船…?
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あの後、まだ夜中だったため寝直して再び目覚めた翌朝。
朝食をもらって今は食後のティータイム中。
「それにしても、誰も彼もが黒いメガネを掛けてて、ちょっと異様だよね。屋内でもそのままだったし…ここの規則なのかな?まともに顔見たの、さっきの少年くらいかも」
沙奈は呆れたような顔を向けながら、ジョギング中の軍人たちの姿を窓越しに眺めている。
ここで見る限りの魔人の身体的共通点は金髪と褐色肌なことくらいで、他はヒューマンとほとんど見分けがつかない。強いて言えば長身である者が多く、二メートル近くはありそうなことか。がっしりとした体格なのは単に職業柄だろう。
弱視など、外見では分からない他の特徴もあるのかもしれない。
「給仕はずっとあの子がやってくれてるから、何か訳があったり…?」
「うーん…ここには女性がいないってことだったからそれが大きいだろうけど、唯一素顔を晒してるのも何か関係があるのかもね」
しばらく取り止めのない会話をしていると、アクシキンがやってきた。
「おはようございます。送迎船がまもなく到着しますので、ご案内いたします」
促されるまま敷地外に出た先ですぐ立ち止まった。どうやらここで迎えを待つらしい。
ここはまだ内陸なので、港まで移動するための乗り物がやってくるのだろうと思いながらしばらくその場で棒立ちしていると、澄み渡る空に一点、キラッと光るものが見えた。
その先から黒点のようなものが現れたかと思えば、段々と輪郭がはっきりとしてくる。それは、翼を広げた大鷲の足で帆がない船体を持ち上げている、ように見える、メタリックな何か—おそらく飛行船—だった。
上空を飛んでいるそれはどんどん近づいて来て、それに比例してその形も大きくなっていく。頭上近くまで見えたころには、駐屯地がすっぽり入りそうなほどの、とんでもない大きさになっていた。
ポカンと呆気に取られている間に、ほとんど音もなく垂直着陸したその飛行船からタラップが出て来て、そこから複数の軍人を伴ったスーツ姿の女性が降りて来た。
やはり全員黒眼鏡を掛けているが、先頭を行く長身スレンダーでサラサラロングヘアの金髪女性は、ファッションモデルの如く独特のオーラを纏っていて存在感が凄い。ミニスカートでカツカツと歩いてくる姿はキャットウォークさながらだ。
「初めまして。国務省所属のレイラ=ジンバウムと申します。ここから先は私が案内を務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」
「どうもはじめまして。私はサナ。…こっちは—」
沙奈は流れるように和かに挨拶を返して言葉を区切ると、チラッと隣にいる乃愛を見た。
それを受けた乃愛は思わずビクッと肩を揺らす。とても丁寧に接されているのに名乗るくらい自分でしないと失礼だ。おっかなびっくりしつつも、既になけなしになっている気合いを入れて声を出した。
「…っの、ノアです」
何とか最低限は言えたが、自分でもわかるくらい消え入るような小さな声で、目も合わせられなかった。こういう時の相変わらずの己の言動に内心で落胆する。
ジンバウムは眼鏡を外しかけたが、目元が見える寸前ですぐさま掛け直し、頭を下げた。
「…故あって眼鏡はかけたままとなる失礼をご容赦願います」
眉尻を垂らして本当に申し訳なさそうに言われてしまえば、やはり何か事情があるのかと察して、幾分か印象が和らいだ。それよりもどちらかと言えば乃愛の方が失礼な態度だったはずでばつが悪い。
「いえ、大丈夫です。それで、あれで直接向かうんですか」
沙奈は前方に見える巨大な飛行船に目を向けて少し首を傾げた。
「はい。半日ほどの航行になる予定です」
ジンバウムは目配せすると、後ろにいた軍人の一人が前に進み出た。髭を貯えた壮年の男性で、帽子を取って一礼した。
「船長のルカ=ジュガウスです。安全で快適な空の旅をお約束します」
「ありがとうございます。お世話になります」
沙奈に合わせて乃愛もぺこりと頭を下げる。
そのまま船長に促されて歩き出したが、近づく巨船を見上げて足が震えてくる。まさか空を移動することになるとは思いもしなかった。
