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砂澤愉李子

アイヌ民族が出てくるけれど、アイヌに喧嘩を売るつもりはありません。

 1970年の秋に東京都内で砂澤愉李子すなざわゆりこが生まれた。母親は出産の疲れでグッタリしていたが、命に別状はなかった。父方や母方の祖父母は北海道から来て祝った。建設業で忙しく働いていた父親も三日後に病院に駆けつけて喜んだ。


 看護師である母親は一週間もしないうちに仕事に復帰して、父親もすぐに職場に帰って行った。父方の祖母が東京に残り、愉李子を引き取ってしばらく面倒を観た。


 父親は日本各地を転々として働いていたが、まとまった休みが取れると一所懸命に愉李子の面倒を観た。母親も休暇が取れると愉李子を一番に可愛がった。両親がいない時には父方の祖母が育てた。


 愉李子は首がすわり腰がすわり歩けるようになる。両親は保育園を見つけたので仕事に精を出した。父方の祖母は北海道に帰って行った。愉李子は母親に懐いていたが、一歳半の時には人見知りになって父親を嫌っていた。父親も愉李子を疎ましく思い始めたが、母親の説得でなるべく可愛がるようにした。生まれてから三年の間に無償の愛情を注げば懐く上に健やかに育つのだ。看護師として母親は父親に何度もさとした。愉李子もまた、時々帰って来る父親に心を開くようになった。


 両親は一年に二回は必ず実家に戻るようにしていた。北海道は広いが両親は高校生の時の同級生だったので互いの実家は近かった。父方の祖父母は農業労働者として働いており、母方の祖父は彫刻家で、祖母は飲食店を経営している。両方の祖父母が愉李子を心底可愛がるので、愉李子も懐いた。


 愉李子の父方も母方もアイヌ民族だ。両親の実家に戻るとアイヌ語が飛び交うしアイヌの祭も参加する。特に父親はアイヌである事を誇りに思っており、アイヌの昔話や武勇伝を熱心に語る。愉李子にアイヌの伝統的な踊りを見せたり歌を聴かせる。


 しかし母親はアイヌである事を隠したがっていた。子供の頃からアイヌである事を理由にイジメられていたからだ。愉李子もアイヌだと知られるとイジメられるのではないかと心配している。イジメられなくても見世物扱いされる。父親はそんな考え方をする母親に苦い顔をしたが、両祖父母は母親の意見に賛成した。実家や同胞達の前ではアイヌとして羽根を伸ばすが、和人や大和民族の前ではアイヌである事を隠す事にした。特に東京では和人として暮らす。


 父親は嫌な顔をしたが、渋々従った。


 母親からは、

「アイヌである事は全然悪いことではないけれど、アイヌを差別する悪い人が時々いる」

 と、説明を何度も受けた。愉李子は窮屈に思ったが、それ以上に親族と秘密を共有するのが何となく面白かった。


 父親は信頼出来る仕事仲間に時々、アイヌである事を打ち明けては家に連れて来る。母親は困って注意をする。紹介された仕事仲間も察して、

「誰にも話しませんから御安心下さい」

 父親が連れて来る仲間達には在日コリア・部落出身者・障害者・沖縄県出身者・母子家庭出身者が多かった。また、中国人やブラジル人やペルシャ人などの外国人もいた。


 小学校に通うころになると、父親からは優しくて強い人間になれと望まれ、母親からは勉強を頑張れと期待される。愉李子は勉強を頑張った。独りでいる方が気が楽なので友達を作るのが苦手だった。時折、男子生徒がイジメてくるが上履きや筆箱を投げて反撃したり、机や椅子を持ち上げて脅したりした。そんな愉李子に母親は呆れて父親は慰める。両親は学校で教職員に説明したり報復で傷付いた男子生徒やその親に謝る。元々、女子を最初にイジメてきた男子生徒達に責任がある。愉李子の両親が雄弁に語るので教職員達も男子生徒達も矛を収めた。


 愉李子が十歳になる頃、父親が酒に酔いながら自分の出生について語った。実は愉李子の父親は終戦直後に和人の両親から赤子の時に捨てられた孤児であり、それをアイヌである祖父母から拾われて育てられてきたのだ。血筋で言えば父親は和人だが、自分を捨てた和人を軽蔑し、自分をしっかり育てたアイヌに恩義と誇りを感じている。自分達を迫害してきた和人の子を育てるアイヌの優しさと誇りを隠し続けるのが苦痛だ。父親はアイヌに対して恩義と劣等感の両方を感じていたのだ。


 自分の出生を涙ながらに語る父親を見て、愉李子は複雑な気持ちになった。常日頃、父親は明るく気さくでアイヌである事を自慢していた。だが、アイヌとして育てられたとはいえ、血筋で言えばアイヌではないのだ。


 アイヌである事を隠したがっている母親と、アイヌの誇りを示したかった和人の血を引く父親。


 愉李子は母親から強く勉強を勧められた。結婚できなくても勉強が出来れば可能性は広がるからだ。友達が殆どいなかった愉李子は母親の意思を尊重した。愉李子は独りでいる事の多い大人しい子になった。イジメたら反撃してくるのでいつの間にかイジメっ子もいなくなっていた。

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