第2節『森を駆ける少女』
シーファ、リアン、カレンの3人は、今、お馴染みの地『ダイアニンストの森』の深くに分け入り、金を貯えるという魔法の小人『ハングト・モック』の足跡を探している。依頼主は神秘の魔法具店『スターリー・フラワー』の店長リリー・デューで、彼女らをそこに差し向けたのは教官であるウィザードであった。夏休み返上で、少女たちは深い森の中を彷徨っている。丁寧に足跡を記録してくれるカレンの取り計らいによって、帰り道に迷うということはなかったが、広大な深い森の中でめったに邂逅できない魔法生物をどう発見したものか途方に暮れていた。
先を行く二人の後ろで、ふと、リアンが何かごそごそとやっているのに気が付いた。その所作を注意深く見守ってみると、彼女は一定間隔に何かを置いているようである。
「何をしているの?」
そう訊ねるシーファに、
「『ハングト・モック』の好物は金ですから、金貨をまいているですよ。これを狙って来ないかなと思って。」
リアンはそう答えた。
「それは、いいアイデアですね!」
その発想にカレンは関心ひとしおだ。
これまでにたどってきた道筋の彼方を振り返ってみると、その金貨の軌跡が続く遥かその先の茂みが微かにガサガサと動くのが見て取れた。
「気が付いた?」
「ええ。どうやらリアンの計略は当たったようです。」
シーファとカレンは顔を見合わせている。リアンは得意そうだ。
3人は、そばの木立に身を隠し、その茂みの周囲を注意深くじっと見守った。確かに何かが頻りに動きまわりながら、こちらに近づいてくるようである。やがて3人の視界にその姿が捉えられた。
「いましたね。」
小声で言うカレン。
「そうね。『ハングト・モック』に違いないわ。」
徐々に近づいてくるその影をシーファもしっかりと見据えている。リアンは身を乗り出してその動きを注視していた。身の丈1メートルばかりのその人影は、あちこちを見やりながら、斧を携えているのとは違う方の手で一心不乱に金貨を拾い集めては、腰につけた袋に放り込んでいく。その袋はもうずいぶんと重そうに、その腰元にぶら下がっている。リアンは相当な量をまいてきたらしい。
それは同じような動作を忙しく繰り返しながら、3人の方へどんどんと近づいてきた。生死を問わずにその身柄を捕獲してくること、それが今回の3人への依頼である。肝心なのは、金の隠し場所が刻まれているというその瞳で、頭部は傷つけてはいけないという条件が付加されていた。捕獲時の状態が良ければボーナスもあり得るという約束が、少女たちのやる気を大いに喚起する。木立の奥に身をひそめながら、3人は捕獲の機会を静かに見計らっていた。
*3人が森で遭遇した『ハングト・モック』。魔法の斧を手に、リアンがばらまいた金貨を夢中で拾い集めている。
いよいよ手に届きそうな位置にまで、小人の影が差し迫ってくる。3人に緊張が走った!相手は膂力に優れるだけでなく、魔法も巧みに操る力の強い魔法生物だ。その自由奔放なふるまいからして、召喚者の制御はとうに失われていることがうかがわれた。その身体が、3人の姿を隠している木立の直前にまで迫ってきたその時、カレンは詠唱を始める。
『閃光と雷を司る者よ。我が手に光の投網を成せ。それをけしかけて、かの者を捉えん。光の網:Light Web!』
手にしたオパールの短刀から蜘蛛の巣状の光の網が繰り出され、足元の金貨収集に夢中になっている小人の身体を捉えようと襲い掛かる!しかし、小人は鋭く気配を察して、すんでのところでその身をひるがえした。光の投網は足元の地面に衝突して霧消してしまう。失敗だ!
