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コズミック・ドリフター①始まりの墓標(廃墟ユートピア "ウロボロス")  作者: naomikoryo


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第十話:ネオンの海にて

意識の覚醒は、今度もまた匂いから始まった。

だが、それはウロボロスの、あの鼻を刺すようなオイルと錆の悪臭ではない。

食欲をそそる、香ばしいスパイスの匂い。

焼きたてのパンのような甘い香り。

そして、どこかエキゾチックな花の香水の匂い。

それらが混じり合って、彼の鼻腔を優しくくすぐった。


次に、音。

人々の話し声と、笑い声。

遠くで奏でられている、軽快な弦楽器のメロディ。

そして絶え間なく続く、活気に満ちた喧騒。

ウロボロスの、あの死んだような静寂と不気味な金属音の世界とは、何もかもが正反対だった。


陸は、ゆっくりと目を開けた。

自分が薄暗い路地裏の壁にもたれかかるようにして、地面に座り込んでいるのが分かる。

身体は、まるで鉛を詰め込まれたかのように重く、だるい。

スキルチップを埋め込み、暴走したことによるダメージだろう。

全身の筋肉が、ひどい熱を出した後のように気怠く痛んだ。


だが、生きている。


その事実が、何よりもまず彼の心に温かい安堵をもたらした。

あの暴走の中で、自分の存在が完全に消滅してしまったのだと思っていた。

しかし自分は、まだここにいる。


右腕に視線を落とす。

ブレザーの袖は、自らつけた傷とその血で、見るも無惨に汚れていた。

だが、その下にあるはずの傷口は、なぜかもうほとんど塞がっているようだった。

痛みもない。

ただ、チップを埋め込んだ場所に、黒曜石で作られた装飾品のような奇妙な痣だけが残っている。

これがスキルチップ。

俺の身体の一部になった、力。


陸は、ふらつく身体に鞭打ってゆっくりと立ち上がった。

壁に手をつき、一歩、また一歩と、路地裏の出口――光が差す方へ歩いていく。

そして大通りへ一歩、足を踏み出した瞬間。

彼は、再び世界から音を奪われた。


目の前に広がっていたのは、光と音と生命の洪水だった。


天を突くように、巨大なビルが林立している。

その壁面は巨大なホログラムの広告塔となっており、派手な衣装をまとった異星人のモデルが艶かしく微笑んでいた。

ビルとビルの間を、流線型のタイヤのない乗り物――エアカー――が、光の尾を引きながら音もなく滑っていく。


そして、地上。

そこは、人種の坩堝だった。

ウロボロスで見たような身体を機械化した者もいれば、獣のような耳や尻尾を持つ者もいる。

緑色の肌をした者。

宝石のような複眼を持つ者。

そして陸と同じ、ごく普通の人間のような姿をした者。

ありとあらゆる人種が、楽しげに語らい笑い、あるいは忙しげに、それぞれの目的地へと歩いていく。


「…………」


陸は声も出せず、ただその光景に圧倒されていた。

ここは、どこだ。

あの鉄と瓦礫と死の匂いしかしない灰色の世界は、どこへ行ったんだ。

ここは天国か。

俺は、やっぱりあの時、死んでしまったのか。


混乱する頭で、彼は必死に状況を整理しようとする。

そうだ、スキルチップ。

あの老人は言っていた。

「星々を渡る感覚」。

そして俺の脳裏に流れ込んできた、様々なユートピアの風景。

まさか。

あの暴走は俺を、別の星に「運んだ」というのか。


「惑星渡り(アステリア・ホッピング)」

老人が遺したチップの名前。

その、あまりにも壮大で現実味のない言葉の意味を、陸は今、ようやく理解し始めていた。


暴力と死に満ちた、静かな地獄。

生命と欲望に満ちた、賑やかな地獄。


どちらがマシかなんて、まだ分からない。

だが少なくとも、ここには「生きている」匂いが満ちていた。

屋台から漂ってくる香ばしい匂いが、陸の空っぽの胃をたまらないほど刺激する。


数日前まで、汚水をすすり、生肉を貪る獣の姿に吐き気を催していた自分が嘘のようだ。

今、彼の心を満たしているのは、目の前の光景への混乱と、そしてもっと本能的な「腹が減った」という強烈な欲求だった。


その、あまりにも人間的な感覚に、陸は思わずふっと口元を緩めた。

どうやら自分は、まだ「人」でいられるらしい。


感情が、状況の変化にまったく追いついていなかった。

しかし、それでいいとさえ思えた。

今はただ、この目まぐるしい光景と、自分の内に芽生えたささやかな希望の兆しを受け入れるだけで精一杯だった。

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