6
翠は足早に自室に戻ろうとした。しかし、階段を登りきったところで警護の者が近づいてきた。
「殿下、大丈夫ですか?」
警護担当が怪しむのも無理はない。もう夜中の二時をまわっていた。
翠は付いてきているであろう紬の存在に警護の者が気付いてしまわないか心配しながら答えた。
「だ、大丈夫よ。真夜中なのにニンゲンが落ち着かなくて……この子に起こされてしまったの」
ニンゲンが足元にまとわりついてきて、ニャアと鳴いた。
ナイス!アシスト
「それで眠れなくなってしまって、少し宝物殿を見て回ってただけ」
「そうですか。もうお休みになれそうですか?」
「そうね。もう大丈夫。きっと」
「おやすみなさいませ、殿下」
警護の者は一礼してからそのまま翠が自室まで戻るのを見届けるつもりかその場に残った。
このやりとりもきっと記録してるんだわ。それで皇族の健康状態、心理状態を監視しているに違いない。
翠はそう思った。
しかし今は紬に気づかれないように自室に戻る必要がある。
翠は何気ない調子になるようにゆっくりと歩いた。
この廊下には絨毯が敷き詰められていたので紬の足音が聞こえる心配は少なかった。
問題なく自室のドアの前に着く。ドアを開けて中に入った。ドアは少しタイミングをずらしてから閉めるようにした。
空気の動きで紬が室内に入ってきたのが分かった。
ドアを閉めると同時に部屋の中央に紬がぱっと現れた。
翠はまたびくっとしてしまった。分かっていても魔法の効果には驚かされる。
紬は部屋を見回した。
一人で使うには少し広いとは思うがあまり代わり映えのしない部屋だと翠は自分でも思った。調度品は高価なものが置いてあったが、珍しいものは特にない。若い女性らしいものといえば、誰も友達などが来ることもなく使われないソファーに動物の大きなぬいぐるみが置いてあるのと、壁には好きな女性ポップスミュージシャンのポスターが飾られているくらいだ。
「ふーん」
紬はなんとも言えないという表情をした。
「あまり面白くもない部屋でしょう?」
「私は魔法使いの世界で育ったから……なんでも新鮮に見える。まあでも、王家の人のお部屋としては意外に質素に見える」
紬は手振りで部屋の周りを示しながら言った。
「あまり派手なことはできないわ。国民の目があるしね。SNSで何を言われるか分からないし」
紬は首を傾げた。きっとSNSが何のことか分からなかったのかも知れない。しかし一つ一つ確認していても仕方がないというように次の言葉を続けた。
「本が好きなのね」
大きな本棚を指さして言った。本棚には翠が好きな小説の文庫本が几帳面に巻数順に並べられていた。少し漫画本もある。
「ええ。読書は好きなの」
「ちょっと見てもいい?」
翠は笑顔でどうぞと言った。紬は本棚に近づいて文庫本を手に取った。
読めるのかな。この国の言葉で書かれている本が。
「読めるの?」
翠は素直に聞いてみた。
紬は翠の方を振り返り「もちろん」と答えた。
「ああ、そうだ。翠に渡すものがある」
そう言って紬は背負っていた小さなザックを肩から下ろして中を確認した。中から何かを取り出してから翠に近づいて手を差し出した。
それは銀色の指輪だった。小さな赤い宝石が埋め込まれている。
翠はどう反応してよいか分からなかった。
はじめて会った人に突然宝石をプレゼントされたのだから疑問が浮かんでも仕方がなかった。
紬はにっこりと笑って、
「あはは、勘違いしないでよね。これは魔法界の基本的な生活を助ける魔具だよ。他の星の言葉の意味が分かったり、こうして他の言語で書かれた書物が読めるようになるから」
「すごい……」
翠はその指輪をおそるおそるはめてみた。サイズはぴったりだ。
試してみようと思い本棚に近づいて外国語で書かれた本を手に取る。翠は一時期留学していたこともあって、その言語の本をまったく読めない訳ではないが、やはり自分の国の言語の本とは違って読むのに時間がかかる。
本を開いてみると書いてあるのは外国の言葉の文字なのに、なんとすらすらと意味が分かった。まるで自国の国の本を読んでいるように。
「これはすごい。ありがとう。お借りするわ」
「いいの。あげる。これも古代人の遺物なんだけど、あるところにはたくさんあって。千円くらいで買えるの」
翠はお金の価値と単位まで分かるように翻訳してくれる魔具の便利さを知った。
「私、家族以外の人からアクセサリーをもらったことなかったから……なんだか嬉しいな。ありがとう。大事にするね」
紬はそれを聞いてにっこり笑った。
「翠って年はいくつなの?男の人と付き合ったことないの?」
