人類の戦争意思、継続の元
1968年、ある男の手記。
「酒の酔いは救いだ。
と、とりあえず考えの中心に置く。
異論なんてものは、この世に考えというものがあれば、例えどんなに真実に近いものだとしても無数に存在する。いわば、異論とは、考え=イデアの存在証明でもある気がする。
そう、ヒトという存在に対して、俺達、人類が迫害することは、奴らの存在証明なのだ。
しかし、俺達を糾弾して、真正面で批判してくれる者なんていない。
だから、俺たちは抑揚のない声で自分自身を批判するんだ。そう、まるで別の生き物に対して言うように。
まるで、滑稽だ。同じ同胞に対して、俺たちは自分のために否定する。
それどころか、今じゃそれは当り前で、そんなことを言う奴をたちまち見れば、世間の皆々様は、キョトンとして、考えることをやめてしまう。そもそも世間第一で考えている輩に自分のイデアなんてない。この時代のイデアは、弱い。
いいんだ。これも進化の一環だ。いずれ、俺達、旧人類をヒトは、潰すだろう。やつらは、自分たちを批判しなくても、俺達、旧人類に存在証明してもらえるのだから。
だが、俺にも意地がある。この人類は長い文化とカルマも抱えてきた。
潰されてたまるか。」
日本第三課技術研究局長、長田雅彦の言葉。
ヒトは自分の正体を見極めた時、人類を、、、




