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「翠。起きろ」
翠は御所の自分の、寝室のベッドの上で起こされた。まだ暗い。何か頬を柔らかいものでつつかれたみたいだ。まだ眠い……。
「うーん」
まだ暗いじゃない。もうちょっと寝させて……。
ぐい、ぐいっと頬を押された。生暖かい何かで。
目を開けると温かい……肉球が頬に当てられていた。
キジトラの猫の顔が翠の目を覗きこんでいる。
「えっ」
目を開けて半身を起こす。
猫はベッドを降りて部屋のドアに向かった。ドアの前で翠を振り返る。
「何っ?ニンゲン!?どうしたの」
名前をニンゲンというキジトラ猫はそう呼びかけられて、一声にゃあと小さく鳴いた。ドアを前足で触れる仕草をした。翠の部屋のドアには猫用の小さな出入り口がついていたが、それを使わずにまた翠の顔を見返してくる。
翠はベッドの脇に充電のために置いてあったスマートフォンを手に取った。
まだ夜中の二時ね……
部屋には薄明かりになる照明が付いていたが、明るくするスイッチは押さずに翠はベッドを降りた。
「ついて来いってこと?」
ニンゲンにそう問いかけながら立ち上がる。
あの地下の祭壇での件から三日ほど経過しており、ニンゲンの様子を逐一見てきたが、人の言葉を発することも含めて変わった様子はなかった。
でもさっきは起こされた……
やはり祭壇でのあの不思議な声はニンゲンの言葉だったのか……?
翠はクローゼットからカーディガンを取り出して羽織ってから、部屋のドアに近づいてニンゲンに当たらないようにそれを開けた。
ニンゲンは部屋を出るとタタタタッと駆け出した。
翠が早足で追う。
ニンゲンは廊下を真っ直ぐ進み地下へ続く階段を降りて行く。護衛の者が翠に注意を向けたが、翠が落ち着いて会釈をすると礼を返してきた。
翠も階段を降りる。
キジトラ猫は地下の宝物殿の中に入って行ってしまったようだ。翠は早歩きになって追った。宝物殿は一年中空調管理されていて空気は乾いていた。
「ニンゲン!どこ行ったの?」
宝物殿ではニンゲンの姿はなかった。
あ、あの祭壇のほうに行ったのかしら。
翠は祭壇のほうへ進んだ。
!!
祭壇には四つの人影があった。
翠は驚いて口に手を当てた。
「内親王殿下。お静かに」
声をかけられたが違和感があった。下のほうから聞こえたからだ。視線を下に移すとキジトラ猫のニンゲンが座ってこちらを、翠を見上げていた。
やっぱり!ニンゲンが喋っている!!
翠は自分で名前を付けておいてこんなときになぜか可笑しくなった。人間が喋るという言葉の意味だけ考えれば当たり前のことだったから。
四人の人影の内の一つが歩みでてきて、この部屋の薄暗い照明に当たって姿を表した。
背の高い青年だった。翠と同じくらいの年齢だろうか。
この国は単一民族が住まう土地柄だったので、顔つきからして異国の人間だとすぐ分かった。
「お前が契約を発動した者か?」
青年は不遜な態度で声をかけてきた。
翠は暗がりに目が慣れてきて他の三人の様子も見えてきた。もう一人も青年だ。先程声をかけてきた者よりもさらに異国風だ。髪の毛は金髪だし幼さの残る顔つきも西洋の人種のように見える。青年は二人とも紺のジャケットのような上着の下に清潔そうなシャツを着用していて、グレーのボトムスとの組み合わせでまるでどこかの学校の制服を着ているような格好をしていた。
もう二人はいずれも中学生くらいの少女だった。一人は美しい金髪をしていて、翠が好きなポップスアーティストのように可愛らしい顔をしていた。薄青の差し色が入った白い洋服に青いミニスカート姿だ。もう一人は素朴な少女といった風情で、こちらは赤い差し色が入った白い洋服に赤いミニスカート姿が、もう一人の少女の色と対照的だった。
ひどく場違いのように見えたのは、四人ともまるで西洋ゲームの中にまぎれこんだかのような武器を所持しているらしいのを目にしたからだ。
背の高い青年は腰に剣の鞘をぶら下げているし、他の者はファンタジーゲームで見るような長い杖を握っていた。魔法の杖のように見える。
「お父さんの凝ったサプライズか何かかしら……」
翠はあまりありそうもないけれど、それぐらいしか考えられないということを思わず口にしていた。
