第九話
その日以降、麗華と瑠奈は少しずつ私との距離をとるようになりました。けれど、穂乃果と四人でいる時は普段と何一つ変わらない感じで接してくれたのは、今思い返せば二人なりの優しさだったのかもしれません。
「ねえ、先生。こないだの授業で分からないところがあったんで聞いてもいいですか」
穂乃果が早い時間から登校するようになったせいで、私が先生と過ごせる時間は一日に三十分程になっていました。車から降りたばかりの先生は「今か?」と目を丸くしました。私はちいさく頷いてから先生と一緒に教室に入り、いつものように椅子に腰を下ろしました。
「で、どこ?」
中々教科書を開かない私を不思議に思ったのか、先生はそう問いかけてきます。私は鞄からそれを取り出そうと手を入れて、やっぱりやめました。
「あの」
本当は、昨日の授業で分からないところなど無かったからです。
「私、先生とこうやって二人で過ごす時間好きです」
「俺もだよ」
「落ち着くんです」
「落ち着く」
「はい。ぐるぐる頭が回って普段の私はどうしようもなく苛ついてばかりなんですけど、先生と一緒にいると心が凪いでいくんです」
先生はそこで「そんな風に言ってもらえると嬉しいな」とふわりと笑みを浮かべました。
「でもここだと一緒にいれる時間は限られてるし……だから、学校じゃない別のどこかで二人で会えませんか?」
「ああ、俺はいつでも。明日美がそれを望んでいるなら」
先生はそこで立ち上がり「分からないところなんてないんだろ? 話したかったことってこれ?」と問いかけてきたので私はちいさく頷きました。「じゃあ、またあとでな」と頭に手を置かれ、先生は教室から出ていきました。もしかしたら先生の手のひらからは、糸が伸びていたのかもしれません。私の触れられた場所にそれが結びついているのかもしれないと錯覚する程についさっき先生に触れられたばかりの頭に違和感が残りました。引っ張られているようなふわふわとした感覚は、けれど、決して不快ではありませんでした。
その日のお昼休み、穂乃果がやけにテンションが高く、私はなぜかぞわりとした胸騒ぎがしました。六限のチャイムが鳴ってから教壇に立つ先生のところに穂乃果はお菓子を貰った子供のように駆けていき「せーんせっ」という凄く不愉快な、綿菓子みたいな甘ったるい声をあげました。私の鼓膜は、その声に侵されて腐りそうでした。
〈ついさっき知った。穂乃果は明日、先生とライブをみにいくらしい。前話してた好きなアーティストのやつ。
ふざけんな。ふざけんな。ふざけんな。
なんであいつと? 私じゃないの? ムカつく。苛々する。私があんな奴に魅力で負けたって事実が悔しくて悔しくて仕方ない。だってそうでしょ? 私だけでいいじゃん。他のやつといく必要なんてある?
分かってる。分かってるよ。私だけじゃ、満たされないんだ。はあ。溜息でる。
私って、どうやったら幸せになれるんだろう。〉