17
「沓を脱いで足を洗うのよぉ」
根子が皆に指示した。
紬も仲間も革靴を履いていて足は汚れてはいなかったが、この地での風習であれば失礼のないように足を洗ったほうがよいのだろうと仲間内で目配せしつつ、靴を脱ぎ、ソックスも脱いで足を洗った。
「あぁ、気持ちいい~」
リンは冷たい水で足を洗うのを気に入ったようだ。
思金と太玉は最後に足を洗って建物の中に入った。
一行は中に案内され、装飾物などは一つもない質素な一室に案内された。板の床に藁で作ったような敷物が置かれていてその上に座らされた。
着物を着た女性が陶器の湯飲み茶碗に、ぬるめのお茶を持ってきてくれた。
何で煎れてあるのかは分からなかったが、お茶があるんだと翠は思った。香ばしい匂いのするお茶で、飲んでみると大変美味しかった。
「こちらで少しお待ちください」
思金はそう言って建物の奥ほうへ姿を消した。太玉は翠たちと一緒にこの部屋に残り、澄ました様子で一緒にお茶を飲んだ。
「フトダマ!オモイーはどうしたのかな?」
リンが明るい声で訪ねた。
なんだかもう仲良しな雰囲気なのである。
「リンさま。オモイーは昼孁さまと千千姫……ではなく、豊さまの様子を見に行かれたのですよ」
紬は太玉の言葉を聞いて呆れた。どうやらリンは思金にオモイーとあだ名を付けて、太玉にもそう呼ばせようとしているらしい。いつものことだが親しげに呼び合って仲良くなろうとするリンなのだ。
ガタンと音がして紬は何だろうと思った。翠が腰を浮かせて湯飲み茶碗を倒してしまった音だった。
「トヨ!?トヨがいるの!?」
翠が太玉に問い質すように言った。
太玉は翠の様子に目を丸くして驚いていたがやがてこう言った。
「神の思慮によりお見通しでしょうか」
「さっき千千姫といいかけたけど?」
詰問調になってしまったが、この際仕方がないと翠は思った。
「はい。ややこの頃からそう呼んで可愛がっていましたのでなぁ。外の皆さまにはちゃんと豊と申し上げねばなりませんが」
「そうですか……」
翠は自分で落ち着こうとして深呼吸しながら腰を下ろした。
「ごめんなさい。お茶をこぼしてしまって」
太玉は手伝いの女性を呼んでくれて翠の湯飲み茶碗を片付けさせてくれた。
「どうしたんです?翠さん。大丈夫ですか?」
ズルが小さな声で耳打ちした。
「う、うん。もう大丈夫。あとで説明するね」
翠が答えた。
翠が驚いたのはこういう理由だった。
翠の国は島国で、古代の神話は古事記という記録によって伝えられているが、海を挟んだ大陸に伝わる歴史書には、その島国の古代の様子が記述されているものがあった。
それにはこう書かれていたのだ。
卑弥呼という女王を戴いた邪馬台国が諸州を統治していた。卑弥呼には弟がおり、女王を良く補佐していた。
卑弥呼女王が亡くなったあと、男の王が立ったが諸州は混乱した。卑弥呼の一族に連なる宗女の台与が十三歳で女王の座につき、やがて混乱は収まったという。
翠の国、島国側には邪馬台国の存在は一切書かれておらず、邪馬台国がどこにあったのか。卑弥呼とは誰なのかが歴史のロマンとなっているのだ。
私の目の前にその謎の答えがある。
「豊は思金の……」
翠が言うと太玉は少し驚いた様子で答えた。
「はい。妹君であらせられる」
「豊は昼孁の息子と結婚しましたね?」
翠が太玉に訪ねると太玉は静かに答えた。
「さようで」
「昼孁のあとを継いで十三歳で女王になった」
「はて。大巫女のことでしょうか。それでしたら前の年のことでした。豊は十七でしたかな」
あとを継いだ年齢のことは少し大げさに記述したのかもしれない……。
「ということは今は十八歳」
数え年でのことだから翠の時代とは一つ分数え方が進むかもしれないが。
「昼孁の息子との間にお子さんは?」
「二人目がつい先日お生まれになりました」
「!!」
翠は目を見開いた。その子は……その子こそ……
「名前はニニギ……」
思わず翠は呟いていた。
「ようご存じでいらしゃる。さすがは神よ。すべてお見通し」
太玉は笏で膝を打って感心した様子。
「にゃあ!」
キジトラ猫のニンゲンがどこからかやってきて啼いてから翠の目の前に座り翠をじっと見つめた。
翠は、はっと我に返った。まずい、しゃべりすぎたかもしれない。時間を超えてやって来たことは伏せておくべきこととズルに言われていたのに。
「お、お会いできるかしら」
「はい。昼孁さまがお姿を表すのは難しいかもしれませんが、代わりに豊さまがみなさんを歓迎なさるでしょう」
太玉はそう答えた。