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しばらくお茶をすすっているとタタタタッと足音が聞こえてきて、白衣と黒い袴のような着物を着た若い女性が現れた。女性は正座して両手を板の間について挨拶した。
「われらが祈りをお聞き届けてくれてお越しいただけたのですね。誠にありがとうございます」
若い女性は長い黒髪を後ろで一つにしばり、あまり日焼けしていない顔は白く、切れ長の黒い瞳が若干冷たい印象を与えたが、ふくらみのある頬と厚ぼったい唇を持ち、全体的には柔和な印象の顔立ちだった。体つきは柔らかみを帯びていて、とくに乳房の膨らみが目立っていたのは乳のみ子がいるからかもしれないと翠は思った。
「私は千千と申します」
「私たちは千千姫と呼んでおります」
思金が千千姫の後ろに同じく正座をしながら言った。千千姫が自分の妹であるとは言わなかった。
「昼孁さまがお休みになられている今、千千姫が大巫女として高天原をまとめております」
思金は翠たち一行の紹介をしてくれた。千千姫は猫のニンゲンにいたるまで、高天原に来てくれたことをありがたがっている様子だ。
「このような狭い部屋ではなく、酒肴も用意しておりますので、ぜひとも奥へ足をお運びください」
一行は千千姫と思金に案内され、御殿の奥に進んだ。広い板の間に案内され、藁の敷物が向かい合わせに置いてあり、一方に翠たち一行が座り、もう一方に千千姫、思金、太玉と高天原側の有力者であろう者たちが座った。
それぞれが座っている板の間の前に膳が置かれ、それには汁の御椀、焼き魚と菜の物がいくつか置かれた陶器の皿が載っていた。不思議な匂いのする飲み物が入ったお茶碗も置かれていた。
「よぉ~~」
という言葉ともつかない掛け声を高天原の人々が唱和してから食事がはじまった。
窓のない板でできた壁は下半分が開くようになっており、そこから見える外は夕暮れがはじまり、オレンジ色の陽の光が見えた。
翠はまず飲み物を一口飲んでみた。お酒だった。翠はお酒をまともに飲んだことがなかったし、何でできているか分からない匂いのする、このお酒を飲んだら良くないことが起こる気がしたので、さきほどの待ち合わせした部屋で飲んだお茶をくださいとお願いした。
次に焼き魚を食べてみた。
これは今までに食べたどんな魚料理よりも美味しかった。塩で味付けしただけのようだが素材が別格なのだろう。すごぶる美味しかった。何かの穀物を粥にした椀もあったが、それはあまり美味しくなかった。とにかく魚は絶品だった。
高天原の面々が何も喋らずに黙して食事を進めるので翠たちも静かに栄養を取った。
やがて皆の粥が空になるころ、菜の物が足され、酒もおかわりが注がれ談笑が少しずつはじまった。
「それでは」
千千姫が改まって姿勢をただして言った。
「翠さま、みなさまに改めましてご挨拶申し上げます」
千木姫がそう言うと高天原側の面々は崩していた足を組み直して正座をし、背筋を伸ばした。
「われらが願いを聞き届けて頂きまして、高天原へようこそおいでくださいました」
「ようこそおいでくださいました」
高天原の人々が全員で唱和した。
「千千姫」
翠が呼びかけた。千千姫はさらに改まって翠の方を見た。
「いろいろ聞きたいことはたくさんあるのだけれど、一つ一つ確認させてもらいたいの。こちらにはこちらの都合もあって、今日ここへやって来たのだけれど、あなたは願いを聞き届けてくれたって言いましたね? どういう願いなのか教えてほしいのだけど」
「われらの願いを聞き届けてお越しいただけたのではないのですか?」
「めぐりめぐってその願いに繋がるのかもしれないけれど、どういうことなのか教えてほしいんです。何か困りごとがあるんですか?」
千千姫はその問いに、困ったという顔をした。
「はい……とても困っております……わらわはうまく説明できません。兄から説明させましょう」
思金が一礼してから翠の方に向いた。
「問題は出雲の国なのですが……」
翠がそれを聞いても不思議そうな顔をしていたので思金はどこから話そうか考えたようだ。
「恐れ入ります。少し時をさかのぼったところからお話しましょう」
思金はそう言って語りだした。