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「なんか満足して逝ったな……俺を置いてきやがって」
ネストはいつもとあまり変わらない表情で空を見上げた。いつも通り広々としている。パッと見はただの空間だが、それだけじゃないことをよく知っている。空を飛んだことがあるからだ。どんな場所にも未知があって面白い。ああ、この世界は面白いことばかりだ。
「さて……」
ノアとエマだったか?を見る。ついでに一応仲間らしいドラゴンの娘と異民族の女も。ネストが殺されかけた時のメンバーが揃っているわけだが……。
ルーカスに協力していただけだろうし、ネストに協力してくれるかは怪しいところだ。
「私はネストにつく。大丈夫、私は強いから何をしてもいい」
「?」
言ってることはよく分からないが、ドラゴンの方は気にしなくていいようだ。
異民族の女の方は……まあ気にしなくてもいいだろう。いいと思いたい。
「女神様、だよな?」
「『ええ』」
「ルーカスはあれどうなったんだ?」
「『知りませんよ』」
「使えんな」
何故かまだそこにいる女神に話しかけてみたが、特に得るものはなかった。
「『失礼な人ですね』」
「……悪い」
「『いえ、分かっているので構いません』」
どうやら気に触ることを言ってしまったらしい。反省しておこう。……これからもっと怒らせることをするつもりなのだが。
ここまで時間をかけて別軸で組み上げてきた魔法の枠組みをその位置に被せようとして、肩を掴まれる。
「待って!」
「!?」
心臓が止まるかと思った。
後ろを見るとエマとかいう魔女が恐ろしい形相でネストを見ている。完全に忘れていた。
「怖っ」
「うるさい!その魔法ちょっと待って!」
「わ、分かった」
動揺したこの状況じゃまともに発動できないだろう。ネストは待つことにした。
「よし、完璧。『湾曲』!」
魔女はその目に女神を捉えながら、腕をそちらに向け、指さした。ネストはその女が、自身が決して届かないくらい埒外でおぞましいものだと理解した。見えている範囲がおおよそ人間ではなく、理論上最大範囲が見えているネストすら超える。これが才能というやつなのだろうか。ここまで強いと精神に悪影響がありそうだ。欲しいとは思わないが、尊敬はする。
ネストは騎士の家系に生まれた。妾の子なので、正式な訓練を受けたことは無い。ただ、大事なのは魔法の才と一般的に呼べる力が乏しかったこと。それでもネストは手数と威力において世界屈指の魔法使いだ。それを可能にするのは、自分はなんでもできると信じ切れる傲慢さと、その分析能力の高さゆえだった。そのため気づいてしまう。
……女神にエマの攻撃が当たる。体が斜めに切断される。遠隔の像から本体まで湾曲の力が届く。
「な……」
ノアが目の前の光景が理解できないといった様子でつぶやく。当然だろう。絶対的な存在に見えた女神が目の前で崩れ去っていくのだから。
「やった!これでノアの前にいる女はいなくなった。あとは私だけだよね!ノア!」
可愛らしい様子でノアに微笑みかけながらエマは言う。最初のイメージ通りこの女は魔女だ。関わりたくない。まあでも……。
「え……」
そのエマの身体がさっきの女神と同じ様子で切断される。
「『人間風情が私にとどくわけないでしょう』」
女神はさっきと同じ様子で立っている。
そうだと思った。ネストはただ首を振る。
凄惨な光景に動揺することなく、いつもと変わらない様子でネストはよく通る声を発する。
「『ルールブック』『神は人に干渉できない』『よって干渉したお前は、これからの光景を見ることしかできない』」
準備していた魔法を発動する。
アランの精度には届かないが、時間と労力さえかければある程度模倣できる『ルールブック』を。
この魔法をずっと……それこそ10年くらい組んでいたせいで今まで力を制限されていたのだ。やっと解放される。
問題は効くかどうかだが。
「『……』」
女神は変わらぬ様子で立っている。いや、変わらなすぎる。さっきのまま、そう、静止していた。遠隔の像と本体との接続が切れた証だった。どうやら成功したらしい。
勇士の力が失われていくのを感じる。しかしそれは目の前の男も例外ではない。これでやっと復讐の最低条件が整った。
「待ってたぞこの時を」
「か、回帰───「『キャンセル』」」
ノアの回帰は当然対策済みだ。何事も無かったかのように時間は流れる。
「あははは!ま、俺も魔法、使えないがな!」
ループ用のストック、今解放されたがルールブック用のストック、そして回帰対策用のストック。その上魔王戦で疲弊しており、正直使える魔法はほとんどなかった。
ならば、あとものを言うのはやはり筋力で。
目の前のひよわな少年に負ける道理なんてなかった。
「おらぁ!」
隙しかない右ストレートも、顔面にきちんと入る。
俺がお前に何回何回殺されたと思ってるんだ!!死ね!!死ね、死んじまえ。顔がひしゃげている。骨でも折れたのだろうか。いい気味だ。
虐められて哀れな目にあった?知ったことかよそんなこと。俺の死の痛みに比べれば大したことなんてない。それに、この男は大勢の殺戮を行ったことを俺は知っている。理由は女神に諭されたからだが……決定権はこの男にある。同情なんてできない。
復讐する権利は俺にこそある。
……そもそも、ネストの得意魔法は転移だ。時間すら越えられるその力こそが、ネストの本領であり、騎士であることを求められる家と決定的な亀裂を生んだ忌むべき力だった。すなわちループ能力は本来ネストのものであるということだ。
何回も繰り返して分かった。回帰の能力は、他者の本質的能力の模倣。
精神的な打たれ強さはオズワルド、回復能力はルーカスのものだ。長く接するのが模倣の条件だろうか。
本当は器じゃない彼には扱い切れないはずだった。しかし湾曲を手に入れた結果条件が揃って、ループが実現してしまったのだろう。ため息をつく。
人が見ないようにしているアイデンティティを奪う行為は醜くて見ていられなかった。直視できないせいで何回もヘマを踏んだが……。いや、言い訳はやめよう。結局のところネストはノアのことが心の底から気に入らなかった。もはや勇士でない彼は俺の転移すらも使えない。口角が上がるのを感じる。
「……もう息してない」
竜の女がいつの間にか近くに立っていて、ネストにそう言った。
「……ほんとだ」