小人はあたりをしきりに見回して、自分の悦楽を邪魔した者の姿を探している。まだ3人の姿には気づいていないようだが、木立の後ろに違和感を覚えるのだろう、のぞき込むように身を乗り出して視線を送ってきた。金の隠し場所が刻まれているというその瞳が妖しい魔法光を放って3人の少女に迫ってくる。彼女たちは木のうねりに身体を添わせるようにしてその視線をかわしつつ、動向をなお目で追っていった。
小人の身体が、シーファの目の前ににゅっと伸びてきたその時だった。彼女はさっと身を乗り出すと、その小さな体を捉えようとして両腕を伸ばし掴みかかった!しかし、小人は非常に繊細な感覚を備えているのであろう、その気配を素早く察して、巧みな身のこなしで彼女の両腕の間を潜り抜けると、木立との間に距離をとった。まだその先に金貨があるとにらんでいるのか、すぐに逃げ出す気配はない。木立をはさんで3人と小人はにらみ合う格好となる。
金貨集めを邪魔されて頭に来ているのか、小人は手にした斧を両の手に構えて臨戦態勢をとった。どうやら邪魔者を排除する気のようだ。その意思は少女たちにも伝わってくる。彼女たちもそれぞれ手に得物を携えて、構えを成していった。
* * *
互いににらみ合うその緊迫を最初に破ったのはシーファだった。小人の足元に向けて『火の玉:Fire Ball』の術式を繰り出す。それは目にもとまらぬ速度で小人に迫るが、奴はその隆々とした脚部の筋肉を複雑に躍動させてさっと後退し、見事にそれをかわしてみせた。そもそも的が小さい上にこの素早さだ。捕獲には相当の困難が伴うだろう。得物を手にする3人の手に力がこもり、額から首筋にかけて緊張の汗が走った。
今度は小人の手に魔力がたぎる。斧を術式媒体として、強力な『衝撃波:Shock Wave』の術式を繰り出してきた!轟音をあげて、両陣営を隔てる木立の幹が粉々に砕け散る。根の少し上が粉砕され、その上の部分が三人の少女たちに覆いかぶさるように倒れてきた。
「逃げて!」
シーファの声に合わせて、3人はそれぞれにさっとその場を離れた。けたたましくその場に横たわる巨木。間一髪であった。なおもその邪悪な魔法生物は斧を介して魔力をたぎらせる。今度は『砲弾火球:Flaming Fire Balls』の術式だ!よほど力の強い魔法使いに召喚されたのであろう、それが手にする魔法の斧は非常に優れた性能を有しているようだ。10個ほどの大きな火球が彼女たちに襲い掛かってくる。それぞれに走り回って回避を図りつつ、魔法障壁を繰り出して凌いでいく。しかし、カレンとリアンはいくつかの火球をあびてしまった!ローブの一部が焼け、焦げ臭い匂いがあたりに放たれる。火傷は大したことないようだが、それでも身体を走る痛みは相当だ。うずくまってそれに耐えるリアンの身体を覆うようにして、シーファが障壁を展開してその小さな身体を守った。
その刹那、あたりが俄かに暗くなったかと思うと、天上を覆いくる魔法の雲から、幾筋もの稲妻があたりにほとばしり出る。カレンが『帯電の雲:Thunder Cloud』の術式を放ったのだ!小さな獲物は、その隆々とした脚部を巧みに動かしてそれらをひらひらとかわしながらあとずさる。その身軽さは3人の予想をはるかに超えるものであった。
「まずい、逃げられるわ!」
そう声を上げるシーファの身体の下で、リアンがその小さな体をかいくって術式を放った。『魔法の道標:Magic Beacon』だ!それは見事に獲物に命中して、今後の追跡の手がかりを残すことができた!少女たちをよそ眼に、獲物は深い森の中へ瞬く間にその姿を隠していく。あたりに静けさが戻り、木々の高いところでさえずる小鳥の鳴き声が再び耳に届くようになってきた。予想以上に強力な相手を前に、3人は詳細な作戦立案を余儀なくされていた。
「思った以上に厄介だわね。」
顔の汗をぬぐいながらシーファが言う。その下からリアンがはい出てきた。肩口に火の玉を浴びたようで、痛々しいやけどの跡がローブの下からのぞいている。ずいぶん痛むようだ。そこにカレンがやってきて、回復術式でリアンと自分の傷を癒した。さすがは看護学部の学徒である。その術式行使は見事で、完治とまではいかないまでも、傷はずいぶんと癒え、痛みは引いて当座の行動には支障ない状況を取り戻すことができた。
「これで大丈夫よ。」
そういうカレンに、リアンはこくこくと頷いて謝意を伝える。
「これから、どうするですか?」
そう訊ねるリアンに、即答できないシーファとカレンのふたりは顔を見合わせる。
「何らかの作戦を考えないといけませんね。」
「そうね、力任せでは相手の方が上だわ。この森のことも熟知しているし。」
「なんにしても、あの動きを封じないといけないですよ。」
そう言うリアン。
「その通りだわ。でも具体的にはどうするかよね?」
「古典的ですが、落とし穴はどうですか?」
カレンの提案に、シーファは何かを思いついたようだ!
