第五話:死神の閃光
死を覚悟し、陸が固く目を閉じた、その刹那。
世界から、音が消えた。
――いや、正確には、音が「変化した」のだ。
男が振り下ろした鉄パイプの風切り音も、げびた笑い声も、遠くで鳴り響いていた金属の軋みも。
すべてが水の底に沈んだように、くぐもって遠ざかっていく。
代わりに、キィン、と耳の奥で高周波のような音が鳴り続けた。
予期していた衝撃は、いつまで経っても訪れない。
恐る恐る、陸は片目を開けた。
そして、信じられない光景を目撃する。
振り下ろされる寸前だった鉄パイプが、宙で静止している。
鉄パイプを握る男の、醜く歪んだ顔も。
驚愕に見開かれた相方の目も。
すべてが、まるで時が止まったかのように、ぴたりと動きを止めていた。
舞い上がった砂塵ですら、空気中に縫い付けられたように静止している。
何だ、これは。
陸がそう思う間もなく、静止していた世界が再び動き出した。
ただし、それは常軌を逸した形で。
陸にとどめを刺そうとしていた男が、まるで背後から巨大な何かに突き飛ばされたかのように、ありえない角度で「く」の字に折れ曲がった。
悲鳴を上げる間もなく、男は後方へと吹き飛んでいく。
身体は瓦礫の山に叩きつけられ、ぐしゃり、と熟れた果実が潰れるような鈍い音がした。
それきり、動かなくなる。
「な……!?」
残ったもう一人が、何が起きたのか理解できず、素っ頓狂な声を上げた。
陸も同じだった。
目の前で起きた、物理法則を無視した現象に、思考が完全に停止している。
その時、二人の視線の先に、一つの人影が現れた。
よろよろと、今にも倒れそうな足取りで、瓦礫の陰から歩み出てくる。
ぼろぼろで色の抜け落ちたローブを深く被り、顔は窺えない。
ただ、その手には、小さな古びた金属片が握られていた。
三つの月の光を鈍く反射し、淡い光を放っているように見える。
「てめぇ……何しやがった……!」
残された男が、恐怖と怒りで顔を引きつらせ、鉄パイプを構え直して叫んだ。
人影は答えない。
ただ静かに、金属片を握りしめた右手を、ゆっくりと男へ向けただけだった。
「舐めるなあああっ!」
男は恐怖を振り払うように絶叫し、老人と思しきその人影へ突進する。
鉄パイプがローブの頭上へと振り下ろされた。
――閃光。
陸には、そうとしか認識できなかった。
老人が、わずかに指を動かしたように見えた。
その瞬間、握られた金属片から、一条の光が放たれたのだ。
それはレーザーのように細く鋭く、そして雷光のように速かった。
閃光は一直線に、突進してきた男の胸の中心を貫いた。
男の動きが、再び、ぴたりと止まる。
胸には、拳ほどの大きさの焼け焦げた穴が空いていた。
男は信じられないという表情で、自らの胸と、遠くに立つ老人を、二、三度、交互に見やる。
そして、言葉にならない空気の塊を吐き出すと、前のめりに、ゆっくりと倒れていった。
どさり、とただの肉塊が地面に転がる、生々しい音が響いた。
静寂が、再び訪れた。
後には、二つの死体と、呆然と座り込む陸。
そして、静かに佇むローブの老人だけが残された。
陸は、まだ目の前の出来事を理解できずにいた。
質の悪いSF映画のワンシーンを見ているようで、現実感がない。
だが、鼻を突く肉の焦げ臭さと、地面に広がり始めた血の鉄錆びた匂いが。
これが紛れもない現実であることを、五感に叩きつけてくる。
暴力への恐怖は、どこかへ消えていた。
いや、それ以上に、もっと根源的で圧倒的な感情が、陸の心を支配していた。
畏怖。
人知を超えた不可解な力に対する、絶対的な畏怖。
先ほどまで陸を虫けらのように嬲っていた男たちが、あまりにもあっけなく殺された。
あの老人が手にしていた、小さな金属片。
あれが、この世界の「力」なのだ。
暴力や数や体格といった、陸がこれまで信じてきた物理的な優劣を、児戯のように無に帰す。
絶対的な力の象徴。
陸は震える視線を、ゆっくりと老人へ向けた。
助かった。
その安堵より先に、理解不能な現象を目の当たりにした純粋な混乱が、思考を埋め尽くしていく。
自分は、一体、何に助けられたのか。
そして、あの老人は、一体、何者なのか。
ローブの奥から、乾いた咳の音が二つ、三つ聞こえた。
そしてその人影は、まるで糸が切れた人形のように、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。




