第七話
「えっ、もう来てたの? 今日も?」
教室に入ってきた穂乃果は私の姿をみるなり、そう呟きました。壁に設けられた時計の針は、午前八時を指しています。始業は八時半からですし特段早い訳ではなかったのかもしれませんが、この数週間穂乃果が登校した時にはいつも私がいた為不思議に思ったのかもしれません。
穂乃果がそう思うのも無理はありません。〈一緒に学校にいこ〉と穂乃果から時折メッセージが届いていたのですが、私はいつも何かしらの理由をつけて断っていました。にも関わらず、学校に登校すれば私がいました。穂乃果の疑問は至極当然だったのです。
私はこの数週間毎日午前七時には登校していました。目的は、先生との距離を縮める為。先生は私に言ってくれていたように、いつも教室の鍵を開けて待っていてくれました。学校のこと、家での生活、友人関係、趣味、休みの日には何をしているのか。毎日約一時間。教室の中で、先生と二人きり。本当に沢山の、いろんな話をしました。そんな日々を過ごしている内に、一つ気付いたことがありました。先生は想像以上に話しやすかったということです。
正直私は、男性があまり好きではありませんでした。小学校の頃は一目惚れした男子もいたのですが、中学に入ってからはこれまでにも記述した通り、私の目には穂乃果しか映っていませんでした。初めて穂乃果のことを好きかもしれないと気付いた時は、ああ私は女の子が好きなのか、と驚いたのと同時にどこか落胆した気持ちはありました。普通ではない。今の時代、人が人を好きになるのに性別は関係ないというような、多様性が見直されつつある時代だとは言っても、やっぱり、どこか、同性を好きだという事実は皆から敬遠されがちというか、皆から異質な存在と思われ水槽の中から迫害されるかもしれないと思ったので私はずっと胸に秘めていました。
でも、それと同時にどこか腑に落ちた部分もありました。私は両親からそれはそれは厳しく育てられていたので、中学の時は勿論のこと、小学校の時から異性と遊ぶことは禁じられていました。異性と交友するのは二十歳を過ぎてからでいい。余計なトラブルを招くだけだから。両親からは呪いのような言葉を何度も言われていた為、私の頭にはそれがこびりついていました。そのせいもあって、力が強く、身体が大きな男子という存在はどこか異質で、怖い生き物だとも思っていました。それに、これは私の通っていた中学が悪かっただけなのかもしれませんが、男子たちは雑に人の弱い部分に踏み込んでくる人が多かったのです。たとえば胸がちいさい子、たとえば太りやすい子。本人がコンプレックスに抱えている部分を、容赦なく踏みにじる。私は、そんな男子たちがあまり好きではなくて、特に大人の男性は更に身体も大きいですし恐怖の対象でしか無かったのです。
ですが、先生は違いました。勿論男性的というのか、人の容姿で優劣をつけるような女性を値踏みしている点では同じだと思ったのですが、対ひと対ひとという点においてはいつも私の心に寄り添いながらも、目線を落とし共感してくれる。
新学期初日の挨拶で言っていた「教師と生徒というよりは良き友人のような関係を築きたいと思っています」というあの言葉は嘘ではなかったのです。
同じようなことを、穂乃果も言っていました。
──昨日ね、放課後先生とやっと二人きりになれたんだけど、話しやすすぎてびっくりした。悩みとか趣味とか何でも話せちゃうんだよね。ほんと不思議だわ。六時前くらいまで話してたんだけど、一瞬で時間過ぎてたもんね。あっあと、好きなアーティストとかも同じでさ。今度お気に入りのプレイリストを見せ合おうって約束したの。
その日は、いつものように一緒に帰ろうと思っていたら、穂乃果には用があるから先に帰っててと言われていました。後から聞いてみたらそういう事だったのかと分かり、私の胸にはちりりと火花が散りました。翌日、最近穂乃果と仲良いらしいですね、と先生に微笑みかけると、先生はなんてことない表情で「あーそうだな。穂乃果とは最近話す機会が多いかもな。ちゃんと向き合ってみたら穂乃果も愛に溢れたいい子だと分かってさ、やっぱり生徒と向き合わなくちゃ駄目だよなって改めて思ったよ。皆いい子たちばかりだし、先生はお前たちの担任になれて鼻が高いよ」と言われ、私の胸の中で散った火花は更に大きな火をあげました。この時の私の感情はSNSに呟いています。そうです。少女aの戯言です。
〈不愉快だった。凄く凄く。なんかさ、自分の感情が分からない。私じゃない、もう一人の私が中にいるみたい〉