「それよ!!リアン、まだ金貨はある?」
その問いにリアンは頷いて答えた。
「落とし穴を作って、そこに誘導するようにもう一度金貨をまきましょう!」
「それはいいですね!ただ、頭部を無傷に保たなければいけませんから、落とし穴の中には竹槍などのブービートラップは仕掛けられないですよ。あの機動力ですから、ただ落としただけでは容易に抜け出られるかもしれません。」
カレンは現実的な懸念を表明する。
「もっともだわね。罠を仕掛けて頭部を台無しにしたのでは、意味がないもの…。」
そう言ってシーファは首をかしげた。3人の間にしばしの沈黙が訪れる。
* * *
「それではですよ…。」
沈黙を破ったのはリアンだった。
「とにかく、あの脚を止めないといけないです。ですから、落とし穴のそばにシーファと私が姿を隠しておいて、ハングト・モックが穴から飛び出してきたところを二人がかりで斬りつけるというのはどうですか?とにかく、脚を狙うんですよ。シーファはレイピア、私はこのショートソードで。リーチがあるのは、私たち二人なのですから。」
「それで、私はどうすればいい?」
その提案にカレンが問いかける。
「カレンは、離れたところから『光の網:Light Web』を放つ機会をうかがってください。シーファとの連携が無事成功して相手の動きを封じることができたら、その隙をついて捕獲して欲しいのです。」
リアンがこれほどまでに堂々と自分の考えを口にするのは以前にはないことだった。彼女なりに、出発前にかけられたウィザードの言葉を実践しようとしているのかもしれない。
「そうね、いい案だと思うわ。リアンの言う通り、魔法より剣の方が脚を止めるという意味では確実かもしれないわね。」
「私もそう思います。動きを止めるか、せめてもう少し緩慢にできれば、魔法でその動きを捉えることもできないではないでしょうから。」
二人ともリアンの提案に合理性と可能性を見出したようだ。これで手はずは整った。木立に囲まれた場所にあって、落とし穴を作りやすい開けた場所、3人はそんなところを探して森の中を進んで行く。
やがて、うってつけの場所が見つかった。そこには3本の木立が獣道を取り囲むようにして生えていて、そのちょうど真ん中に落とし穴を穿ってから、木立の裏にシーファとリアンが、そこから少し離れた岩陰にカレンが身を隠せば、先ほどの打ち合わせをよく実践できそうだ。
*3人が目を付けた場所。両脇の木にシーファとリアンが身を隠し、その間に落とし穴を作成するのにうってつけのように見えた。
「ここにしましょう!」
そう言うシーファに、ふたりは頷いて答えた。3人は、2本の立ち木のちょうど中央付近に、『衝撃波:Shock Wave』の術式などを駆使して、1メートル半ばかりの深さをもつ落とし穴を形成した。魔法だけでなく時々にはそれぞれがもつ得物も駆使して、どうにかこうにか穴を掘り進めた。やがて、それは獣道の途中にぽっかりと口を開ける。カレンはその空洞を覆うようにしてキャンプ用の大きなシートをかぶせ、その上に小枝や落ち葉を盛り、穴の存在を巧みに隠して見せた。苔の生えた土なども使うことで、そこに穴があることは一見して分からない設えができあがる。
「こんなものでいいでしょう。」
そう言って額の汗をぬぐうカレンの手際の見事さに、ふたりの少女は感心の眼差しを向けていた。
「じゃあ、リアン。もう少し向こうのあたりから、金貨をまいて来てくれるかしら?」
「わかったのですよ!」
シーファの促しを受けて、リアンは100メートルほど先まで移動してそこから手前に金貨をまきはじめた。穴のちょうど真上には、こんもりと金貨を盛ったのは言うまでもない。不自然にならないよう、その先10メートルほどにわたっても金貨を少しまいておいた。リアンが先ほど相手に打ち込んだ『魔法の道標:Magic Beacon』の信号をたどってみると、獲物がまだ付近をうろついていることが確認された。これで準備は完了だ。あとは罠に食いついてくれるのを待つばかり。シーファとリアンは穴の両脇そびえる巨木の裏に、カレンはその道の続く先のこんもりとした岩場の影に身を潜めて、その到着を待った。
夏の太陽が、天上をゆっくりと西に移って行く。緊張と周囲の暑さで汗が止まらない。額と首筋だけでなく、全身が汗に濡れていた。身体にまとわりつく衣類が心地悪くて仕方ない。立ち木の影から慎重に獣道の先を見やるシーファとリアン。やがてその耳にチャリチャリと金属の擦れ合う音が届いてきた。どうやら獲物が食いついたようだ。その音はゆっくりと近づいてくる。『ハングト・モック』は先ほどと同じようにして、斧を持つのとは違う方の手で、軽快に金貨を拾い集めながら近づいて来た。それが罠であるとはまだ気づいていないようだ。3人、とりわけ、その足を止める役目を担うシーファとリアンの二人に鋭い緊張が走る。野兎が飛び跳ねるようにして、それはいよいよ近づいてきた!
