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まだ昼孁さまが元気なころです。
大巫女として神々のお告げをまわりの国たちにも分け与え、大いなる豊穣のときを迎えました。月詠さま、建速さまも良く昼孁さまをお助けくださいました。
「月詠、建速は昼孁の弟たちですね?」
時折、話の腰を折るのは良くないと思ったが、翠は思金の話しを遮って質問した。思金は気にしたようすもなく答えた。
「妹君、弟君でございます」
月詠は女性であるらしい。
高天原というより、昼孁さまを頭にして豊かなときを過ごしたわれらは、遠い大陸の国と商いをしたりもしました。
栄えていた日常も昼孁さまが病に伏せられ、お隠れになったことで終わってしまいました。月詠さまが輿入れされていなくなり、建速さまが旅に出ていてご不在だったことも悪うございました。
周りの国たちは高天原と袂を分かち、あちこちで争いが起きるようになり、鎮まることがなくなってしまいました。
追い打ちをかけるように、出雲の国にあの男が現れたのです。
「あの男?」
翠は鸚鵡返しに訪ねた。
「八俣です。恐ろしい呪いの術を操る男で、我らの巫女や陰陽道方技の使い手も歯が立ちませぬ」
「八岐大蛇……」
翠は八つの頭と尾を持つという伝説の怪物のことを思い出して呟いた。
やまたのおろち、という言葉に、思金は不思議そうな顔をして見せた。しかし、それは置いておかれ、話しは続いた。
「恐ろしい男です。呪術の力を維持するために生娘の生け贄を求めてきます」
思金は悔しそうに言った。
まわりの国々と協力して、順に生け贄を差し出して難を凌いでいたが、生け贄を拒否する国も出てきている。その国が困り果てていることも分かるので苦しいところだが、それで争いにもなってしまう。
そこで一計を案じ、昼孁が治めてうまくいっていた時代をよみがえらせる願いもあって、比較的巫女の力が強い千千姫を大巫女「豊」として祭り上げ、周りの国と力を合わせる旗頭になるように考えたのだ。
計画はうまくいき、出雲の国を討つ企ては周りの国と共に密かに進んでいる。涙をのんで何度か生け贄の娘を八俣に差し出して時間を稼いでもきた。
昼孁は病床からなんとか神々の力を借りるように主張し、千千姫と一緒に巫女の祈りを捧げてきた。今回それが実って翠たちがあの祠のある洞窟から出現してくれたと言うわけである。
「ではその八俣という男を倒すことを俺たちに頼みたいってわけだな?」
デニが話しを単純にして理解しようと聞いた。
「その通りでございます。もちろん我らも共にに戦います。八俣が率いる魑魅魍魎の軍団には周りの国たちと共に戦って、抑える自信があります」
思金はそう言ったが懸念の残る顔つきだった。
「大きな戦になるでしょう。問題は八俣と手下の数人です。彼らの呪術は今までみたことのない力なのです。まさに神々でなくては倒せない悪魔だと思います」
「やらなきゃいけないことは分かった。まあ、戦ってみるかねえ」
デニはそう言って翠の方を向いた。
「俺たちは翠が決めてくれれば、戦うまでさ」
「……」
翠はどう考えればよいのか迷った。ズルと相談したいところだ。しかし、その前に聞いておきたいことがあった。千千姫と思金に呼びかけた。
「あの、昼孁に会わせてくれませんか?」
病床に伏せっていると説明があった昼孁。天照大御神として後世に伝わる女性の意見を聞いてみたかった。
千千姫と思金の兄妹はお互いを見つめ合って、思金が頷いた様子。千千姫が少しおまちくださいと言って席を立った。さらに奥の部屋の方へ姿を消した。
しばらくすると千千姫は戻ってきた。
正座をして手をつき、礼をして言った。
「お会いになるそうです。ただし翠さまお一人でお願いします」
翠は周りを見回した。デニもズルも懸念のある表情だ。
「そいつはだめだ」
デニがふんぞり返りながらわざと偉そうに言った。
「俺たちは翠の護衛役でな。翠を一人にするなんてことはできない。この話しはなかったことになってもいいのか?」
「……男の方はどうぞご遠慮くださいませ。それでしたら翠さまと、あともう一人だけ」
デニは強い調子で千千姫を睨んだ。
「病に伏せる者の手前、何卒……」
弱々しい声で訴えた。
紬がすっくと立ち上がった。
「それなら、私が行く」
紬は翠を守るという意志をこめて言った。翠も立ち上がり、
「ありがとう。紬」
と言った。
「紬、気をつけて」
リンが声をかける。紬は頷いて翠と一緒に先を歩き出した千千姫についていった。翠の足下にはキジトラ猫のニンゲンが翠から離れまいとして、まとわりつくようについて歩いていた。