穏やかな停戦
全てに通じる流動性を有した、「何か」。
大葉壮也を空を見つめ、その「何か」を考えた。
全てが虚像ではないのか?そもそも何を実像としているのか?
それともこうして疑問に思うことさえ、何かしらの通り道なのか?
大葉がヒトと認知され、人類を越えた能力を身につけ特異種と名付けられても彼の疑問は一向に解消されそうにないのであった。
「君のいう今が君の中に了承されなければ、いつまでも君のレンズで映すものは、虚像だ。」
人が立ち入りそうにない草原の中に大葉以外に、もう一人いた。
「こうやっていても、どうしようもないように見えること自体が、虚像なんじゃないか?」
と大葉は相手に言う。
「この世界は、一体なんなのかと考えることを許すのは、知的好奇心があるだからだと、勝手に思い込んでいたが、どうもそうでもないらしい。」
「一ノ瀬、この世界を僕たちが疑うように外部からの干渉でもあるんじゃないか?」
もう一人の男は、一ノ瀬真という者であり、第三課の人間である。
「『はじめに光あれ』と神は言ったらしい。」
「すべての事象は、0&1の電気信号とでも?」
一ノ瀬は大葉に問う。
大葉は考えていた、空を見つめて、自らも他人も『くう』なのではないか、と。
人類の脳がその思考活動を極めていった結果、ヒトという存在を作り出した。思考を繰り返す内にヒトは内的世界の共有を可能にしたため、人類のネットワークをはるかに超えた網を手に入れた。それは、感情のネットワークでもありヒト達は、議論を越えた話し合いを行うまでに至る。文字通り話し合いであり、必ずといっていいほど、意思方向性は同一のものとなった。
そして、迫害を続ける人類に対して最初に下された意思は、「無抵抗」であった。しかし、それは、いつまでも続くものではなかった。ヒトは、恨みや憎しみを感じないわけではなかったが、自己感情の乖離化を可能にしたため、それを動機に人類に対して反旗をひるがえす訳ではなかった。
彼らが見つめ続けていたのは、未来でありそしてさらなる意思の進化であった。
認識能力のさらなる向上を上げるため、初歩の目的としては正確性の高い予測見地能力であった。
1965年。人類は、ヒトに対する大国間の共同戦線を張るにいたった。
人類の一方的殺戮が、1972年では一方的な人類の方の沈黙と化していた。
荒廃した街には、点々と人々がいたが、誰もがやつれた表情をしていた。
ヒトの認識を狂わせる感覚干渉は、人類を静かに黙らせていった。
ヒトは、あくまで人類の武装化を解くのが目的であり、彼らの殺害ではなかった。
そのため、無傷で済む人類も多くいた。
ヒトの代表者とされる、「アマギ」はこう言った。
「人類の皆さんも我々と1つになってやらなければいけない課題にいい加減お気づきになれましたでしょう?どうか手を貸してください。」
ヒトは人類の組織の解体を行わなかった。
彼らは人類の武力行使を止めることだけが目的であり、人類に対する協力要請は上辺だけのものであった。彼らの本当の目的を遅延させる人類の行動を止めただけであった。
彼には時間がなかった。
空間の歪とは、いつどこで、起きるのか人類は予測不可能であった。
しかし、彼らはにはそれを認知することができたのだった。
大葉は言う。
「物理的に回避しようとしてもだめなんだよ。」