* * *
小さな魔法生物が、ひときわ積み上げられた金貨の小山に飛びかかったその刹那、足元の地面は大きく崩れ、枯れ枝や枯れ葉が立てる乾いた音を響かせながら、最後にドスンという大きな音を響かせて、そいつは穴に落ちた!
「やった!」
はやる気持ちをぐっと押しとどめて、状況を見守り機会をうかがうシーファとリアン。得物を握る手に一層の力が入る。穴の中ではしきりにもがく音がしている。魔法生物は穴の底で必至に体勢を立て直しているようだ。次の瞬間の出来事に意識を研ぎ澄ませながら、ふたりが身構えたその時だった。穴の中からその影がさっと飛び出してきたのである!やはり、ハングト・モックには、その身の丈の1.5倍程度の深さの穴を飛び出すことは容易であったようだ。その身体が再び大地を踏みしめようとしたその瞬間、木立から小さな体をさっと繰り出して、リアンは手にしたクリスタルのショートソードで、その脚を狙い薙ぎ払った!その切っ先は見事に足首を捉え、魔法生物特有の青紫色の血のしぶきがあたりに散る。小人は痛みに呻き、その場にうずくまった。その隙を逃さず、シーファは手にしたレイピアをもう片方の太ももに突き立てた。小人はますます大きな叫び声を上げ、あたりかまわず『砲弾火球:Flaming Fire Balls』の術式を繰り出す。踵を返して、法弾への対処をするシーファとリアン。逃げ惑うふたりに火球が容赦なく襲い掛かるが、小人に動く気配はない。斬りつけられた足を繰り出すことができないようだ。
その時、道の先の岩陰から光の群れがその身に襲いかかった!カレンが放った『光の網:Light Web』の術式だ!彼女は念入りに、網を2重に放っていた。小人は、体躯をよじって1段目の網をかいくぐったが、大きく脇にそらしたその身体を2段目の網が見事にとらえる!けたたましい鳴き声を上げながら、ハングト・モックは網の中でもがき苦しんだ。
*カレンの放った光の網の中でもがく小人。作戦成功である。
「仕留めたわね!リアン、お見事よ。カレンもね。」
「あなたこそ、シーファ。」
「3人の勝利なのです!」
網の中に捉えられた得物を取り囲んで、少女たちは歓喜の言葉を交わしてお互いを称えあう。3人の内の誰が欠けても実現しない、そんな成功であった。
* * *
カレンは、通信機能付光学魔術記録装置を取り出して、リリーに連絡を取った。通信機の向こうのリリーも喜んでいる。彼は、生け捕りにできたのであれば、光の網に捉えられた状態のまま『転移:Magic Transport』の術式でそれを店まで転送してほしいと、3人にそう依頼してきた。話がまとまって、リアンが転送を開始しようとクリスタルのショートソードを構えた、まさにその時、誰もいないはずの森の奥から、聞いたことのない声が3人の聴覚を俄かに捉えた。
「おやおや、小娘3人に先を越されるとは、私もやきが回ったもんだねぇ。」
その声の方を見やると、40そこそこの険しい顔つきをした女性の魔法使いの姿があった。その風体からして、この森に潜む『裏口の魔法使い』のひとりに間違いなさそうである。
*3人の前に突如姿を現した『裏口の魔法使い』。同様に『ハングト・モック』を狙っていたようだ。
獲物を奪われないように、小人を取り囲むようにしてシーファとカレンが前に出て身構えた。術式の詠唱を中断して、リアンもそれに続く。
