ずるいよな。
「…んなー…あんなー」
「そろそろ帰るね。また明日、お母さん。」
杏奈は黒猫の頭を撫で、木から飛び降りた。
そして、木の下に置いておいた荷物を拾うと家の方へ駆け出した。
「れーん。今日の夕飯なにー?」
杏奈は大きな声をあげた。
「今日はー、俺の好きなハンバーグ。」
ハンバーグ…明日何か頑張んなきゃいけない予定あったっけ…と杏奈は心の中で呟いた。
「おかえり、杏奈。」
杏奈の姿が見えると、蓮は手を振りながら、杏奈を迎えた。
「ただいま、蓮。」
「杏奈ちゃんと蓮おかえりなさい。」
2人が家に入ると、菫がリビングから顔を覗かせた。
「菫さん、ただいま。夕飯、ハンバーグなんでしょ。明日、なんかあったっけ?」
先ほどから気になっていた疑問を口に出すと、隣にいた蓮がため息をついた。
「忘れてるとは思ってたけど…本当に忘れてるとは…。」
「明日は…」
目の前にいた菫は笑みを浮かべた。
「杏奈ちゃんと蓮の、高校の入学式でしょう。」
…にゅう…がくしき…。入学式…。
「入学式なの?」
杏奈は心の中で二回ほど呟いてから声に出した。
「そ。俺とお前は明日から高校生なんだよ。」
「あれ…?蓮は知ってたの?」
杏奈は荷物を下ろしてから、首を傾げると、蓮は杏奈の頭を荒く撫でた。
「知らない方が不思議なんだけどな。制服もこの前家にとどいただろ?」
「そうなの?菫さん。」
杏奈は考えてみたが、制服というものは全く覚えがなかった。
「この前、部屋に掛けておいたわよ。サイズ確認しといてねって伝えたじゃない。」
「んー。覚えてない…。」
「ダメじゃんか、母さん。杏奈は口で言っても覚えようとしないから、ちゃんと一緒にやってあげなきゃいけないの、知ってるだろ?」
今度は菫の方を向き、ため息をついた。
「後で、俺が明日の準備とか一緒に確認してやるから寝ずに待っておけよ?」
蓮はそう言うと、自分の部屋に向かった。
もう…蓮は、杏奈ちゃんに対して本当に甘いんだから、と思った菫は、つい口元が緩んでしまった。
「杏奈ちゃん、じゃあ、食器出すのとか手伝ってもらっていいかな?」
「わかった。すぐ行くね。」
自分の部屋に向かう杏奈を見ながら、菫は、蓮の気持ちに全く気づいていない杏奈を微笑ましく思った。
「杏奈、今入って大丈夫か?」
杏奈がもう寝ようと思って、自室でくつろいでいると、ノックと共に、蓮の声が聞こえた。
「いいよー。」
杏奈が声をかけると、蓮が部屋に入ってきた。
「杏奈さ、明日の準備したか?」
「そんなことだと思ってたよ。これ、前学校から届いた手紙に入ってた明日必要なもの書かれているやつだから。俺も手伝ってやるよ。」
蓮に手伝ってもらって準備を終えると、杏奈はベッドの上に寝転んだ。
「明日から高校生か…。まだお母さんに報告してないから、言いに行かなきゃ。」
「杏奈さ、」
蓮は寝転がっている杏奈の隣に腰掛けた。
「明日から一緒に登校しないか?」
「んーいいよ。今までもずっとそうだったのに、今更どうしたの?」
杏奈は、蓮の方に体を向け、蓮の後ろから腰に腕を巻きつけた。
「あー、もう。杏奈、こういうこと誰にでもするんじゃないぞ。いいか?」
勢いよく蓮は立ち上がり、杏奈に背を向けた。
「蓮にしかしないから、だいじょーぶー。」
「はぁ…。さっき改めて俺が聞いた理由はさ…。俺らももう高校生だからこういうけじめも大事だな…って思ったからで。こういうこともさ…ちゃんと気持ちとか聞いてさ…。って…杏奈、聞いてる?」
杏奈の方に体を向けると、杏奈は枕を抱えて眠っていた。
蓮は、ふっと笑うと、杏奈の頭を撫でた。
「ほんと…杏奈って…ずるいよな…。」
蓮は杏奈を起こさないように布団をかけると、電気を消して、部屋の扉をそっと閉めた。
「杏奈、おやすみ。」