第三話:生への執着
二日が経過した。
あるいは、三日だったかもしれない。
空を支配する三つの月は、それぞれ異なる周期で満ち欠けを繰り返し、地球のそれとは比較にならないほど複雑に、この星の昼と夜を演出していた。
だが、陸にとって、そんな天体の運行はどうでもいいことだった。
彼の内なる時計は、もっと原始的で、切実なリズムを刻み始めていたからだ。
ぎゅるるる、と腹の虫が悲鳴のような音を立てた。
もう何時間そうしているだろう。
胃が、その存在を主張するように、内側から激しく痙攣する。
最後に固形物を口にしたのは、いつだったか。
学校帰りに友人たちと食べた、コンビニの肉まん。
あの湯気の向こうに見えた、友人のくだらない笑顔。
そんな、あまりにも平和な光景が、今はもう手の届かない銀河の彼方の出来事のように思えた。
飢えだけではない。
喉が焼け付くように渇いていた。
唇はひび割れ、舌は乾いて口内に張り付いている。
唾を飲み込むことすら億劫だった。
思考は霧がかかったように鈍化し、複雑なことを考えようとすると、すぐに意識が散漫になる。
「みず……」
かすれた声が、自分でも驚くほど弱々しく響いた。
生存本能。
教科書で習っただけの、その言葉の意味を、陸は今、全身で理解していた。
彼の思考を支配しているのは、ただ一つ。
「水」と「食料」を求める、動物的な渇望だけだった。
昨日まで空星陸という人間を形成していた、悩み、喜び、見栄、羞恥心といった複雑な感情は、生命維持という絶対的な命令の前では、あまりにも脆く、色褪せていた。
彼は獣のように四つん這いになり、地面を嗅ぎまわった。
匂いを頼りに、湿り気のある場所を探す。
やがて、巨大な貯水タンクだったものの残骸の下で、地面が黒く湿っているのを見つけた。
瓦礫の隙間から、ごく少量ずつ液体が染み出している。
陸は、その液体に顔を近づけた。
鼻を突く、オイルとカビが混じったような強烈な悪臭。
液体の表面には虹色の油膜が浮かび、得体のしれない浮遊物が漂っている。
これを、飲むのか。
脳裏に、衛生、細菌、病気といった言葉が浮かび、警鐘を鳴らす。
だが、喉の渇きは、そんな理性的な判断を嘲笑うかのように、彼の喉を締め上げた。
陸は意を決し、地面に滲んだその液体に、直接口をつけた。
舌に広がる、鉄錆の味と、油のぬるりとした感触。
言葉にできないほどの不味さに、吐き気がこみ上げてくる。
しかし彼はそれを必死にこらえ、飲み下した。
水分が、乾ききった喉を潤していく。
その、ほんのわずかな快感が、屈辱と嫌悪感を上回った。
一度飲んでしまえば、もうためらいはなかった。
彼は犬のように、夢中で地面の汚水をすすった。
もう、自分が人間であるとか、高校生であるとか、そんなことはどうでもよかった。
ただ、生きるために。
この一秒先の渇きを癒すために。
その時だった。
視線の先で、この星の住人の一人が、何かを捕らえているのが見えた。
トカゲのようにも、ネズミのようにも見える、六本足の小動物。
住人はその生物を無造作に掴むと、石で頭を砕き、手慣れた様子で皮を剥ぎ始めた。
そして、まだ痙攣している赤黒い肉の塊に、かじりついたのだ。
滴る血を美味そうにすするその姿を見て、陸は先ほど飲んだ汚水とは別の理由で、再び吐き気をもよおした。
あれが、この世界での「食事」なのか。
あれをしなければ、ここで生きることはできないのか。
昨日までの自分が当たり前に享受していたものが、ここでは命懸けで手に入れなければならないものなのだと、彼は改めて思い知らされた。
蛇口をひねれば、無色透明の水が無限に出てくる奇跡。
冷蔵庫を開ければ、安全で、調理された食料が手に入る奇跡。
その奇跡の上に成り立っていた、空星陸という存在。
汚水をすすり、満たされない空腹を抱えながら、陸はぼんやりと空を見上げた。
三つの月が、静かに彼を見下ろしている。
プライドも、羞恥心も、生存本能の前では塵芥に等しい。
それを彼は、この数日間で骨の髄まで叩き込まれた。
だが心の奥底で、まだ何かが最後の抵抗を試みていた。
あれだけは、嫌だ。
あの獣のような食事だけは。
それは人間としての、あるいは空星陸という個人としての、最後の砦のようなものだったのかもしれない。
しかしその砦もまた、無慈悲な時間と飢えの前では、いずれ崩れ去る砂上の楼閣でしかないことを、彼は予感していた。
胃の痙攣が、また一段と激しくなる。
陸はうずくまり、腹を抱えた。
その目は、先ほど住人が小動物を捕らえた茂みを、無意識のうちに、じっと見つめていた。




