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「きゃああああ」
叫び声を上げたのは根子だった。根子がデニに駆け寄る。血で衣服が汚れるのもいとわずに、デニを抱きかかえようとする。ズルも治癒魔法をかけようと駆け寄った。
蔵人はデニのことは放っておいて、静かに千千姫に歩み寄り、彼女の腕を掴んだ。
千千姫は観念した様子で抵抗しなかった。 蔵人は千千姫の腕を掴んだまま宙に浮かんだ。見上げるほど高く、蔵人と千千姫が上昇する。蔵人は言った。
「こやつは連れて行く。高天原は八俣さまからの沙汰を待て」
そう言うと蔵人と千千姫の周りに黒い靄が現れ、二人を包み込むようにしてから消えた。二人の姿も消えていた。
「デニ……死なないで……」
根子が目から涙をぽろぽろと流しながら言った。デニは頭を根子の膝の上に載せられていた。ズルが腹部に治療魔法をかけている。デニの腹部は血だらけだった。根子の手も、治療にあたっているズルの手も血だらけだ。
デニが目を開けた。
「根子……」
苦しそうに言う。
「最後に……お前に会えて…よかったぜ……」
根子はさらに涙を流して顔を歪めた。
「デニ」
ズルが呼びかける。
「治療はできた。君は死なないよ」
「へ?」
デニがズルに視線を向ける。
「しばらくは絶対安静だけどね。これを飲んで」
ズルはそう言って青い色の液体が入ったガラス瓶をデニに差し出した。ポーションだ。
「良かった……」
根子はズルが言った意味を理解して嬉しそうにデニの頭を抱いた。
デニは手を伸ばしてポーションを受け取った。根子の柔らかい乳房に頭を包まれながら、彼はこれくらいの癒やしはあっていいなと思いつつも、悔しがってこう言った。
「ちくしょう。あのやろう、正木ぐらい強いぜ……どうなってんだここは」
「普通じゃないね……呪術もすごく強力だった。魔法界に属していない未開の星にいるとはとても思えないくらいの能力者だった。一騎打ちで倒そうなんて甘い考えは捨てて、最初から力を合わせて全力で戦わないとだめだよ」
ズルの顔にも悔しさが滲む。
「とにかく風さらしはよくない。御殿の中に運んでもらおう」
ズルはそう言ってから周りの人々へ助けを求めた。
リンと紬が魔法で大きな鳥をそれぞれ召喚した。彼女たちはその大きな鳥の背に乗り空中へ舞い上がった。蔵人と千千姫が消えたあたりを確認してから、二人一緒になって上空を旋回しだした。どうやら御殿の周りを警戒しているようだ。
翠は呆然となって立ち尽くしていた。
デニはどうやら一命をとりとめたようだが、危うく死んでしまうところの大怪我を負ってしまった。千千姫は蔵人に連れさられてしまった。おそらく出雲の国にさらわれたのだろう。
こんなことになるなんて……。
高天原の人々も混乱していた。なにしろ国の首領たる千千姫がさらわれてしまったのだ。それも当然だろう。みな裸足で外に飛び出していたが、その脚を拭うこともなく、大騒ぎしながら御殿に入っていく。
翠は水瓶の水で脚を清めてから御殿に入った。
デニは翠たちがはじめて御殿に入ったときに使った一室に連れて行かれ、横になって安静にされた。根子がつきっきりの看病をするつもりなのか、デニの汚れた服を着替えさせたり、汗をかいた顔を布で拭ったりしていた。
ズルは追加でデニに飲ませる薬を調合する作業をしているようだった。何かを煮ている匂いがした。
翠は頭を働かせなくてはと思った。デニが落ち着いて、リンと紬が戻ったら、寝所で聞いた話しも含めて仲間たちと話をしなければならない。
千千姫を助けに行きたいが、果たしてあの化け物のような強さの蔵人に敵うのだろうか。蔵人は首魁の八俣の部下でしかないのに。
翠が部屋の入口近くで腕を組んで考え込んでいると、近づいてくる者がいた。
はっとして振り返ると、それは藤弥だった。
藤弥は翠に木片を一つ差し出した。木簡と呼ばれるものだ。そこには墨で文字が描かれていた。通常だったら翠には読めなかっただろう。しかし翠は紬にもらった魔法の指輪を指にはめていた。それに描かれた内容が理解できた。
「昼孁さまからのかんがたりじゃ」
老人は小さなしわがれた声で翠にそう告げた。かんがたり。神の言葉ということだろう。藤弥は千千姫がさらわれた事件を受けて、籤を引いて木簡を選んだのかもしれない。
そこにはこう書かれていた。
わらわの弟を探せ、と。