第八話
いつからか穂乃果という存在が邪魔に思えてきました。当初の目的を果たす為にもそうでしたが、また違った意味でも邪魔でした。
梅雨が始まろうとする頃には穂乃果は本気で先生のことを好きになっていました。彼氏とする年齢のボーダラインからは下回っているとはいえ、先生と私たちとでは十歳も離れており、その大人独特の包容力と妙な落ち着きが、穂乃果の愛されたいという欲求を強く刺激したようでした。穂乃果はいつもお昼を過ぎた辺りからそわそわとし始め、チャイムが鳴ると同時に先生のところに向かいます。それだけでは話し足りなかったのか、朝の時間もどんどん早く登校するようになってきました。これでは先生との距離を縮められない。そう思った私は、身代わりを用意することにしました。
月日が経つにつれ先生の人気も落ち着き始め、心から好きだと思っている子以外は休み時間の度に先生のところにいくというような愚かな行動をとる子はいなくなりました。それに比例して穂乃果の周りにはまた以前のように人が集まり始めました。容姿も内面も全てが美しい。仮面を被った穂乃果の本当の姿を知らないので、皆が憧れていたのです。ですが、憧れが強すぎるあまりに学校では話しかけても放課後遊びに行こうと誘うような子はいませんでした。だから私は穂乃果が傍に置きたくなるであろう跳ね返りのある子を用意しました。
その二人は麗華と瑠奈といって、二人とも先生から下の名前で呼ばれているだけあって美しい子でした。麗華は色が白く、綺麗に染められた金髪がよく似合う女の子で、瑠奈は口調が強過ぎるのであまり同性から好かれるタイプではないかもしれませんが、腰の辺りで折ったスカートから伸びる足は細いうえに長く、一方で瑠奈のそのスタイルの良さに憧れている女子も多かったです。そして二人とも自分を持っており、やりたくないことはやらない、欲しくないものはいらないとはっきりと明言する子たちでした。女の子同士だと、メイク道具や筆記道具、洋服など、幾つかの自分を彩ってくれるアイテムを仲が良い子とお揃いにすることがよくありますが、二人は必要ではないと思ったことは「なんで? それ意味ある? 私はこれでいい」と突っぱねる為、クラスの中では少しだけ浮いた存在でした。私はその二人に好かれるようなキャラクターを自らの身に纏い、この数週間積極的に話しかけていました。
「ねえ、穂乃果。今日のお昼さ、麗華と瑠奈も一緒に食べていいかな」
携帯を鏡代わりにし手ぐしで髪をといていた穂乃果はすぐに可憐な笑みを浮かべ「うん。いいよ。一緒に食べよ」と頷きました。穂乃果は女の子に対してはいつも仮面を被るので、これは想像通りでした。
「へーじゃあ、穂乃果って先生のこと好きなんだ」
食堂で、一つのテーブルを四人で囲んでいた時、瑠奈がクロワッサンをちいさくちぎりながら言いました。女の子同士で集まると、やっぱり恋愛の話が一番盛り上がります。
「うん。もう何回も二人きりで話してるし、今までの経験からして先生も私のこと好きになり始めてくれてるかなってのは、なんとなく思ってるんだけど。でも、先生のことを狙っている子って多いからね、この恋が実るか分かんない」
「まあでも穂乃果って学年で一番かわいいからいけるんじゃない? その美貌は向かうところ敵無しって感じだもんね」
麗華が答えを求めるように瑠奈をみると、紙パックのカフェオレにストローを差しながら「分かる」とただ一言だけ呟きました。それからストローをくわえ「でも先生かー。瑠奈は無理だな」とぽつりと呟いたのです。私はあまりにも狙い通りの反応をしてくれる二人に感動すら覚えていました。
「だって先生ってさ、二十六でしょ? あと四年で三十じゃん。おじさんじゃん」
「そう? 私は全然許容範囲内だけど」
穂乃果はそう言いながらどこか嬉しそうでした。麗華と瑠奈のように跳ね返りのある子が、穂乃果は大好きなのです。
「ただのジジ専じゃん」
「はあ? ジジ専じゃないし。かっこよくて大人な男性が好きなだけだし」
穂乃果の放った言葉に、麗華がきゃははと笑い声をあげ、それに続くように私たちは髪を揺らしました。その日のうちに四人でカラオケに行き、メッセージアプリでは四人だけのグループを作りました。必然的に四人で過ごす時間が多くなり始めた段階で、私は四人で遊ぶ予定を幾つか立てました。元から行くつもりはありませんでしたが、麗華と瑠奈に穂乃果を任せておけば、私は先生に会いに行ける。そう思ったのです。ですが、それを何度か繰り返している内、私はトイレから出たところで麗華と瑠奈に呼び止められました。
「ねえ明日美ってさ、もしかして先生のこと好き?」
唐突に問いかけられ、私は「えっ、なんで?」と返すだけで精一杯でした。
「穂乃果が先生のことを話してる時の、明日美の顔みてたら分かるよ」
「でさ、もしかして私たちをグループに誘ったのって放課後先生に会いにいくのが目的だったりしてって思ったんだけど」
私の心臓は早鐘のように打ち始めていました。
「前ね、明日美と先生が放課後話してるのをみたって子がいるんだよ。しかもその日は、私たちとの予定をドタキャンした日」
「もし、もしだよ? 私たちのことをだしに使う為にグループに引き入れたならまじでキレるよ」
「違っ、違う。あの日は、忘れものをして偶然先生に」
苦し紛れの嘘でした。どう言葉を返せばいいのか。頭の中を必死にかき回し言葉を紡ごうとしていると、私の肩に瑠奈の手がふわりとのりました。
「そんな焦んなくてもいいじゃん。好きな人がたまたま偶然同じ人だったって事でしょ? それをいちいち穂乃果にチクるつもりはないよ。ただ、それに瑠奈たちを巻き込まないでって言いたかっただけだから」
瑠奈と麗華は「じゃあ話したかった事はそれだけ」と手を蝶のようにひらつかせながら私の前から去っていきました。私は二人の背中が教室に消えていくまで睨見つけ、それからもう一度トイレに戻りました。すぅっと息を吸った時、扉が目に入りました。
「あーーっ、くそ!」
思い切り叩きつけました。何度も。何度も。
「うまくいかない……なんで」
じんじんと脈を打つ手のひらをみつめながら、無意識に溢していました。私はその時まで、自分の立てた計画は全て思い通りになると、どこか慢心していました。でも、違った。うまくいったのは異性である先生だけで、同性の女の子にはまるで通用しなかったのです。
〈少女aの戯言。もう、これで終わるかも。邪魔過ぎる。全員が邪魔。私も学校も、この世界も全部壊れたらいいのに。そしたらこの苛つきだって無くなる。っていうか、私は何でこんなに苛ついてんだろ? 何でこんなに必死になってんだろ? 自分が自分でわかんないや。〉