」
委員長はその一瞬で笑顔を作り、此方に声をかけてくる。
それに俺も手を振ってこたえ、廊下を歩く。
もしかして委員長は励まそうとしてくれたのだろうか、そうだとしたら相当不器用だ。
まだまだ、この世の中には俺よりも不器用な人間が居るらしい。
そのことに思わず笑いそうになるのをこらえる。
一人で笑っているのも相当あやしいだろうから。
階段を降り、玄関を出て、校門をくぐる。
振り向いて学校をみると、屋上が目に入った。
人騒がせなカップルは成功しただろうか。
成功しない方がおかしいのだが、少し不安になる。
そして、気付いた。
俺は自分の幸せより彼女の幸せを願ってしまっていることに、そして彼女が幸せならば俺は。
委員長の問いかけを思い出した。
あのときは何を言っているんだと思ったが、あの場面では適切だったのかもしれない。
何故か頬を涙が伝った。涙をぬぐって歩き始める。
彼女の幸せが永久に続けばいいなどと、くだらないことを想い浮かべる。
しかし、その思考はいつのまにか今日の夕飯の内容にシフトチェンジしていた。
そんなもんか、と思いながら空を見る。
赤く染まった空は奥の方から少しずつ暗さを含み始めていた。
ああ、日が暮れる。
漠然とそんなことを考えながら、明日からの彼女との付き合い方はどうしようか、などといまさらなことに気付いてしまった。
しかし、その思考もすぐにシフトチェンジしてしまう。
だって、そうだろう。
俺の思い人だった人がそんなことで俺への対応を変えてしまうような人ではあるわけがない。
そう一人頷き、歩くスピードを上げる。
だから、今日だけ。
今日だけはまだ、彼女を好きな俺でいてもいいだろうか。
今日で俺は死ぬから。
明日から、新しい俺になるから。
だから、神様。
今日だけ、彼女のことを想って泣くことをお許しください。
夕陽を浴びながら俺は、頬を伝う涙をぬぐい続けた。
あの夕焼けに染まった教室は始まりであり、終わりでもあった。
ありがとう、彼女に出会えて本当に良かった。
こぼれ続ける涙を犠牲にしてでも俺は感謝する。
いつかこの涙が俺の青春の一ページを彩ると思いながら。