「おやおや、若いのにずいぶんと血の気が多いじゃないか?このキャシー・ハッター様とやろうなんて、度胸だけは見上げたものだね。」
その魔法使いはくっくと笑いながら、3人の方に近づいてきた。
「その『ハングト・モック』はあたしの方が先に目をつけていたのさ。悪いけれど譲ってもらうよ?なに、ただでとは言わないさ。あんたらは何者かに雇われたんだろう?それ以上の額を出すからどうだい?」
思いがけない取引をその女は持ち掛けてきた。しかし、
「それはできません!」
持ち前の正義感で、シーファは邪な申し出をきっぱりと断る。あとの二人もその甘い口車に乗る気はないようだ。魔法使いは顔つきを一層険しくして言った。
「何さ、本気でこのあたしとやる気なのかい?馬鹿な小娘たちだねえ。もう一回だけ機会をやるよ?どうだい、あたしと取り引きしないかい?」
3人は、首を横に振ってそれを拒んだ。
「そうかい…。」
そう言うと、魔法使いは何か怪しげな詠唱を始めた。やがて周囲に赤みを帯びた桃色の煙が立ち込めて来る。襲い掛かってくるというわけではなさそうだが、身構えつつ様子を見守る少女たちをその煙が妖しく濃く取り囲んでいく。やがて、リアンの身に異変が生じた。その瞳は俄かにうつろになり、焦点の定まらない様子で彼女はその場に弱々しくへたりこんだ。その瞳を見ると、煙と同じ気味の悪い赤桃色の呪印が妖し気に浮かんでいる。その意識はすでに失われているようで、どこを見ているのか分からないまま、不安定に虚空を仰ぐばかりとなっていた。魔女が語り掛けて来る。
「この子は人質だよ。あんたたちのどちらかが、リーダーなんだろう?どちらに決定権があるのかは知らないけれど、この子の全身の血が燃え上がる前に賢明な判断をすることさ。さぁ、どうするね?」
ルビーのレイピアを構えなおそうとするシーファを魔法使いが咎めた。
「ばかなことはおよしよ。あんたはだいぶ短慮なようだね。それだと、リーダーは奥の子ということになるのかね?」
その言葉を聞いて、シーファは口元をかみしめた。見ず知らずの相手に己の欠点を見透かされた悔しさと、リアンの安全を考えずに行動に出ようとした軽挙を戒めているのだろう。
「おやおや、あんたも馬鹿というわけでないようだね。」
そう言うと、魔法使いは手にした杖を繰り動かす。今度は、煙がシーファの身体を色濃く取り囲んでいった。やがて、シーファの瞳にもカレンと同じ呪印が浮かび、その焦点が定まらなくなる。彼女は夢遊病者のようにして、その場にふらふらとたたずんだ。
「さぁ、これで人質は二人だよ。あたしはいつでもこいつらを体内から丸焼きにできるんだ。一番賢そうなあんたにはその意味が分かるだろう?さぁ、この哀れな小人を運ぶのを手伝いな。」
魔法使いがそう言ってカレンに迫る。やがてシーファとリアンの二人は操られるようにして、カレンの両脇を取り囲んだ。その瞳に浮かぶ呪印は、魔法光を一層強く放って、二人の正気をいよいよ奪っていくように見えた。
「どうするね?そこで3人揃ってまる焼けというのでも、あたしは一向にかまわないんだよ。仲良くあの世行きというのもおつなんもんさね。」
不気味な笑みを浮かべる魔法使い。カレンは決断を迫られていた。
「わかりました…。」
そう言うと、小人の方に向きを変え、カレンはそこに近づいて行った。
「それでいいんだよ。素直なのは結構なことだ。」
魔法使いは勝利を確信して、その不気味な笑みの表情を一層深めていく。その時だった!
