胡蝶之夢 一
⋈∗︎*゜
目が醒めると白い天井が見えた。
「ん……ここ、は…」
自然と言葉が漏れたが、吃驚するほど声が掠れている。
喉の渇きを感じて起きようと身動ぎすれば、体が鉛のように重くて思ったように動かせない。
首だけ動かして周囲を確認すると、心電図や点滴パックのようなものが吊り下がっているスタンドが目に入った。
「うぅ…」
今置かれている状況が理解できない。
先ほどまでお風呂に入っていなかったか。
思い出そうとすると鈍い頭痛が襲ってきて小さく呻いた。
頭の中がもやもやしてうまく思考ができない。
そのままうつらうつらとしてきて意識を手放しかけたとき、何かを落としたような物音が聞こえてハッと顔を上げた。
「お兄ちゃん…!」
そこにいたのは二歳年下の妹、七渚だった。
目を大きく見開いて、涙を浮かべている。
「良かった…本当に良かった…」
駆け寄ってきた七渚は震える声で涙を落とした。
どうやら相当不安にさせてしまっていたようだ。安心して欲しくて背中を何度も撫でる。
「心配かけてごめん…もう大丈夫だから」
そのまま抱きついてきたので落ち着くまで背中を優しく摩りながら手を握ってやる。
肩に顔を埋めた七渚はしばらく嗚咽を漏らしていたが、徐々に呼吸が整ってきたので少し体を離して改めて声をかけた。
「何が、あったの」
「そ、れは…ちょっと待って、先に…」
七渚はベッド上にあるスイッチを押してそこに向かって二言三言会話すると、側にある床頭台に設置された冷蔵庫から水が入ったペットボトルを取り出してコップに注いで差し出してくれた。
「声ガラガラだね。これ飲んで。…先ずはお医者さんに診てもらおう」
喉を潤していると、程なくして看護師がやってきた。体調を軽く確認したあとすぐに出て行って医師を連れてまた戻って来る。改めて身体機能に問題がないかなど諸々の測定と診察をされた。
これといった異常は見られなかったが、体の衰弱が著しいらしい。覚えていることを色々と確認されたが、返答に曖昧な部分が多かったからか記憶障害を懸念され、脳波の検査をすると言って一旦退室していった。
「お父さんとお母さん、もうすぐ来るって」
「そう…。一週間も寝たきりだったなんて…」
「うん…目が醒めないことも、あるかもしれないって…言われ、て…っ」
言いながらその時のことを思い出したのか、またぽろぽろと涙を流し始めた七渚の頭を撫でる。
意識を失う前のことが、未だ記憶が判然としない。いつも通り朝出かけて、普通に登校したのではなかったか。
何かずっと夢を見ていた気がする。いや、今は本当に現実なのか。
思い出そうとすればするほど、頭に霧がかかったかのようにぼんやりとしてくる。
ただ何となく、兄と言われていることになぜか違和感を覚えていた。
「あの時ね…」
そう言って七渚はぽつぽつと話してくれた。
一週間前、一時限目の予鈴が鳴った一年三組の教室から、強烈な光が放たれた。僅か数秒の出来事だったが、そのあまりの発光に、学校の内外で多くの人がそれを目撃した。
最初に教室に駆けつけたのはその時の授業担当であった教師。発光した直後に教室に入ったが、中にいた生徒は全員床に倒れていた後だった。
その後は教師陣からパニックが起こり、救急車やパトカーが来て騒然となったことで、その日から数日は臨時休校になったようだ。
未だにその現象の原因が判明しておらず、最初に発見したのが化学教師だったこともあって、その人だけ今も取り調べを受けているらしい。
倒れていた生徒に外傷はないが意識は不明。全員病院に搬送されたが、原因不明のまま二日間に渡って昏睡状態が続き、三日目から徐々に覚醒する者が現れ出した。
「みんな今はもう意識を取り戻していて…あとはお兄ちゃんだけだったんだよ…」
「そっか…」
「あ、お父さんたち着いたみたい。迎えに行ってくるね」
震えたスマホの画面を確認した七渚は、そう言い残して病室から出て行った。
今気づいたが、七渚は制服姿だった。両親は共働きだから、学校終わりに寄ってくれていたのかもしれない。窓を見ると日が傾き始めていた。
—-カタン
物音がして振り返ると、同じ年頃の女の子がドア付近に立ってこちらを見つめていた。入院着姿なので、この病院の患者だろうか。
「※※…」
「え…?あ、うぅ…ッ」
女の子が何かを喋った気がした。
だがその言葉を認識する前に、頭に激痛が走る。
薄れゆく意識のなか、その子の顔が近くに見えてーー
゜*∗⋈
「—ぎ…っ」
浮遊感と共にハッと目が覚めた。
息苦しい。
訳もなく焦燥感に駆られて身動ぐが、体が動かない。
仰向けになった視線を落とすと、乃愛のお腹の上ですやすやと眠る沙奈の顔があった。
「うぅん…あれ、起きた?」
へらりと笑った沙奈の顔を見て、強張った体から力が抜けていく。
風呂に入っていたはずだが、いつの間にか寝巻きを着てベッドに寝かされていた。
「ごめんね…もしかして私、お風呂でのぼせてた…?」
「そうだよー。びっくりしたんだから」
そう言ってむくりと起き上がった沙奈は、ベッドサイドに腰掛けた。見ると沙奈も寝巻き姿だったが、ここへ運んで面倒を見てくれていたのかもしれない。
「なんか、泣いてた…?」
「え…?」
言われて頬を摩ると少し濡れていた。
「大丈夫…?これ、飲んで」
濡れた布で涙痕を拭かれて、心配そうな顔をした沙奈から水の入ったコップを受け取る。
「大丈夫、だと思う。ありがとう」
既視感を覚えたが、それが何だったのか、よく思い出せなかった。