公賓待遇
アクシキンの先導で敷地内に入ると、通りかかる軍人が次々と脇に寄って律儀に敬礼していく。その顔は上向いているのに、そこから突き刺さるような視線を感じて、息が詰まりそうだ。
学校制服姿の女子二人はここでは明らかに浮いた存在のため仕方ないのかもしれないが、足を止められるたびに乃愛の肩はびくっと揺れる。
沙奈の袖をきゅっと掴んで体を縮こませながらどうにか後をついて行くと、ドーム型のシェルターテントのような建物の中へと入った。
中は二階建ての体育館を思わせるほどの広さで、外観の十数倍はありそうに見えた。
客間だろう部屋に通されて勧められたソファに腰掛けると、タイミング良く給仕が入ってきて飲み物が入ったカップとお茶請けをサーブされる。
給仕が退室すると、室内はアクシキンと三人だけになった。
「サナ様、ノア様。貴方方を公賓として我が国へ招待することになりました。移動や歓待する準備などがありますので、このようなむさ苦しいところで申し訳ないのですが、本日はここで一泊願います」
「あ、はい…ではお世話になります」
沙奈は相手の出方に面食らったのか、気の抜けた声で返答している。
少し大仰な気もするが、ひとまずは客人として迎えてくれるのだろう。
「今夜お泊まり頂く部屋を用意していますので、それまでこちらでお寛ぎ下さい」
アクシキンはそう言うなり一礼して早々に退室して行った。
沙奈は苦笑して首を傾げる。
「…なんかむず痒い。どういうつもりだろ」
「さぁ…」
きちんと礼儀を尽くしてくれているのに失礼だとは思うが、丁重に扱われる理由がわからないので、言いようのない気持ち悪さが募る。
乃愛はそれよりもあちこちから受けていた視線から解放されて、ほっと息を吐いた。
ローテーブルに置かれたものに目を落とす。見た目と匂いからして、コーヒーとドーナツだ。久しぶりに感じる身近な食べ物を見て食指が動くが、警戒心が解けないので口につけるのは躊躇われる。
「そういえば、毒味系の魔道具があったような」
沙奈が思い出したかのようにぽつりと呟き〈収納〉から幾つか物を取り出した。
「あ、これだ」
┏[アイテム鑑定]━━━━━━
【Relic】テスティングⅢ型
◆––––––––––––––––––––––––
有毒検知用の魔道具
人体に有害な物質を検知する
毒性が高いほど色濃くなる
対象に接触させて使用する
※防水、防汚、耐熱
状態: 良好
価値: ★★★★☆
相場: 35,000,000z
┗━━━━━━━━━━━
ガラス棒のような形状をした透明のスティックだ。
沙奈はそれを各カップに入った液体に浸し、続いて全てのドーナツにも突き刺していった。特に色の変化は起きていない。
「とりあえず大丈夫そう…かな?」
これにどれほどの確度があるかはわからないが、他に確かめようもないので結果を信じるしかないだろう。これから訪問してしばらく過ごすことを考えると、いちいち疑っていたらキリがない。
二人は恐る恐るカップに口をつけた。
「あ、良い香り」
知っている味に思わず頬が緩む。無糖ブラックだが、苦さと酸味は控えめで飲みやすく、コクはやや深い。甘味があれば砂糖なしのままでも充分そうだ。
ドーナツをフォークで刺してひと齧りしてみると、外はカリッと中はもちもちとした食感がして、やさしい甘みが口の中に広がった。これは豆乳かもしれない。
隣の沙奈を見ると無言で食べていて、二つ目を手に取っていた。
「ふふっ…美味しいね?」
「うん。この黒いのはチョコみたい。食文化はあんまり変わらなそうで安心した」
夢中で食べている姿が何だかおかしくて思わず小さな笑い声が出た。
食材は厳密には別物だろうが、紅茶や調味料も特に違和感がなかったので、味覚は元の世界とほとんど大差ないのかもしれない。
テーブルの上にあったものを全て平らげてお腹を休めていると、ノックと共に先ほどの給仕—軍服を着た小柄な少年—が入ってきて、新たなカップを置いたあと空になった食器を下げてまたすぐに出て行った。
カップの中身はカフェラテだった。
それを見た沙奈はふわっとした笑みを浮かべた。
「ふ…可愛らしい。あの子が淹れたのかな」
そこにはラテアートがされており、デフォルメしたウサギのような動物がミルクで描かれていた。淹れている姿を想像した乃愛も微笑ましい気持ちになる。
他愛無い会話をしながらお茶を愉しんでいると、緊張が解れた頃合いにアクシキンが再びやってきた。
「お部屋の仕度が整いましたので、ご案内いたします」
別の建物になるようで一旦外に出ると、遠くの方で歓声が上がっていた。「大物だ」「やったな」「漢だぜ」みたいな会話が聞こえてくる。チラッと視界の端に見えたのは先ほどのやんちゃな若者たちだった。
乃愛は引き攣る顔を抑えて、何も見ていない聞いていないと心の中で唱えて促された先へそそくさとついて行く。
新たに通されたのはログハウスのようなしっかりした木造の建物だった。
