藤崎美陽
被災地から帰った時観組の四人は澤木の勧めで暫く休むことにした。単に休むだけでなく、澤木の兄弟分に会って情報交換も兼ねる。時観組は大阪の繁華街にある店に行った。その店は澤木の弟分である羽村富岳が所有し経営している店だった。
時観組はいつも農作業や肉体労働をしていたので久し振りにスーツ姿になった。念の為、対立組織や外国の犯罪組織に対抗する為に、道中は上着の下に小型の拳銃を隠していた。夢村優二は更に短刀を所持していた。
店に入ると痩身で長身の男が奥から手を振って歓迎した。羽村だ。羽村の隣には小柄で穏和そうな男が笑顔で振り向いている。羽村と澤木の弟分である紺野正助である。紺野は四十代半ば、羽村は四十歳前後、ここにいない澤木は三十代半ば。極道になった順も紺野が先で次に羽村、最後が澤木。しかし今の序列は澤木が坂本の次で、澤木の次が羽村で、紺野は更に下である。
時観組の四人は深々と頭を下げる。紺野は笑顔のまま隣の席を勧める。優二はまた頭を下げて座った。他の三人は部屋の隅に立っている。紺野は三人にも席を勧めた。三人は驚いたが紺野に従った。
澤木の所にいる組員が仁州組の中では最も多いが、上納金は最も少ない。羽村が率いる組は繁華街で絶妙に店を経営させている分、上納金が多い。紺野が率いる組は上納金も組員も少ない。しかし澤木は紺野に一目置いている。極道の見習いの時に何度か助けられた上に戦闘となると非常に強くなるのだ。
紺野は奈良県で雑誌を編集しては販売している。法人や個人の機密情報や醜聞には興味が無く、勤勉な者を丹念に取材してそれを報道している。環境保護活動や消費者保護活動に熱心な主婦や、家事育児介護に追われる主婦、与えられた仕事を淡々とこなす会社員や新しい商品や技術を開発する労働者を叱咤激励しながら記事にするのだ。紺野達のシノギは堅気の報道機関よりも地道で地味な活動だが、熱心な愛好家も多い。
澤木から話を聴いて時観組も紺野を尊敬している。紺野はボランティア活動や最近の桐風組の動向を尋ねた。丹念な取材を続けてきただけあって、訊かれた方は話しやすい。
桐風村も桐風組も一日の大半以上は農作業に費やしており、一週間に一回、拳銃や刀術の訓練が出来れば良い方である。有機農法には興味は無いけれど、化学肥料や農薬は適切に使用するように厳しく命じられている。田畑を荒らす猪や鹿を時折捕まえて解体して精肉にする。他にも豚や鶏や烏骨鶏を飼育している。家畜の肉もしっかり精肉して消毒した上で真空包装して近くの街に売っている。
紺野はニコニコしながら聴いているが嘲笑っているわけではなかった。笑顔に温かみがある。紺野は、
「それで良いんだよ」
今度は羽村と紺野が近況を教えた。何処の組織と組織がどんな対立していて、被害はどれくらいで、警察はどんな動きをしているか。報道機関の端くれとして紺野は十分知っていたし、羽村も店に出入りする客から話を聴いている。盗み聞きもする。同じ新田組同士でも対立は有る。特に仁州組は上納金が他の組織より少なく、それが弱みになっている。羽村の組が仁州組の中では上納金が多いがそれでも他の組織と比べると少ない。羽村は従業員からも客からも無闇に多額のカネを巻き上げようとはしない。尊厳や労力を絞るより経営に知恵を絞る方が楽しい。
羽村は従業員に酒を作らせた。皆、飲む。複雑な香りと味がする。嗅覚と味覚を絶妙にくすぐる美味い酒である。羽村は酒の美味さと従業員の話術で客を楽しませている。教育も慎重に行っている。無闇に若い女性を搾取しても限りがある。細く長く。
二時間か三時間ほど酒を飲むと、日が昇るまで皆、仮眠した。対立組織の者が襲って来なかったし、襲ってきたとしても扉や壁は防弾になっている。
時観組は深々と頭を下げると出て行った。スッカリ酔が覚めるまで四人は歩き回ることにした。早朝の繁華街は独特の清々しさがある。
川沿いに歩いていると橋の真ん中で川を覗き込んでいる女が立っていた。どことなく、どす黒い空気が匂い立っている。異変を感じた四人は橋のたもとで立ち止まる。女が気配を感じてゆっくり振り向く。優二が、
「どうしましたか」
「いえ、川を眺めているだけです」
女が答えると番場信自が息を飲み、
「あんたは藤崎美陽ではないのか?」
女も目を丸くして驚き、
「どうして私の名前を知っているのですか?」
信自は興奮気味に笑顔で、
「俺。番場信自。和歌山の友崎高校の時の⋯⋯」
女はじっと信自を見つめると、顔を綻ばせ、
「あら、番場君」
立話が気まずいので優二はそれとなく近くの公園に皆を誘導して女をベンチに座らせた。信自はその隣に座り、皆に紹介した。
女はやはり藤崎美陽。信自とは高校一年生の時の同窓生。信自は美陽に片思いしていたが、信自が短気で力任せにロッカーや壁を壊すので美陽に怖がられていた。しかし、成績優秀な美陽を妬んだ男子生徒によるイジメを見つけると一喝して謝罪させた。それから何となく仲良くなった。美陽は東京の大学に進学して証券会社に勤めていると風の便りで知った。
美陽は気まずそうに、
「その会社を今年度で辞めた⋯⋯」
最初は会社に採用された喜びで一所懸命に働いた。睡眠時間も削ったし、恋愛する暇もなかった。けれども阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件の報道をきっかけに無気力になって失敗を繰り返すようになった。上司や先輩からも怒鳴られるが何より自分が許せなくなって辞職した。そこで故郷に帰ったものの居づらくなって大阪府内を転々としていた。貯めていたカネも少なくなって自殺を何度か考えるようになった。
信自は、
「アホ。まだ若いじゃないか」
美陽は、
「番場君こそ、今何をしているの?」
信自の目が泳いだ。美陽は、
「番場君達のおかげで死ぬ気が失せた。だから番場君の職場を紹介して」
信自は銀慈と寅次に目配せをした。優二は周りに野次馬が来ないか見張っている。寅次は困った顔をしながら、
「俺達は女性禁止の職場なんです」
美陽は悲しそうな笑顔で溜息を吐いた。泣きそうな顔をしているが涙は出ていない。それがいやに痛々しい。銀慈と寅次は優二に振り向いた。優二は冷たい声で、
「俺達、ヤクザなんです」
美陽は弱々しい笑顔で、
「今の私より遥かに立派です」
優二は公園にある公衆電話で澤木の所にかけて美陽を連れて行く旨を説明した。