翠は首を振った。
「二十歳よ」
「デニと同い年ね。翠、可愛いからすぐできるよきっと」
翠はそう言われて少し顔を赤らめた。
「なかなか立場上のこともあって難しいんだけど……」
翠はそう言ったが紬がなんだか翠を羨んでいるような顔をしたのが気になった。
「さあ、支度をしなくちゃ。まずは着替えをしてね。動きやすい格好がいいんだけど」
紬はそう言って自分は手に取った文庫本を開いてちらちらと目を通し始めた。
翠はクローゼットを開いて何を着ていこうか考えはじめた。
うごきやすい格好……。
そうだ、お父さんと一緒に登山に行くときのがあったはず。翠は登山用の服装を一式取り出して着替えはじめた。
人前で着替えるのは恥ずかしかったが紬は文庫本を見やっていてこちらを見ている様子はなかった。
登山用の長袖シャツと長ズボンに着替えた翠。
「これでどうかな」
紬に見せに行くと良い顔をされなかった。
「そんなのダメ!可愛くない。リンに怒られちゃうよ」
笑顔で言っているのは冗談なのかもしれない。
「あなたやリンちゃんみたいな短いスカートなんて持ってないよ」
「短くても魔法でちゃんと防御力は高めてあるんだから。とにかく下は脱いで。私のを貸してあげる」
そう言って紬は自分のザックの中に手を入れて翠に貸すスカートを探しはじめた。
「どんな色のがいいかなあ……あ、これがいいね」
紬は薄緑色のスカートをザックから取り出して翠に差し出した。
渋々登山用のズボンを脱いだが翠はあることに気づいて動きを止めた。
紬はまだ中学生くらいの年齢だし、だいぶ細身の体型だ。そんな子のサイズのスカート、私はおそらく着れない。
「これサイズが……私にはちょっと……」
紬は不思議そうな顔をしてそれを聞くと、んん、と言って強引に翠にそれを手渡した。
紬は魔法の杖を手にして翠が手にしたスカートに向かって軽く振った。
まさか……。
翠がスカートを履いてみるとそれはぴったりのサイズだった。
魔法って便利……。
でもこれ膝上十五センチはあるかな。大丈夫かな。
「うん!だいぶいいね!可愛い」
紬が喜んでくれたからこれでいいのだろう……と思いたい。
翠は何日か旅行にいくような想定で着替えや替えの下着、お泊まりセット、女の子セットと、広い小部屋のようなクローゼットの中でスーツケースに詰め込んで部屋に戻った。
「だめだめそんな大きな荷物じゃ動きづらいでしょ」
翠が懸念してた通りにダメだしされてしまった。
紬は自分のザックの中から同じ大きさのザックを取り出して翠に手渡した。
そのザックいったいどれだけの物が入ってるんだろう。
「良かった。予備のを持ってて。これを貸してあげる。全部移し替えて」
「ありがとう」
翠は礼を言ってそうさせてもらった。借りた魔法のザックは見た目は小さいのに翠の荷物を全部入れることができた。
それから翠は便箋に置き手紙を書いた。祖父と父への短い文章ともう一枚は母へ宛てた。
祖父へは勾玉をくれたお礼。父へは祭壇を借りて儀式を行ったことと自分のための旅に出ること。そしてなるべく早く戻ってくるつもりであることを書いた。短い言葉で走り書きしたが祖父と父は分かってくれると思った。
母へは心配しないでお待ちくださいとだけ書いた。
「これで準備できたかな?」
紬が言った。
「ちょっと、……だけ待ってくれる?」
翠はお願いした。
鏡台の椅子に座って手早く軽い化粧をする。
下地を塗ってパウダー、まゆをさっと書いて薄い色のリップを塗った。
そうしていると紬が側に近づいてきた。かがんで鏡を覗き込む。
「はい、終わり」
翠は立ち上がって言った。
「じゃあ行きましょう」
「……」
紬は翠の顔を見つめていた。
「どうしたの?」
「……とてもきれい」
「あ、ありがとう」
翠は嬉しくなった。しかし紬はまだ何か言いたそうにしている。
「……?」
「翠……あの……、わ、私にも少しそれを」
「えっ。ああ、いいわよ!じゃあそこに座って」
翠は紬を鏡台の椅子に座らせて自分と同じように化粧をしてやった。紬の赤毛に合わせて、リップは自分のよりも少し濃いめのを塗ってあげた。
「こっち向いて」
あら、これは元が良いんだわ……見違えちゃった!
「すごく可愛いよ!」
紬はそう言われてはにかんだ。
鏡を覗き込む。そしてすこし微笑んだ。
「ありがとう」
そう言って椅子に座ったまましゃがんでいる翠に抱きついてきた。翠は驚いたが紬の背をぽんぽんとしてあげた。
ニャア。
そばで二人を見上げたニンゲンが、早く出発しようとでも言いたげに鳴いた。