「こちらでご自由にお過ごしください。後ほど係の者に夕食を運ばせます」
中の設備を一通り説明してくれたアクシキンはまたもすぐに去っていった。あまり余計なお喋りはしたくないのかもしれない。
「私たちだけって贅沢だよね。もうここに住んでもいいな」
スリッパに履き替えた沙奈は勢いよくソファに倒れ込んだ。
周りに軍人がいなければ乃愛もそう思っていたかもしれないくらい、ここは居心地が良さそうだった。
一階建てだが窮屈さは感じない。木の温もりに包まれた室内は明るくて清潔感があった。
リビング、暖炉、キッチン、バストイレ、ベッドが二つ並んだ寝室、大きな窓にバルコニー、一式揃った備品類。まるで宿泊施設のようで、元の世界と比べても遜色ないほどの品質だ。
元々どういう目的でここが使われていたのかは読み取れないが、建物ごと貸切にしてくれた。この場所には女性がいないため、配慮したということだった。
「生活レベルもほとんど変わらないのかな?そうだといいなぁ」
だらだらと過ごしていく内に沙奈は仮眠をとり始めた。
乃愛は夕食までの時間をどう潰そうかと周りに目を遣ると、書棚が目に入ったので適当な本を手に取ってみた。
モテる男の25の法則、自己肯定感を育てる、男の自信を取り戻す、できる上司と思われるために
本をそっと元に戻す。
乃愛も一眠りするためにソファに腰掛けた。
—-コンコン
うとうとしていた乃愛は、控えめなノック音が聞こえてきて目が覚めた。結構時間が経っていたようで、辺りは薄暗くなっていた。内鍵で施錠していたのを思い出し、照明をつけてから玄関ドアを開けに行った。
「お休みのところ失礼します。食事をお持ちしました」
「あ、ありがとう…」
訪問者は先ほど給仕をしてくれていた少年だった。体をずらして招き入れる。振り返ると沙奈も起き出してこちらを見ていた。
少年は手ぶらに見えるが、ダイニングテーブルに近づくとテキパキと食事を並べ始めた。手元をよく見ると身につけている指輪が小さく明滅している。それが収納魔道具でそこから取り出しているのかもしれない。
「何かご用がありましたら、そちらの通信水晶より呼び出しをお願いします。明朝、朝食を持ってまた伺いますので、食器はその時に下げさせていただきます」
少年は淡々とした口調でそう告げると、丁寧にお辞儀して帰っていった。
通信水晶とは内線のようなもので、四角錐の小さな水晶に触れるとここの誰かと繋がって遠隔通話ができるらしい。
「うわ、豪華だねー」
出来立てなのか、薄っすら湯気が出ている。温かい内に食べようと、早速着席して手を合わせた。
相変わらず食材は不明だが、それぞれ、バゲットをスライスしたようなパン、サラダ、具沢山のスープ、キッシュ、ステーキ、に見える。
元の世界の感覚だと一般的な内容だが、ここ最近の食事事情からすると充分豪華と言えた。
とても美味しそうなのだが、ミディアムレアな赤みの残る肉厚ステーキを見て自然と手が止まった。
「んーおいし〜。あれ、どうしたの?」
キッシュを頬張っていた沙奈は、乃愛の様子を見て首を傾げる。
「あ、ううん。何でもない。美味しいね」
すごく新鮮そうな肉だ。何故か昼間に見た追いかけられている獣の姿が頭を過ぎる。熊のように大きな猪のような何かだった。
それ以上深く考えないよう頭から追い払って無心で食す。量が多くて食べきれなかったが、食欲旺盛な沙奈が残りを貰い受けてくれて完食できた。
「ふぅ、お腹いっぱい。ちょっと食べすぎたかなぁ。軽く体動かしたいけど、外出ちゃダメなんだよねぇ」
軍事基地内なのでそれは仕方なかった。勝手に彷徨くとわざわざ建物ごと部屋を用意してくれた意味もなくなるだろう。
「お風呂準備してくるね」
人並みの生活が出来ることに少し気分が上がってきた乃愛は意気揚々とバスルームに向かった。
脱衣所には柔らかそうなタオルと寝巻き用の衣服が置いてあった。浴室には猫足のバスタブとシャワーが備え付けてあり、壁から出ている幾つかのうちの一つの半円の水晶に触れると瞬く間にお湯が張られた。
「わぁ…すごい」
ひとり小さく感動していると、リビングから「先に入っていいよー」と沙奈の声が聞こえてきた。食べ終わったばかりなのでまだゆっくりしたいのかもしれない。
お言葉に甘えていそいそと衣服を脱いでシャワーからお湯を出す。これも別の水晶に触れればちょうど良い温度のお湯が出てきた。久しぶりに肌全体で感じるお湯が気持ち良くて、更に気分は上がっていく。
頭髪用の石鹸を泡立てて先に髪を洗う。きしみそうで不安だったが、リンス成分が入っているのかさらさらな仕上がりになった。次に体用の石鹸をタオルで泡立てて全身を洗っていく。
石鹸のフローラルな香りに包まれながら、浴槽のお湯に浸かった。気持ち良すぎて体が蕩けそうになる。やはり風呂は大事だ。汚れだけでなく疲れも一緒に取れていく。毎日入りたい。それしか考えられず、頭も心も蕩けていく。
「ノア〜ちょっと長すぎない?…わぁっ」
遠くで沙奈の声が聞こえた気がした。