「だめよ、カレン。早く、リアンを正気に戻して!」
その声の主はシーファだ!彼女は煙の中に消えゆきつつあった自我を懸命につなぎとめるため、手にしたレイピアで自分のつま先を貫いていたのだ。彼女の身に付けた魔靴の先から、痛々しく赤い血が流れ出る。彼女はその痛みを自ら味わうことで自身を正気に戻したのだ!その美しい顔は絶え間なく襲いくる激痛に耐えて歪んでいる。
「馬鹿をおやりじゃないよ!」
そう言って、術式を繰り出そうとする魔法使いよりも早く、カレンはリアンにとりつくと、治癒術式を繰り出した。リアンの瞳に浮かぶ呪印が輝きを失っていく。シーファは、ふたりをかばうようにして防御障壁を展開し、周囲にたちこめる煙を押しやった。煙の影響がようやく遠のいたのであろう。魔法障壁の内側でこほこほと咳をしながら、リアンも正気を取り戻した。
「ほぅ。このあたしの催眠術式をはねのけるとは、たいしたもんさね。でも、遊びはここまでだよ!」
手にした杖に魔力を大いにたぎらせて襲い掛かってこようとする裏口の魔法使い。障壁こそ展開しているが、手負いのシーファと目覚めて間もないリアンを抱えて後がない。なにより、せっかくの獲物を傷つけられるのは何としても避けたいところだ。窮する3人に魔法使いの術式が容赦なく放たれようとした、その時だった!
* * *
キャシー・ハッターと名乗った邪悪な魔法使いに、幾筋ものまばゆい閃光が撃ちかかる。それらは少女たち目掛けて魔法を放とうとする女の手を止め、防御と回避に専念することを余儀なくする格好となった。女は、回避行動と障壁の展開を駆使して、巧みにその閃光の襲来のすべてからその身を守り通して見せる。
「ちくしょう、あと少しというところで、邪魔をしてくれる!」
いまいましそうにするキャシー。
少女たちとの間にできたいくばくかのスペースに『転移:Magic Transport』の術式ものと思われる魔法陣が展開されて、そこからもうひとり、別の魔法使いが姿を現した。
「あいかわらずの悪行ね、キャシー。」
そう語る姿に少女たちは見覚えがあるようで、思いがけない再開に目を丸くした。
「おやおや、そういうあんたは、いけすかないユーティ・ディーマーじゃないか?おたくも『ハングト・モックの瞳』が狙いかい?」
不敵な表情を崩さないキャシー。ふたりの熟練魔法使いが対峙する。
「あなたは…。」
そう言いかけたシーファに、
「話は後よ。今の内に、小人を転送なさい。」
記憶にあるその魔法使いがそう促す。
「そうはさせるものかい!」
襲い掛かりくるキャシーともうひとりの魔法使いの間で、術式の応酬が繰り広げられた。互いが撃ち放つ、火球や閃光、稲妻や衝撃波があたりを飛び交う。大きな音とともに、土と落ち葉、木くずが巻き上げられあたりは騒然となる。キャシーは転送を阻止しようとして奥にいる少女たちに狙いを定めているようであったが、ユーティと呼ばれた魔法使いは、キャシーの魔の手から3人を守ってくれているようで、その影響が少女たちのもとまで届くことはなかった。
「いまのうちです!」
そう言うカレンの言葉にあわせて、リアンが大急ぎで『転移:Magic Transport』の術式を実行した。そうはさせじと、キャシーは少女たちめがけて一層の術式を矢継ぎ早に繰り出すが、間に立ちはだかるユーティがその狙いをことごとく不確かなものにしていった。やがて、小人の全身を魔法光が包み、その足先から光の粒になって中空に消え始める。転送が始まったのだ!ハングト・モックの小さな体は、瞬く間にその頭頂までが虚空に消え去っていった。転送は成功だ!大切な役目を終え、少女たちも戦線に加わるべく得物を構えた。
4人と、キャシーは真正面からにらみ合う格好となったが、さすがに多勢に無勢を悟ったのか、邪な裏口の魔法使いは苦々しい舌打ちを残して、その場から逃げ去って行った。緊迫の連続であったその場に、ようやく落ち着きが取り戻されてくる。
「お小さい方々、お久しぶりね。」
ユーティが3人に声をかけた。
「あなたは確か…。」
そう言いかけたシーファに、
