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1995年

 砂澤愉李子は1995年に茨城県にある草化製薬会社くさかせいやくがいしゃに入社した。大学での頑張りが認められて採用されたものの、入社一年目で簡単に成果を出せないでいた。


 しかし挫折を味わっている余裕がこの時の愉李子にはなかった。一月には阪神淡路大震災が起きた上に、三月には地下鉄サリン事件も起きた。日本は大災害と大事件で揺れていたのだ。


 薬剤師として大震災で傷付いた人達の役に立ちたいと思ったし、化学テロに対する驚きと憎悪を感じてもいた。婦人科の薬を開発して売る夢が小さく思えた。サリンの解毒剤を自ら創れないか、心と身体の傷を癒やせる薬は無いだろうか。会社のテレビを観るたびに無力感を覚えた。


 愉李子は川原母娘とはまだ連絡をし合っていて、母娘には励まされた。娘の真海は夏に有給休暇を取り、被災地に行ってボランティアと傾聴に行くのだ。愉李子も誘われたので、上司に承諾を得た。足手まといになるか心配だったが、川原母娘はボランティアに慣れているのでそれを信用した。


 薬剤師としてサリンの研究もしたかったので、とりあえず論文と資料を集めて独自に調べたりもした。入社一年目は慣れない仕事ばかりで、ただでさえ大変なのにボランティアの準備とサリンの研究で更に愉李子は忙殺していた。一日に四時間ぐらいしか眠れなかった。


 被災地に行く時に上司や先輩から自社製品である薬を何種類か渡された。必要な人に宣伝も兼ねて無料で配るのだ。一度東京で川原母娘と待ち合わせして一緒に行く。


 行ってみれば復興が進んでいる所と進んでいない所の差が有った。愉李子は川原照子の後に続いて現地の様子をうかがった。照子も真海も柔らかい物腰で話しかけるので、人々はすぐに警戒心を解いた。川原母娘には不思議な力がある。


 心身に不調が有る者に対しては話を聴きながら薬を勧めたり医師と相談させたり出来る事をしてみた。多種類の薬を飲んでいる者には飲み合わせを確認した。


 復興が進んでいない所や家に行って整理や補修を手伝ったりもした。女三人で腕力は無かったが、力を上手く合わせれば大概は何とかなった。


 三人は地主の許可を得て人気ひとけの無い家の裏で車を停めてテントを張って半ば野宿していた。携帯食料や簡易便所も持ってきている。


 一日二日と時は速く過ぎていく。三日目になると、地主が三人に困った顔で、

「今日は大人しくして欲しい。ヤクザが来る」

 川原母娘は息を飲んだ。愉李子が険しい顔で、

「彼らは苦しんでいる所に強盗でもするのですか」

 地主は苦笑いして、

「そこまで外道ではない。あいつらも人気者になりたくてボランティアをしたいみたいだ」

 真海は腑に落ちない様子だった。照子は、

「まあ、ヤクザも人間ですからね」

 こちらに近付いて来る極道達は西日本最大の新田組系列の組織だ。地主は半信半疑の態度で極道達と話し合うことにした。愉李子達は家の裏で息をひそめている。


 作業着やツナギを着た男達が地主の家の前まで来て、地主と話し合い始めた。地主は要望をいくつか出す。男達のうち、一人が何度も頷く。他の男達は黙って微動だにしない。話が終わると男達は散り散りになった。こちら側に若い男達四人が向かってくる。川原母娘は急いでテントの中に入ったが、愉李子は立ったままだった。先頭にいた男と目が合う。愉李子は軽く頭を下げる。男も頭を下げる。他の三人もそれに従う。


 翌日。地主が愉李子達に、

「あのヤクザ達、本物の強盗を何人も捕まえたみたいだ」

 と、報告した。極道達は用心棒みたいな事もしているようだ。それ以外にも力仕事を手伝っている。


 五日目。若い男達四人がまた来た。四人のうち、体格の非常に良い男が右足に怪我をしていた。他の男二人が肩を貸している。川原母娘はテントの中に隠れていたが、愉李子は、

「手当てしましょうか」

 先頭にいた男が立ち止まり、他の三人も立ち止まる。皆、驚いている。愉李子は腰を下ろして怪我をしている男の足首を見つめた。仮設の病院に診せる途中だろうが傷は剥き出しで、手当ての必要はある。


 愉李子はテントから湿布や包帯や塗り薬や消毒液を持ってきて応急処置を施した。怪我している男だけでなく、他の男達も黙ってそれを見ている。処置が済むと男達は、

「「「「ありがとうございます」」」」

 と、威勢よく礼を言った。


 その翌日。また四人の男達が来た。一人が、

「要らない物は有りますか?回収しますが」

 愉李子はテントの中にいる川原母娘に振り返る。二人は首を横に振る。愉李子は、

「特にありません」

 男は、

「昨日、助けていただいたおかげで番場の怪我が軽く済みました。是非、お礼をしたいのですが」

 愉李子は、

「では、こちらの方達のお役に立って下さい」

 男は微笑んで、

「分かりました」

 四人は、立ち去った。

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