さんざんな入学式
絢子が三歳、静子が五歳、周自が七歳になる年の春。周自は桐風村の南隣にある歌貝村の学校に通うことになった。車で片道で四十分以上かかるが、時観組や桐風組の者が周自を送迎することになった。静子と絢子は遊び相手がいなくなって寂しくなるが、周自本人は期待と不安を胸に膨らませていた。
入学式には番場信自と美陽が車で周自を連れて行った。この日は曇りで、そよ風が吹いている。村と村の間を森林が分けていた。道路はかろうじて舗装されているが、狭い上に曲っているので視界が悪い。道路の外側には時折、鹿がいる。
歌貝村の中に入ると周自は驚いた。道路はどこも綺麗に整備されているし標識も古くないし人が往来し建物が沢山、佇んでいた。周自には歌貝村が都会に見えた。
確かに桐風村は東京都練馬区がやっと入るほどの大きさだが、人口は極道を含めて五千人ほどしかいない。桐風村には床屋と雑貨と診療所が有るぐらいだ。一方、歌貝村の面積は桐風村の半分しか無いが人口は倍の一万人。病院も郵便局も学校もコンビニエンスもスーパーも有る。所々に自動販売機も置かれている。
村の中心部には広い敷地に囲まれた大きくて立派な建物が建っていた。日本最大の宗教団体である日蓮研究会の支部である。日蓮研究会は連立与党の片割れである正大党と結び付きが強く、会員は必ず正大党に投票をする。以前は平和を謳う左派だったが、元々の与党だった経済党の腰巾着として現在では右派にも左派にも影響を与えている。
車窓から、信自は不快そうに日蓮研究会の豪華な敷地と建物を見やり、周自は興味津々と眺めて、美陽は不安そうに見つめていた。
学校近くの駐車場に車を停めると、三人は降りて歩いて行った。歌貝村の生徒と親が三人に振り向く。美陽と信自は頭を深く下げた。周自もつられて頭を下げる。歌貝村の者達も頭を下げるが、顔が引きつっている。余所者を歓迎しない空気が伝わってくる。信自はまた不快そうに顔をしかめる。周自も幼心に嫌な空気を感じた。美陽は周自と信自に、
「下らないことで怒っちゃ駄目よ」
と、注意した。
生徒達も付き添いの親達も体育館に入って行った。暫く待つと五十代の女性校長が壇上に上がり、話を始めた。内容は仏教説話を元にしており、悪い事をした者は罰が当たるというものであった。校長の次は六十代の男性村長が話しだした。内容は露骨に日蓮研究会と正大党を礼賛し、それらの政敵を批判するものであった。美陽と信自は嫌悪感で眉をひそめた。他の親達は無表情で聴いている。子ども達は眠たいのを我慢している。
この後、手続きや用意する物の説明、学校の年中行事や今後の流れ、最後に教師達が子ども達を学級編成して教室に誘導して行った。残った親達はPTAの打ち合わせをする。
美陽は歌貝村に溶け込もうとPTAの役員に立候補したが、多数決で圧倒的に歌貝村の男性に決まった。男性は三十代で多忙なはずのコンビニの店長だったが、異議を唱える空気ではなかった。
最後に連絡手段の確認をした。学校のホームページやサイトを毎日閲覧して、質問事項が有ればサイトに書き込む。携帯電話やメールアドレスを直接、教え合わない事にした。
解散し、皆、体育館を出る。信自と美陽が周自を待っていると、周自が険しい顔をした教師達に連れられて来た。周自の担任である花崎が興奮気味に、
「周自君が支部長に殴りかかってきたのです!」
支部長とは先程の村長の事である。名前は緑川。緑川は花崎の後ろから美陽と信自を睨んでいる。その隣には校長の沖山が困った顔をしている。信自は緑川を睨み返したが、美陽は三人に深々と頭を下げて詫びた後、周自に落ち着いた声で尋ねた、
「どうしてそんな酷い事をしたの?」
周自は気まずそうに、
「こいつ⋯⋯この人が、父ちゃんと母ちゃんから離れてこっちに暮らせと言ったんだ」
信自は三人を睨みながら低い声で、
「どういう意味ですか?」
緑川の目が一瞬、泳いだが、緑川は、
「仏の教えを重んじる私達なら、御子息を立派に育てられるかと思います」
「あ?」
凄む信自を美陽は手で制し、冷徹な声で、
「ヤクザの子どもを洗脳してやれば幸せになれるとお思いなのですね。それは傲慢です」
「洗脳?」
校長の沖山が苦い顔をした。緑川はフン、と鼻を鳴らして立ち去る。信自はそれを目で追いながら、
「周自をまたコケにしたら親として許さないぞ」
沖山は緑川の後を追う。花崎は、
「とりあえず、また明日」
と、言い残して行った。周自が泣きそうな顔で両親の元へ駆け寄る。美陽が周自を抱く。