「デニ、驚かさないようにしないと。まずはこちらから名乗りましょう」
小さい方の金髪の青年が言った。
不思議だがなぜか意味は分かる。分かるがしかし、彼等の言葉は聞いたことのない外国語だった。
「そうだな……俺の名はデニ・モーラ。こいつはズル。それからリンと紬だ」
デニと名乗った青年は非常に簡単に仲間を紹介した。
沈黙が流れた。
翠は固まってしまっていた。一体どういうことだろう。父のサプライズでもなさそうだ。だとすればこのような異国風の若者たちが、この国で一番厳重な警備がされているはずの御所の中にどうやって潜り込んだのだろう。
とはいえ、雰囲気的に、いや、直感で今すぐ何らかの危険にさらされているという感じはしなかった。それでも何か言葉を発するには突然すぎて難しく、翠は固まって動けなくなっていた。
「このお嬢ちゃんは礼儀を知らないと見える」
デニが不満そうに言った。
「こちらは第百二十六代、宙皇陛下の第一皇女、愛宮翠子内親王殿下だ」
立派な威厳のある声が聞こえた。これも翠には信じられない気持ちでいっぱいだが、キジトラ猫のニンゲンが翠本人に変わって紹介してくれたらしい。
「お前は?」
デニは眼の前の下にいる猫に問いかけた。
「私はただの猫だ」
「ズル。ここは科学文明の星じゃなかったのか?魔法猫がいるぞ」
「はい。おかしいですねえ」
金髪の少女が翠に近づいてきた。
「あたし、リン。リンって呼んでね!あなたのことは……あいのみ…やすいこ…?」
「翠って呼ばれている」
翠は答えた。
「分かった。翠ね!良い響きだわ!」
リンは屈託のない笑顔を翠に見せた。
赤毛の少女もリンの隣に来た。
「私は紬。得意なのは空中戦と雷撃魔法」
そう言って翠の反応を待つ。
翠は答えようがなかった。
「この星にアンドロイドはいますか?」
紬は続けて質問した。
「アンドロイド?」
翠はオウム返しに言った。
「そう。恐ろしい機械の人造人間」
翠はアニメで見るロボットやアンドロイドのことかと理解した。
「まだ、そんな恐ろしいレベルのアンドロイドはいない……」
「まだ?では作っている最中だったり、計画していたりするの?」
紬は矢継ぎ早に質問してきた。
「いえ……。そういうこともないと思うわ」
翠は不審に思いつつ答えた。
「ちょっと紬。大丈夫よ。リンたちここには長居しないんだから」
「…翠……は魔法使いなの?」
紬は心配性なのか質問を止めない。
「私は違うわ。ねえ、あなた達は本当の魔法使い?」
魔法使いかと問われて紬は不満そうな色を見せた。
「俺たちは普通に魔法使いだよ」
デニが少し強い口調で言った。
「そろそろちゃんと確認させてほしいんだが……。魔法契約を発動させたのはお前か?」
「魔法契約……?」
翠はこれにもオウム返しで答えてしまった。
「デニ。待って」
ズルが眼鏡を指でつまんでその位置を直しながら言った。
「翠さんの様子を見ると、もしかしたら良く分からないでゲートを開けた可能性もあるんじゃないかな。少し説明してあげたほうが良さそうです」
ここで翠の後ろのほうから翠に呼びかける声が聞こえてきた。
皆一斉に身構える。デニは剣の柄に手をかけたので翠はびっくりしてしまった。
「あ、あの、落ち着いてください。たぶん警備の者が私を呼んでいるんだと思うので」
翠は言った。
「ここで待っていてください。彼らには戻ってもらいます」
デニは剣の柄に手を置いたまま黙って頷いた。
翠は急いで宝物殿の入り口まで戻って階段の上を見上げた。警備の者が二名懐中電灯を手に階下を覗き込んでいた。皇族ではない彼らが宝物殿に足を踏み入れる心配はなかった。
「殿下、大丈夫ですか?物音や話し声のようなのが聞こえましたので……」
「え、ええ。へいき!ニンゲンが落ち着かなくて逃げるものだから捕まえようとしていたの」
「そうですか」
警備担当は答えた。
「ごめんなさい、騒がせてしまって」
「いえいえ。では我々は戻ります」
そう言って警備の二名は階段の上から去って行った。
翠は気を落ち着かせながら祭壇の前に戻った。
四人とニンゲンはそのままの位置で翠を待っていた。
「警備の人には戻ってもらいました。少し声のトーンを落として、さきほどの話の続きを教えてください」
翠はいつもの落ち着いた調子を取り戻して言った。