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第三話

 男は飲水と一緒。これは、穂乃果がよく口にしていた言葉です。グラスから飲水が無くなれば新しいものを、古くなった時も新しいものを。穂乃果は男性のことをそんな風に考えていました。けれど、特に若い男の子、たとえば私たちと同じような学生に対しては穂乃果は見向きもしませんでした。どうせ付き合うならお金も車も持っていて自分が知らない世界をみせてくれる男がいいそうでした。それも、出来れば年は三十代よりも上。最悪四十歳くらいでもいいと言われた時は、穂乃果のことが心配になりました。


 ええ、分かっています。そんな心配はどうでもいいですよね。男は飲水と一緒だなんて、とても差別的で決して許される発言ではないと私も思います。ですが、穂乃果はそれを隠そうともしませんでした。中学三年の夏、私たちはその時まだ共学の学校に通っていたので、その日も穂乃果に惚れた男の子が、自分が地に落ちてただ砕け散るだけの雨粒だとは知らず、一階の非常階段の下に呼び出してきました。


「あーめんどくさい。告る時ってさ、前置きがあるじゃん? 何で男の人って皆あれをやりたがるだろうね」


 穂乃果に付いてきてと言われたので横並びになって歩いていた時、ふいに問われました。私は少しの間を置いてから「わかんない」と首を横に振りました。


「だよね。分かんないよね? 好きなら好きで良くない? ただ一言、付き合って下さい。それで気持ち伝わるじゃんね?」

「うん。でも、それだと差別化出来ないっていうか他の男の子と同じだと思われるかもって考えてるんじゃない?」


 言うか言わまいか最初は迷いましたが、私は少しでも穂乃果の気に障らないように、尚且つ自分の意見を述べなければつまらない女だと思われてしまうと考えた結果、丁寧に丁寧に言葉を絞り出すように徹することにしました。穂乃果は一瞬宙を見上げ考える素振りをみせましたが、数秒後には「いや、やっぱわかんないわ」とぽつりと呟き、それから「明日美の方が男の子の気持ち分かってるよね」と笑みを向けられ、私の心臓は一瞬ちいさなうねりをあげましたが、すぐに沈んでいきました。


 私たちの通っていた中学は建物が古かったので非常階段には赤い錆が至るところに浮いており、心なしか血液のにおいがしました。遠くの方からわんわんと鳴く、その年の蝉の産声が聴こえていて、ただ立ってるだけなのに身体中から汗が滲んできました。そうです。男の子は穂乃果を呼び出したのにも関わらず私たちが着いた頃にはまだ来ていなかったのです。ああ、可哀想に。元から可能性なんて無かったけれど、あの男の子が恋を実らせる確率はこれでゼロになった。そんなことを考えていると、二分程遅れて男の子が走ってきました。白いワイシャツに黒いズボン。腰よりもかなり下でベルトを止めているせいで、胴体の長い、二足歩行のミニチュアダックスフンドが駆けてきたみたいでした。けれど、男の子は丁寧に整えられた黒い前髪を持ち上げた今風の髪形をしていて、目鼻立ちの整った一般的にかっこいいと言われる部類の男の子だったように思います。


「あの、さ、とりあえず謝んなきゃだよな。途中で担任に捕まっちゃって。いや、こんなこといいか。遅れてごめん」


 男の子はどきまぎとしながらも穂乃果に頭を下げ、穂乃果はそれを見下ろすようにしてみつめていました。私はその二人を、穂乃果の身体から生まれた陰に重なりながらみつめています。


「で、なに?」


 呼び出された時点で告白されることは分かってはいましたが、穂乃果はあえて聞いたのでしょう。私はついさっき穂乃果が言っていたような男の子の前置きを、これから振られると分かった上で聞かなければならないのかと汗を拭いました。あつい。早くクーラの効いた教室で涼みたい。その一心でした。


「俺と付き合ってください!」


 その日の空は、触れてしまっただけで割れそうな程に透き通った色をしていたのですが、男の子の張り上げた声で割れてしまうのではないかと心配になる程でした。ですが、私のそんな心配はクソ程どうでもいい事になることを、この時の私はまだ知りません。


「うん。いいよ!」

「えっ?」


 穂乃果の放った言葉を聞いて、偶然にも私と男の子の声は重なりました。男の子は自分から告白したのにも関わらず、手汗をカッターシャツで拭くような素振りをみせ、「いいの」と確かめるようにもう一度問い掛けました。


「うん。いいよって言ってんじゃん。これから宜しくね」


 穂乃果は可憐な笑みを浮かべています。私は泣きそうでした。


「そっか、ありがとう。じゃあ、これから俺たち彼氏とかの」

「でも、一つ条件がある」


 穂乃果は男の子の言葉を遮ってまで、人さし指を空に突き立てました。私はこの時、穂乃果は年上の人としか付き合わないはずなのに、なんで、なんで、と胸の中で叫び声をあげていました。一体この男の子のどこがいいの。だって今まではこんな若い子絶対振ってたじゃん。なんで。なんで。


「なに? なんでも言って」

「私さ、すっごく飽きやすいの。だから、もう無理だって思っちゃったら後腐れ無く別れて欲しいんだけど。出来る?」


 問い掛けられ、男の子はちいさく頷きました。私は決壊する寸前でした。私たちの中学の中では一つのビックカップルが誕生し、男の子が満足そうな笑みを浮かべて去ったあと、私はすぐに「どうして」と穂乃果の肩を掴みました。


「なに? ちょっと肩痛いんだけど」

「ああ、ごめん」


 私はすぐさま穂乃果の肩から手を放しました。


「でも、どうしてオッケーにしたの? 穂乃果、若い子は嫌って言ってなかった?」


 問いかけると、穂乃果は薄く笑いました。陰日向に咲く、真紅の薔薇のようなその笑顔が私にはこの世にある何よりも美しく思えて、恐怖すら感じました。それから、私の瞳の中心を捉えながら穂乃果はこう言いました。


「前置きが無かったから。理由は、ただそれだけ」

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