乃愛は飛行機に乗ったことがない。船だって経験はないのだが、海より空の方が圧倒的に怖く感じる。沙奈に掴まって上空を浮遊したときに高所恐怖症でないことは分かっているが、飛行機に似て非なるこの乗り物への信頼性が分からず不安感が募っていく。
タラップを上っていると、後方にいたジンバウムとアクシキンが下で足を止めて小声で話し込んでいた。超越した聴力が声を拾ってしまう。
「ちょっと。なに一緒に乗り込もうとしてんのよ」
「は?もちろん同行するためだが」
「いやあんたはここに残るのよ。聞いてないの?」
「…どういうことだ」
「ヘマしたあんたがすぐに帰国できるわけないでしょ。しっかり後始末して許しをもらうことね」
「なぜだ…俺がお連れしたというのに…」
ちらっと振り返るとジンバウムだけが乗り込んでいて、アクシキンは項垂れながら下に取り残されていた。見送るつもりなのか微動だにしない。
その姿は捨てられた犬のように哀愁が漂っていて同情を誘うが、事情がよくわからないので乃愛はそっと目を逸らした。
甲板に上がって沙奈を見るとその目はキラキラと輝いていた。そのいかにもワクワクした様子に嫌な予感がしてくる。
「お過ごしいただく客室ですが—」
「あの、飛び立つところを見ていたいんですが、しばらくここにいても良いですか?」
「ええ、構いませんよ。周囲には結界を張っていますので、風圧や落下の心配はありません。では、あちらに展望デッキがありますので、心ゆくまでお楽しみください」
案内された船首には外に向かって長椅子が並んでいて、すごく見晴らしが良さそうだった。そこで何か作業していた船員たちは気を遣ってか礼をしてさっと離れていく。
船長は出航準備をすると言って一礼して去っていったが、ジンバウムは少し距離を取ったところで静かに佇んでいた。
「あの、サナちゃん—」
「良い眺め。プロペラもなさそうなのにどうやって飛ぶのかな」
「…不思議だよね」
浮き足立つ乃愛とは正反対に浮かれ立つ沙奈を見ると、とても中に入りたいとは言い出しにくい。
ここまでこれが飛行してやってきたのだから問題はないのだろうが、頭でそう理解しようとしても心や体の反応は違うようで。まだ飛び立っていないのに想像だけで足が竦みそうになり、乃愛は震える足を抑えようとひとまずベンチに腰掛けた。
—-カーン、カーン
銅鑼の音が大きく鳴り響いた。
少ししてフワッと体が浮くような感覚があって、思わず前に立っていた沙奈の制服の裾口を掴んでしまう。
それに気づいた沙奈が乃愛の隣に座って手をぎゅっと握ってくれた。
「…もしかして怖かった?ごめんね、すっかり浮かれてて気づいてなかった。中に入る?」
「う、うん…でもちょっと、腰が抜けちゃってて…もう少しこのままでいい?」
「もちろんいいよ。落ち着いたら教えてね」
優しげに言われて乃愛はほっと息を吐いたが、沙奈はゆっくり眺めたかったろうに、己の不甲斐なさに気が引けてきた。
ふと顔を上げると、渡り鳥なのか、白い鳥の群れがV字に並んで飛んでいるのが見えた。
船はいつの間にか雲を突き抜けるほどはるか上空を飛んでいて、浮遊感も無くなっている。揺れはほとんどなく、澄んだ空に暖かい風が心地良く吹いていた。
体が慣れてくる頃には清々しさまで感じてきていて、なかなか悪くない気分だった。出航から半時間ほど経ったころ、そろそろ中に入ろうと沙奈に声をかけて立ち上がった。
—-ミューミュー…バサバサッ
近くで飛んでいた鳥の群れが鳴き声を上げて一斉に離れていった。
—-カーン、カンカンカンッ
直後、銅鑼の音がけたたましく鳴り響いた。
「なに…?」
異常を悟って警戒を高める。
前方から顔を青褪めさせたジンバウムが慌てた様子で近づいて来た。
「外敵が現れたようです。中にお入りください」
駆け足で後方に下がっていると、船室から続々と軍人が出て来て、それぞれの持ち場にバラけていった。
「敵って…」
その物々しい雰囲気に恐怖心と緊張で体が強張っていく。
辺りを見回すが、空が広がるばかりで何も見えない。
すると突如、横から強烈な視線を感じて甲板の外に目を向けた。
真横に巨大な眼があって息が止まる。
爬虫類のような縦長の瞳がギロリと動いて目が合った。
——見つけた。