「そうよ。以前、ここであなたたちに声をかけて荷物を預けたあの魔法使いよ。そのレイピア、役立ててくれているようで嬉しいわ。」
ユーティはそう言って笑顔を向けた。
「確かに、あの時お会いした方とお見受けしますが、今日はずいぶんと印象が違いますね。」
カレンはそう訝しがって見せる。
「よく憶えているのね。賢い子たちだわ。あの時はちょっと事情があって、私の正体をあなたたちに知らせることが難しかったのよ。それであんな姿をしていたの。改めて自己紹介するわ。私は、ユーティ・ディーマー。この森に隠れ住む『裏口の魔法使い』よ。それから、あのときは大切な荷を届けてくれてありがとう。お礼を言うわ。」
*少女たちの前に再び姿を現した『裏口の魔法使い』。今度は彼女の方から名乗ってくれた。
そう言って彼女は手を差し出した。初めて会ったユーティは随分と老けた印象で、その語り口も今とは異なるものであったが、全体的に見て同一人物であることに間違いなかった。今、目の前にいるのは、40そこそこのまだ若さを幾分か残す美しい女性で、その語り口も年齢相応のものに改まっていた。
「こちらこそ。今日はあなたに助けられました。感謝の申し上げようもありません。」
その手を取って礼を述べるシーファ。
「あなたの精神力と勇気は見事なものだったわよ。」
ユーティは握手したシーファの手を優しく離すと、その足元にしゃがみこんで、回復術式を行使し、その傷を癒してやった。その手際からして、彼女が相当手練れの魔法使いであることは間違いなかった。あたたかい魔法光に包まれたシーファの傷は、瞬く間に、跡ひとつ残さずに完治した。その技量は、回復術式の優れた使い手であるカレンの更にその上をいく見事なものである。
「これで歩けるでしょう。痛みは引いたかしら?」
「はい、ありがとうございます。もう、大丈夫です。」
「そう、それはよかったわ。」
ユーティは、膝についた落ち葉と泥を払い落としながら立ち上がると、そう言ってシーファにあたたかい笑みを向けた。
「それで、あなたたちはこれからどうするのかしら?」
そう問う彼女に、
「タマン地区を経由して、依頼主のもとへ戻ります。」
カレンがそう答えた。リアンはようやく完全に目覚めて、ひと心地ついたようである。
「そう。勇敢なあなたたちにまた出会えてうれしいわ。ゆっくりお茶でもしたいところだけど、この森はあなたたちが思う以上に危険な場所よ。そろそろ陽の傾きが大きくなってきたわ。キャシーのこともあるから、早くここを去った方がいいわね。縁があれば、またどこかで会うこともできるでしょう。」
そう言って、ユーティは地平線に近づく太陽を見やった。彼女の言う通り、8月の陽はやや駆け足気味であるようだ。
「私たちももっとお話ししたいですが、この場は貴重なご忠告に従います。」
深々と頭を下げるシーファの後に、あとの二人も続いた。
「いつか『アーカム』で、あなたたちに会える日が来たら素敵ね。」
そう聞こえたかと思うと、ユーティの姿はもうその場にはなかった。まったくにして神出鬼没の人である。ダイアニンストの森を住処とするユーティ・ディーマーという名の卓越した魔法使い、どのような事情があって彼女ほどの洗練された存在が『裏口の魔法使い』としてこんな深い森に身を落としているのか、興味が尽きなかった。邪悪な魔法使い、キャシー・ハッターの存在も気がかりだ。3人は更なる危険に襲われる前に、この地を離れることを決めた。
カレンがずっと木々に刻み続けてくれていた目印の呪印を逆順にたどって、少女たちはその深い森を後にする。足元の道は徐々にしっかりとし始め、あたりを覆う木々はまばらになっていった。やがて、道は石畳の舗装を取り戻す。太陽はすでに地平線にその大半を隠し、空と大地の境界線を真っ赤に燃やしていた。天上付近はすっかり濃紺の宵闇に覆われ、夕焼けを大地の裏側へと追いやっている。そのせめぎあいの狭間で、星々の煌めきを認めることができた。どうやらこのまま進んで行けば、夜が深まる前にはタマン地区に戻れるだろう。疲れた身体を引きずりながら、3人は足を前へ、前へと繰り出している。
リリーに作戦成功を告げるカレンの声だけが、その場でひときわ大きくこだましていた。