柊操
番場信自と藤崎美陽は結局、結婚した。1996年終わりの冬には息子が生まれた。名前は周自。美陽は出産から立ち直ると農作業を頑張った。特に作物の管理や売れ行きを記録して、しっかりと帳簿を付けていた。周自の面倒は信自と交互にみた。信自と美陽との夫婦仲は非常に良かった。また、非力な女が最大限働いているので、誰も文句は言わなかったし、むしろ有難がった。
吉田寅次は時折、紺野と一緒に女性用拘置所に行っていた。紺野が取材していた女性麻酔科医が業務上過失致死傷罪で裁かれているのだ。紺野は麻酔科医に悪意が無いとみていた。寅次が同行しているのは、桐風組が作った作物や加工品の一部を拘置所に卸しているからでもある。どちらも仁州組が関わっているならば一緒にいた方が何かと便利だろうと紺野は考えて澤木や夢村優二に頼んだ。
被告人になっている麻酔科医の名前は柊操。彼女は見るからに絶望しており、目は虚ろで声に力が無かった。たとえ第一審で死刑になっても控訴を望まず、国選弁護士の面会もなるべく遠慮していた。
紺野の調べでは操をはじめとする麻酔科医達は過酷な労働環境で働かされており、一日の睡眠時間が三時間未満の者もいれば、丸々一ヶ月間休日の無い者もいた。仮に労働時間が是正されても重労働な上に複雑な仕事の連続。外科医も過酷だが、麻酔科医も過酷である。
病院側の労務管理に問題が有り、操一人に責任を負わせるのは筋が通らない。また、麻酔科医が減れば他の麻酔科医の負担も大きくなる。そのツケが患者にも転嫁される。紺野は操を見過ごすのは良くないと思った。
紺野は病院側の労務管理が無茶苦茶である事を証明する証言や資料を集めている。また、操の評判も確かめている。操は天才ではないが勤勉で確実な仕事をこなしてきた事で信頼を得ていた。上司からも外科医からも部下からも評判は悪くなかった。物腰が低くて患者への対応も良く、患者からの評判も良かった。
だが、当の操は無気力で死刑を望んでいる。医師免許剥奪されれば生きる当てがない。寅次は紺野に頼まれて何度も面会をした。紺野が操の為に尽力している事を熱弁した。
何度も会ううちに操は寅次に心を開いていった。寅次は、
「亡くなった患者の為に償うつもりならば、生きて償うべきだ」
紺野の調査と寅次の説得で、操は投槍な態度を改めた。弁護士とも話し合い、戦略を練った。それが功を奏したのか、逆転無罪になって釈放された。
操は紺野と寅次に何度も礼を言った。紺野は笑いながら、
「取材対象の君が勝訴して俺は得したけれど、吉田は何も得してない」
寅次が困った顔をした。操は、
「桐風村で診療所を開きましょうか」
と、提案した。寅次は、
「それは有り難いけれど、それであんたは良いのか」
「ええ」
1997年の終わりには寅次と操は結婚した。
信自と寅次が先に結婚したので、銀慈は妬んで酒を飲んだ。優二は苦笑いしてそれを眺めている。銀慈は酔いながら、
「親分より先に結婚したんですよ、アイツラは」
「どうでも良いだろ、そんな事。結婚はした後が大事なんだしな」
優二が楽しそうに言うと銀慈は、
「親分にはこれといった女はいないのですか」
「ああ、いないな」
平然と言いのける優二に拍子抜けして、銀慈は酒をしまって水を飲み始めた。そんな銀慈を見つめながら優二はぼんやりと思い出した。阪神淡路大震災の復興支援の時に会った女の姿と声。地主に酒を飲ませて聞き出した名前が砂澤愉李子。砂澤は茨城県の製薬会社に勤めている。そこまでは知っている。二年近く経っても何故か忘れられない。礼をしようと何度か連絡を取ろうとしたが、極道が堅気に近付けば堅気が困る。諦めた分だけ記憶にこびりつく。
砂澤は優二達が極道だと知った上で怪我の手当てをした。媚びる訳でも怯える訳でもない。
「どうしましたか、親分」
銀慈が心配すると優二は、
「何でもない」